対話
三度目の降下。レイド、リーシャ、ヴェルディア。
塔の最上階。球体の前に、イルヴァーンの投影が現れた。
紫の瞳が——リーシャの羊皮紙を見下ろしていた。長い沈黙。
「解いたのか」イルヴァーンが呟いた。「三日で」
「はい」リーシャが一歩前に出た。「世界の最深層の回路の——完全なパターンです。時間方向の対称性を軸にした——自律的均衡の設計」
イルヴァーンが羊皮紙に手を翳した。半透明の指が数式をなぞる。
「……正しい。数学的に——正しい。私は三千年かけて——力で解こうとした。お前は——三日で、数学で解いた」
「ヴェルディアさんのヒントがなければ——解けませんでした。時間方向の対称性は——三千年前の知識なしには発想できない」
「ヴェルディアか」イルヴァーンがヴェルディアを見た。琥珀色の瞳と紫の瞳が交差した。三千年ぶりの——再会。
「久しぶりだな。イルヴァーン」
「ヴェルディア。お前は——変わったな。人間になった」
「お前は——変わっていない。まだ一人で全てを解決しようとしている」
「一人しかいなかったからだ。——三千年の間」
ヴェルディアの目が——揺れた。三千年の孤独。それは——ヴェルディア自身が知っている痛みだ。
「イルヴァーン。リーシャの設計を——認めるか」
「数学的には認める。この設計なら——深淵の力を使わずに世界を完成できる。リスクは——限りなくゼロに近い」
「なら——」
「だが」
イルヴァーンの声が硬くなった。
「この設計を実行するには——十人の魔力が同時に必要だ。しかも——世界の最深層に直接干渉する。それは——この石室からでは不可能だ。世界の核に——直接触れなければならない」
「世界の核——泉のことか」
「ああ。泉の柱が立つ場所。世界の最も深い部分。そこに——十人が降り、同時に力を注ぐ。それが——この設計の実行条件だ」
「泉に降りたことはある。一度」
「だが今の泉には——新しい柱が立っている。柱を一時的に停止し、核を露出させなければ——回路に触れることはできない」
「柱を停止したら——世界は」
「数分なら——大丈夫だ。だがそれ以上は危険だ。柱が止まっている間——世界の均衡が崩れ始める。地震。嵐。魔物の暴走。数分以内に——回路を完成させなければ」
レイドの顔が厳しくなった。
「数分で——世界の回路を完成させる。十人同時に。——可能なのか」
「訓練すれば」リーシャが答えた。「各自が担当する回路を事前に完全に把握し、同時に注入する。——暗記と精密な制御の問題です。時間がかかりますが——可能です」
「訓練には——どのくらい」
「最低一週間。全員が自分の担当回路を完全に把握し、反射的に魔力を注入できるようになるまで」
イルヴァーンが——黙って聞いていた。やがて、口を開いた。
「お前たちが——この方法を選ぶなら。私は——妨害しない」
全員がイルヴァーンを見た。
「本当か」レイドが聞いた。
「三千年——一人で考えた。一人では——見えないものがあった。時間方向の対称性。それは——私の盲点だった。一人では——永遠に見つけられなかった」
イルヴァーンの紫の瞳が——潤んだように見えた。半透明の体では確認できないが。
「だが——条件がある」
「何だ」
「私も——参加させろ。十一人目として」
「参加——?」
「私の力を——回路の完成に使え。封印の中から——力を送ることはできる。十人では不足する可能性がある。十一人なら——余裕ができる」
「それは——封印を破ることにならないか」ヴェルディアが警戒した。
「封印を破るのではない。封印を通じて——力だけを送る。魂の断片が礎石にある四人は——すでに私と繋がっている。その経路を使えばいい」
「信用できるか」
イルヴァーンが——微かに笑った。
「三千年——信用されなかった。当然だ。だが——この問題が解ければ。世界が完成すれば。封印も不要になる。深淵も消える。——私も、自由になれる」
「自由——」
「三千年の牢獄から。——ヴェルディア。お前は自由になった。私も——なりたい」
ヴェルディアが——長い沈黙の後、頷いた。
「信用する。——一度だけ」
「充分だ」
塔の赤い光が——少しだけ、穏やかになった気がした。
レイドは石室に戻り、全員に報告した。
「イルヴァーンが協力する。——俺たちの方法で、世界を完成させる」
「世界を——完成させる」アルヴィンが復唱した。聖剣の金色の光が——強く輝いた。
「ああ。泉の柱を一時的に止め、世界の核に十人で降り、回路を完成させる。——俺たちの最後の仕事だ」
全員が——顔を見合わせた。不安と、期待と、覚悟が——入り混じった顔。
「訓練を始めよう。一週間後に——泉へ降りる」
深淵の底で交わされた約束が——世界の運命を変えようとしていた。




