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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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赤い脈動

 結晶球の赤い光が、全員の顔を照らしていた。


 広間は深海の底にある。頭上の結界の向こうに藍色の海が広がり、深海魚の燐光が幽かに揺れている。空気は冷たく、石壁に水滴が光っていた。


 ヴェルディアが結晶球に手を近づけた。触れてはいない。だが——琥珀色の瞳が細まった。


「封印の構造は——まだ残っている。だが、内側からの圧力が異常だ。他の四つの神殿とは次元が違う」


「内側から——つまり、封じられているものが暴れているのか」


「暴れている、というより——意思を持って押し広げている。計画的に。少しずつ。三千年かけて」


 リーシャが結晶球を観察した。碧眼を閉じ、魔力で内部の状態を探る。


「ヴェルディアさんの言う通りです。他の四つの結晶球は——劣化で染みが広がっていた。時間の経過による自然な摩耗です。でもこれは——違う。赤い脈動には——規則性がある。何かが意図的に封印を削っている」


「意図的——」ガレスが大盾を構え直した。「つまり、向こう側に——考える頭がいるってことか」


「可能性はあります」


 沈黙が広間に落ちた。結晶球の赤い脈動が——心臓の鼓動のように規則的に繰り返される。ドク。ドク。ドク。


「修復の方針を聞きたい」レイドがヴェルディアに向いた。


 ヴェルディアは結晶球の前で腕を組んだ。三千年の知識が、目の前の状況を分析している。


「三段階で行く。まず——赤い脈動を抑え込む。内側からの圧力を遮断する結界を、結晶球の表面に張る。次に——核を強化する。四つ目の時と同じ手順だ。最後に——赤い染みを消す」


「時間は」


「正直に言えば——分からない。赤い脈動を抑え込めるかどうかが——全てを決める。四つ目までの黒い染みは受動的だった。魔力を注げば溶けた。だがこの赤い脈動は——抵抗してくる」


「抵抗——」


「押し返される可能性がある。リーシャの魔力が。レイドの魔力が。修復しようとする力に、内側から対抗される」


 リーシャとレイドが顔を見合わせた。


「それでも——やるしかないだろう」レイドが言った。


「ああ。やるしかない」


 配置を決めた。ガレスが広間の入口を守る。ジークと傭兵が通路を警戒する。フェリクスが計測と記録を行う。


 そして——リーシャ、レイド、ヴェルディアの三人が結晶球に向かった。


「始めます」


 リーシャが両手を翳した。碧の光が指先に集まり、結晶球に向かって放たれた。


 光が結晶球の表面に触れた瞬間——弾かれた。


 衝撃波が広間を走り、リーシャが後ろに二歩よろめいた。


「リーシャ!」レイドが支えた。


「大丈夫——です。ですが——」


 リーシャの碧眼が見開かれていた。


「押し返されました。結晶球の内側から——何かが。魔力を弾いた」


 結晶球の赤い脈動が——一瞬だけ速くなった。まるで——反応したかのように。


「もう一度」リーシャが体勢を立て直した。「今度は——ゆっくり。急がずに」


 再び碧の光が伸びた。今度は強く押すのではなく、水のように結晶球の表面を撫でるように。赤い脈動がリーシャの魔力に反応し——揺れた。だが弾かなかった。


「入った——少しだけ。表面の一点に、足がかりができました」


「そこを起点にしろ」ヴェルディアが指示した。「一点を確保したら、そこから広げていく。急がない。——焦れば弾かれる」


 レイドがリーシャの背に手を当て、魔力を注いだ。二人の力が合流し、碧の光が少しだけ強くなった。結晶球の表面の一点——赤い脈動の中に、青い光の島が生まれた。


 小さな島。だが確かな足がかり。


「いい。そのまま維持して」ヴェルディアが頷いた。


 一時間が過ぎた。青い島が——少しだけ広がった。だが結晶球全体に比べれば、砂粒のようなものだ。赤い脈動は九割五分以上を占めたままだ。


「ペースが遅い」ジークが通路から戻って言った。「この速度だと——全部を青に戻すのに何日かかる」


「分からない。一週間——いや、もっとかもしれない」ヴェルディアが答えた。


「一週間。——通路の防水封印が持つか」


「それも分からない」


 ジークが舌打ちした。


「分からないだらけだな」


「海底の封印とは——そういうものだ。地上と違い、全てが未知数だ」


 レイドが立ち上がった。リーシャの額に汗が浮いている。二時間の修復作業で、すでに疲労が見え始めていた。


「今日はここまでにしよう。一度退いて、体勢を整える」


「ですが——」


「焦るな。お前が倒れたら修復はできない。——ペースを守る」


 リーシャが頷いた。青い島を維持したまま手を引くことは——できなかった。手を離した瞬間、青い光は縮小し——だが消えなかった。爪の先ほどの点になって、赤い脈動の中に残った。


「消えなかった——」


「足がかりは生きています」ヴェルディアが言った。「明日、そこから再開できる」


 一行は通路を戻った。広間を出る時、レイドは振り返った。赤い光に染まった広間。結晶球の脈動が——海底の闘に響いている。


 通路の上り坂は行きより重く感じた。壁面の亀裂から滴る水が増えている気がする。足元が濡れ、石壁に手をつきながら進んだ。


 リーシャの足取りが不安定だった。レイドがその腕を取って支える。


「すみません。——思ったより、消耗しました」


「無理もない。あの赤い脈動に直接触れたんだ。反発の衝撃だけでも体に堪えたろう」


「反発——ええ。あれは単なる魔力の衝突ではなかった気がします。意思がある、というヴェルディアさんの言葉が——分かりました。押し返された時、何か——視線を感じたんです」


「視線?」


「うまく言えません。でも——向こうから、こちらを見ていた。魔力の向こうに——何かが」


 通路の壁面が軋んだ。微かな振動。結晶球の脈動が通路全体に伝播しているのだ。


 ガレスが先頭で盾を構え、崩落に備えながら進んだ。五百歩。四百歩。三百歩。水位が下がり、足元が乾き始めた。


 入口に辿り着いた時、潮が満ち始めていた。海水が岩壁の根元を洗い、入口の隙間に波が打ち寄せている。


「急げ。あと半刻で水没する」ジークが全員を促した。


 一人ずつ狭い隙間を抜け、岩場に出た。ハルトの漁船が沖に待機しており、小舟で本船に戻った。


 船上で、ガレスが空を見上げた。夕陽が海面を赤く染めている。


「赤い光か。——上も下も赤だな」


「縁起が悪いぜ」傭兵の一人が呟いた。


 レヴァルスに帰還した。宿に戻り、食堂で遅い夕食を取った。魚の煮込みとパン。リーシャはほとんど食べられず、スープだけを啜った。


「明日は——少し休んだ方がいい」ヴェルディアがリーシャを見て言った。


「休んでいる余裕が——」


「焦って壊れたら意味がない。一日置いて体力を回復させてから再開する方が、結果的に早い」


 レイドが頷いた。


「ヴェルディアの言う通りだ。明日は休息日にする。——その間に、通路の補強方法を考える」


 食堂が静かになった。窓の外の波音だけが響いている。


 宿の部屋で、ヴェルディアがレイドに言った。


「一つ、伝えなければならないことがある」


「何だ」


「赤い脈動に触れた時——感じた。リーシャの魔力が弾かれた瞬間。内側の存在が——」


 ヴェルディアの琥珀色の瞳が暗くなった。


「名乗った」


「名乗った?」


「私の——かつての名前を。三千年前の名前を呼んだ。——あの存在は、私を知っている」


 窓の外で波の音が響いている。夜の海は黒く、水平線すら見えない。


 封印の向こうに——知性がある。三千年の封印を、意思を持って削り続けてきた存在。


 そしてそれは——ヴェルディアの名を知っていた。

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