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その八


 朝起きたら、

「もう! お兄ちゃんったら起きてよぅ」

 見知らぬ少女が布団の上に乗っかっていた。


 ここは、


 1.起き上がって「おはよう」と、言ってみる

 2.「う~ん。あと五分……」二度寝する

 3.黙って警察に連絡する


「何番にしよう」寝ぼけた頭で、選択肢を考えたが、

「もう! 朝ごはん出来てるよ?」可愛い声で呼びかけられてしまったので、

「乗るしかない。このビッグウェーブに!」覚悟を決めて、流れに身を任せることにした。

「えへへ~。今日はね、私がご飯の支度をしたんだよ」

 手を引っ張られるままにリビングへ行くと、そこには純和風の、ご飯、豆腐とワカメのお味噌汁、塩鮭、納豆、卯の花、香の物が湯気を立てて並んでいた。

「ど、どうかな? 初めてだったからあんまり美味しくないかもしれないけど、私……お兄ちゃんのためにがんばってみたんだよ」

 ふと、少女の指先を見やると、左手人差し指に絆創膏が貼られていた。

「あっ!」視線に気が付いたのか、少女は赤面し、あわてて手を背中に回す。

「ううん。なんでもないいの! 大丈夫だから……」  

「いや、ありがとうな」

 俺は少女の頭を撫でてやり、席に着く。

 冷めてしまってはせっかくの朝食を十全に味わいつくせまい。

「いただきます」見知らぬ少女に感謝の意の込めて手を合わせ、朝食に箸をつける。

 ずずずぅ。まずはお味噌汁からいただくとしよう。

「むっ! これはっ!!」

「ど、どうかな?」

「美味い」

 にぼし、昆布で出汁を取っており、具材の豆腐も熱すぎず、甘みさえ感じられる。

「はっ! もしかして、この豆腐は!」

「うん。手作りだよ」

「豆腐を作るなんて大変だったんじゃないか?」

「結構簡単なんだよ? 大豆を一晩水につけてミキサーにかけて、布で濾して豆乳とオカラに分ける。後は豆乳に苦汁を差して、固まったお豆腐をザルに移して余計な水分を抜いて出来上がり!」

「手間隙かかって、この味が出ているのか……。じゃあ、この卯の花も?」

 ひょいっと、箸で摘んで口に含むと、素材の大豆そのものの甘みが口一杯に広がり、

「なんちゅうもんを食わしてくれたんや」どこかの漫画みたいだと思いつつ、

「オカラは大豆のプルサーマルや」グルメリポーターの真似事をしてみた。

「よ、よかった~」少女は胸を撫で下ろす。

「うん。どれも美味しい。いいお嫁さんになれるよ」

「えっ!? もうお兄ちゃんの莫迦っ!!」

 少女は顔を赤らめ、プイっと頬を膨らまして横を向いき、

「私の気持ち知ってるくせに……お兄ちゃんの意地悪」囁くように呟いた。

「えっ! いまなんか言ったか?」

 ぶっちゃけまる聞こえだったが、あえて聞こえない振りをしてみる。

「もう! なんでもない! 莫迦! 莫迦っ!! 死んじゃえ!」

「ははは」

  

 こうして、見知らぬ他人と団欒の食卓を過ごし終わる。


 冷静に考えると凄く怖い。

「が、逆説的に考えれば、冷静に考えなければよいだけだ!」 

 コペルニクス的発想転換で事態を乗り切ろう。

 こんな夢のような展開が、いままであっただろうか?


 否! 


 据え膳食わねば男の恥だ。食べてしまった後だしなッ!

 

「ご馳走様でした」と、食器をシンクタンクに運ぶ。

「洗い物は俺がやるよ」

「ううん。お兄ちゃんはゆっくりしてていいよ」

 それほど広い台所でもない。二人も入ればぎゅうぎゅう詰めだ。

「いや、ここまでやってもらって、洗い物までさせるなんて出来ないって」

「いいの、私がしたいの」

 そんなやり取りをしながら、結局は二人で食器を洗う。

 軽く食器を水洗いした後、スポンジに洗剤を染み込ませ、キュキュっと音を立てながら洗う。

 水洗いした食器を、少女は布巾を使い、水分を拭っていく。

「ふんふん~♪」少女は、ご機嫌に鼻歌を交えていた。

 シャンプーの香りなのか、はたまた女の子特有の体臭によるものなのか。

 俺よりも一回り小さい少女の温もりを感じながら、

「あぁ。女の子っていい匂いがするんだな」と口に出さねど幸せをかみ締めていた。

 少女が「ふんふん~♪」と鼻歌を歌う横で、俺は「スンスン~♪」と鼻を鳴らす。

 o-クレゾール、p-クレゾール、女性特有の芳香化合物に加え、洗髪剤の各種脂肪酸、香料が合わさり、夏の向日葵畑のような情景が一瞬にして浮かび上がる。

 上質なワインが語らずとも雄弁であるように、女の子の匂いもかくあるべし!

「ちょっと! お兄ちゃん……なにやってるの!?」

 いかん! 気が付かれたか! 

「完全に気配を絶っていたのに」

「いや、豚さんみたいに鼻鳴らしてたよ?」

 客観的に言って、どう見てもただの変態であった。

「やだ……私、なんか変な匂いする?」

「なんかいい匂いだなぁと」デュフフ。

「もう莫迦! 死んじゃえ!」

 肩パンされながらも、こんなに幸せでよいものかと思う。


 これではまるで童貞の妄想のようだ。


「そうだ。そう言えばまだ名前きいてなかったっけ?」

「えっ!? お兄ちゃん、なに言ってるの?」

「?」俺に血縁関係は両親しかいない。

 こんな妹がいたら、もう少しまともな人生を歩んでいるはずだ。多分、きっと、おそらく……。

「私は『すさのお』だよ?」


 こう来たか! 薄々感づいてたけど!!

 

「嘘だ! 俺の知ってるスサノオは汚らしいゼリー状の馬糞みたいなやつだ!」

「忘れちゃったの?」すさのおは目をウルウルとさせ、

「昨日、お兄ちゃんが私を生んでくれたんじゃない?」と、言った。

「お兄ちゃんが望んだ、お兄ちゃん専用の、お兄ちゃんの『すさのお』……だよ?」


「神様さいこー!」魂の叫びがこだました。



「早よ起きんか! うんこ製造機!」

 目が覚めると、スサノオが布団の上に乗っかっていた。


 ここは、


 1.起き上がって「おはよう」と、スサノオを殴る

 2.「絶望した……」二度寝して、二度と目を覚まさない

 3.「助けてよ! すさえもん」神様にすがる


「何番にしよう」寝ぼけた頭で、選択肢を考えたが、

「ほれほれ、朝餉が出来ておる。母上に感謝するのじゃぞ!」と、ポリープ切除の手術直後のおっさんみたいなしわがれた声で早口にまくし立てので、

「手塚治虫が禁止した漫画界最大の禁句ってなんだっけ?」と言ってみた。

「まだ寝ぼけてるのか?」

「……」やはり神様は凄いな。

 期待が裏切られるという行為は、如何なることがあっても使うこべきではない。

 涙の代わりに血を流したい。

「よくわからんが、今日から布教するんじゃろ。早う飯を食ろうて支度せんか!」

 

 トーストにハムエッグを乗せて、コーヒーで流し込む。

「ご馳走様です」食器を洗い、時計を確認すると七時三十分であった。

 履歴書を出したのが昨日であるが、パソコンを確認し、他に募集できるところがあるか探してみる。

 二件ほど見つかり、ネットで応募だけしておく。

 条件は福利厚生がしっかりしているところだ。職種は気にしていない。

 気にしたら職なんて探せない。

「一に行動、二に行動、三から十まで全部行動だ」


 それから職業案内所にも行く。

 トラウマだ、心が折れただ、泣き言は働いてからだ。

「えぇ、三十歳で……はい。職歴はバイト経験がおありのようですが……」

 相談窓口で職安の職員は言いにくそうに先方に伝えている。

 いままでがいままでだ。それはもう飲み込むしかない。

 神様になること、それと人間としての生活はいまのところ結びつかないが、

「両方をおろそかにしない」ことを目標に掲げ、出来ることはなんでも挑戦するのである。

 

「では……はい。よろしくお願いします」

 電話が終わり、一本は面接だけ通してくれることになった。

 職安の紹介書を貰って明日は面接である。


 お昼を回っていたので、一度家に帰り、食事を取った。

 明日の面接に備え、履歴書をと職務経歴書を用意する。

 人間の支度を済ませて、これからは「神様タイム」だ。

 

「やっと本業か」

「どちらも本業だよ。仕事探すのも、信仰集めるのも同時にやらなきゃな」

「ふむ。気力があるのはよいことじゃ。ところで、なんぞ閃きでもあるのか?」

「一応な~」軽く返事をして、俺はパソコンを起動させる。

「しかし、この箱いじってばかりじゃな」

「やる気になってんだから、黙っていてくれ」

「ふん。ならば好きにせい」

 スサノオは体をベットに乗せ、

「我は寝る。必要なら起こせよ」そう言って、五分後には寝息が聞こえてきた。

 さすが、元祖ニート神。手早く眠りにつきやがる。


 さて、日々パソコンを使ってはいるが、実のところ基本的なことはほとんどわかっていない。

 まずはホームページでも作って宣伝だけでもしてみようと思うが、

「大体ホームページってどう作られてんだよ」そんなことさえわかっていない。 

 車の運転の仕方はわかっていても、どういうメカニズムで車が動くのかわかる人間は少ない。  

 システムは簡素化して、利用するのは簡単だが、作り手側の労力は押して知るべしだな。

「ブログや、ツイッターという手もあるが……」これならば、登録するだけで始められる。

 それも必要になっては来るだろうが、いま考えていることを実現するには、やはりホームページは必須であろう。


「……」黙々と必要な情報を集める。

「高いなぁ」ホームページ製作のサイトもいくつか回ってみたが、どこも「五万~十万」あるいはそれ以上と、無職である俺にはいささか敷居が高い。

「やっぱ自分で作るかな」貧乏臭いが、金がないのは仕方ない。

 はたして自分にデザイン性や、創造性があるかは置いといて、やれることはやるべきだ。

「しかし……」いままで如何に自分がなにもしないで生きてきたのかが、如実にわかるな。

 ネットだ、アニメだ、ゲームだと、快楽を享受することを続けて、残ったものがこれだもんな。

「苦労してなさそうな顔してやがる」机に置いてある手鏡を覗くと、幼く丸っこい自分の姿が写る。

 我ながら情けない。 

 三十歳。されど三十歳。人生はまだ長い。


「ふぁ……」日も下がり、空が明るくなる頃、スサノオが起きた。

「おう、豊穣の。息災か」

「よく寝やがって」俺は振り返らずにキーボードを打ち続ける。

「なにしとんのじゃ?」

「ホームページの製作」

「なんじゃい、それ?」

「自分の神社作ってんだよ」

「社? どうやって?」

「説明するのが面倒臭いが、いまの時代はパソコンがあれば、大抵のことが出来るんだよ」

「ふ~ん。まぁええわい。それでどのくらいかかりそうじゃ?」

「このペースなら、一週間くらいかな」  

「早や!」 

「ふふふ。これが人間の力よ」

 やったことは検索して、作り方を調べて、無料のホームページビルダーをダウンロードして、やはり無料のレンタルサーバー借りたりしただけだけどな。

 アットホーム過ぎて泣けてくる。

 閲覧が増えたら、ホームページのつくりの改良や、サーバーも容量あるところに乗り換えようとも思うが、まずはこんなものだろう。

 まだデザインもまとまっていないが、素人だし、極力シンプルな形で行こうと思う。

「意外となんとかなってよかった」

 十年前なら、きっと挫折してたなと思う。HTML言語を直接打ち込むなんて無理だ。

 テクノロジーの進化に感謝しよう。

 

 このままネット上に神社を開き、新たな宗教でも開こうかとも思った。

 実際の神様なので、ひょっとしたら、

「信者集まるんじゃね?」とも思う。

 日本では宗教の布教自体は自由である。

 勝手に「俺が神だ! 崇めろ愚民共ーーー!! ヒャッハーッッ!!!」と、布教しても、信者が集まるなら、それは宗教団体といえる。

 これが宗教法人になるというと、また色々面倒くさそうだが……。

 いずれは視野に入れるべきかもしれない。

 だが、スサノオを、あるいは天照さんを見ていると、神様と宗教家というのは違う気がするのだ。

 日本人ならお正月に神社を参拝するだろう。

 しかし、それは信仰(慣習と言えばそれまでだが)であって宗教ではない。

 神社は宗教団体であり、神様を祭っている。しかし、宗教団体が神そのものではない。

 中には宗教団体のトップが神を名乗る場合もあるだろうが、そこは捨て置こう。

「神はただ在る」

 目指すところはそこなのではと思う。

「大体、教義やら組織経営なんて、さすがに無理だ。小市民の俺としては」

 いや、少市神か。

「おっ! いいなこの言葉」 


 少市神・ 荒覇吐豊穣命。


 響きが地元密着型の神様っぽい。

 若干言いにくいことを除けば完璧だ。

 スサノオは便宜上「布教」という言葉を使ったが、実際は、

「知名度を上げること」これだけで十分に神様として信仰を集められるのでないかと思う。

 簡単にいえば「ファン」を増やすことだ。

 俺自身は神様でありながら、天然自然の具現や擬人化ではない。

 だから、神様として信仰を崇めるのであれば、それは俺自身がなにかしらのアクションを起こし、その結果として信仰を集めることこそが、目指すべき道なのではないだろうか。

 やり方は多種多様にあるだろう。

 なにをするのも自由だ。


「……」俺は外付けHDDからフォルダを引っ張り出して、中のテキストデータを読み込む。

 放置してある書きかけの小説がそこにあった。


「そろそろ自分と向き合わなきゃならんわな」  


 俺は人生でなにかやりとげたことがない。

 人間関係も、労働も、夢も、あるいは自分の人生さえも投げ出してきた。

 楽なほうに、楽なほうに。

 責任から、自分自身から目を逸らしてきた。


 昔、小説を書いていた。

 高校から書き始めて、大学在学中も、社会に出てからもバイトをしながら書いた。

 都合十年くらい書き続けたと思う。

 その中でいくつも作品を書き、推敲し、そして自分の文章を見るたびにイラついて投げ出して、ついに一つたりとも完成させたことはなかった。

 五十ページ程度の短編でさえ書き上げたことはない。

 その繰り返しだった。


「書きたいことも、アイディアも設定もある」

 自分の中だけでそう思っていた。

「俺には才能がある。世間の作家がこの程度なら、俺はもっと素晴らしいものを書ける」

 作品を書き上げ、投稿したこともない。

 無論誰かに見せたことさえない。

「いまなにしてるって? 小説書いてるよ」

 夢を見るのは自由であり、夢に責任を被せるのも自由だろう。

「新しいアイディアが沸いてきた! この作品ではそれを生かせない!」

 それを言い訳に作品を挫折させ、途中で書きあげたものも頓挫させる。

「仕事が忙しすぎて小説が書けない。辞めて集中しよう!」

 本音はただ楽をしたかっただけだ。

 順調な仕事でも責任を持ちそうな立場になったから面倒で逃げ出しただけだ。

「なんで俺は自分を特別だと思っていたんだ?」

 三十歳間近になって、ようやく理解できた。

 ただナニかにすがっていたいだけだったのだと。

 作品を書き上げたこともないのに、誰かが勝手に才能を見出し、勝手に人生が上手くいくものだと、この歳まで本気で信じていた。

「救いがたいね」ひっそり呟く。

 言い訳は無限に用意出来たし、誰も、自分自身ですらソレを咎めない。

 残ったのは中途半端に書き残された自分の抜け殻。

 どれだけ脱皮し、変身したつもりでも、本質が変わることはなかった。


 子供なのだ、オッサンのフリした。

 オッサンになってしまったから、仕方なく大人のフリをしているだけの話だ。


「大人になるってどういうことだろう」子供の頃から疑問だったが、最近やっと答えが出た。

 

「自分が特別じゃないと理解できた日」


  オンリーでなく、プルラリティな存在。

 この世に六十億いる人間はみんなそうだ。

 総理大臣や大統領だって替えがきく。

 明日、総理大臣が死んでも世界は回る。

 一週間後には新しい総理が出てくるだろう。

 そうでなければ世界は回らない。


「俺にはそれが、我慢できない」反抗心だけが、呪いのように残り続けている。

 

 どうしたら特別になれるか? 

 考えた末の答えが「小説を書けばいい」だった。

 作品が脚光を浴びれば、それが自分が特別の証だ。

 単純な理論だ。

 昔から俺は馬鹿だったのだと思う。

 何一つ理論的ではなく、そうしたいという感情論のみだ。 


 書き損じ、挫折した小説を見回す。

 書き上げればよかった。諦めなければよかった。自分から逃げなければよかった。 

 そう思うなら書けばよかったのだ。それだけの話だ。


 逃げない。


「だから」とか「今度は」とか「神様だから」とか「自分を見つめ直す」とか「自己啓発」とか「自分探し」なんていわない。

「ただ、書く」失敗しても書く。書き上げる。

 ページ数は問題ではない。

 出来不出来は問題ではない。

 

 ただ綴る、俺が俺のために俺を残す。 

 

 昔の小説を全部読み返す。

 不思議だった。

 書いたのは随分前なのに、書いている時のことが詳細に分かる。

 タイムスリップしたような気分だ。

 どうして書き始め、どうして諦めたのか、何に感化され、何に嵌っていたのかまで、自分の事ながら手に取るようにわかる。


 自作した小説には自分の全てが出ていた。


 人生、人間性、読書数、感覚、空気、年齢、思考、経験、語感、語録エトセトラエトセトラ。

 どこかで見た物語をどこかで見たように繋ぎ合わせても、必ず粗が出る。

 当たり前だ。

 無からは有を生み出せない。

 有は有からしか生み出せない。

 如何なるものであろうともその真理からは逃れられない。

 例え「神様」でも「物語」でもそうだ。

 自分が培ったものを、自分の言葉で、自分で表わさねばならない。


 だから、恐くなったのだ。自分に、自分の才能の無さに。


 あるはずのものがなかったから。


 書いている途中で自分がどれだけ薄っぺらで、どれだけ中身の無い人間なのかが白紙の下にさらけ出されている。

 なんのことはない。

 最初から求めていたものなどなかったし、無ければ作るしかないのだ、自分自身で。

 不安を隠すように書き続け、その都度自分に絶望し、投げ出して、それでも諦めずに書き始め、中には、どこかのライトノベルが丸パクリされているものもある。

「ははは……」思わず笑い声が飛び出した。

 

 異世界に迷い込んだ少年が、なんの努力もせずに伝説の力に目覚め、世界の悪と戦うファンタジー。

 日常を愛することを信条とする少年が、ある日、見知らぬ少女と事件に巻き込まれるアクション。

 なんの理由なしにモテてハーレムを形成するラブコメディ。

 超能力を持つ少年少女が、学園を舞台に化け物と戦う能力バトル。

 帝国暦2673年。銀河連邦は史上初めて人類以外の知的生命体に遭遇する……から始まるスペースオペラ。

 歴史上の英雄豪傑を性別反転して召還し、バトルロワイヤルさせる新伝奇。

「あいつのことが好きだ。でも男だぞ? 違う! 男が好きになったんじゃない、好きになったのがたまたま同性だっただけだ!」と延々に悩むボーイズラブ。 

 難病に侵された恋人と世界の果てまで逃避行する、人がすぐ死んじゃう物語。

 天才的才能を持った元警察官の探偵が遭遇する徐々に奇妙な殺人事件。 

『朝起きたら昨日と同じ朝だった』をひたすら繰り返し、原因を探るタイムループ。

 しがない江戸の小役人が、日常の小さな事件を解決する時代探偵ミステリー。

 神と悪魔と人間が指輪を通して三者三様の立場で戦争を続ける戦記物。

 電子化された近未来、昔はカラーギャングといわれたぼくらの戦場は電子世界になっていたサイバー青春物語。

 冷戦時代。中央分離線によって米露に分断され、日本が東西に分かれた架空伝記。

 幼馴染の三人組。子供のころは性別なんて意識しなかった僕と彼女と親友の煮え切らない恋の三角関係をボクシングを通して描くラブストーリー。

 父親の恨みを晴らすため、性別を隠して角界入りし、横綱を目指す女子校生相撲列伝。

 金木犀の香りに誘われて、気が付いたら戦後の日本にタイムスリップしていた女子中学生が機関銃片手に日本の覇権を賭けてマッカーサーと麻雀に興じる新説麻雀放浪記。

『単身赴任のボクの元にメガネで地味な幼馴染の巨乳妻が会社の上司にオナホ扱いされアヘ顔晒して駅弁ダブルピースの写真を離婚届と一緒に送ってきた件』がタイトルの官能小説。


 インスパイヤというには語弊がありすぎるほど、どこかで見た物語が改悪されている。

 大体百ページから二百ページくらい書かれていて、どれも途中で投げ出されていた。

 書くも書いたり投げ出したり、だ。


 認めなくてはならない。

 ここにあるもの全てがいままでの人生なのだと。

 投げ出した書きかけの小説がそのまま自分自身なのだと。

 その上で書かなくてはならない。


 神様になるために、ではない。


 これからを生きるために、俺は自身と向き合わなくてはならない。

 

 自分が書いた文章を見るのは、自分の裸を 風呂上りに凝視するくらいに恥ずかしい。

 油の浮いた血気のない顔、死んだような眼、だらけて肥え太った腹、紐を巻いたらロースハムに見える太腿。

 長時間鏡に向かったら間違いなく吐けるレベルだ。

 肉体を見るだけで美的感覚が狂って嘔吐確実なのに、内面を見続けるのは精神を破壊する陵辱行為。


「オゲェー!!」実際、二回ほど耐えられなくなりトイレで吐いた。


 過去の恥ずかしさと、軽率さ、物語の破綻と、文章そのものが、頭の中でこんがらがり、

「冷凍さばを味付けせずにミルクと根野菜で半煮え」させたようなゲシュタルト崩壊が起こる。

 パクリ設定はほんのジャブ。

 厨二設定と、土台の物語のリバーブローがストマックに突き刺さり、文章力そのものがガゼルアッパーとして意識刈り取らんと襲い掛かってくる。

 最後に巨大な自己嫌悪がデンプシーロールよろしく精神を滅多打ちにしてノックダウン。

「オグゥッ……ブベベ!! ゴハァッ!!」三回目だ。

 甘酸っぱい胃液が喉を通り排泄された。

 小説問わず、如何なる作品とて、完成物は素晴らしいと理解できた。

 

 見るに耐えられるのも一定の基準点だ。


 永遠に道半ばでいたい。

 楽して流行に乗り、金も受けたい。

 作品群からは、そんな心持ちがヒシヒシと伝わってくる。

「豊穣の、さっきからなにと戦っとるんじゃ。我ひたすらに怖いんじゃけど」

 布団の上でスピーと鼻息立ててたスサノオがいつの間にか起きていた。 

「ちょっと昔の自分と殴り合いしてた」

「ほうほう。草紙か。そんなもん書いとったんか」

「最近、好々爺が板についてきたな」

「何千年も生きりゃあ、丸くなるわい……って誰がじじいじゃ! 莫迦者!」

 プンスカぷるりんとしながらも、ナメクジが這うようにベットから移動してくる。

「その移動方法やめない?」

「他にできん。文句言うな。荒ぶるぞ」

「綺麗に三行でまとめたな」

「お前の思考にはついていけんな」パソコンの前に体を下ろし、ディスプレイを眺める。

「ふんふん……。中々興味深いの」

「スサノオが文字が読めたという事実が興味深い」

「そろそろ口縫うぞ」

「おぉ、怖い怖い」

「文字云々はただの記号じゃ。込められたお前の言霊を読んでおるだけじゃわい」

「無駄に凄い機能だな」

「機能とか言うな! 阿呆!!」

 スサノオは体をパソコンに取り付かせ、

「ふむ……ふむ」えっ? なにしてんのコイツ!?

「よし、大体読み終わったぞ」

「早いな! そしてただただキモいよ!!」

「言葉の意味はわからんが、莫迦にされたのはわかった!」

「パソコン壊すなよ、お前の存在より価値がある」

「神より貴重な存在などないわい!」

「しかし、突っ込みばかりで話が進まないな……」

「お前のせいじゃ!」ぜいぜいはぁはぁと、軽く息を切らせたスサノオだが、

「……なかなかに興味深いが妙な話じゃな」

「妙なのはわかってんだよ! 悪うございました」

「違う違う」

「あぁ?」

「なんでそんなに攻撃的なんじゃ。話が妙なのではない。これお前が書いたんじゃろ」

「そうだけど」

「なんでどこにもお前がいないんじゃ?」

「……」

「言いたいことはわかるか? 言葉は伝えるのが難しくての」

「……」

「……気が付いてるならええわい」

「……」


 言いたいことを言い放った後、スサノオはベットに戻り、また寝息をたてた。

「わかってんだよ、んなこたぁ」

 骨の髄まで理解している。

 なにしろ自分の書いた物語なのだから。

「だから、これから書くのは……」


 久しぶりにキーボードを打ち続ける。

 音のない静かな夜。カタカタとタイプの音だけが空間を支配する。

 いまのテンションのまま、いまの思考を、いまの心情を出来るだけ詳細に。

 プロットはない。物語であるのかもわからない。

 読み物として失格だと思う。

 だが、いいのだ。

 作品ができて発表もするが、それは過程であって結果ではない。

 完成品は書いた過程であり、物語を書くことそのものが結果だ。

 大事なのは「必ず書き上げること」。

 出来不出来は問題ではない。

 まずは書く。完成させる。

 当たり前のことが十年かけてできなかった。


 昔の小説を読み返し、スサノオに言われるまでもなく気が付いていた。

 この物語にはどこにも俺がいない。

 筆者を通して語られるべきはずが、誰でもない何処かの誰かに成り代わっている。

 物語云々でなく、起承転結云々でなく、設定云々でなく、技術云々でもない。


 自分を通して考えを伝えることができていない。

 自分を通して物語を伝えることができていない。

 自分を通して自分を伝えることができていない。


 自己表現でなく、自己逃避。

  

 だから、どれもこれも破綻を迎える。

 迎えざるをえない。

 

 理由はわかっている。


 自分に向き合うことができなかった。

 

 なにもない事実から目を逸らし、偽り続けた。

 自分からも、作品からも。

 

 俺は神様のような完全疎通型の言語を持ち合わせていない。

 誰かに言葉を伝えるのは難しく、自分に言葉を伝えるのはもっと難しい。

 自分のことが自分の癖してわからない。

 だから書く。

 自分の言葉を、自分に送るために。

 他人に伝える前に、まず自分に伝えねばならない。

 

 この物語は、そのための物語だ。

 

「ふぅ……」ベランダに出てタバコを吸う。

 副流煙をスサノオに直接吹きかけてやろうとも考えたが、一応は恩人なのでやめておいた。 

 時間を見ると二十三時になっていた。

 明日は職安で紹介してもらった面接もあるので、そろそろ床に入らねばならない。


 月のない雲の多い夜のなか、湿った風が肌をぬぐう。

 雨が近いのかもしれない。


 こんな時に限って考えたくもない将来の不安が頭をよぎる。

 金もない、仕事もない、本当にこんな事をしていていいのだろうか?

 面倒事が増えただけで得でもあっただろうか?

 途端に気だるくなる。

 得だとか得じゃないとか、そんなのではない。

 それはわかっているが、不安は納まらない。

 小説どころか、人生自体をやりとげられるかもわからない。

「それでも……」口に出さずにいられない。

「自活も自立もせずにダラダラしているよりは楽しいかな」

 書きかけの小説を尻目にそんなことを思った。


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