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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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ファレスト聖堂

 四日間の旅は、静かだった。


 レイドとリーシャは街道を南に走り、農村を抜け、川を渡り、丘陵地帯に入った。秋の終わりが近づき、風が冷たくなっている。木々の葉が色づき、金と赤の絨毯が大地を覆っていた。


 だがその美しさの中に、異変が混じっている。


 三日目の朝、川の水が濁っていた。上流で地脈の乱れが起きている証拠だ。四日目の昼には、空を飛ぶ鳥の群れが異常な方向に移動しているのを目撃した。魔物の暴走が近くで起きている兆候だ。


「レイド。左手の状態は」


 リーシャが毎日聞いた。レイドは毎日、同じ答えを返した。


「変わらない。使ってない」


 嘘ではなかった。だが正確でもなかった。紋様の範囲が少しずつ広がっている。前腕の半ばだったものが、肘に近づいていた。使わなくても、ヴェルディアの衰弱に伴って紋様は成長している。


 四日目の夕方。丘陵の頂上に立った時、ファレスト聖堂が見えた。


 谷間に建つ白い尖塔。王都の大聖堂より小さいが、古い。壁面の石は千年の風雨に磨かれ、苔に覆われた部分が緑の縞模様を作っている。尖塔の先端に聖教会の十字架が光っているが、その光は弱く、傾いている。


「あれがファレスト聖堂です。五大聖堂の中で最も古いとされています」


「警備は」


「王都の大聖堂ほどではないはずです。地方の聖堂ですから。ただ——」


 リーシャが目を細めた。


「聖堂の周囲に、人影が多い。巡礼者にしては——」


「浄罪の目だ」


 レイドの目が鋭くなった。聖堂の周囲に散らばっている人影。巡礼者の服を着ているが、動きが違う。訓練された動き。配置の仕方。監視網だ。


「先回りされた」


「マルティウスが——大聖堂の地下侵入を察知して、ここに追跡隊を送ったのでしょう」


 レイドは歯を食いしばった。正面からは入れない。だが四日間かけてここまで来た。引き返すわけにはいかない。


「夜を待つ。暗闘に紛れて侵入する」


「でも——追跡隊の規模が分かりません。罠かもしれない」


「罠でも行く。ヴェルディアの時間がない」


 二人は丘の陰に身を隠し、夜を待った。日が沈み、谷間が闇に沈んでいく。ファレスト聖堂の窓に明かりが灯り、尖塔の十字架が月光に白く浮かんだ。


 夜半。月が雲に隠れた頃。二人は動いた。


 リーシャが地脈の流れを読み、聖堂の裏手から近づく経路を選んだ。地脈が集中する場所——柱の残滓が眠る場所——が、聖堂の地下にあることを魔力感知で確認している。


「地下への入口は——聖堂の裏手にある古い井戸。封鎖されていますが、地脈と直接繋がっています」


「井戸か」


「王都の地下水道と同じ原理です。柱の跡地には必ず水脈が通っている。地脈と水脈は古代では同一視されていましたから」


 二人は藪を抜け、聖堂の裏手に回った。古い石造りの井戸が、草に埋もれるようにして立っていた。蓋がされ、鎖で封じられている。


 リーシャが蓋に手を当てた。


「——ここです。地下から、柱の残滓の振動が伝わってきます。王都のものより——強い」


「より古い柱の残滓だからか」


「おそらく。ファレストは五大聖堂の中で最も古い。つまり——最も最初に砕かれた柱がここにあった」


 リーシャが鎖の封印に手をかけた。碧眼を閉じ、魔力を集中させる。


 銀色の光が手から溢れ、封印の鎖が音を立てて外れた。


 井戸の蓋を持ち上げると、地下から冷たい風と——青白い光が吹き上がってきた。柱の残滓の光だ。王都で見たものより、はるかに強い。


「降りましょう」


 リーシャが先に井戸の中に降りた。石壁に鉄の足場が打ち込まれている。レイドが後に続く。


 十メートルほど降りると、横穴に出た。そこから更に奥に——広い空間が広がっていた。


 王都の地下と似ている。円形の部屋。天井は見えないほど高い。そして中央に——


 巨大な魔法陣。


 だがこちらの方が遥かに大きく、光が強い。青い紋様が部屋全体を覆い、壁面にまで伸びている。空気そのものが魔力で満たされ、息を吸うだけで体が震える。


「すごい」リーシャが息を呑んだ。「千年経っても、これだけの力が残っている。最初の柱は——よほど強大だったのですね」


 リーシャが魔法陣の中央に向かって歩き始めた。


「リーシャ。気をつけろ」


「分かっています。でも——今回は、完了させます」


 リーシャが魔法陣の中央に立った。


 碧眼を閉じた。両手を広げた。銀色の光が体から溢れ出し、魔法陣の青い光と——共鳴し始めた。


 部屋全体が震えた。地鳴りのような振動が石壁を伝い、天井から砂塵が落ちてくる。


 レイドの左手が激しく脈動した。紋様が光り、熱を持つ。ヴェルディアの力が——リーシャの覚醒に反応している。


 遠い魔王城で、何かが起きている。レイドにはそれが分かった。紋様を通じて、ヴェルディアの感情が伝わってくる。驚き。そして——希望。


 リーシャの体が宙に浮いた。


 銀色の光が渦を巻き、魔法陣の青い光と完全に融合した。リーシャの銀髪が風もないのに逆立ち、碧眼が蒼い光を放っている。


「——聞こえます」


 リーシャの声が、部屋に反響した。


「地脈の声が。世界の——鼓動が」


 守り手が——目覚めようとしていた。


 その時——地上から叫び声が聞こえた。


「井戸から光が出ている! 侵入者は地下だ!」


 浄罪の目の追跡隊が気づいた。地下からの光が井戸を通じて地上に漏れている。


 レイドは剣を抜いた。今度は、リーシャの覚醒を中断させるわけにはいかない。ここで守らなければ。


 井戸から兵士が降りてくる音が聞こえた。金属が擦れ、足場の鉄棒が軋む。


 レイドは横穴の入口に立ち塞がった。一人ずつしか通れない狭い通路。ここを守れば、何人来ても通さない。


「来い」


 レイドの声が地下に響いた。一周目で磨いた剣技。数千回の戦闘で培った戦いの勘。紋様の力を使わなくても——剣だけで、戦える。


 最初の兵士が横穴に姿を現した。聖教会の審問官。武装している。だが狭い通路では大振りの武器は使えない。レイドの剣が先に動いた。


 審問官の剣を弾き、胸に拳を叩き込んだ。殺さない。人間を殺すわけにはいかない。審問官が吹き飛び、後続の兵士にぶつかった。


「一人ずつ来い。十人来ようが、ここは通さない」


 レイドの目が光った。一周目で何百回と繰り返した戦いの目。死線をくぐり抜けた者だけが持つ、凍りつくような殺気。


 兵士たちが一瞬怯んだ。その間にも、背後でリーシャの覚醒は進んでいく。銀色の光が強まり、地下空間全体が蒼い世界に変わっていく。


 地脈が震えている。世界が——変わろうとしている。


 レイドは剣を構え、横穴の入口を守り続けた。汗が頬を伝い、腕が震える。左手の紋様が痛みを叫んでいる。使いたい。使えば楽になる。だが——


「使わない」


 レイドは呟いた。リーシャとの約束を守る。人間の力だけで、守り抜く。


 二人目の審問官が斬りかかってきた。レイドは身を捻り、剣を払い、蹴りで相手を退けた。三人目。四人目。次々と来る。だが狭い通路がレイドに有利だ。


 背後で——光が頂点に達した。


 リーシャの声が聞こえた。澄んだ声。祈りのような声。


「——受け入れます。柱の力を。守り手として——この世界を支えます」


 銀色の光が爆発した。


 地下空間が白く染まり、壁の古代文字が全て輝き、天井が消え、空が見えた。いや——空ではない。世界の地脈の全容が、光の網として可視化されている。大陸を覆う青い線。赤い警告点。そしてその中心に——魔王城のヴェルディアが、一人で世界を支えている姿。


 その地脈の網に——新しい線が加わった。銀色の線。リーシャから伸びた光が、地脈に接続している。


 守り手が——覚醒した。

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