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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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西の大陸

 二日目の夕刻、水平線に陸地が見えた。


 緑が濃い。王都のある東大陸とは植生が違う。海岸線に沿って密林が広がり、その奥に白い断崖が聳えている。断崖の上には——古い塔の尖端が、夕陽を受けて金色に光っていた。


「あれがヴェルデの灯台だ」船長が舵を握りながら言った。「西大陸の玄関口。あそこに着けば、ヴェルデの街は目と鼻の先だ」


 ミラは船縁にへたり込んでいた。二日間の船酔いで、顔色は紙のように白い。


「やっと……陸……」


「大丈夫か」カイルが水筒を差し出した。


「大丈夫じゃない。二度と船には乗らない。帰りは泳ぐ」


「泳いだら三日どころじゃ済まないぞ」


 船が港に近づくと、東大陸の港町カレンとは全く異なる風景が目に入った。


 石造りの港は苔に覆われ、桟橋の木材は潮と陽に灼けて黒く変色している。停泊している船は少なく、港全体にひっそりとした空気が漂っていた。人の姿もまばらで、荷揚げをしている人夫は数人だけだ。


「静かだな」ガレスが周囲を見回した。「港にしては人が少なすぎる」


「西大陸は東に比べて人口が少ない」レイドが桟橋に飛び降りた。「大陸の大半が森林と山脈で、住める土地が限られている。ヴェルデの街も——小さな聖堂都市だ」


 五人が桟橋に降り立つと、港の係員が近づいてきた。日焼けした小柄な男で、目が鋭い。


「旅の方か。珍しいな、この時期に東から」


「ヴェルデ聖堂に用がある」


「聖堂に? ああ、昨日も聖堂に向かう一行がいたな。金髪の騎士と、白衣の聖女。大層な護衛もついていた」


 アルヴィンとセレナ、エドモン。予定通り先行している。


「その一行はヴェルデ聖堂に着いたか」


「さあな。ここから聖堂までは半日の道のりだ。森を抜けて、谷を越えなきゃならん。——道は一本しかないが、最近は獣が荒れていてな。気をつけた方がいい」


「獣?」


「ああ。一月ほど前から、森の獣が妙に凶暴になった。鹿が人を襲ったり、狼が昼間から里に下りてきたり。聖堂の神官たちは『地の乱れ』と言っているが——」


 リーシャが微かに目を細めた。地脈の乱れ。ヴェルディアの負荷が世界の均衡を揺るがし、各地で異常が起きている。獣の凶暴化も、その一つだ。


「分かった。感謝する」


 レイドは港を後にし、街の中を歩いた。ヴェルデの街は港に張りついた小さな集落で、石造りの家が二十軒ほど並んでいる。商店は一つ。宿屋が一つ。教会の鐘楼が街の中心に立ち、その鐘が夕刻を告げていた。


「今夜はここで休んで、明朝出発するか」カイルが宿屋を見上げた。


「いや」レイドが首を振った。「今日中に聖堂に向かう」


「今から? もう日が暮れるぞ」


「アルヴィンたちが昨日出発して、まだ聖堂にいるなら問題ない。だが——もし何かあったなら、一刻も早く合流した方がいい」


 ガレスが頷いた。


「同感だ。俺も嫌な予感がする。この静けさは——何かが起きる前触れだ」


 ミラはまだ顔色が悪かったが、短剣の柄を確かめた。


「行ける。船酔いは陸に上がれば治る」


「本当か」


「嘘。まだ気持ち悪い。でも行ける」


 五人は街の西門を出た。門の向こうには——鬱蒼とした森が広がっていた。


 道は一本。石畳が敷かれているが、苔と蔓に覆われて半ば埋もれている。木々の幹は太く、枝が頭上で絡み合って天蓋を作っていた。夕陽の光は梢の隙間から漏れるだけで、森の中は既に薄暗い。


 湿った空気。腐葉土の匂い。虫の声が四方から響き、時折、遠くで鳥が甲高く鳴いた。


「東大陸とは空気が違うな」ガレスが周囲を警戒しながら言った。「魔力が——濃い」


「地脈が近いんです」リーシャが足元の石畳に手を触れた。「この森の下に——太い地脈が通っています。ヴェルデ聖堂に向かって——真っ直ぐに」


「柱の残滓が地脈を引き寄せているのか」


「はい。五つ目の残滓が——呼んでいます。私を」


 リーシャの碧眼が銀色に光った。守り手の血が、最後の残滓に反応している。


 森の中を一刻ほど歩いた頃、異変が起きた。


 ガレスが足を止めた。


「——来るぞ」


 茂みが揺れた。低い唸り声が三方から聞こえる。獣の目が闇の中で光った。黄色い目。六つ。三頭の狼だ。


 だが——普通の狼ではない。体が一回り大きく、毛皮が逆立っている。口から赤い靄が漏れ、目に理性の光がない。地脈の乱れに当てられた獣。魔力に侵されて凶暴化している。


「殺すな」レイドが剣を抜いた。「地脈に当てられているだけだ。気を失わせればいい」


「言うのは簡単だがな」ガレスが大盾を構えた。


 三頭が同時に飛びかかった。


 ガレスの盾が先頭の狼を受け止めた。衝撃が腕に伝わるが、びくともしない。盾で押し返し、地面に叩きつけた。


 カイルの矢が二頭目の足を射抜いた。狼が転がり、もがいている。急所は外してある。


 三頭目がリーシャに向かった。レイドが間に入り、剣の腹で狼の顎を打った。骨が軋む鈍い音。狼が倒れ、動かなくなった。気を失っている。


「三頭か。大したことなかったな」


「まだだ」カイルが弓を構え直した。「森の奥から——もっと来る」


 唸り声が——数十の声に膨れ上がった。木々の間に、無数の黄色い目が光っている。狼だけではない。猪。鹿。熊。種を超えた獣の群れが、地脈の乱れに操られて集まっている。


「これは——」ミラが短剣を構えた。「数が多すぎる」


「リーシャ」レイドが振り返った。


 リーシャは既に両手を広げていた。銀色の光が体から溢れ、森の空気を震わせた。


「地脈を——鎮めます」


 守り手の力が足元から地面に流れ込んだ。銀色の波紋が石畳を伝い、森の地面に広がっていく。木々の根が光に包まれ、土の中を走る地脈が——穏やかに脈動し始めた。


 獣たちの目から、赤い靄が消えた。黄色い目が、元の獣の目に戻っていく。一頭、また一頭と、獣たちは踵を返し、森の奥に消えていった。


 静寂が戻った。虫の声。風の音。森が——本来の姿を取り戻している。


「すごいな」カイルが弓を下ろした。「一瞬で全部鎮めたのか」


「地脈が近いから——力が通りやすかったんです。でも一時的な処置です。根本を解決するには——」


「五つ目の残滓を取り込むしかない」


「はい」


 五人は再び歩き始めた。森は静かになり、獣の気配は消えた。リーシャの力が地脈を一時的に安定させたのだ。


 谷に差しかかった時、月が昇り始めていた。細い月が雲の間から顔を出し、谷の底を銀色に照らしている。谷は深く、底に川が流れている。石の橋が架かっていたが——半ば崩れかけていた。


「橋が——」


「地脈の乱れで地盤が緩んだか」ガレスが橋を見下ろした。「渡れるか?」


「一人ずつなら」レイドが橋の石材を確かめた。「走るな。ゆっくり歩け」


 一人ずつ渡った。橋は軋んだが、持ちこたえた。最後にガレスが渡り終えると、橋の端が崩れ落ちた。石が谷底に落ち、水音が遠く響いた。


「帰り道がなくなったな」カイルが谷の向こうを振り返った。


「帰り道は——聖堂から別の道を探す。まずは前に進むしかない」


 谷を越えると、森が開けた。


 月明かりの中に——ヴェルデ聖堂が姿を現した。


 白い石の建物。だが東大陸の大聖堂とは全く異なる。塔は一つだけで、低く、丸い。壁には蔦が絡み、屋根に苔が生えている。森と一体になったような、古い、静かな聖堂。


 聖堂の前庭に——かがり火が焚かれていた。


 白銀の鎧が火の光に照らされている。金髪が風になびき、碧眼が五人を見つめた。


「遅かったな」アルヴィンが微かに笑った。「待っていた」


 アルヴィンの隣にセレナとエドモンが立っている。そして——聖堂の神官たちが数人、不安げな顔で五人を見ていた。


「状況は」レイドが聞いた。


「聖堂は確保した。聖教会の支部は——勇者と聖女の権威で押さえた。だが——」


 アルヴィンの顔が曇った。


「地下への入口が——封印されている。千年前の封印だ。通常の力では開かない」


「守り手の力なら——」リーシャが前に出た。


「ああ。お前を待っていた」


 七人が揃った。レイド、リーシャ、ガレス、ミラ、カイル、アルヴィン、セレナ。


 最後の残滓が——すぐそこにある。


 リーシャは聖堂を見上げた。四つの残滓が体内で共鳴し、五つ目の気配を感じている。石壁の向こう。地下深く。千年の封印の奥に——最後の柱の欠片が眠っている。


「行きましょう」


 リーシャの声は静かだった。だがその碧眼には——銀色の光が、これまでで最も強く輝いていた。

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