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勇者だった俺は死に戻りして知った――魔王を殺せば世界が滅ぶので、今度は勇者を止めることにした  作者: ぽんぽこライフ


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北嶺の咆哮

 冒険者ギルドの扉が叩きつけられるように開いた。


 血まみれの伝令兵が転がり込んできたとき、ギルド内の喧騒が一瞬で凍りついた。酒杯を傾けていた冒険者たちが手を止め、カウンターの受付嬢が息を呑む。空気に緊張が走り、暖炉の薪が爆ぜる音だけが妙に大きく響いた。


「北嶺で——勇者Cパーティーが壊滅寸前! カイル・ドレイク殿が重傷、残存魔物多数——救援を要請する!」


 伝令兵の声は掠れていた。鎧の隙間から覗く肌は土と血で汚れ、ここまで駆け通してきたことを物語っている。


 ギルドマスターが壁に張り出された大地図に赤い印を打った。北嶺——エルステッドから強行軍で二日の山岳地帯。レイドは地図を見つめながら、一周目の記憶を辿った。


 ——あの時、カイルは救援が来なかった。パーティーの半数を失い、勇者としての牙を折られた。


「へえ」


 カウンターの隅で酒を傾けていたジークが、興味なさげに杯を回した。


「で、報酬は?」


 伝令兵が言葉に詰まった。ジークは肩をすくめる。


「金にならねえことはしねえ。勇者Cが勝手に突っ込んで返り討ちにあった、ってわけだろ。なんで俺らが尻拭いしなきゃならねえんだ」


「同じ勇者が死にかけてるんだぞ!」


 ガレスが立ち上がった。椅子が石床を引っ掻く音が鳴る。


「見捨てるのかよ、ヴァンガード」


「見捨てるんじゃねえ。優先順位の話だ」ジークは隻眼を細めた。「俺は勝つ側につく。負け戦に首を突っ込む趣味はねえ」


 レイドは静かに立った。


「行く」


 短い一言に、ギルド内の視線が集まった。ジークが杯越しにこちらを見る。


「カイルを見殺しにはしない。出発は一時間後だ」


「おう!」ガレスが拳を打ち鳴らした。「そうこなくちゃな、レイド!」


「了解です」リーシャが地図を確認しながら頷いた。「山道の魔物分布は昨夜のうちに調べてあります」


「はいはい、行くっしょ」ミラが弓を担ぎ直した。猫目が鋭く光る。「置いてかれても困るし」


 ジークは杯を空にして、静かに席を立った。


「勝手にしろ。だが——死んでも知らねえぞ」


 レイドはその背中を見送った。打算で動く男だからこそ、今は無理に巻き込まない。それが正しい判断だ。


 ——だが、いずれジークにも選択を迫る時が来る。



  ◇



 北嶺への山道は、想像以上に過酷だった。


 岩肌を掴む指先が悴む。標高が上がるにつれて空気が薄くなり、吐く息が白く凍った。初春のはずなのに、この高度では冬がまだ居座っている。


「ガレス、左の岩陰に注意しろ。ダイアウルフの爪痕がある」


 レイドは先頭を歩きながら、周囲の痕跡を読んでいた。岩に刻まれた獣の爪痕、踏み荒らされた苔、折れた枝の角度——すべてが情報だ。


「おう。にしてもレイド、お前どこでそういうの覚えたんだよ」ガレスが大盾を背負い直しながら首を傾げた。「まるで何十回もこの山を歩いたみてえだ」


 ——実際に歩いたのは一度だけだ。だがあの一度で、嫌というほど学んだ。


「本で読んだ」


「嘘が下手ですね」リーシャが後ろから呟いた。だがそれ以上は追及せず、足元の岩を慎重に踏んだ。


 山道に散乱する魔物の痕跡が増え始めた。血痕。引きずった跡。焦げた岩肌。戦闘の残滓が、北嶺に近づくほど濃くなっていく。


「ミラ、前方の状況は」


「二百歩先に魔物の群れ——六体。ダイアウルフが四、大型が二。迂回できるけど、時間かかるよ」


「正面突破する」レイドは剣の柄に手をかけた。「ガレス、前衛で引きつけろ。リーシャは火属性で大型を牽制。ミラは高所から弱った個体を仕留めてくれ」


「了解だぜ!」


 ガレスが盾を構えて駆け出す。レイドの指示は一周目の戦闘経験から紡ぎ出された精密な戦術だった。敵の配置、地形の利、味方の特性——すべてを瞬時に計算し、最適な布陣を組む。


 戦闘は三分で終わった。


「……すごいですね」リーシャが杖を下ろしながら、感嘆の息を漏らした。「無駄が一つもなかった」


「ガハハ、こりゃ痛快だ!」ガレスが血を拭いながら笑う。だがその目は笑っていなかった。レイドを見る視線に、かすかな畏怖が混じっている。


 ——まるで歴戦の将だ。こいつは一体、どこでこれだけの経験を積んだんだ。


 ガレスの疑問が視線から伝わってきた。レイドは気づかないふりをして、先を急いだ。



  ◇



 北嶺の戦場跡は、地獄だった。


 血と焦げた土の匂いが風に乗って押し寄せる。岩肌に刻まれた爪痕と剣傷が幾重にも交差し、壊れた武器の破片が散乱していた。地面を覆う赤黒い染みが、ここで何が起きたかを雄弁に語っている。


「ひどい……」リーシャが口元を押さえた。


「あそこだ」ミラが指さした。


 岩陰に、数人の人影が寄り集まっていた。その中心で、一人の青年が折れた剣を杖代わりに立っている。鎧は砕け、左腕が力なく垂れ下がり、額から流れた血が顔の半分を赤く染めていた。


 カイル・ドレイク。


 その周囲を、十数体の魔物が取り囲んでいた。ダイアウルフの群れに混じり、二本足で立つ巨大な獣型魔物——オーガベアが二体。唸り声が岩壁に反響し、腹の底を震わせる。


「レイド!」ガレスが盾を構えた。


「分かっている」


 レイドの目が戦場を読んだ。魔物の配置、カイルたちの位置、地形の高低差。一周目の記憶が、最適解を弾き出す。


「ガレス、右のオーガベアを引きつけろ。盾で受けるな、誘導しろ。あの岩壁に追い込め」


「おう!」


「リーシャ、左のオーガベアに氷結魔法。足を止めればいい。殺す必要はない」


「分かりました」


「ミラ、ダイアウルフの群れを散らせ。急所は狙うな、威嚇射撃で分断しろ。カイルたちとの間に隙間を作れ」


「了解」ミラの声から軽さが消えた。弓に矢をつがえ、岩場を駆け上がる。


「俺がカイルを回収する。三十秒で片をつける」


 レイドが駆け出した。


 ガレスの怒号が右で轟いた。大盾がオーガベアの豪腕を受け流し、巧みなステップで岩壁へと誘い込む。左ではリーシャの氷結魔法が地面を凍らせ、オーガベアの巨体がよろめいた。頭上からミラの矢が連続で飛来し、ダイアウルフの群れが散り散りになる。


 完璧な連携だった。


 レイドは隙間を縫うように走り、カイルの前に滑り込んだ。ダイアウルフが一体、横合いから飛びかかってくる。抜き打ちの一閃が喉を裂き、獣の体が地面を転がった。


「……誰だ」カイルが掠れた声で呟いた。蒼白な顔、焦点の合わない目。だがまだ折れた剣を握っている。仲間を背に庇おうとする姿勢を崩していなかった。


「勇者Dパーティー、レイド・アシュフォードだ。救援に来た」


「……救援」


 カイルの膝が崩れた。レイドがその体を支える。鎧越しに伝わる体温は異常に低く、大量の血を失っていることが分かった。


「もう大丈夫だ。あとは任せろ」


 背後でガレスがオーガベアを岩壁に叩きつける轟音が響いた。リーシャの追撃の氷柱が巨体を貫き、獣が咆哮を上げて倒れる。ミラの最後の一矢がダイアウルフのリーダーの眉間を射抜き、残りの群れが散走した。


 静寂が戻った。


 硝煙と血の匂いが混じった空気の中、レイドはカイルを地面に横たえた。



  ◇



 即席の救護テントの中は、薬草と包帯の匂いで満ちていた。


 リーシャの回復魔法がカイルの傷を塞いでいく。致命傷は免れていたが、消耗は激しい。蒼白な顔に薄く汗が浮かび、時折苦しげに呻く。


「折れた肋骨が三本。左腕は脱臼と裂傷。よくこれで戦い続けましたね……」


 リーシャの声に驚嘆と痛みが入り混じっていた。カイルのパーティーメンバーは四人が負傷、二人が重傷で意識がない。壊滅寸前だった。


「あー、これ本当にギリギリだったね」ミラがテントの外を見張りながら呟いた。「あと半日遅れてたら、全滅してたよ」


「だからこそ間に合ったんじゃねえか」ガレスが腕を組んだ。「レイドの判断は正しかったぜ」


 レイドはカイルの傍らに座り、静かに待った。


 ——一周目では、ここに誰も来なかった。カイルは仲間を半数失い、勇者としての気力を打ち砕かれた。あの目をしていた。すべてを諦めた、空っぽの目。


 今のカイルの目は、まだ光を失っていない。


 やがて、カイルの瞼がゆっくりと開いた。


「……ここは」


「北嶺の麓だ。テントの中にいる」


「俺は……仲間は……」


「全員生きている。重傷者もいるが、命に別状はない」


 カイルの目に水滴が滲んだ。唇が震え、何か言おうとして声にならない。ようやく絞り出した言葉は、かすれていた。


「……すまない。恩に着る」


「礼はいい。体を休めろ」


 カイルは天幕の布を見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「魔物たちが……急に狂ったんだ」


 レイドの手が止まった。


「いつもは縄張りを守るだけの連中が、突然こっちに向かってきた。群れの統制も何もない。まるで……」


 カイルの目が虚空を見つめた。


「鎖が外れたみたいに」


 テントの外で風が唸った。薬草の匂いが揺れる。リーシャがレイドの横顔を見た。その表情が凍りついていることに気づき、息を呑む。


 レイドの脳裏に、一周目の光景がフラッシュバックした。


 ——崩壊の直前。魔物たちが一斉に暴走し始めたあの日。魔王ヴェルディアの力が限界を超え、世界中の魔物を制御する鎖が砕けた瞬間。大地が裂け、空が燃え、すべてが終わった日。


 同じだ。


 同じ現象が、もう始まっている。


「レイド?」リーシャの声が遠く聞こえた。「顔色が悪いですよ。どうかしましたか」


「……いや」


 レイドは拳を握った。爪が掌に食い込む。


 一周目より早い。魔王ヴェルディアの衰弱が、想定よりも速く進んでいる。


 時間がない。


 テントの布が風に煽られ、北嶺の空が覗いた。曇天の向こう——西の方角に、微かに赤い光が滲んでいる。魔王領の方角だ。


 その光が、かつてより弱くなっていることに、レイドだけが気づいていた。

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