サルディスの風
サルディスは南大陸の北端に位置する港町だった。
北の大陸との交易で栄えた町だが、今は聖教会の強硬派が占拠している。港に聖教会の旗が林立し、白い法衣の司祭たちが通りを巡回していた。
レイドたちは町の外に宿営地を設け、ミラ——ではなく、ジークの傭兵が偵察に入った。
「町の入口に検問がある。聖教会の通行証がなければ入れない」偵察の傭兵が報告した。「町の中では——アウグストゥスが毎日説教を行っている。マルティウスの教義を復活させ、王都の決定は無効だと主張している」
「信者は」
「町の住民の半分以上が従っている。残りは——黙って従うか、逃げ出している」
レイドは地図を見つめた。三つ目の神殿はサルディスから東に半日の距離にある。町を避けて直接向かうことも可能だが——強硬派を放置すれば、いずれ神殿の存在にも気づくだろう。
「正面から行く」レイドが決めた。
「正面?」ジークが眉を上げた。
「隠れて行動すれば、後から問題が大きくなる。——俺は世界を救った勇者だ。その名前を使う」
「名前を——使うのか。お前が」
「使いたくはない。だが——使う時だ」
翌朝。レイドは一人で検問に向かった。
白い法衣の司祭が立ち塞がった。
「通行証を」
「ない。だが——勇者レイド・アシュフォードだと伝えてくれ。アウグストゥス支部長に会いたい」
司祭の顔色が変わった。レイドの名前は——この地域でも知られている。世界を救った勇者。だが同時に——マルティウスを倒した者。聖教会にとっては英雄であり、裏切り者でもある。
三十分後。レイドはサルディスの聖堂に案内された。
アウグストゥスは白髭の老人だった。マルティウスより十歳ほど若いが、同じ種類の冷たい目をしている。
「勇者レイド・アシュフォード。——お前がマルティウス枢機卿を陥れた男か」
「陥れたのではない。真実を暴いただけだ」
「真実? 千年の教義を嘘と呼ぶのが真実か。民の信仰を踏みにじるのが正義か」
「踏みにじったのはマルティウスだ。嘘の上に信仰を建てた」
アウグストゥスの目が鋭くなった。だが——マルティウスとは違い、この老人には狂気がない。信念がある。歪んだ信念だが——本物の信念だ。
「お前に一つ聞く。聖教会が千年間守ってきた秩序を壊して——代わりに何を建てる」
「真実を」
「真実では人は救えない。人は——信じるものが必要なのだ。神でも、教義でも、何でもいい。信じるものがなければ——人は立てない」
レイドは黙った。老人の言葉には——重みがある。
「……分かる」
「分かるか」
「ああ。信仰は嘘でも——信じることで救われた人がいる。それを否定はしない。だが——嘘の上に建てた安心は、いずれ崩れる。今のうちに——真実の上に建て直した方がいい」
「建て直す? お前が——建て直すのか」
「俺じゃない。お前たちがだ。聖教会の人間が、自分たちで建て直す。俺は——手伝うだけだ」
アウグストゥスが暫く黙った。白髭の下で唇が動いている。何かを噛みしめるように。
「……手伝う、だと?」
「この近くに——古代の神殿がある。世界の封印を管理する場所だ。その封印がほころんでいる。聖教会が本当に世界を守りたいなら——封印の管理を引き受けるべきだ」
「神殿?」
「千年間、聖教会が柱の力を利用してきた。その責任を——今度は正しい形で果たせ。封印を守る。それが——新しい聖教会の役目だ」
アウグストゥスの目が変わった。冷たさの中に——微かな光が灯った。
「……話を聞かせてもらおうか。——その神殿とやらについて」
レイドは話し始めた。深淵の眷属。五つの神殿。封印のほころび。世界を守るという本当の意味。
交渉は——始まったばかりだった。
◇
聖堂を出たレイドは、宿営地に戻った。
「どうだった」ジークが聞いた。
「話は通じる。マルティウスとは違う。——信念はあるが、狂ってはいない」
「それで?」
「三つ目の神殿の封印修復に、聖教会の協力を得る交渉をした。成功すれば——強硬派は新しい役割を持って、独立を撤回するかもしれない」
「甘いな」
「甘くない。——選択肢を与えるんだ。壊す側に立つか、守る側に立つか」
ジークは暫く考え、頷いた。
「まあ、やってみろ。失敗したら——俺の傭兵で町を包囲する手もある」
「物騒だな」
「現実的って言ってくれ」
リーシャが地図を広げた。三つ目の神殿の位置を確認している。
「明日、アウグストゥスに神殿を見せます。百聞は一見に如かず——封印のほころびを自分の目で見れば、理解するはずです」
「ヴェルディアは」
「宿営地で休んでいます。体力の回復を優先しましょう」
レイドは空を見上げた。サルディスの灯りが夜空を薄く照らしている。聖教会の鐘が夜の刻を告げた。
千年の信仰を——新しい形に建て直す。それは剣で斬るよりも、魔法で焼くよりも——遥かに難しい仕事だ。
だが——やる価値がある。
レイドは焚き火の前に座り、明日の計画を練り始めた。




