地の底から
二日目の修復が終わった時、結晶球の黒い染みは三割まで減っていた。
リーシャは疲労で横になり、レイドが傍で水を飲ませている。ヴェルディアが結晶球の状態を確認し、フェリクスに報告していた。
「核は完全に安定しました。明日の最終修復で——完了するはずです」
「よかった」レイドが息をついた。
ガレスが広間の入口に座り、大盾を磨いていた。二日間の警護で、盾の表面に傷が増えている。天井から落ちた岩をいくつ弾いたか、もう数えていない。
ジークが通路から戻ってきた。
「悪い知らせだ」
全員の視線がジークに集まった。
「偵察に出した傭兵が戻った。——神殿の外、谷の入口に、人がいる」
「人?」
「聖教会の法衣。十五人ほど。旗を立てている」
「聖教会——。アウグストゥスの部下か」
「違う。旗の紋が違う。アウグストゥスはサルディス支部だが——こいつらは、北大陸の内陸支部だ。マルティウスの直弟子が率いていた支部で、王都の決定後に地下に潜った連中だ」
レイドの表情が変わった。
「マルティウスの直弟子——」
「ああ。通称『浄罪の残党』。王都でマルティウスが倒された後、各地に散った信者の中でも最も過激な一派だ。——封印の修復で出入りしている俺たちの存在に気づいたらしい」
「目的は」
「分からん。だが——十五人のうち四人は武装している。司祭ではなく、元浄罪の目の戦闘員だ」
沈黙が広間に落ちた。結晶球の青い光が、全員の顔を照らしている。
「封印の修復は明日まで待てない状況ではない」ヴェルディアが冷静に言った。「だが——連中が神殿に入ってきたら、結晶球に干渉する恐れがある。不用意に触れれば——封印が再び不安定になる」
「守るしかねえな」ガレスが立ち上がった。大盾を構える音が広間に響いた。
「待て」レイドが手を上げた。「まず話をする。アウグストゥスの時と同じだ」
「リーダー。連中はアウグストゥスとは違う。話が通じる相手じゃねえかもしれない」
「それでも——まず話す。俺の流儀だ」
ガレスが口を閉じた。ジークが肩をすくめた。
「お前の流儀か。——わかった。だが、傭兵は谷の入口に配置しておく。万が一の時は——」
「頼む」
レイドは広間を出て、通路を歩いた。松明の光が壁に影を落としている。
神殿の外に出ると、夜明け前の冷気が肌を刺した。谷の入口に——松明の光が見えた。十五人の影が、朝霧の中に浮かんでいる。
先頭に立つ人物が——前に出た。
若い男だった。三十歳前後。痩身で、鋭い目をしている。白い法衣だが、胸元にマルティウスの紋章を縫い付けている。
「勇者レイド・アシュフォード」男が言った。声は平坦だが、底に怒りが滲んでいる。「マルティウス枢機卿を陥れた男。——ようやく見つけた」
「陥れてはいない。真実を——」
「真実?」男が嗤った。「お前の言う真実で——千年の教えが崩れた。信者が路頭に迷った。司祭が職を失った。お前が壊したのだ」
「壊したのはマルティウス自身だ。嘘の上に建てた——」
「黙れ」
男の声が鋭くなった。背後の武装した四人が、剣の柄に手をかけた。
「俺の名はヴァレリウス。マルティウス枢機卿の最後の弟子だ。——お前たちがこの神殿で何をしているか、知っている。古代の封印を弄んでいるのだろう。聖教会の力の源を——お前たちが独占するつもりか」
「違う。封印は——」
「聞く気はない。この神殿は——我々が管理する。聖教会の遺産は、聖教会が守る」
レイドは相手の目を見た。アウグストゥスとは違う。あの老人には信念があった。だがこの若い男の目には——信念ではなく、憎悪がある。マルティウスを失った怒りと、居場所を失った恐怖が、信仰の形をして燃えている。
「ヴァレリウス。中を見てくれ。封印がどうなっているか、自分の目で——」
「近づくな」
武装した四人が前に出た。剣を抜いている。
その時——後ろから足音が聞こえた。ガレスが大盾を構えて通路から出てきた。ジークとフェリクス、傭兵三人が続いている。
「話が通じなさそうだな」ジークが剣に手をかけた。
「まだだ」レイドがジークを制した。「ヴァレリウス。お前の怒りは分かる。だが——この封印が崩壊すれば、この山岳地帯一帯が壊滅する。お前の信者もろともだ」
「脅しか」
「事実だ。地震を感じているだろう。それはこの神殿の封印がほころんでいるからだ。俺たちはそれを直している。——妨害するなら、お前たちも死ぬ」
ヴァレリウスの目が揺れた。地震は——確かに感じている。この数日、山岳地帯の揺れは尋常ではなかった。
「……証拠を見せろ」
「中に案内する。ただし——武器は置いていけ」
長い沈黙。ヴァレリウスの背後で武装した男たちが視線を交わしている。
「……三人だけで入る。武器は——持ったままだ。信用できない」
「分かった。ガレスが先導する。何かあれば——盾が止める」
ガレスが無言で頷いた。
レイド、ガレス、ヴァレリウスと護衛二人。五人が神殿の中に入った。
通路を歩き、広間に出た。結晶球が——青と黒の入り混じった光を放っている。
ヴァレリウスが足を止めた。
「これは——」
「封印の結晶球だ。黒い部分が劣化。放置すれば崩壊する」
ヴァレリウスの顔が——蒼白になった。結晶球の不安定な脈動が、広間の空気を震わせている。これは嘘ではない。理屈ではなく——体が感じ取っている。危険を。
「修復は明日で完了する」レイドが言った。「妨害しないでくれ。それだけでいい」
ヴァレリウスは結晶球を見つめていた。黒い染みが脈動のたびに蠢き、青い光が抵抗するように輝く。世界を守っている力と、それを蝕む闇の戦い。
「……明日の修復が終わるまでは——手を出さない」
「それでいい」
「だが——終わった後、話し合う。この神殿の管理権について」
「話し合おう。——いくらでも」
ヴァレリウスは踵を返した。護衛二人が続く。広間を出ていく白い法衣の背中が、松明の光に揺れた。
ガレスがレイドの横に立った。
「あれは——アウグストゥスの爺さんよりも厄介だ」
「ああ。——だが、逃げなかった。結晶球を見て、理解した。交渉の余地はある」
「甘いな、リーダー」
「甘くない。——諦めたくないだけだ」
ガレスが大盾を肩に担いだ。
「まあいい。お前が話す。俺が守る。いつも通りだ」
広間の結晶球が——脈動を続けている。青い光が、闇と戦い続けている。
明日、最終修復。そして——浄罪の残党との交渉。
レイドは結晶球を見上げた。封印の向こうに——地の底の暗闇が蠢いている気がした。
旅は——まだ終わらない。




