Good-bye My Sweetheart. And...
あなたは、最期に、何を想ったのかしら。
雨が降っていた。お線香の匂い、灰色、黒、そんなものしかこの場に許されていなかった。
わたしはじっとしていた。
皆が皆、わたしを見ては首を傾げて、お辞儀をしていく。
千鶴の両親は、彼女が高校を卒業してすぐ、揃って事故で亡くなられたし、他に親戚もいなかった。
わたしは黙って礼を返した。参列者の大半は高校時代の同級生や通っていた大学関係の人で、わたしが知っているひともいれば、知らないひともいた。
ただの友人であるというわたしが葬儀の喪主を務めるに当たって、千鶴の大学での知り合いは不思議そうにしていた。
わたしと千鶴は、ただの友人だ。
でも、ただ、という言葉で終わらせたくないのは、わたしだけだったろうか。
写真の中の千鶴は花が開いたような笑顔で額の中に納まっている。
涙がこぼれて止まらない。
うつむいたわたしを気遣う声が聞こえてはいたが、それらに答えることはできなかった。
千鶴は逝ったのだ。
彼女が本当に愛した人に、看取られることなく。
肩に掛かる手を振り払った。
「佳月」
今は、その手にすがりたくなかった。
「なぁ、馬鹿なこと、考えんじゃねぇぞ」
「……馬鹿なことって、どんなこと」
「とぼけんな」
キサはわたしの前で膝をついてわたしの髪をぐしゃぐしゃにした。
「……そんな風に泣くな」
「…………」
「……お前、気付いてるか、さっきから涙垂れ流しでひでー顔だぞ。頼むから、ちづちゃんの後についていったりするなよ」
肩を軽く叩く手は止まない。
キサの労わる仕草と声に、凍りついた心が少しずつ解れていきそうになる。
あぁ、わたし、また、甘えてる。
……嫌だ。
「わたし、今、あんたに頼りたくない」
あんたは、何が何でも奴の味方だろうから。
「殺してやりたいわ」
高校生の頃は、よく呟いていた言葉。
千鶴が奴の話をするとき、千鶴が奴の隣でにこにこ微笑んでいるとき、冗談を言うみたいにこの一言を呟いて、荒ぶる心を鎮めていた気がする。
今ほど、こんなに殺意がわき上がったことはない。
もし今、目の前に奴が現れたのなら、絞め殺してずたずたに切り裂いてやる自信がある。
キサは溜息をついたようだった。
と、赤ん坊がぐずる声がする。
「ほら、お前がそんな物騒なこと言うから、起きちゃっただろ。せっかく寝てたのに」
壊れ物でも扱うかのように、キサはそっと赤ん坊を抱え上げた。
おおよしよしとなだめつつ、ほら、とキサはうつむく私の視界にその子を見せた。
小さな顔。白く丸いほっぺた。鼻の頭は赤い。
いとおしさよりも先に、恐怖が私を凍らせた。
「な、コイツ見ても、まだ死にたいって思うか?」
初めて、まじまじと見た気がする、その顔、に、危惧していた通り、千鶴の笑顔が、重なった。
「……死にたい、なんて、一言も言ってないよ…」
キサからその子を受け取って、ゆっくりとその軽いような重い身体を抱きしめる。命の重みだ。千鶴が産み落とした子供は、今、何も知らずにすやすやと眠っている。
だって千鶴は最期、微笑んでいた。細い手首を伸ばしてわたしの手を、小さな手のひらで握りしめて。
あのこを、そだてて。
かづきちゃんだから、まかせられるんだよ。
ねぇ、よろしくね。
彼女の言葉は、呪いに等しかった。
きっと千鶴は、そんなこと微塵も考えてはいないだろうけど。
……千鶴は残酷だ。
わたしの気持ちを置き去りにして、先に逝って。
貴女にそっくりなこの子を、勝手に託して。
貴女は知らないでしょう。
貴女が大好き。
愛してる、愛してる、愛してる、……
貴女が死んだら、この世にいる意味がないってずっと思ってたのに。
キサがぽんぽんとわたしの頭を撫でた。
千鶴が残していってくれた赤ちゃんを抱きしめて。
わたしは、いつの間にやら、声を上げて泣いていた。
生まれて初めて、大声で、泣いた。