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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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仮面の夜宴

 鐘の余韻が消えた頃には、王城の大広間は人の熱気で満ちていた。


 シャンデリアから降り注ぐ光が、磨き上げられた大理石の床を白く照らす。弦楽四重奏の旋律が天井の梁に跳ね返り、幾重にも重なって空間を満たしていく。貴族たちの礼服、騎士たちの正装、聖教会の白い法衣——数百の人間が入り乱れる大広間は、華やかさの裏に刃物のような緊張をはらんでいる。


 レイドは壁際に立ち、杯に口をつけるふりをしながら広間を見渡した。


 ——三つの勇者パーティー。一周目と同じ顔ぶれだ。


 広間の中央、最も人だかりができている一角。金髪の青年が朗らかに笑い、周囲の貴族たちと言葉を交わしている。腰に佩いた聖剣の柄が、シャンデリアの光を受けて鈍く輝く。


 アルヴィン・レグルス。勇者Aパーティーのリーダー。


 その隣に控える大柄な騎士——エドモンが、鉄壁のように主の背後を守っている。


 視線を移す。広間の反対側、酒場コーナーの一角で、黒い眼帯の男が椅子の背にだらしなく体を預けていた。ジーク・ヴァンガード。手にした杯を傾けながら、冷めた隻眼で会場を舐め回すように見ている。


 そしてもう一人。若い剣士が、アルヴィンとジークの間を行き来するように歩き回っている。カイル・ドレイク。野心に満ちた瞳が、二人の先輩勇者を食い入るように追っていた。


 レイドの指が、杯の縁を握り締める。


 ——この中の誰が、味方になる。この中の誰が、障害になる。


 一周目では考える必要もなかった。全員が同じ方向を向いていた。魔王を殺す。それだけだった。


 今は違う。


「おい、レイド。そんな隅っこで何してんだ」


 ガレスが人波をかき分けて近づいてきた。赤毛の大男は正装が窮屈そうで、首元のボタンをすでに二つ外している。


「ガハハ、こういう場は苦手でよ。だが飯はうまいぜ。あっちの焼き鳥、食ったか?」


「……ああ。後で行く」


「なんだよ、暗い顔すんなって。明日は認定式だろうが。もっと堂々としてりゃいいんだ」


 ガレスが豪快に笑う。その裏表のなさが、胸の奥を針で突くように痛い。


 レイドは視線をアルヴィンに戻した。ちょうど金髪の勇者が、こちらに気づいて片手を上げるところだった。



  ◇



 バルコニーの夜風が、汗ばんだ首筋を冷やした。


 大広間の喧噪が硝子扉一枚を隔てて遠くなり、代わりに虫の声と噴水の水音が耳に届く。月光が石造りの手すりを青白く染め、その向こうに王都の夜景が広がっている。


「アシュフォード殿、と呼ぶべきであろうか。それとも——レイド、と」


 アルヴィンが微笑んだ。月明かりの下で、その碧い瞳がひときわ透き通って見える。


「レイドでいい」


「では私もアルヴィンと呼んでくれ。同じ勇者の紋章を持つ者同士、格式ばる必要はあるまい」


 差し出された右手。


 レイドはその手を見つめた。一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、視界が暗転する。


 あの手が聖剣を振り下ろした。あの声が「裏切り者」と叫んだ。あの碧い瞳が、殺意に燃えていた。


 ——握れ。ここで不自然な間を作るな。


 右手を伸ばし、アルヴィンの手を握り返す。温かい手だった。剣だこの硬さが掌に伝わる。


「よろしく頼む、アルヴィン」


「こちらこそ。共に民を守ろう、レイド」


 その言葉に嘘がない。それがわかるから、余計に苦しかった。


 アルヴィンが腰の聖剣に手を添えた瞬間、淡い光が刀身の鍔元から漏れた。ほんの微かに——瞬きほどの時間だけ、白い輝きがレイドに向かって脈打つように揺れる。


 アルヴィンの眉がわずかに動いた。


「……珍しいな。聖剣が反応するとは」


「反応?」


「この剣は、通常は私以外には沈黙する。だが今、お前の前で——いや、気のせいであろう」


 アルヴィンは軽く首を振り、話題を変えた。だがレイドの背筋を、冷たいものが這い上がっていった。


 聖剣がレイドに反応した。一周目では起きなかったことだ。


 ——死に戻りの影響か。それとも、別の何かか。


「明日の認定式には、大司教マルティウス猊下自ら神託を下されるそうだ」


 アルヴィンが遠い目で夜空を仰ぐ。


「勇者として選ばれた意味を、改めて噛み締めたい。我々の剣は民のためにある。そうであろう?」


「……ああ。そうだな」


 レイドは頷いた。頷くしかなかった。この男の正義は純粋すぎて、刃のように鋭い。いずれその刃は、レイドの喉元に突きつけられることになる。


 だが今は——今はまだ、仮面を被り続けるしかない。



  ◇



 バルコニーから大広間に戻ると、白百合の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


 振り返る間もなく、柔らかな声が耳に届いた。


「あなたが、レイド・アシュフォードさんですわね」


 白い法衣を纏った女性が、両手を胸の前で組んで立っている。翡翠の瞳が穏やかに微笑み、白い髪が肩に流れていた。


 セレナ・ヴァルハイト。アルヴィンのパーティーの聖女。


「……ああ。君はアルヴィンのパーティーの——」


「セレナと呼んでくださいませ。聖女などという大仰な肩書は、どうにも慣れませんの」


 微笑みながら一歩近づいてくる。周囲の喧噪が、不思議と遠のいた気がした。セレナの纏う白百合の香りが、まるで結界のように二人の周囲を静かに包み込む。


「認定式を前にして、緊張していらっしゃいますか?」


「いや、そういうわけでは——」


「嘘ですわ」


 セレナの声が、穏やかなまま芯を帯びた。翡翠の瞳が、真っ直ぐにレイドを見つめている。


「あなたの瞳には、深い悲しみが宿っていますね」


 心臓が跳ねた。


「……何を」


「失礼をお許しくださいませ。ただ、私は聖女として多くの人の瞳を見てまいりました。戦場から帰った兵士の目、大切な人を喪った母親の目——あなたの瞳は、それらと同じ色をしていますわ」


 レイドは言葉を失った。喉の奥が詰まり、用意していた仮面の下の台詞が出てこない。


 ——見抜かれている。この女は、何を知っているわけでもないのに、核心だけを正確に射抜いてくる。


「お気を悪くされたなら、申し訳ございませんわ。ただ——もし何かお辛いことがあれば、いつでもお話しくださいませ。救いは必ず訪れます」


 セレナが小さく頭を下げ、踵を返しかけた。その唇が、かすかに動く。


「……神の御声が、近頃、遠いのです」


 独り言のように呟かれたその言葉は、喧噪にかき消されてもおかしくないほど小さかった。だがレイドの耳には、鮮明に届いた。


 ——聖女の祈りに、神が応えなくなっている?


 セレナは何事もなかったかのように微笑み、アルヴィンたちのもとへ戻っていった。白百合の残り香だけが、レイドの傍にしばらく漂っていた。


 壇上では、大司教マルティウスが三勇者への祝辞を述べている。老人の視線がアルヴィンに向けられ、ジークに移り、カイルに注がれた。


 レイドには——目を合わせなかった。


 あの微笑みの裏に、何がある。一周目の終わりに見た、あの不可解な笑みの意味を、レイドはまだ解き明かせていない。



  ◇



 前夜祭も終盤に差しかかった頃、酒場コーナーの椅子に腰を下ろしたレイドの前に、琥珀色の液体が入った杯が差し出された。


 蒸留酒の鋭い匂いが鼻を刺す。


「飲めよ」


 ジーク・ヴァンガードが、隣の椅子にどっかりと座った。眼帯の下の傷跡が、ランタンの灯りに陰影を刻んでいる。隻眼が、値踏みするようにレイドを見据えた。


「……どうも」


 杯を受け取る。指先に冷たい硝子の感触が伝わった。


「お前がもう一人の勇者か。レイド・アシュフォードだったか」


「ああ」


「ふうん。あっちの金ぴかとは随分タイプが違うな」


 ジークが顎でアルヴィンの方を示し、杯を煽った。喉仏が大きく動く。


「で、お前はどっちだ。正義のために魔王を殺したいお坊ちゃんか。それとも——報酬目当ての俗物か」


「どちらでもない、と言ったら?」


「へえ。大層なご高説だな」


 ジークの口元が歪む。皮肉の笑みだった。だがその隻眼は笑っていない。鷹が獲物を見定めるような、鋭利な光を湛えている。


 不意に、カイル・ドレイクが小走りに近づいてきた。


「レイド・アシュフォード殿! お噂はかねがね。いつか手合わせ願いたいのですが——いかがでしょう?」


 若い勇者の目が、挑戦的に燃えている。レイドは曖昧に頷き返した。


「機会があれば」


「必ず。約束ですよ!」


 カイルが意気揚々と立ち去った後、ジークが鼻を鳴らした。


「若いってのは、いいもんだな。怖いもの知らずでよ」


 ジークが杯を傾け、最後の一滴を喉に流し込む。空になった杯を卓に置き、立ち上がりかけた。


 そして——足を止めた。


 半身だけ振り返り、レイドの顔を覗き込む。蒸留酒の匂いが吐息に混じって漂い、隻眼の奥に、酔いとは無縁の冷徹な光が浮かんでいた。


「お前、面白い目をしてるな」


 低い声が、喧噪の隙間を縫うように耳に滑り込んだ。


「——戦場を知ってる目だ」


 レイドの指が、杯の表面で凍りついた。


 ジークは答えを待たなかった。眼帯を指で軽く叩き、口角だけを上げて背を向ける。


 その後ろ姿が人波に消えるまで、レイドは身動きが取れなかった。


 ——見抜かれた、のか。


 胸の奥で、仮面に亀裂が走る音がした。

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