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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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銀髪の追跡者

 リーシャの碧い瞳は、宿屋の部屋に広げた紙束を見つめていた。


 窓の外は雨だった。宿場町の石畳を叩く雨音が、規則正しいリズムで部屋に染み込んでくる。机の上の蝋燭が揺れるたびに、紙の上の文字が影に呑まれ、また浮かび上がる。


 レイドが「先行偵察」と告げて出発してから、三日が過ぎていた。


 紙束はリーシャが書き溜めた研究ノートだった。地脈の乱れの観測データ。農村の土壌分析結果。北嶺の魔物暴走の記録。そしてレイドの行動を時系列で並べた一枚の図表。


 全てが、一本の線で繋がろうとしている。


 リーシャはペンを取り、図表の余白に書き加えた。


 ——魔王の存在が世界の魔力循環を維持している。その力が弱まると地脈が乱れ、魔物が暴走し、作物が枯死する。


 ここまでは研究データから導ける仮説だった。だがその先に、もう一つの仮説がある。


 ——レイドは、この真実を最初から知っていた。


 学院で読んだ異端の論文。魔力の根源に関する古い文献。そこに記されていた一節が、脳裏を離れない。


 ——「均衡の柱を砕きし時、天地は裂け、万物は還る」


 マルティウスが神託で読み上げた文言と、ほぼ同じ。だが論文の方には続きがあった。


 ——「柱なくして均衡なし。均衡なくして世界なし」


 聖教会が抹消したはずの知識の断片。


 リーシャは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。雨音が遠くなる。


「……レイド。あなたは何を知っているの」


 呟きは、誰にも届かなかった。



  ◇



 翌朝、リーシャは決断した。


 食堂でガレスとミラが朝食を取っている。ガレスは黙々とパンを食べ、ミラは皿の上の干し肉を猫のようにつまんでいた。二人の間に、いつもの賑やかさがない。


「二人とも、聞いてください」


 リーシャがテーブルに地図を広げた。碧眼に迷いはなかった。


「レイドを追います」


 ガレスの手が止まった。ミラの猫目が細くなる。


「先行偵察と言っていましたが、三日経っても戻りません。レイドの行動パターンを分析した結果、彼が向かった先は——東回廊のさらに先です」


「東回廊の先って……魔王領じゃねえか」ガレスが眉を寄せた。


「その可能性が高いです」


 ミラが干し肉を飲み込み、口を開いた。


「あたしの情報筋からも裏が取れてるよ。レイドは東回廊の外れで目撃されてる。一人で、人間の領域の境界に向かって歩いてた」


 ガレスの大きな拳がテーブルを叩いた。食器が跳ねる。


「あの馬鹿。一人で魔王領に突っ込んだのか」


「ガレス。落ち着いてください」リーシャが地図を指した。「東回廊を通って追えば、二日で追いつけます。私の地脈感知があれば、レイドの魔力の痕跡を辿れます」


「行くぜ」ガレスが即答した。「あいつが何を考えてようが、仲間が一人で危険に飛び込んだなら迎えに行く。それが俺たちだろう」


 ミラが肩をすくめた。


「はいはい、異議なし。あたしも猫の好奇心が疼いてるし」


 三人は荷物をまとめ、宿場町を発った。雨は上がり、空には薄い雲が広がっている。風が東から吹き、草原の匂いを運んでくる。


 街道を歩きながら、リーシャは自分の胸に手を当てた。鼓動が速い。学者としての冷静さを保とうとしているが、胸の奥では別の感情が渦巻いている。


 ——レイドを、一人にさせない。


 それは論理ではなかった。データでも仮説でもない。ただ純粋な、感情だった。


 あの日、修練場で再会した時から感じていた違和感。レイドの目の奥に宿る、老成した暗さ。まるで何十年も生きた人間のような、疲弊した瞳。


 あの目を、もう見たくなかった。



  ◇



 東回廊を早足で進むこと一日半。


 ミラの耳が動いた。


「止まって」


 ミラの声に、ガレスとリーシャが足を止めた。街道の脇の林に身を隠す。


「前方に人の気配。——四、五人。武装してる」


 リーシャが目を凝らした。街道の曲がり角の先に、鎧の光が見える。旗印は——


「アルヴィンのAパーティーだ」ガレスが低く唸った。


 旗を掲げているのは、見覚えのある寡黙な騎士。エドモン・グレイシア。アルヴィンの先遣隊を率いて、東回廊の通行を制限しているのだ。


「あそこを通らないと先に進めない」リーシャが地図を確認した。「迂回路は——」


「ないよ」ミラが首を振った。「北側は崖、南側は毒沼。正面突破か、許可を得るしかない」


 リーシャは数秒考え、鞄から一枚の書状を取り出した。王立魔法学院の身分証と、学術調査の許可証。


「私に任せてください」


 リーシャは林から出て、堂々とエドモンの前に歩み出た。


「王立魔法学院のリーシャ・フォルトナです。東回廊先方の地脈調査のため、通行許可を求めます」


 エドモンの冷たい目が、リーシャを見下ろした。鉄色の鎧が陽光を反射し、その体格はガレスに匹敵する。


「勇者アルヴィンの命により、この先への一般通行は制限されている」


「学術調査は一般通行に含まれません。これは王立学院の正式な許可証です」


 リーシャが書状を差し出した。エドモンが受け取り、目を通す。沈黙が数十秒続いた。


「……確認する。少し待て」


 エドモンが部下に伝令を飛ばした。その間にリーシャはガレスとミラに目配せし、小さく頷いた。


 十分後。エドモンが戻ってきた。


「通行を許可する。ただし——」


 エドモンの目が、リーシャの背後のガレスとミラを見た。


「勇者Dパーティーのメンバーだな。アルヴィンに報告する」


「どうぞ」リーシャが涼しい顔で答えた。「学術調査の同行者です」


 封鎖線を越えた後、ミラが口笛を吹いた。


「やるじゃん、リーシャ。あの鉄仮面相手に一歩も引かないとは」


「学者は論理で戦います」


 だがリーシャの手は、鞄の取っ手を握りしめて白くなっていた。


 東回廊をさらに進む。日が傾き始め、木々の影が長くなった頃、ミラが再び耳を立てた。


「別の追手。——後方から。ジークの手勢だと思う。フェリクスの匂いがする」


 リーシャの碧眼が鋭くなった。


「急ぎましょう。レイドが使ったはずの隠し通路を見つけます」


 地脈感知の魔法を発動する。碧い光がリーシャの指先から流れ、地面に沈み込んでいく。数秒後、地脈の流れの中に——不自然な窪みを見つけた。


「ここです。地脈が途切れている場所がある。——人工的な空洞です」


 三人は街道を外れ、岩壁の裂け目に入った。奥に、苔に覆われた石の扉がある。レイドが通った形跡——足跡と、扉の苔が擦れた痕。


 ミラが扉を押し開けた。黴と湿った石の匂いが流れ出す。暗い通路が、地下へと続いている。


「この先が——魔王領ね」


 三人は通路に足を踏み入れた。


 通路を進むにつれ、空気が変わった。湿度が上がり、肌に纏わりつくような重さが増していく。そして——リーシャの体に異変が起きた。


 胸の奥で、何かが震えた。


「リーシャ?」ガレスが振り返った。


 リーシャの手から碧い光が漏れていた。魔力が、制御なしに溢れている。通路の壁に漂う紫黒の瘴気と、リーシャの魔力が——共鳴していた。


「これは——」


 リーシャは自分の手を見つめた。碧い光と紫の瘴気が、指先で渦を巻いている。痛みはない。だが体の奥底から引き出されるような、不思議な感覚。


「私の魔力の根源は——これと、同じ……?」


 ミラとガレスが息を呑む中、通路の出口から冷たい声が響いた。


「勇者の仲間がもう一組?——主は忙しくなるわね」


 紅い瞳が、闇の中で光った。ナージャだった。

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