信頼の対価
魔王城の玉座の間で、レイドは語り続けていた。
松明の青白い炎が揺れるたびに、壁に刻まれた古代文字が浮き沈みする。ヴェルディアは玉座に腰掛け、紅い瞳を閉じて聞いている。ナージャは壁際に控え、腕を組んで沈黙していた。
「一周目の旅を、最初から話す」
レイドの声は乾いていた。瞼の裏に、もう何百回と蘇った記憶が映る。
「仲間との出会い。ガレス——豪快で、義理堅くて、俺の背中をいつも守ってくれた。ミラ——軽口ばかりだが、誰よりも鋭くて、誰よりも仲間思いだった」
言葉が、喉に引っかかった。
「リーシャ——」
一拍の沈黙。
「俺の知る限り、最も聡明で、最も優しい人間だった。学者としての冷静さの裏に、仲間への深い情を隠していた」
ヴェルディアの睫毛が微かに揺れた。だが目は開かない。
「俺たちは魔王領を目指した。聖教会の教義を信じて。魔王は絶対悪だと信じて。旅の途中で何度も命の危機があった。だがガレスが盾で守り、ミラが道を見つけ、リーシャが傷を癒してくれた」
レイドの右手が、無意識に握り込まれた。
「そしてお前の元に辿り着いた。——あの時の俺は、正義を疑わなかった」
玉座の間の空気が、重くなった。足元の魔法陣が微かに明滅する。
「アルヴィンが先に着いた。聖剣を抜き、お前を前にして宣言した。『世界を光で照らすために、この剣を振るう』と」
レイドの声が、掠れた。
「お前は——抵抗しなかった。一言も反論せず、ただ立っていた。聖剣がお前の胸を貫いた瞬間、俺はそれを正義だと思った」
沈黙が降りた。
「三日後、世界が壊れ始めた」
レイドは一周目の崩壊を、再び語った。空が割れる音。大地が裂ける振動。魔物の咆哮。人々の悲鳴。仲間が一人ずつ消えていく光景。
「ガレスは崩れる橋の上で、俺を逃がすために残った。ミラは子供たちを庇って瓦礫に埋もれた。リーシャは——」
声が途切れた。奥歯を噛みしめる音が、自分にだけ聞こえた。
「倒壊する塔の下で、最後まで治癒魔法を唱えていた。もう体が動かないのに、血まみれで、それでも手を伸ばして——」
レイドの目から、雫が一つ落ちた。石の床に小さな染みを作った。
「俺は全部を失った。世界も、仲間も。そして——お前を殺した俺自身が、その原因だった」
長い沈黙。
松明の炎が揺れる音。魔法陣の低い振動音。それだけが、玉座の間を満たしていた。
ヴェルディアが目を開けた。
紅い瞳が、レイドを見ていた。その奥に、レイドが見たことのない光が浮かんでいた。
「……三千年」
ヴェルディアの声が、震えていた。
「三千年、この場所で世界を支え続けた。先代から引き継いだ時、仲間がいた。同じ志を持つ者たちが。だが——」
ヴェルディアの蒼白い頬を、何かが伝った。
涙だった。
紅い瞳から溢れた雫が、蒼白い肌を濡らし、顎から滴り落ちる。
「皆、先に逝った。魔族であっても、三千年は長すぎる。一人、また一人と。最後に残ったのはナージャと、この玉座だけだった」
壁際のナージャが、唇を噛んでいた。紅い瞳が揺れている。主の涙を見るのは、千年以上仕えてきた中で初めてだった。
「勇者が来るたびに思った。今度こそ終われる、と。殺されれば、この孤独から解放される、と。だが——」
ヴェルディアの声が、途切れた。
「終わらなかった。世界を道連れにする終わりは——望んでいなかった」
涙が床に落ちた。その場所から——微かに、青い光が灯った。小さな、小さな光。花の芽のように、床の石から生まれた光。
レイドは息を呑んだ。ヴェルディアの涙が触れた場所に、生命の光が宿っている。
「お前は——」ヴェルディアが涙で濡れた瞳でレイドを見た。「私を殺した側の人間だ。それなのに、なぜ——助けに来た」
「間違っていたからだ」
レイドの声は、もう掠れていなかった。
「一周目の俺が間違っていた。正義を疑わず、真実を見ようとしなかった。その代償を、世界中の人間が払った。——お前も」
ヴェルディアの目が見開かれた。
「俺は世界を壊した責任を取る。お前が三千年守ってきたものを、もう壊させない」
レイドが立ち上がった。ヴェルディアの前に膝をつく。
「力を貸してくれ。世界を救う方法を、一緒に見つけよう」
ヴェルディアの紅い瞳から、また涙が溢れた。だが今度の涙は、先ほどとは違う光を帯びていた。
「……変わった勇者だな」
その声は、笑っていた。泣きながら。三千年の孤独の果てに、初めて差し伸べられた手を見る顔で。
ナージャが壁際で目を逸らした。主の涙を見てはいけないと思いながら、自分の目も濡れていることに気づいて、唇を噛んだ。
◇
「見せたいものがある」
ヴェルディアは涙を拭い、玉座の裏に回った。壁に手を触れると、石が動き、隠された階段が現れた。螺旋を描いて地下へ降りる、狭い通路。
空気が変わった。魔力の濃度が急激に上がり、肌がぴりぴりと痺れる。レイドの紋章が微かに熱を持った。
階段を降りきった先に、広大な空間が広がっていた。
部屋の中央に浮かんでいるのは——世界の模型だった。
大陸の地形が魔力の光で立体的に描き出されている。山脈、平原、海。そして大陸を貫く地脈の流れが、青い光の線として蠢いている。
「これは……」
「世界の魔力循環を示す模型だ。地脈の流れ、魔力の濃度、均衡の状態——全てがここに映し出される」
レイドは模型に見入った。大陸全土の地脈が、魔王城を中心に放射状に広がっている。リーシャの研究と完全に一致する。
だが——一つだけ、異常な場所があった。
「あそこは——」
模型の中で一点だけ、急速に赤く染まっている場所。大陸の中央。聖ランヴァル王国の王都。
「赤い。他の場所と明らかに違う」
ヴェルディアの瞳が細くなった。
「王都の地下に、巨大な魔力の集中がある。以前はなかった。——誰かが、意図的に地脈を操作している」
「聖教会か」
「確証はない。だが王都の大聖堂の真下に、かつて柱が立っていた場所がある」
レイドの背筋に冷たいものが走った。マルティウスの大聖堂。五大聖堂の一つ。そこがかつての柱の跡地だとすれば——
「マルティウスは柱の残滓を利用しようとしている可能性がある」
「ありえる。だが——利用するにせよ破壊するにせよ、あの赤い光は危険だ。放置すれば、王都を中心に地脈が暴走する」
模型の中で、赤い点が脈動している。心臓のように。不吉な鼓動。
レイドは拳を握った。魔王領での問題。アルヴィンの進軍。ジークの追跡。そして今、王都での新たな異変。
やるべきことが増え続けている。時間は、減り続けている。
「ヴェルディア。お前の残された時間で——この赤い光を止められるか」
「私には無理だ。ここから遠すぎる。そして私の力は、これ以上分散させられない」
「なら——俺が行く」
ヴェルディアの紅い瞳が、レイドを見据えた。そこに先ほどの涙の跡が残っている。
「お前は、何でも一人で背負おうとする」
「それしか——」
「違う」
ヴェルディアの声は静かだった。だが有無を言わさぬ力があった。
「お前には仲間がいる。一周目で失い、二周目で取り戻した仲間が。——使え。信じろ」
レイドは言葉を失った。三千年を一人で過ごした存在に、「一人で背負うな」と言われている。
魔力模型の中で、赤い光が脈動し続けていた。王都で何かが起きている。時間がない。
だが——道は、まだある。




