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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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二周目の朝

 レイドは夜明け前に目を覚ました。


 宿屋の窓から、東の空が白み始めている。まだ星が幾つか残っていて、空の色が藍から薄紫へと移り変わっていく。鳥が一羽、早朝の空を横切った。


 隣の部屋からリーシャの穏やかな寝息が聞こえる。向かいの部屋にはヴェルディアがいるはずだ。


 レイドは窓辺に座り、左手を見つめた。紋様はもう消えている。ヴェルディアとの繋がりも、柱の力も、全て泉に還した。今の左手はただの左手だ。剣を握り、物を掴む、普通の手。


 一周目を思い出した。


 一周目のレイドは——何も持っていなかった。仲間は全員死に、世界は崩壊し、最後にはアルヴィンの聖剣に貫かれた。全てを失って——死に戻った。


 二周目で手に入れたもの。


 リーシャの笑顔。ガレスの背中。ミラの軽口。カイルの弓。アルヴィンの握手。セレナの祈り。ジークの信頼。ヴェルディアの涙。


 そして——この朝。穏やかな、当たり前の朝。


「起きてたの」


 振り返ると、リーシャが扉の隙間から顔を覗かせていた。寝起きの碧眼が、夜明けの光にぼんやりと輝いている。


「ああ。目が覚めた」


「早いですね。——まだ日の出前ですよ」


「習慣だ。一周目から——朝は早かった。夜が怖くて」


「怖い?」


「夜の間に世界が壊れるんじゃないかと。目が覚めたら全部なくなっているんじゃないかと。——そう思って、毎朝早く起きて、世界がまだあることを確かめていた」


 リーシャが部屋に入ってきた。窓辺に並んで座った。肩が触れる。


「もう——大丈夫ですよ」


「ああ。分かっている。分かっているが——体が覚えている。恐怖は、頭では消せない」


「時間がかかりますね」


「ああ。——だが、時間はある。もう足りないことはない」


 朝日が水平線から顔を出した。王都の屋根が一斉に金色に染まり、大聖堂の鐘楼が最初の光を受けて輝いた。鐘が朝の刻を告げ、その音が街全体に響き渡った。


「レイド」


「何だ」


「これから——どうしますか」


 レイドは朝日を見つめた。


「昨日、ヴェルディアに聞かれた。同じことを」


「何と答えたんですか」


「答えられなかった。——世界を救うことだけを考えて走ってきた。それが終わって——何をすればいいのか、分からなかった」


「今は」


 レイドは考えた。長い沈黙。朝日が街を照らし、人々が動き始める音が聞こえてくる。馬車の車輪。水売りの声。子供の笑い声。


「旅に出ようと思う」


「旅?」


「世界を見たい。一周目では——戦うことしかしなかった。二周目でも——走ることしかしなかった。海も山も森も砂漠も——ちゃんと見たことがない」


「ヴェルディアさんと同じことを言っていますね」


「ああ。——だから、一緒に行こうと思う。ヴェルディアと。お前と」


 リーシャが目を見開いた。


「三人で——旅を?」


「嫌か」


「嫌なわけないじゃないですか」


 リーシャの碧眼が——潤んだ。笑っているのか泣いているのか、分からない顔。多分、両方。


「行きましょう。三人で。世界中を。——三千年分の景色を、全部」


 扉が静かに開いた。ヴェルディアが立っていた。琥珀色の瞳が二人を見ている。起きたばかりなのか、黒髪が乱れている。


「聞こえた」


「盗み聞きか」レイドが笑った。


「壁が薄い。——旅に行くのか」


「ああ。お前も一緒に」


 ヴェルディアは暫く黙っていた。琥珀色の瞳が——窓の外の朝日を映した。


「どこに行く」


「まずは南だ。ジークが南の大陸にいる。暖かい場所から始めよう」


「南か。——三千年前、南の大陸には花畑があった。一面の花が、地平線まで続いていた。まだ——あるだろうか」


「行けば分かる」


 ヴェルディアが——微笑んだ。もうぎこちなくない。十日間で、笑い方を思い出していた。


「行こう」



  ◇



 王都の東門の前に、三人が立っていた。


 レイド。リーシャ。ヴェルディア。


 荷物は少ない。剣と、水筒と、地図と、着替えと。旅に必要な最低限のもの。


 門の前に——見送りが二人。


 アルヴィンとセレナが並んで立っていた。


「東から行くのか」アルヴィンが言った。


「ああ。南に回って、西に抜けて、北に上がって。ぐるっと世界を一周する」


「何年かかる」


「分からない。急がないから」


 アルヴィンが小さく笑った。


「お前らしい。——行き当たりばったりだ」


「行き当たりばったりが一番だ。計画は——立てすぎると窮屈になる」


 セレナがリーシャに歩み寄った。


「リーシャさん。——お元気で」


「セレナさんも。聖教会の改革、大変でしょうけど——」


「大変です。でも——やりがいがあります」


 二人が微笑み合った。守り手と聖女。同じ根源の力を持った二人。力はもう失われたが——絆は残っている。


 セレナがヴェルディアに向かって、深く一礼した。


「ヴェルディアさん。——長い間、世界を支えてくださって。ありがとうございました」


 ヴェルディアは少し困ったような顔をした。感謝されることに——まだ慣れていない。


「礼は——」


「受け取ってください」セレナが真っ直ぐにヴェルディアの目を見た。「受け取ることも——強さです」


 ヴェルディアの琥珀色の瞳が揺れた。そして——小さく頷いた。


「ありがとう——と言えばいいのか。人間の作法は——まだ分からないことが多い」


「これから覚えればいいんです」リーシャが笑った。「三千年分の作法を、少しずつ」


 レイドは東門を見上げた。朝日が門の石壁を照らし、長い影が街道に伸びている。門の向こうに——平原が広がっている。緑の草原。青い空。白い雲。どこまでも続く、広い世界。


「行くか」


「はい」リーシャが頷いた。


「ああ」ヴェルディアが頷いた。


 三人は門をくぐった。


 レイドは一度だけ振り返った。アルヴィンとセレナが手を振っている。大聖堂の鐘楼が朝日に輝き、王都の屋根が光の海のように広がっている。


 一周目で失った全てが——ここにある。


 二周目で得た全てが——ここから始まる。


 レイドは前を向いた。


 街道の先に、朝日が降り注いでいる。草原を風が渡り、野花が揺れ、小鳥が歌っている。道は真っ直ぐに東へ伸び、地平線の向こうへ消えている。


 死に戻りは——もう起きない。三度目はない。この人生が、最後で、唯一の人生だ。


 だから——大切に歩く。一歩ずつ。急がず、止まらず。


 リーシャが右隣を歩いている。碧眼が朝日を映し、穏やかに微笑んでいる。


 ヴェルディアが左隣を歩いている。琥珀色の瞳が世界を映し、全てを新鮮に見つめている。


 三人の影が、朝日に照らされた街道に長く伸びた。


 世界は穏やかに呼吸していた。大地が安定し、地脈が静かに流れ、空が高く澄んでいる。


 二周目の物語は——ここで終わる。


 だが三人の旅は——ここから始まる。


 朝日の街道を、三人は歩いていった。


 どこまでも。どこまでも。

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