傭兵の街
レグスは南大陸の内陸に位置する小さな街だった。
赤い屋根の家々が丘に沿って建ち並び、中央広場に石造りの噴水がある。北の大陸の街とは空気が違う。乾いた風と、香辛料の匂い。人々の笑い声が大きく、路上で酒を飲む者もいる。自由な、だが荒っぽい空気。
ジークの傭兵ギルドは、街の北端にあった。元は倉庫だった建物を改装し、正面に「黒鷹傭兵団」の看板が掛かっている。
「黒鷹か。——趣味が出てるな」レイドが呟いた。
入口の傭兵が三人を見咎めた。
「何の用だ。依頼なら受付に——」
「ジークに会いに来た。レイドだと伝えてくれ」
傭兵が走って戻り、数分後に扉が開いた。
「よう。遅かったな」
ジークが立っていた。黒い眼帯。無精髭。だが以前より日に焼けていて、表情に余裕がある。南の陽気が性に合っているらしい。
「ジーク。元気そうだな」
「金が入ると元気になるんだよ。——中に入れ」
ギルドの奥の応接室に通された。フェリクスが地図を広げて待っていた。眼鏡を直し、三人を見た。
「お久しぶりです。——海の件でいらしたのでは」
「察しがいいな」
「察しというか——必然です。あなたたちなら、海の異変を放っておけないでしょう」
ジークが椅子に座り、脚を組んだ。
「状況を話す。南大陸の沿岸で、過去一ヶ月に正体不明の海洋生物が十二回目撃されている。漁船五隻が沈没。死者は確認されている限りで七名。生き物の正体は——誰にも分からない。深海から浮上してくる巨大な影。触手を持つ個体もいれば、甲殻に覆われた個体もいる。共通点は——」
「魔力を帯びていない」フェリクスが続けた。「通常の魔物は魔力で構成されていますが、これらの生物には魔力の反応がほとんどない。魔法が効きにくいのはそのためです」
「俺たちも船の上で遭遇した」レイドが航海中の出来事を話した。触手の生物。鱗の硬さ。ヴェルディアの知識が生きたこと。
ジークの眼帯の下の目が細まった。
「ヴェルディアが——魔力回路を読んだ? 力を失っているのにか」
「知識だ。三千年分の」
「便利だな」
「便利じゃない。代償がある。体が持たない」
ヴェルディアが口を開いた。全員の視線が集まった。
「深淵の眷属。——この世界が創られる前から存在した生物だ。神々が世界を創った時、深淵の眷属を世界の外側に追い出した。そして五つの神殿で封印した。柱はその封印を補強していた」
「五つの神殿」ジークが身を乗り出した。
「世界の五箇所にある。北の大陸に二つ、南の大陸に二つ、海中に一つ。——柱が壊れたことで、神殿の力が弱まった。泉の柱は世界の均衡を保つが、神殿の封印を直接補修する力はない」
「つまり——封印を確認して、必要なら補修する。それが今やるべきことだ」レイドがまとめた。
ジークは暫く考え込み、指を弾いた。
「金になるか」
「世界が壊れたら金も使えない。前にも言っただろう」
「……それ、俺が言ったセリフだぜ」
ジークが苦笑した。
「分かった。協力する。——ただし条件がある」
「何だ」
「俺の傭兵団を使え。護衛と物資の輸送は俺が持つ。その代わり——神殿から得られる情報や遺物は、傭兵団に優先使用権をくれ。商売にならないと、部下に説明がつかない」
「商売か。——いいだろう。遺物があればの話だが」
「あるさ。古代の神殿だぜ。何もないわけがない」
ジークが手を差し出した。レイドが握り返した。
「じゃあ——最初の神殿はどこだ」
ヴェルディアが地図の一点を指した。南大陸の南端。岬の先に突き出た断崖。
「ここだ。南端の岬に——最も古い神殿がある。海の封印を管理する神殿。深淵の眷属が最も近い場所だ」
「南端の岬か。——レグスから馬で四日。海沿いの道は危険だが、内陸を回れば安全だ」フェリクスが計算した。
「出発は明後日。準備を整える」ジークが立ち上がった。「フェリクス、護衛の傭兵を五人選べ。装備の点検もだ」
「了解しました」
ジークが部屋を出て行った。フェリクスが後に続く。
三人が残された応接室で、リーシャが地図を見つめていた。
「五つの神殿。——これが本当なら、世界にはまだ知られていない古代の遺跡が四つもあるということです」
「興味があるか」
「ありすぎます。——学者として、これほど魅力的なテーマはありません」
「命がけだぞ」
「命がけでなかったことが、最近ありましたか?」
レイドは笑った。確かに。この旅は——最初から穏やかとは程遠い。
だが仲間がいる。ジークの傭兵団という戦力もある。一人で抱え込む必要はない。
「行こう。南端の岬へ」
三人は頷いた。新しい冒険が——始まろうとしていた。
◇
その夜。ジークの屋敷の屋上で、ジークとレイドが酒を飲んでいた。
南大陸の夜空は星が近い。天の川が白い帯となって空を横切り、数え切れないほどの星が瞬いている。
「世界を救ったのに——また面倒事か」ジークが杯を傾けた。
「お前は面倒事が好きだろ」
「金になるならな。——で、本音を聞かせろ。お前は何を考えている」
レイドは星を見上げた。
「一周目では——世界が壊れた。二周目で直した。だが直し方が——完璧じゃなかった」
「完璧なんてあるのか」
「ない。だから——一つずつ、修繕していく。穴を見つけたら塞ぐ。ほころびがあれば繕う。——地味な仕事だ」
「地味か。——世界を救った男が、世界の修繕屋になるのか」
「悪くないだろ」
ジークが笑った。夜空に向かって杯を掲げた。
「修繕屋に——乾杯」
「乾杯」
二つの杯が鳴り、星空の下で反響した。南の風が吹き、乾いた大地の匂いを運んでくる。
旅は続く。世界の傷を一つずつ、繕いながら。




