嘘と真実の境界
朝食の席で、リーシャの碧い瞳がレイドを捉えた。
廃屋の焚き火跡。ガレスが粥を煮ている鍋から湯気が立ち、ミラは猫のように丸まって毛布の端を齧っている。穏やかな朝だった。だがリーシャの目だけが、平和とは無縁の光を帯びていた。
「レイド。少し、二人で話せますか」
ガレスが「おっ」と目を丸くし、ミラが「あらあら」と唇の端を上げた。レイドは無表情を保ちながら頷いた。
廃屋の裏手。朝靄が足元を這う草地に、二人は向かい合って立った。リーシャの銀髪が朝の光に透けている。
「昨夜の件について」
「……ああ」
「魔族の気配がしたのは事実です。嘘をつかないでください」
レイドは唇を結んだ。リーシャの目を見る。この碧い瞳に嘘は通じない。だが全てを語るわけにもいかない。
「……情報を集めている」
「情報?」
「魔王を倒すと世界に取り返しのつかない影響がある可能性がある。それを調べている」
半分の真実。嘘ではない。だが核心——死に戻りのこと、一周目の記憶のこと——は隠したままだ。
リーシャの碧眼が細くなった。学者の目だ。与えられた情報を精密に分析し、矛盾を探り出す目。
「魔王を倒すと世界に影響がある。それは……私の研究と符合しますね」
レイドの心臓が跳ねた。
「地脈の乱れ、長老の言い伝え。そしてあなたの行動パターン。点と点が繋がり始めています」リーシャは腕を組んだ。「完全には納得していません。でも、あなたの行動に一貫した論理があることは認めます」
「……信じてくれるのか」
「保留です。科学者は証拠なしに結論を出しません」
リーシャが小さく微笑んだ。その微笑みの裏に、複雑な感情が渦巻いているのをレイドは感じ取っていた。信じたいのに信じる根拠が足りない。学者としての知性と、仲間としての情が、リーシャの中で綱引きをしている。
「もう少しだけ時間をくれ」
「……分かりました。ただし条件があります。命に関わる状況になったら、必ず話してください。仲間に黙って死地に飛び込むことだけは、許しません」
レイドは頷いた。その約束を守れる自信がなかったが、今はそれしか言えなかった。
◇
中継都市エルステッドに到着したのは、その日の夕方だった。
石壁に囲まれた中規模の都市。東回廊の中間地点に位置し、商人や冒険者が行き交う交通の要衝だ。宿屋や酒場が軒を連ね、活気のある市場からは香辛料と焼き魚の匂いが漂ってくる。
市場通りを歩いていた時だった。
「よう。奇遇だな」
聞き覚えのある、ぶっきらぼうな声。
振り返ると、ジーク・ヴァンガードが路地の壁にもたれて立っていた。黒い眼帯に無精髭。片手に半ばまで飲んだ酒瓶をぶら下げている。
「ジーク」
「南回廊を行くって言ったろ。まあ、道中で用があってな。こっちに寄っただけだ」
ジークが歩み寄り、レイドの隣に並んだ。酒の匂いが漂うが、目は酔っていない。冷徹な隻眼がレイドを横目で見つめている。
「お前、東回廊を選んだ理由は何だ」
「情報収集に適したルートだ」
「嘘だな」ジークが酒瓶を振った。「東回廊は情報なんて何もねえ道だ。わざわざ選ぶ理由がない——戦略的に不自然だ」
レイドは表情を動かさなかった。だがジークの洞察は正確だ。この男は利害で動くからこそ、他人の行動の動機を見抜く力がある。
「……考えすぎだ」
「そうかい」ジークが薄く笑った。「まあいい。俺は金にならねえことには首を突っ込まねえ主義だからな」
だがジークの背後で、フェリクスが物影からレイドを観察しているのを、ミラの目は見逃さなかった。
ジークが去った後、ミラがレイドの肩を叩いた。
「ねえリーダー。あのジークって人の後ろにいた男——ずっとあんたを見てたよ。眼鏡かけた、ひょろっとした魔法使いっぽいやつ」
「フェリクス・オーウェンだ。ジークの参謀役」
「へえ、知ってるんだ。あたしの鼻によると、あの男ヤバいね。静かだけど、やることはえぐい系」
レイドは頷いた。フェリクスの調査能力は一周目で嫌というほど知っている。裏社会の情報網を使い、対象の行動を緻密に追跡する男だ。
「気をつけておく」
「あたしも目を光らせとくよ。まあ、猫の目はそう簡単には騙せないしね」
ミラが片目をつぶった。その軽さの裏に、確かな覚悟が見えた。
◇
冒険者ギルドの掲示板に、緊急の依頼が貼り出されたのはその夜のことだった。
赤い枠で囲まれた大きな紙。文字は走り書きで、明らかに急を要している。
「北嶺方面で魔物の大量発生。複数の村が被害。勇者Cパーティーが行動不能に陥った模様。至急、救援を求む」
ガレスが掲示を読み上げ、眉を顰めた。
「カイルのパーティーがやられたのか。あの坊主、北嶺なんて危険な道を選ぶから——」
「魔物の大量発生……」リーシャが考え込む。「この時期に北嶺で? 通常の生態系では考えられない規模ですね」
ミラが掲示板の前で腕を組んだ。
「あたしの情報筋でも、北嶺方面はヤバいって聞いてた。魔物が急に増えたって。さっきの農村の話と同じパターンじゃない?」
レイドは掲示を見つめていた。
「始まった」
呟きは、仲間に聞こえないほど小さかった。
一周目でもこの時期に起きた事件だ。魔王ヴェルディアの衰弱による魔物の制御崩壊。最初は小規模な凶暴化から始まり、やがて大量発生に至る。カイルのCパーティーは、その最初の大波に呑まれた。
一周目では、レイドはこの事件を遠く離れた場所で知り、何もできなかった。
今は違う。ここにいる。
「救援に向かう」
レイドの声に、三人が振り向いた。
「おいおい、勇者Cパーティーを助けるのか?」ガレスが目を丸くした。「競争相手だろうが」
「勇者が勇者を見捨てるのか?」
ガレスの表情が変わった。拳を握り、分厚い胸板を叩いた。
「——そうだな。俺たちは勇者だ。行こう」
リーシャが頷き、ミラが「はいはい、了解」と肩をすくめた。
ジークが遠くのカウンターからそのやり取りを見ていた。酒瓶を傾けながら、隻眼が冷ややかに光る。
「金にならねえことをするな、あの男は」
フェリクスが隣に立った。
「ジーク。あの勇者D——レイド・アシュフォードですが。行動が不自然です。もう少し調べたほうがいいのでは」
「好きにしろ」ジークが酒を煽った。「ただし——泳がせろ。まだ面白くなりそうだからな」
フェリクスは薄く笑い、人混みの中に消えた。レイドの行動を追跡するために。
同じ頃、レイドは宿屋の部屋でベッドに腰を下ろしていた。窓の外にエルステッドの夜景が広がっている。街灯の明かりが石畳を照らし、酒場から陽気な歌声が漏れ聞こえてくる。
——北嶺の魔物暴走。カイルの危機。ジークの接触。フェリクスの監視。
問題が四方から押し寄せてくる。だが最も急を要するのは、カイルの救援だ。一周目の記憶では、カイルのCパーティーは壊滅寸前まで追い込まれ、勇者としての力を大きく削がれた。もしここで救えれば、カイルを味方にできるかもしれない。
同時に、ヴェルディアとの会合も近い。二つの課題を同時に処理しなければならない。
リーシャが部屋のドアをノックした。
「明日の行軍計画を確認したいのですが」
「入ってくれ」
リーシャが地図を広げ、北嶺への最短ルートを指で辿った。碧眼が真剣に光っている。
「ここから北嶺まで強行軍で二日。通常の街道を使えば三日ですが、山道を抜ければ短縮できます」
「山道は魔物が多い」
「ええ。でもガレスの盾とミラの偵察があれば、不可能ではありません」
レイドは地図を見つめた。北嶺。一周目で最も多くの血が流れた場所の一つ。
「行こう。強行軍で」
リーシャが頷いた。その瞳には、もう追及の色はなかった。今は仲間としての信頼だけが残っている。
レイドはその信頼の重さを、痛いほど感じていた。




