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その九

「かくれんぼしたことある?」

 夕食のコロッケをつまみ食いしながら彼女はいった。

「そりゃあるよ」

「見つけるのと、隠れるのどっちが好き?」

「さっきから質問ばかりだね」

 キャベツを千切りにし、サッと水につける。

 彼女は食べる専門でボクは作る専門。

「答えてってば」少しだけ頬を膨らませオネダリ。

「どちらかといえば……」

「待った! どちらかはいらない」

「限りなくそっちよりでもいい?」

「政治家の汚職事件みたいに灰色に近い黒みたいな言いかたしないでよ」 

 言葉のキャッチボールを延々と続けてもいいのだが、おちょくりすぎると彼女の機嫌も悪くなるので「じゃあ、見つけるほうで」と答える。

「うん。だよね。うんうん」

 どうやら正解を選んだようだ。

「そうだと思った」なにか一人で納得している。

 理解しえないなにかが、いまの質問にはあったようだ。

 

 豆腐の入った味噌汁に、大きめに切ったネギを一煮ちさせ、ガスを止める。

「器運んでね」と居間で寝転んでテレビを見ている彼女を呼ぶ。

「あーい」ご飯時になると甘えたような声を出す。

 猫みたいだ。

 食卓にはコロッケと、カブの塩もみ、豆腐とネギの味噌汁、ご飯。

 コロッケにはポテトサラダとキャベツの千切りをのっけてある。

「いただきまーす」

「はい。いただきます」

「ソース取って」

「はい」

「ありがとー」

「どういたしまして」

 ソースをかけながらご機嫌な彼女に、

「さっきの質問ってなんだったの」と聞いてみる。

「あたしね、かくれんぼの達人なの。知ってた?」  

「いま知った」

「いままで秘密にしてました」

「ほうほう」

「かくれんぼって鬼がいるじゃない。知ってた?」

「いま知った」

「いままで秘密にしてました」

「ほうほう」  

「かくれんぼって一人じゃ成立しないの。知ってた?」

「いま知った」

「テンドンは三回目もすると飽きるからね。知ってた?」

「返答に困るもので」

「新入社員みたいに『はい。わかりました』だけ繰り返せばいいじゃない」

「お断りします」

「それでね……」拾わないんですね。はい。わかりました。

「かくれんぼの達人だからいつも見つからないで延々と一人で隠れちゃうわけよ」

「重い過去話なら三年後に聞くとかでいい?」

「いや、聞けよ」

「はい。わかりました」

「見つかってないのに終わるのが我慢できなくって、友達が帰ってもず~と一人で続けてた。

 あまりにみつからないから、あたしとかくれんぼする子もいなくなっちゃってさ。

 やめればいいのにムキになってさ、一人でかくれんぼしてたの。

 鬼がいないから、みつけてくれる人はいない。そもそもかくれんぼとして成立しない。

 それでも隠れ続けたの。なんでかわかる?」

「見つけてほしかったからでしょ」

「うん。正解」そう言って彼女は微笑んだ。

「一人で隠れてたときに見てた光景が胸に焼き付いて、ときどき寂しくなんのね」

「原風景ってやつかな」

「多分それ。だからさ、なにが言いたいかといいますとですね」彼女はコホンと咳をつき、

「あなたがあたしを見つけてくれなかったら、あたしはいまでも一人でかくれんぼしてた」


「あたしを見つけてくれてありがとう」


 ふと、彼女と出会ったときのことを思い出す。

 大学のサークルの後輩だった彼女は、新入生歓迎コンパの時、ふらっと現れ、いつのまにか消えていた。

 誰かと話すわけではなく、ただジッと座って静かに佇んでいた。

 拾われてきたばかりの猫のような印象だった。

 二次会に出ず、その後サークルに入ったが、ろくに顔も出さないのすっかり忘れてしまった。

 

 半年ほど経ったある日、彼女を見かけた。

 彼女は傘も差さずに雨に濡れながら歩いていた。

 大学から帰る途中のようだった。

「なに見てんのよ」

 話しかけて傘でも貸そうかと考えていたら一蹴され、彼女はそのまま歩いていく。

 どうやら同じサークルであることさえ気づいていないようだ。

 ずぶ濡れになりながら毅然と歩み続ける彼女を、ボクはどこか神々しくさえ思っていた。

「私は好きで雨の中を歩いてるんだ」そんなことを言い放ちそうな後姿だった。

「お隣いいかな」

「はぁ?」

 ボクは傘をすぼめ、彼女の隣を歩く。

「なんで傘差さないの? 馬鹿?」

「貸してほしいなら貸すよ」と傘を差し出す。

「いらない」

 あっさり拒否された。

「そうだね。傘を借りるのを拒むのも自由だし、濡れて歩くのも自由だと思うよ」

「好きにすれば」

「言われなくても」

 そのあと何一つ言葉は交わされず、別れ際さえ無言だった。

 

 それから、大学で彼女を見つけるたびに声をかけた。

 多くは無言で返され、

「あっち行ってよ」返事があってもこの通り。

 それでも声をかけ続けたのは、きっとボクは彼女のことを好きだったからだろう。

 いま考えても理由らしい理由は見つからない。

 性格がいいわけでもないし、体つきも好みからいえば外れている。

「あたしのどこが好き?」

 そんな質問、彼女は絶対にしないだろうが、言われても答えられないと思う。


 人を好きになるのに理由はいらないらしい。

 

 あえて言うなら「彼女を理解してみたい」という身勝手な欲望だと思う。

 彼女を理解するには、まずボクを理解してもらわねばならない。

 声をかけ続け無視をされ、たまに返事を返してくれて、いつのまにか隣に座っても追っ払られなくなった。

 それからたまに、ご飯を一緒に食べるようになり、お互いの家に出入りするようになる。

 かといって「付き合ってるの?」といわれれば答えはノーだ。

 彼女のことは好きだが、それを言葉にしたことは一度たりともないし、身体を重ねたこともない。思えば奇妙な関係だと思う。

 恋人とも家族とも、男女の友情とも違う。

 ただ一緒にいるだけの関係だ。

 一番適切な言葉は「家主と野良猫の関係」だと思う。

 ペットとして飼っているわけでなく、飼われているわけでもない。

 

 お互いにただ傍にいるだけだ。   

  

「♪~」彼女は鼻歌交じりに洗い物を始めた。

 先ほどの言葉がたんなる通過儀礼であるかのように、なにかを気にした素振りはみえない 

 そんな彼女を好きだと思うし、愛おしいと思う。


 人は一人では生きていけない。

 社会的な生き物だからとか、経済観念上一人では生きられないとか、頭良さげな理論のお話ではなく、必要とされたい、理解されたい、認めてもらいたい、そういった感情論のお話だ。

 誰かを理解するのは大変だ。

 他人の心の中などわかりえるものではない。

 自分の一生を費やしても、たった一人を理解することはできないと思う。

 それでも近づくことは出来るし、人間には言葉がある。

 言葉は偉大だ。

 伝えることが出来る。

 同じ言語を持つということは同言語間で世界を広げられるということだ。


 言語を最初に考え、かつ実行しようとした人間は史上稀に見るロマンチストに違いない。


 息を吸いながら水を飲んでみてほしい。

 必ずむせる。人体の構造上むせるようにできている。 

 誰しも水を飲んでむせることがあると思うが、それは嚥下したとき、同時に息を吸い込んでしまったから起こる現象だ。

 人間の喉頭は頸部にある。

 簡単に言えば、首にのど仏がある。

 食物や水分を嚥下する際に気管、肺に入らないようにするためだ。

 逆にチンパンジーなどの類人猿は喉頭は口の奥の咽頭に収まっている。

 人間よりのど仏が上にあるということだ。

 チンパンジーは鼻から吸った空気が喉頭にそのまま入る構造になっている。

 呼吸をしながら水が飲めるわけだ。

 外敵に襲われるかもしれない状態で効率よく水分を補給するために当然の構造といえる。

 のど仏が首にあることがデメリットに聞こえるかもしれないが、それは違う。

 のど仏が首にあるおかげで人間は声帯で作られた音が口内で調節され、区切りをもった発声ができる。すなわち言葉を使うことができる。

 チンパンジーの構造では言葉を発せられても有節の区切りが発声できず、鼻から声がぬけてしまうのだ。

「あーーー!」と叫ぶのはチンパンジーでも人でもできる。だが、

「あ、い、う、え、お!」と区切りをつけて発音することはチンパンジーには構造上できない。

 語感の多様性は言語を創造する。

 言語の獲得はすなわち他人の理解である。

 

 言語は言葉の認識を共有しなけれえば使えないからだ。

 

 言語を考えた最初の人間は、まず言語を他人に理解させなくては言葉として意味をなさない。

 日本語と英語を思い浮かべて欲しい。

 同じ「水」という物質を言葉で理解するにはどちらかが「水」もしくは「water」という単語を知らなくては意味が通じない。

 根底には「他人に理解させたい。他人を理解したい」という切なる願いがあるように思える。

 

 理解は理解してもらうことから始まる。


「そう考えると……」

 まとまらない考えをまとめながら、台所で食器を洗っている彼女に、

「ねぇ? 人類が最初に発声した言葉ってなんだと思う」

「んー。俺の言うことを聞け! とかかな」

「それもあるかもね」

「他に答えがあるような口ぶりだね」布巾で手をぬぐいながら彼女はボクの対面に座った。

「ボク、そしてキミ」

 拙いジェスチャーでお互いを指差す。

「どういうこと?」

「自己認識と他者認識かな」

「……その話ってオチあるの?」

「多分ね」考え中ですが。

「なら聞こうかな」彼女は中座し、インスタントコーヒーを二つ分、テーブルに運んだ。

「言語ってお互いに理解しなければ使えない、相互理解装置なわけだけど、まずは自分と他人を区別する言葉が最初に必要だと思うんだ」

「どうして?」

「言語体系そのものが、自分から他人に対して使われるからね」

「そういわれれば、そうかもね」

「だからお互いの認識のための言葉が最初に出来たんじゃないかと思う」

「ボク、そしてキミ」口に出して、再度指を差す。

「ふんふん。それで」

「で、ここからが一番大事。例えば群れを統率するなら言語体系なら必要はない。 

 自然動物は言葉なんて使わなくても集団として確立されてる。何万年も前からね。

 だから、最初に言葉を作った人間は自分から他人になにかを伝えたくて言語を作ったんじゃないかと思うんだ」 

「なにかってなに」


「あいしてる」


「愛してる?」

「最初に言葉を作ったやつってさ、多分凄いロマンチストだよ。

 身振り手振りじゃ絶対伝えられないようなことを、言語化して言葉を作ったんだから」

「……」


「ボクは、キミを、アイシテル」


「それだけのために理論立てして、言語を作り、言葉をしゃべって、相手に思いを伝えたんだとしたらさ、それってどこまで好きで好きで好きでたまらなかったんだろうな」

「……振られてたら笑えるね」

「振られなかったから、ボクもキミもここにいるんだと思うよ」

「ふふふ。そうかも」

 それでも言葉では伝わらないことがある。

 言い間違いや、細かいニュアンス、受け取り方の問題もある。

 

 あるいはそれを解決することが神様が残した宿題なのかもしれない。


「ねぇ?」と彼女は、

「言葉だけじゃ伝わらないこともあると思うよ」

 そういって静かに唇を重ねた。


 たしかにそれは、百万の言葉を並び尽くしても伝わらない想いだった。


 世界は愛でできている。

 少なくとも、いまこの瞬間は。

 



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