それぞれの道
真実の公表から十日が経った。
世界は混乱しなかった。いや、混乱はあった。だがそれは破壊的なものではなく、産みの苦しみに似た混乱だった。各地の聖堂で議論が起き、信者たちが祈りの意味を問い直し、聖職者たちが自分たちの役割を再定義しようとしている。
千年の嘘が崩れた後に残ったのは——虚無ではなく、問いだった。
レイドは王都の宿屋の屋上に座り、夕暮れの街を見下ろしていた。
この十日間で、仲間たちの行き先が決まっていった。一人、また一人と。
最初に旅立ったのはジークだった。
「俺は傭兵だ。平和になったら仕事がなくなる——ってのは嘘だな。平和になっても、人間は揉め事を起こす。次の仕事を探しに行く」
王都の南門でジークはそう言い、レイドの肩を叩いた。
「報酬の話はまたな。——気が向いたら、南の大陸に来い。新しい傭兵ギルドを作る予定だ」
「傭兵ギルドの長か。出世したな」
「出世じゃねえ。——世界を救った男の友人ってのは、箔がつくんだよ」
ジークは馬に跨り、振り返らずに去った。だが門を出る直前、片手を上げた。それが別れの合図だった。
フェリクスはジークに同行した。情報屋は一人より組織にいた方が仕事ができる。去り際に、フェリクスはレイドに小さな紙片を渡した。
「何だこれ」
「各地の協力者の連絡先です。何かあれば——どこにいても、三日以内に情報が届きます」
「情報屋の情報網か」
「ええ。——無料です。世界を救った方への、特別割引」
フェリクスは珍しく微笑み、ジークの後を追った。
次にガレスが旅立ちを告げた。
「故郷に帰る」
ガレスはレイドの前で大盾を地面に置いた。
「海沿いの村だ。漁師だった親父はもう死んでるだろうが——弟がいる。十年以上会ってない」
「ガレス。——お前がいなかったら、何度も死んでいた」
「俺の方こそだ。お前がいなかったら——ただの流れ者の盾使いで終わっていた」
ガレスが大盾を持ち上げ、背に負った。
「また会おう。海が見たくなったら来い。魚を焼いて待ってる」
「ああ。必ず行く」
ガレスの大きな背中が、通りの向こうに消えていった。
カイルは北嶺に帰ると言った。
「村の連中が心配だ。魔物の暴走は収まったが——被害の後始末がある。猟師の腕が必要になる」
「一人で帰るのか」
「一人がいい。北嶺の道は——一人で歩くのが性に合ってる」
カイルは弓を肩に担ぎ、北門に向かった。門の前で振り返った。
「レイド。——一つ聞いていいか」
「何だ」
「一周目で——俺はどうなった」
レイドは一瞬、言葉に詰まった。
「お前は——北嶺で死んだ。魔物に襲われた村を守って」
カイルは暫く黙っていた。そして——笑った。
「らしいな。——二周目では、もうちょっと長生きする」
弓を担いだ猟師は、北への道を歩いていった。
ミラはどこに行くかを言わなかった。
「あたしは——風の向くまま。情報屋の真似事でもしようかな。フェリクスに弟子入りするのも悪くない」
「お前なら一人前の情報屋になれる」
「でしょ。潜入も盗聴もお手の物だし」
ミラは短剣の柄を確かめ、路地裏に消えた。振り返らない。振り返らないのがミラらしかった。だが角を曲がる直前、声だけが聞こえた。
「またね。リーダー」
アルヴィンは王都に残った。
「聖教会の改革は——私がやる」
大聖堂の前でアルヴィンはそう宣言した。白銀の鎧は外し、質素な白衣を着ている。聖剣は——大聖堂の宝物庫に封印した。
「聖剣を封じたのか」
「柱を砕くための武器だ。もう必要ない。——いや、二度と使われるべきではない」
「アルヴィン」
「何だ」
「一周目で——お前は俺を殺した後、世界の崩壊を見て絶望した。聖剣を自分に向けて——」
レイドの声が途切れた。アルヴィンの碧眼が——揺れた。
「そうか。——一周目の俺は、そうしたか」
「ああ」
「二周目の俺は——生きる。嘘を正すために。長い時間がかかるが——逃げない」
アルヴィンが手を差し出した。レイドがその手を握った。かつて聖剣を振り下ろした手が——今、握手を求めている。
「また会おう。レイド」
「ああ。また」
エドモンはアルヴィンの傍に残った。忠実な従者は、主人の新しい道にも付き従う。
セレナも王都に残ることを選んだ。
「聖女の言葉は——まだ力を持っています。その力を、正しいことに使いたい」
「アルヴィンと一緒に改革するのか」
「はい。——一人より二人の方が、声は遠くまで届きます」
セレナが微笑んだ。その笑みは——聖女の笑みではなく、一人の女性の笑みだった。
そして——ヴェルディア。
ヴェルディアはこの十日間、王都を歩き回っていた。市場で果物を食べ、橋の上で川を眺め、公園で子供たちの遊びを見ていた。三千年分の世界を——一日一日、取り戻すように。
「どこに行く」レイドが宿屋の屋上から問いかけた。
ヴェルディアは階段を上がってきた。足取りはだいぶしっかりしている。セレナの治癒と、規則的な食事と睡眠のおかげだ。
「決めていない。行く場所がない——のではなく、行きたい場所が多すぎる」
「三千年分だからな」
「ああ。海を見たい。山に登りたい。森を歩きたい。雪を見たい。砂漠を見たい。——全部、見たい」
ヴェルディアの琥珀色の瞳が夕陽を映していた。王都の屋根が橙色に染まり、煙突から夕餉の煙が上がっている。鐘が夕刻を告げ、鳥が塒に帰っていく。
「一人で行くのか」
「一人で——行ける。もう柱ではない。ただの人間だ。人間は——一人で歩ける」
「歩ける。だが——一人で歩く必要はない」
ヴェルディアがレイドを見た。琥珀色の瞳に——問いかけがある。
「お前は——どうするんだ。レイド」
レイドは夕空を見上げた。二周目の全てが——ここに収束している。世界を救った。仲間を守った。ヴェルディアを解放した。
だが自分自身の答えは——まだ出していなかった。
「俺は——」
屋上の扉が開いた。リーシャが顔を出した。
「レイド。夕食の支度ができました。——ヴェルディアさんも、一緒に」
レイドは立ち上がった。
「行くか」
「ああ」ヴェルディアが頷いた。「——温かい食事は、まだ慣れない。だが——好きだ」
三人は階段を下りた。宿屋の食堂に、温かい明かりが灯っている。テーブルには三人分の食器が並び、スープの湯気が漂っていた。
日常。ただの日常。
だがそれは——レイドが一周目で失い、二周目で取り戻したものの全てだった。




