礎石
三日後。一行は再び海底の広間に降りた。
結晶球は——澄んだ碧の光を放ち続けていた。修復は完全に保たれている。広間の空気は穏やかで、天井の結界も安定していた。
「結晶球は問題ない」フェリクスが確認した。「封印強度は最大値を維持しています」
「では——下に降りる」ヴェルディアが広間の奥を見た。
広間の壁面——結晶球の背後に、もう一つの通路があった。前回までの修復作業では気づかなかった。壁面の紋様に隠された隠し通路で、ヴェルディアが紋様の一部に手を触れると、石壁が滑るように開いた。
「この通路は——私たちだけが知っていた。五人の術者以外には」
通路は——下に続いていた。急な階段。石段の表面は滑らかで、一度も人が踏んだことのない新品のような光沢がある。壁面に紋様はない。ただの石壁。
「暗いな」ガレスが松明を掲げた。
「紋様がないのは——意図的だ。ここから先は、封印の管理者以外が入ることを想定していない。紋様は道標になるから——あえて排除した」
百段。二百段。三百段。階段が螺旋状に降りていく。空気が重くなり、耳に圧力を感じた。
五百段を超えた頃、リーシャが足を止めた。
「何か——感じます。下から。封印の——もっと根本的な力の気配」
「礎石の力だ」ヴェルディアが頷いた。「近い」
さらに百段降りた。階段が終わり——小さな部屋に出た。
広間ではない。四歩四方の、狭い石室だ。天井は低く、手を伸ばせば届く。
部屋の中央に——石柱があった。
膝の高さほどの円柱。表面に——紋様が刻まれている。他のどの紋様とも違う。五つの異なる書体が絡み合い、一つの複雑な図形を形成している。五人の術者が——それぞれの力で刻んだ紋様。
「これが——礎石か」レイドが石柱を見下ろした。
「ああ。五つの封印の土台。これが壊れれば——全ての封印が崩壊する」
リーシャが石柱に手を近づけた。触れてはいない。だが——碧眼が大きく見開かれた。
「ヴェルディアさん。この礎石は——」
「何だ」
「亀裂が入っています。小さいけれど——確実に。紋様の——五つの書体が交差する点に。亀裂が」
ヴェルディアが石柱に顔を近づけた。目を凝らす。
そして——蒼白になった。
「……ある。亀裂が——確かに。紋様の交差点——封印の結節点だ。ここが壊れれば——」
「イルヴァーンが——内側から削ったんですか」
「いや。この亀裂は——削られた痕ではない。経年劣化だ。三千年の時間で——石自体が劣化し、紋様を支えきれなくなっている」
「経年劣化——」
「三千年だ。どんな石も——永遠ではない。封印の結晶球は修復できた。だが——礎石は石そのものだ。刻まれた紋様は無事でも——石が壊れれば意味がない」
レイドが石柱の前に膝をついた。確かに——小さな亀裂が走っている。髪の毛よりも細い線。だが五箇所の交差点全てに入っている。
「修復できるのか」
「分からない。石を——どうやって修復する。魔力で封印は直せるが、物理的な石の劣化は——魔法の管轄外だ」
「新しい石に刻み直す——ことは」
「紋様を刻み直すには——五人の術者が必要だ。五つの異なる力で、同時に刻まなければならない。私一人では——一つの書体しか扱えない」
沈黙。石室に五人の呼吸だけが響いた。
「残りの四つの書体は——」リーシャが言った。「守り手の力で——代用できませんか」
「分からない。守り手の力は——柱の力の補助だ。封印の術式を直接操作する力とは——異なる」
「でも——」
「可能性がゼロとは言わない。だが——実験する余裕はない。礎石に触れること自体がリスクだ。亀裂を広げてしまうかもしれない」
レイドが立ち上がった。
「まず、現状を整理しよう。礎石に亀裂が入っている。放置すれば——いずれ崩壊する。時間は」
「分からない。明日かもしれないし、百年後かもしれない。だが——イルヴァーンが言っていた『もう一つの道』は、おそらくこれだ。亀裂を内側から押し広げることができれば——封印を破壊できる」
「封印の修復だけでは足りなかった。礎石自体を——新しくする必要がある」
「ああ。だがその方法が——まだ見えない」
一行は石室を後にし、階段を上がった。広間を通り、通路を戻り、地上に出た。
船上でレイドは考えていた。
五つの封印を修復した。だがその下の土台が——崩れかけている。修復しても修復しても——根本が壊れれば全てが無駄になる。
「ヴェルディア」
「何だ」
「礎石を作り直す方法。——心当たりはあるか」
ヴェルディアが海を見つめた。長い沈黙。波が船底を叩き、海鳥が空を横切った。
「一つだけ——ある。だが」
「だが?」
「代償が大きい。——レヴァルスに戻ってから話す」
港が見えてきた。灯台の光が回っている。
五つの封印は修復した。だが——旅は終わらなかった。むしろ——本当の問題が、ようやく見えてきたところだ。




