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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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神託の裏側

 パイプオルガンの重低音が、腹の底を震わせる。


 謁見の間は荘厳な空気に包まれていた。天井から吊るされた百を超える燭台の炎が揺らめき、左右の壁面に嵌め込まれたステンドグラスが朝陽を受けて七色の光を床に散らしている。光の筋が石畳を横切るたびに、まるで神の指先が地上に触れているかのような錯覚を覚える。


 ——綺麗な嘘だ。


 レイドは謁見の間の中央、赤い絨毯の上に跪いていた。左にアルヴィン・レグルス、右にジーク・ヴァンガード。さらにその先にカイル・ドレイク。四人の勇者が、玉座に座る国王の前で一列に並んでいる。


 背後には数百人の貴族と高官たち。衣擦れの音が、オルガンの残響に混じって遠く聞こえる。


「——勇者の紋章を宿せし者たちよ」


 大司教マルティウスの声が、謁見の間に響き渡った。


 壇上に立つ老人は、金糸の刺繍が施された白い法衣を纏い、手には聖典を抱えている。深い皺が顔中に刻まれているが、背筋は杖なしで真っ直ぐに伸びていた。その声には、空間を支配する力がある。


「神は汝らに使命を与えたもうた。闇を払い、光をもたらす聖なる剣となれ」


 マルティウスが聖典を開く。黄ばんだ羊皮紙に記された古代文字が、燭台の光を受けて鈍く輝く。


「——均衡の柱を砕きし時、光は永遠に世界を照らさん」


 レイドの呼吸が、一瞬止まった。


 均衡の柱。


 それは魔王を指す言葉だ。一周目では聞き流していた一節。だが今のレイドには、その裏に隠された意味が分かる。


 柱を砕けば世界が崩れる。それを「光が永遠に」と偽る神託。


 ——知っていて、この文言を読み上げているのか。


 視線だけを動かして、玉座の国王を見る。初老の王は威厳ある面持ちで前を向いていたが、神託の一節が読まれた瞬間——その眉根が、ほんの僅かに寄った。唇が微かに引き結ばれ、すぐに元の表情に戻る。


 見逃すはずがなかった。あれは「知っている者」の顔だ。少なくとも、何かを感じ取っている。


 マルティウスの朗読が続く。聖教会からの支援、魔王討伐の報奨金、各国の協力体制。言葉は美しく、理路整然と並べられていく。


「汝ら四名を、正式に勇者として認定する。立ちなさい」


 四人が立ち上がる。アルヴィンの金髪が、ステンドグラスの光を浴びて輝いた。その横顔は、まさに絵画の勇者そのものだ。隣のジークは無表情で、カイルは拳を握り締めて高揚している。


 拍手が謁見の間を満たした。


 レイドも拍手の中で微笑んでみせる。口角を上げる筋肉が、引き攣るほどの力を要した。



  ◇



 式典が進み、各勇者にパーティー編成の権利が与えられた。


「では、アルヴィン・レグルス勇者。汝の選ぶ仲間を申し出よ」


 アルヴィンが一歩前に出る。背筋を伸ばし、凛とした声で宣言した。


「まず——エドモン・グレイシアを。彼は我が騎士であり、最も信頼する剣である」


 貴族席の一角から、鉄色の鎧を纏った寡黙な騎士が進み出る。片膝をつき、アルヴィンの前に頭を垂れた。


「この命、御身の剣として捧げます」


 エドモンの声に迷いはない。忠誠というよりも、信仰に近い。その目には主への絶対的な信頼が宿っていた。


 続けてセレナ・ヴァルハイトが指名され、彼女もまた静かに壇上へ進む。


「光の導きのままに。アルヴィン様と共に歩ませていただきますわ」


 フェリクス・オーウェンがジークに指名された時、彼は肩をすくめただけだった。


「金払いが良けりゃどこでもいいんだがな。まあ、ジークの下なら退屈はしねえだろ」


 ジークが鼻で笑う。


「相変わらず正直なやつだ。それでいい」


 そしてレイドの番が回ってきた。


 謁見の間の視線が集まる。一周目では、王国が推薦した騎士や魔法使いを素直に受け入れた。結果として信頼関係の薄いパーティーになり、窮地で連携が崩れた。


「——現時点では、まだ決めていない」


 ざわめきが広がった。他の三人が即座に指名したのに対し、レイドだけが保留したのだ。


「仲間は慎重に選びたい。少しだけ時間をいただきたい」


 国王が静かに頷く。マルティウスは微笑んだまま何も言わなかったが——その老眼がレイドを捉えて離さない。


 式典の終盤、マルティウスが壇上から降りてきた。各勇者に個別の祝福を授けるためだ。アルヴィンの前では長い祈りを捧げ、ジークには短い言葉を交わし、カイルの肩を叩いて激励する。


 そしてレイドの前に立った。


 老人の指が、レイドの額に触れる。乾いた、枯れ枝のような指先だった。だがその感触に、背筋を冷たいものが走り抜ける。


「汝の信仰は堅固か、若き勇者よ」


 深い皺に刻まれた笑みが、すぐ目の前にある。穏やかな声。だがその奥にあるものは、穏やかさとは程遠い。


 レイドは視線を逸らさなかった。逸らせば終わりだと、本能が告げている。


「——もちろんです、大司教猊下。魔王を討ち、世界に光をもたらすことが、私の使命です」


 嘘だった。これ以上ないほど完璧な嘘。


 マルティウスの目が細まる。笑みは崩れない。だが額に触れた指先が、一瞬だけ力を込めた。爪の先が肌に食い込むような圧。


「……そうか。良い目をしておる」


 指が離れた。マルティウスは背を向け、次の祝福へと歩み去る。


 レイドの額に、爪の痕が残っていた。じくりと熱い。


 ——探られた。


 確信はない。だが、あの問いかけは儀礼的なものではなかった。前夜祭でレイドと目を合わせなかった老人が、わざわざ距離を詰めてきた。


 汗が、背中を伝い落ちる。法衣の裏で拳を握り締めたまま、レイドは微笑を保ち続けた。



  ◇



 式典が終わり、貴族たちが三々五々と謁見の間を後にしていく。


 レイドは回廊に出た。西向きの窓から差し込む夕陽が、石畳に長い影を落としている。壁のタペストリーが橙色に染まり、廊下全体が琥珀色の光に沈んでいた。


 一人になれる場所を探していた。仮面を外して、深く息を吐ける場所を。


 足を止めたのは、背後から聞こえた靴音のせいだった。


 規則正しく、だが早足の靴音。石畳に響く硬い音が、徐々に近づいてくる。


「レイドさん」


 振り返ると、リーシャ・フォルトナが立っていた。銀髪が夕陽を受けて淡く光り、碧い瞳がまっすぐにレイドを見据えている。


「パーティーメンバーの募集、まだ締め切ってませんよね?」


 レイドの足が止まった。


「私を入れてください」


 一周目では——この場面は存在しなかった。リーシャはアルヴィンのパーティーに志願し、レイドとは別の道を歩んだ。合流したのは旅の途中、偶然の再会を経てのことだ。


「学院で調べたいことがあるんです。魔力の根源について……実地でなければ確認できないことが。魔王領に近づく勇者パーティーなら、それが可能です」


 知的好奇心を理由に挙げている。だがリーシャの目は、それだけではない何かを語っていた。


「……リーシャ」


「はい」


「危険な旅になる。想像以上に」


「存じています」


 即答だった。迷いのない声。レイドの喉が詰まる。


 ——巻き込んでしまう。


 一周目の記憶が蘇る。倒壊する塔の下で、血まみれで動かなくなったリーシャの姿。あの光景を二度と繰り返さないために、自分は死に戻ったはずだ。


 だが同時に知っている。リーシャの魔法なしに、この二周目は成功しない。彼女の知性と洞察力が、何度レイドを救ったか。


「……少し、考えさせてくれ」


 リーシャの瞳が揺れた。即座に断られることを覚悟していたのだろう。予想外の返答に、一瞬だけ瞬きが増える。


「分かりました。待ちます」


 踵を返しかけて、リーシャが足を止めた。夕陽の中で半身だけ振り返り、何かを言いかけて——口を噤む。


「……いえ、なんでもないです」


 靴音が遠ざかっていく。長い回廊に、レイドの影だけが残された。


 夕陽が沈みかけている。窓枠の影が、十字架のように床を横切っていた。


 ——守りたい。だから遠ざけたい。だが遠ざければ、守れない。


 矛盾だった。どこまでも、矛盾だ。


 レイドは壁に背を預け、目を閉じた。瞼の裏に、マルティウスの皺だらけの笑みが浮かぶ。あの老人の瞳に宿っていたのは、祝福ではなく——査定だ。


 均衡の柱を砕きし時、光は永遠に。


 その神託を、レイドは裏側から読んでいる。柱が砕ければ、光もまた消える。永遠に照らす光など、この世界のどこにもない。


 拳を握る。爪が掌に食い込んだ。


 ——演じ続けろ。まだ、始まったばかりだ。


 回廊の向こうから、リーシャの足音はもう聞こえなかった。代わりに聞こえてきたのは、遠い謁見の間から漏れるパイプオルガンの旋律——勇者たちの門出を祝う、最後の一曲だった。

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