盾の男
サルディスを発って二日目の朝、街道の向こうから砂埃が上がった。
馬のいななきが聞こえ、大きな影が近づいてくる。ジークの傭兵が警戒態勢を取ったが、レイドは手で制した。
「あの体格は——」
砂埃の中から、巨大な男が現れた。馬上から見下ろしても周囲より頭一つ大きい。背中に大盾を背負い、日焼けした顔に白い歯が光っている。
「リーダー!」
ガレスが馬から飛び降り、レイドの肩を掴んだ。掴むというより叩くに近い力だったが、レイドは笑って受け止めた。
「来たのか」
「当たり前だろ。アルヴィンから手紙が来たんだ。『レイドが南大陸で封印を直してる。人手がいる』ってな。海村にいたら退屈で死にそうだったし——ちょうどいい」
「退屈で死にそうだったのか。引退して何日だ」
「数えてない。——二十日くらいか。毎日魚を獲って飯を食って寝て、三日で飽きた」
リーシャが笑い、ヴェルディアが不思議そうにガレスを見ている。
「ガレス。——お前の故郷の海村は居心地が悪かったのか」
「居心地は最高だった。飯もうまい。海も綺麗だ。だが——静かすぎる。俺の性分に合わない」
「そうか」
「お前がヴェルディアか。——思ったより小さいな」
「三千年の重みは体格に比例しない」
「違いない」ガレスが豪快に笑った。
ジークが歩み寄り、ガレスと握手を交わした。
「久しぶりだな、盾使い」
「おう。傭兵ギルドは儲かってるか」
「まあまあだ。封印修復の護衛は——金にならんが、実績にはなる」
「相変わらず計算高いな」
「現実的と言ってくれ」
二人は短い笑いを交わした。ガレスがリーシャに向き直った。
「リーシャ。元気そうだな」
「ガレスさんこそ。——日焼けしましたね」
「海村暮らしだからな。漁師の真似をして網を引いたら、腕が真っ黒になった」
ガレスが腕まくりをして見せた。確かに以前より肌が黒い。筋肉の付き方も——冒険者時代とは違い、背中と腕に漁師特有の太い筋が走っている。
「なんだ、漁師も悪くなさそうじゃないか」レイドが言った。
「体は悪くねえ。心が退屈で死ぬだけだ」
「さて」レイドが全員を見回した。「ガレスも合流した。次の神殿の話をしよう」
フェリクスが地図を広げた。
「四つ目の神殿は北の大陸にあります。ヴェルディアさんの記憶によれば——東回廊の山岳地帯、エルステッドの北東にある谷間です」
「東回廊か。懐かしいな」ガレスが地図を覗き込んだ。「最初の旅で通った道だ」
「はい。ただし——」フェリクスの表情が曇った。「北の大陸から不穏な知らせがあります」
「何だ」
「東回廊の山岳地帯で——地震が頻発しています。小規模ですが、ここ一週間で三十回以上。地元の住民が避難を始めている」
「封印のほころびか」レイドがヴェルディアを見た。
「おそらく。四つ目の神殿が最も古い。三千年の劣化が——限界に達しつつあるのかもしれない」
「急いだ方がいいな」
「ただし」ヴェルディアが言葉を続けた。「四つ目の神殿は——他の三つとは性質が違う。海の底の眷属を封じるのではなく、地中の眷属を封じている。地震は——封印から漏れ出した力が、大地を震わせているのだ」
「地中の——」ガレスが眉を寄せた。「地面の下から化け物が出てくるってことか」
「最悪の場合は——はい」
沈黙が落ちた。波の音だけが遠くに聞こえている。
「船を手配する」ジークが立ち上がった。「南大陸の東港から北の大陸に渡れる。三日で着く」
「サルディスの封印管理は」
「アウグストゥスの爺さんに任せた。司祭が三人ずつ交代で監視してる。初回の点検はフェリクスが指導したから——当面は大丈夫だ」
「フェリクスは」
「俺と一緒に北へ行く。記録係が必要だろう」
レイドは頷いた。
「ガレス。盾は持ってきたか」
「当たり前だ」ガレスが背中の大盾を叩いた。鈍い金属音が響く。「こいつは海村の壁に飾ってあったが——壁飾りにしては重すぎた」
「頼りにしてる」
「任せろ。——今度は化け物相手か。魔物より手強いかもしれねえが、盾で止めてやる」
一行は港に向かって歩き始めた。レイド、リーシャ、ヴェルディア、ガレス、ジーク、フェリクス、傭兵五人。合計十一人。
旅の仲間が——また一人増えた。
◇
港町で船の手配を待つ間、レイドとガレスは二人で波止場に座った。
夕陽が海を照らし、停泊している船のマストが黒い影を作っている。
「なあリーダー。一つ聞いていいか」
「何だ」
「ヴェルディアのこと。——あいつ、大丈夫なのか」
「体のことか」
「ああ。さっき歩いてる時——息切れしてただろ。気づかれないようにしてたが、俺は見えた」
レイドは黙った。ガレスの観察眼は鋭い。戦場で仲間の状態を常に把握していた男だ。
「三千年分の負荷が、人間の体に残っている。魔力はもうないが——体が覚えている。疲れやすいし、回復も遅い」
「治るのか」
「分からない。リーシャは——時間をかけて改善するだろうと言っている。だが保証はない」
「そうか。——なら、俺が守る」
「守る?」
「ヴェルディアも仲間だろう。体が弱いなら——盾で守る。それが俺の仕事だ」
レイドは笑った。ガレスはいつもこうだ。難しいことは考えない。守ると決めたら守る。それだけ。
「頼む」
「任せろ」
波止場に潮風が吹いた。
「なあリーダー。もう一つ聞いていいか」
「何だ」
「一周目で——俺が守って死んだって言ったよな。あの時——お前はどうしたんだ」
レイドは波を見つめた。白い波頭が砕け、引いていく。
「……一人で、歩いた。お前が死んで——他の仲間も死んで。一人きりで、崩壊する世界の中を歩いた」
「辛かったか」
「辛かった。——だが、お前が守ってくれたから、歩けた。お前の盾がなかったら——あの場で終わっていた」
ガレスが大きな手で自分の膝を叩いた。
「そうか。——なら、二周目でも同じだ。俺が守る。お前は歩け。今度は——みんな一緒に」
レイドは頷いた。言葉は少ない。だが——それで充分だった。
明日の船で北の大陸に渡る。四つ目の神殿。地中の眷属。地震が頻発する山岳地帯。
旅は——後半に入っていた。




