その七
融けかけのスサノオを、どうしたものかと思い、とりあえず冷凍庫に入れてみた。
「莫迦者! なにを考えておる!」怒られた。
しかし、お風呂に浸かり、半液体状に近かった体は、粘度を取り戻し、元のスライム状近くに戻っている。
「はっはっは。むちゃくちゃな体してんな、ウケる!」
「お前、人を敬えとは言わんが、神は敬えよ」
ご立腹のようでなによりだ。
「げんきになってよかったな。しんぱいしたぞ」
「荒ぶるぞ! 本当に荒ぶるからな!!」
「それはそうと、お風呂に溶け出したスサノオの一部は下水に流していいのか?」
神様の体の一部という聖遺物的なものですが。
「もう好きにせい」
「おい、拗ねるなって。アイス食う?」
冷蔵庫の中には自分用に買ってきていたカップアイスのバニラが入っている。
「そんなもんで我の怒りがおさまると……」
「アイス美味ぇー」
「……自由じゃなー。もうええわい。少しくれ」
スプーンで少し食わせてやる。
「ほう! 美味い!」
どうやらスサノオlはアイスをお気に召したようである。
怒りが収まってなによりだ。
「なんぞ莫迦らしくなっただけじゃ。ふん!」
文句を言いながらも「美味い! 美味いぞ!!」と連呼していた。
天照さんもそうだが、人間の食物は神様にも好評のようだ。
「さて……どこから話したものかの」
雨も上がりきったようなので、俺はスサノオを連れて荒川の土手を散歩している。
外はすっかり暗くなっている。
月は雲に隠れ、草木に絡んだ雨の臭いが鼻をくすぐる。
「……神とは自然の具現であり、擬人であり、人に近づけばそこに物語が出来る」
「派生した物語、融合した土着の神、あるいは同一に複合した仏も含めて、全てが合わさり一つの神様の名が出来上がるってやつだな」
「そうじゃ。元は一つの神であるが、そこから分裂し、様々な顔を持つようになる」
全て違う物語でありながら、ひとつの存在じゃ」
以前考えた、神様=巨大な同人市場説だな。
「神はただ在るだけ。増え続ける信仰に対してなにもしとらんし、する術も持たぬ」
「物語の登場人物が、作者やファンの創作になにも言えないようにか」
「そうじゃ。もっと言えば我ら神は意思さえ持たぬ」
「はぁ? じゃあ、いまのスサノオはなんなんだ? 俺が会った天照さんはなんだったんだ?」
「力や力。それ自体はただの在るにすぎん。善悪もなければ、そこに意思もあろうはずもない」
釈然とはしないが、意味は理解できる。
例えば「火」だ。火は物質の急激な酸化によって起こるが、熱量や、現象はただあるだけ。
そこに意思や言葉は存在しない。
「もしも存在するとするのならなら……」
「そう。それを想像した『人』が、新たな『神』を創造る」
「……」
「言葉を持ち、行動し、意思を持つ。それを形作られた須佐之男命の成れの果てが我じゃ」
「じゃあ、あの天照さんも?」
「そうじゃ。姉上に、天照大御神にああであって欲しい。そういった信仰が、大本の天照大御神から派生した神の写し身よ」
「ただのお米にキャラクターイラストをつけた『萌え米』みたいなもんか」
基本設定から無限に広がる想像創造。
日本人の大好きな分野だな、これ。
クールジャパンだ、ジャパニメーションだ言われるオタク文化の根底を神道から見た気がする。
「言葉の意味はわからんが、考えはそうじゃな」
スサノオは言葉を続ける。
「我は言うたな。世界は糞垂れじゃと。そうじゃ。世界は糞を垂れ流し、我はその糞そのものよ」
土手沿いの葉桜がざわつく。
風が吹き、雲が流れ、月が空を照らした。
「溜まった糞はどうなると思う? 溢れ出した糞はどうなると思う?」
「なにが言いたいんだ?」
「溢れる糞さえ世界は汲み上げ、形を創り、新たな神の出来上がりじゃ」
スライムだと思っていたら、正真正銘のうんこだったとは!
「我は偶々、須佐之男命の糞であったにすぎん」
天照さんにも、こういう形で、うんこがいるんだろうな。
スカトロ趣味はないが、見てみたい。
「お前のその考えが新しい神を作るんじゃ! 莫迦者!」
「常々自分のことは、うんこ製造機だと思っていたが、実を成したな! うんこだけに!!」
うんこ言いすぎだな、俺。小学生か!
「はぁ」そんなことを思っていると、スサノオから深い溜息が聞こえる。
「変わっとると言うより、狂いか、お前は?」
「真面目にすると疲れるんだよ」
「あのなぁ、我は須佐之男命ぞ?」
「知ってるよ、何をいまさら」
「お前にもあるじゃろう? 須佐之男命に憧れとか、畏敬の念とか」
「その先を言ってやろうか?」
「……」
「どうせ大本の神様が偉大だからとか、自分がこんなんだからとか、言おうとしてるんだろ?」
「……生意気な奴じゃ」
「俺はお前の正体がなんであれ、幻滅したりしねーつーの」
このスサノオがなんであれ、コイツは須佐之男命で、尊敬すべき神様であることには変わりはない。それに、
「感謝してるしな」これは本心からそう思う。
「いつだってものぐさで、やる気なくて、ウダウダしてたんだ。
この年齢になって新しく何か始めようにも始められない自分にイラついて、それでもなにもしないで生きてきて、行き詰ってた俺に目標をくれたんだ。それだけでも感謝してんだよ」
目的がなくても人間は生きていける。
だが、目的があったほうがきっと楽しい。
「降ってわいた関係だけど、これからもよろしくな」
「ふん。社会不適合者め」
「いまは社会不適合神だけどな」
「はははっ! 相違あるまい!」
「ありがとうな」
「ふん! 礼なんぞ不要よ。我はきっかけに過ぎん」
「それでも感謝せずにはいられないんだ」
「ならばその言葉、今度は行動に移せ! 言葉だけで終わることは我が許さん」
「あぁ。俺はようやく登りはじめたばかりだからな。このはてしなく遠い神への道をよ!」
月が闇を光々と照らし、いつの間にか満点の星空が広がっていた。
柔らかな明かりが、この先の道を祝福するかのように照らしている。
俺たちは、その中を静かに歩き始めた。
完
「……」なんだかこの場で終わらなければならない気がしたが、人生は映画のエンドロールのように、ここで終わり! とはいかないのだ、生きている限り。
俺はこれからもやらねばならないことがあるし、神様としてもまだなにも始まっていない。
ここで物語が終わることは許されない。
「もうちょっとだけ続くんじゃ」誰にむかってでもなく、ツイートしてみた。
とりあえず、この言葉だけ使っておけばオーケーだろう。
「なんじゃ、いまの言葉は?」
「物語が続くおまじないだ」
夜露に濡れ始めた土手を散策しながら、俺は、
「この話、スサノオが可愛い女の娘だったら、萌えライトノベルになるんじゃね?」
そんなことを思っていた。
「ろくなこと考えない上に、また新たな神が生まれたぞ。お前もう死んでくれんかの」
「そのスサノオと交換を……」
「阿呆!」
やはり神と人間はわかりあえないのか。
「主に貴様が原因じゃがの」スサノオが肩でプリプリ怒っている。
「ま、弾かれ者同士というのも悪くないかな」
コンビニでアイスでも買ってやるかと思いながら、荒川をゆっくりと歩く。
月に照らされたその足取りは、どこか踊るように感じられた。