南端の岬へ
レグスを出発して四日目。一行は南端の岬に到達した。
レイド、リーシャ、ヴェルディアの三人に加え、ジーク、フェリクス、そして護衛の傭兵五人。計十人の隊列が、断崖の上に立った。
岬の先端から海を見下ろすと、二百歩ほど下に白い波が打ち寄せていた。断崖の壁面に、洞窟の入口が見える。潮風が洞窟の中から吹き上げ、塩の匂いを運んでくる。
「あれが——神殿の入口ですか」リーシャが目を細めた。
「ああ」ヴェルディアが頷いた。「断崖の中に作られた神殿だ。海に最も近い場所で——海の底の封印を管理している」
「降りるのか」ジークが断崖を覗き込んだ。「ロープが要るな」
フェリクスが荷物からロープと金具を取り出した。傭兵たちが手際よく確保点を設置し、断崖の壁面に沿って降下ルートを作った。
十人が一列になって降りた。潮風が体を揺らし、足元の岩は濡れて滑りやすい。ヴェルディアは体力に不安があったが、レイドがロープで繋ぎ、慎重に降りた。
洞窟の入口に立った。高さは人の三倍ほど。壁面に古代文字が刻まれている。ヴェルディアが文字を読んだ。
「『深淵を鎮める者よ、敬意をもって入れ。怒りを持ちて入るなかれ』」
「友好的な注意書きだな」ジークが皮肉った。
「神殿は試練を与える場所ではありません」ヴェルディアが言った。「封印を管理する場所です。敵意がなければ——通してくれるはずです」
十人が洞窟に足を踏み入れた。内部は暗いが、壁面の鉱物が微かに発光し、足元が辛うじて見える。通路は緩やかに下降し、海の音が壁を伝わって響いてきた。
百歩ほど進むと、空間が開けた。天井が高い広間。中央に、円形の石の台座がある。台座の上に——半透明の結晶球が浮いていた。握り拳ほどの大きさ。青い光が脈動している。
「あれが封印の核です」ヴェルディアが結晶球を見つめた。「正常なら——均一な青色で輝くはず。だが」
結晶球の表面に、黒い染みが見えた。青い光の中に混じった暗い影。
「染みが——封印のほころびだ」
リーシャが結晶球に近づき、観察した。
「魔力の構造が劣化しています。本来は均一な魔力場で封印を維持するはずですが、一部が薄くなっている。そこから——深淵の眷属が漏れ出しているのでしょう」
「補修はできるのか」
「理論上は——可能です。結晶球に魔力を注入し、劣化した部分を再構築する。ただし、かなりの魔力量が必要です。私一人では——」
「俺の魔力も使え」レイドが言った。
「レイドの魔力は戦闘向きで——」
「何でもいい。お前に預ける。使ってくれ」
リーシャが頷いた。結晶球の前に立ち、両手を翳した。碧眼を閉じ、魔力を集中する。
レイドがリーシャの背に手を当てた。自身の魔力を、リーシャに流し込む。温かい力が二人の間を循環し、リーシャの手から結晶球に注がれていく。
結晶球の青い光が強まった。黒い染みが——少しずつ、薄くなっていく。
「効いている」フェリクスが計測器を見つめた。「封印の強度が——回復しています」
十分。二十分。三十分。
黒い染みが消えた。結晶球は均一な青色に戻り、穏やかに脈動している。
「完了です」リーシャが手を下ろした。額に汗が浮かんでいる。「この神殿の封印は——回復しました」
「他の四つも同じようにすればいいのか」
「はい。ただし——四つ全てを回るには時間がかかります。そして海中の神殿は——」
「海中は後回しだ。まず陸上の四つを片付ける」
ジークが腕を組んだ。
「なるほど。——世界修繕屋の最初の仕事としては、まあまあだ」
「まあまあか」
「金にはならなかったからな。——次の神殿で遺物が出たら、評価を上げてやる」
一行は神殿を出て、断崖を登った。海が夕陽に染まり、水平線が赤く輝いている。
一つ目の封印を修復した。残り四つ。
旅は——まだ長い。だが一歩ずつ、世界の傷を繕っている。確実に。
◇
岬の宿営地で夜を過ごした。
焚き火を囲み、傭兵たちが干し肉をかじっている。ジークが酒瓶を回し、フェリクスが記録を取っている。
レイドは焚き火から少し離れた岩の上に座っていた。海を見下ろしている。
「レイド」ヴェルディアが隣に座った。
「どうした」
「一つ聞きたい。——お前は怖くないのか」
「何が」
「力がないことが。紋様を失い、ただの剣士に戻った。それなのに——また世界の危機に向かっている」
レイドは暫く黙った。海風が頬を撫でる。波の音が、遠い鼓動のように響いている。
「怖い」
「……そうか」
「怖い。一周目で死んだ。二周目で世界を救った。今は——力もない。死に戻りもない。次は——本当に最後だ」
「それなのに——」
「怖いが——やらない理由にはならない。目の前に困っている人がいる。封印がほころんでいる。できることがある。——それだけだ」
ヴェルディアが小さく笑った。
「お前は——変わらないな。三千年見てきた人間の中で——お前のような者は、初めてだ」
「褒めてるのか」
「褒めている」
波の音が二人を包んだ。焚き火の光が揺れ、傭兵たちの笑い声が遠くに聞こえる。
「ヴェルディア。お前はどうだ。怖いか」
「……怖い。人間として死ぬことが。三千年生きて——今、初めて、死を近く感じている。それが——」
「怖いか」
「怖い。だが——悪くない。死が怖いということは、生きたいということだ。三千年間——生きたいと思ったことがなかった。今は——思える」
レイドはヴェルディアの肩に手を置いた。
「生きろ。長生きしろ。——三千年分の人生を、これから始めるんだ」
ヴェルディアの琥珀色の瞳が、焚き火の光を映して揺れた。
「……ああ」
海の向こうから、夜風が吹いた。星が瞬き、波が歌い、世界が静かに呼吸している。
修繕屋の旅は——続く。




