地鳴り
北の大陸に戻ったのは、南を発ってから四日後だった。
東回廊の港町に上陸した時、空気が違った。港の石畳に微かな振動が伝わっている。足裏を通じて、大地の不安定さが感じ取れた。
「揺れてる」ガレスが地面を踏みしめた。「小さいが——断続的だ」
「港町でこれなら、山岳地帯はもっとひどいはずです」フェリクスが計測器を確認した。「地震の頻度が——南を発つ前より増えています」
一行は休む間もなく東回廊を北東に進んだ。かつてレイドたちが最初の旅で通った道。だが風景が変わっていた。街道脇の木々が傾き、石壁にひびが入っている村がある。畑の灌漑水路が歪み、水が溢れている場所もあった。
「地震が——生活を壊し始めている」リーシャが馬上から村の様子を見つめた。
「急がねえと」ガレスが馬を促した。
途中の村で一泊した。宿屋の壁に亀裂が走り、主人が困り顔で迎えてくれた。
「ここ半月で——こんなことになりまして。建物が傾いてきて、井戸の水も濁り始めた」
「原因は」
「分かりません。地震なんて——この地域では百年に一度あるかないかなのに」
レイドは黙って聞いた。原因は分かっている。だが説明しても理解されないだろう。行動で示すしかない。
「直す」レイドが言った。「この地震は——俺たちが止める」
主人が半信半疑の顔をしていたが、レイドの目を見て——黙って頷いた。
三日間の強行軍。街道を外れ、山岳路に入った。地震の頻度は明らかに増し、一日に十回以上の揺れを体で感じるようになった。大きなものではない。だが——確実に増えている。
四日目の夕方。谷間に入った時——それは起きた。
地面が——割れた。
街道の三十歩ほど先に、幅一歩ほどの亀裂が走った。亀裂の底から熱い空気が噴き出し、硫黄の匂いが漂ってくる。
「止まれ!」レイドが馬を引いた。
全員が停止した。亀裂はゆっくりと広がり——そして止まった。
「封印のほころびだ」ヴェルディアが亀裂を見下ろした。「地中の眷属の力が、地殻に干渉し始めている。まだ眷属そのものは出ていないが——このまま放置すれば、地面ごと崩壊する」
「神殿まであとどれくらいだ」
「この谷を抜けた先。——半日の距離です」
「迂回する」ジークが地図を見た。「亀裂が走っている方向を避けて、尾根沿いに——」
その時だった。
地面の亀裂から——何かが這い出した。
最初に見えたのは爪だ。黒い、鉄のような爪が亀裂の縁を掴み、地面を削った。次に腕が現れた。人間の腕に似ているが、三倍の太さで、黒い鱗に覆われている。
「来た——」レイドが剣を抜いた。
亀裂から這い出したのは、全長三歩ほどの四足獣だった。蜥蜴に似た体型だが、目がない。代わりに頭部全体が振動する膜で覆われ、音で周囲を探っている。背中の鱗が赤黒く輝き、体から熱気が立ち昇っている。
「深淵の眷属——地中種か」ヴェルディアの声が震えた。「封印が——予想以上に劣化している。個体が出始めた」
「ジーク、傭兵を下げろ! リーシャ、結界を! ガレス——」
「前に出るぜ」
ガレスが大盾を構えて前に出た。眷属が膜を震わせ、ガレスの位置を捉えた。地面を蹴り——突進してきた。
激突。
大盾が凄まじい衝撃を受け止めた。ガレスの足が地面に食い込む。だが——止めた。
「重い——が、止まる!」
レイドが右から回り込んだ。剣を振り下ろす。刃が黒い鱗に当たり——弾かれた。
「硬い——!」
「鱗の間を狙ってください!」ヴェルディアが叫んだ。「脇腹——鱗が薄い部分がある!」
レイドが目を凝らした。眷属の体が動くたびに、脇腹の鱗が僅かに開く。そこに——隙間がある。
ガレスが盾で眷属の突進を受け止めた瞬間、レイドが踏み込んだ。剣先が鱗の隙間に突き刺さる。熱い体液が噴き出し、眷属が絶叫した。——叫び声はない。代わりに全身の膜が激しく振動し、耳が痺れるような超音波が走った。
「耳を塞げ!」
リーシャが結界の魔法を展開し、超音波を遮断した。その隙にレイドが剣をさらに押し込み、引き抜いた。眷属が倒れた。黒い体が痙攣し——動かなくなった。
全員が息を荒げていた。
「一体で——これか」ジークが呟いた。
「通常の魔物とは格が違います」ヴェルディアが眷属の死骸を観察した。「深淵の眷属は——千年以上封じられていた存在です。魔力が凝縮されている」
「もっと出てくるのか」
「封印が崩壊すれば——数十、数百の単位で。この個体は最も小さい偵察型です」
ガレスが盾を下ろし、腕を振った。
「偵察型かよ。——本体はどれくらいでかいんだ」
「最大の個体は——山を動かせるほどです」
沈黙。
「冗談だろ」
「冗談は言わない。だから——封印を修復しなければならない。崩壊する前に」
レイドは剣の血を拭い、鞘に収めた。
「急ぐぞ。神殿まで半日と言ったな。今夜中に着く」
「夜間行軍か。——久しぶりだな」ガレスが大盾を背負い直した。
一行は亀裂を迂回し、夜の山道を進み始めた。月明かりが谷を照らし、時折地面が揺れる。遠くで岩が崩れる音がした。
◇
夜道を歩きながら、ヴェルディアがレイドの隣に並んだ。
「三千年前にも——こういう時期があった」
「封印がほころんだことが?」
「柱が作られる前の話だ。世界は均衡を保つ力がなく——深淵の眷属が地上を自由に歩いていた。人間は洞窟に隠れ、夜を恐れて暮らしていた」
「それを——お前が封じたのか」
「私だけではない。五人の術者が協力して、神殿を建て、封印を施した。その後——柱の仕組みを作り、世界の均衡を維持する恒久的な方法を確立した。神殿の封印は——柱とは別の、より古い防壁だ」
「五人の術者か。——お前はその一人だったのか」
「最後の一人だ。他の四人は——とうの昔に死んでいる。人間としての寿命で。私だけが——柱の力で生き延びた」
ヴェルディアの声は平坦だったが、その奥に三千年の重みがあった。
「今は——お前も人間だ」
「ああ。だから——この封印を次の世代に託さなければならない。私が死んでも——封印が守られるように」
レイドは頷いた。アウグストゥスとの交渉は——その第一歩だった。聖教会を封印の管理者にする。人間の手で、世界を守り続ける仕組みを作る。
月が山の稜線に隠れ、道が暗くなった。松明の光だけが、夜の山道を照らしている。
地中の眷属が——目覚め始めている。時間がない。




