演劇部の謎
意識が朦朧としている中、脇腹の痛みでまた目が覚める。
後ろからは冷徹な足音がこちらに向かってくる。
「なんで私がこんな目に……」
真っ赤に燃える夕日の中で、私はまた走り出すのだった。
――あんな相談、受けなければよかった……。
夏の土曜の昼下がり、部室で一人、本を読む。
大きく開けた窓からの風で私のスカートが揺れて、顔に当たる風も心地いい。
「この章を読んだら帰ろ」
そうつぶやいたとき、部室の廊下が見える窓の方からドタバタと走る音が聞こえてきた。
廊下を走っている二人は、楽しそうに何かを話しながら、屋上や中庭を指さしている。
楽しそうだねぇと思いながら、私は読んでいる本に集中する。
少し時がたって――
コンコン。部室の扉がたたかれる。誰だろうか?
「は~い!」
本を閉じ、扉に向かって適当なボリュームで叫ぶ。
建付けの悪い扉をガラガラと開けた。窓から来た風を受けて、結んでない髪の毛がバサバサとなびく。そこにいたのは前田だった。
「おつかれ~! 一人で忙しく本読んでるとこ悪いね~」
悪びれず言う態度に、私は少しムッとする。
「相談ないなら帰ってくれます?」
本を開き、また読み進める。
「ちょっとちょっと! 今日は相談があってきたの!」
前田は私の机に走ってきて、机を叩いてこう言った。
「なくなった演劇部の“ある物”を探してほしいの! たまには部活動したいでしょ!」
前田は目をキラキラさせて訴えてくる。
「はあ〜、わかった、やるわ」
机に手をついて席を立つ。
「そうこなくっちゃ!」
前田は笑顔でそう言った。
私、田中夏子の所属する部活は「相談部」(あいだんぶ)。
変な名前の理由は、前の部長が面白がってつけたものらしい。
部員は私だけなので、二年にして部長だ。
ちなみに前田は演劇部。
「それで、何がなくなったの?」
私は前田に聞いた。
「それが〜……何がなくなったか、わかんなくって」
前田が後ろ髪を触りながら言う。
「は?」
それがわからなかったら探しようがないでしょ……私は困惑した顔を前田へ向けた。
「まあそう言わずに、ほら着いたよ」
着いたのは演劇部の部室。空き教室を再利用してるようだ。
前田が演劇部の扉を開けると――
中から演劇部の中川先生が飛び出してきた。
「うわ! ごめんね! 急いでるから!」
先生は私たちが来た方へ走っていく。
教室の中を見ると、たくさんの演劇部の生徒たちが、発声練習をする時間なのに、デジカメを囲んで騒いでいた。
こんなにも人がいると暑いから、何人かは教室を出ればいいのに。
囲いの外側には見慣れない人が数人いた。
「あの人たちはOB。二年前に卒業して、今日は遊び兼コーチとして来てるの」
前田が私に向かって言う。
「結局どこの何がなくなったそうなの?」
私はそんなことはどうでもいいという顔をして、前田に聞くと、前田は
「こっち」
と教室の後ろにある、ハンガーラックに飾られた衣装と本棚がある一角に案内された。
「ここなの」
前田が指を指す。そこにはハンディカメラ、三脚、そして普通の学校の景色の写真と、少し色褪せたような黄色味がかっている演劇部の集合写真とビデオがあった。
「集合写真の方に写ってるの、今日来ているOBじゃない?」
私は前田に写真を見せながら問う。
「そうそう、多分二年前に撮ったばっかりなのに、写真の劣化って意外と早いんだよね」
前田は驚くように答える。
前田は二つともデジカメで撮ったと思っているが、いくら日光が当たっているとはいえ、劣化で独特な黄色みがかかるとは思えない。
デジカメの劣化は色素が薄くなるような感じで、この集合写真はどちらかというと……。
「前田が“ない”って言ってるモノって、これ?」
私はスマホで調べて写真を見せる。
「おお! これこれ! よくわかったね。名前は……写ルンです?」
「まあ、わかってよかった。じゃ!」
後ろを向いて右手を挙げて帰ろうとする。だが――
「ちょっと! まだ謎は解けてないよ!」
前田が私の肩をつかみ、正面を向かせる。
「私は“探してほしい”って言ったの!」
機材置き場を見ると、確かに写ルンですはなかった。すると後ろから――
「なに? 揉め事?」
声の主は演劇部のOBだった。顔は女性だが、体は私よりも格段に大きく、男性のように筋骨隆々だ。
「そうなんです! こいつが写ルンですの場所を推理してくれなくて!」
前田がチクる。
「写ルンです……? ああ、カメラのことか。あれなら……」
私を見て何かを思いつき、にやりと微笑む。
「先輩はその場所を知っているんですか?」
私はOBに聞いてみる。だが返答は私が求めているものとは違った。
「ねえ、探偵さん? 勝負しない?」
「勝負って?」
「写ルンですの場所を当てられたら探偵さんの勝ち。分からなかったら負けってのはどう? ちなみにあなたが勝ったら報酬があるわよ」
「それは魅力的ですけど……先輩は答えをわかっているんですか?」
「ええ。時間は……もうすぐ帰ってくるでしょうから、先生が帰ってくるまでにしましょうか」
先輩は体よく進めていく。
「ちょっと待ってください! 私はやるなんて一言も――」
私がやらないことを伝えようとした時に、先輩の顔はにやりと笑って。
「あら、ごめんなさい。そうよね! あなたの推理力じゃわからないかもしれないものね……」
にやけた顔で先輩は演技交じりに私を煽る。ちょっとムカついてきたので言ってやった。
「わかりました! 先輩の厚化粧の中身と一緒に謎を暴いて見せますよ!」
先輩は瞼をピクピクと引きつらせながら「そ、それではスタート」と言って元の場所へ帰っていった。
「さすがは相談部の部長! 頑張ってね!」
前田が私の肩を叩いて応援する。……やっぱり引き受けなければよかったかも。
「と、とにかく、今気になっていることを挙げていくわ」
周りを見て、気になったことを右ポケットに入っている生徒手帳に記していく。
部室に来たときの先生の態度
教室の前にできているデジカメの人だかり
このくらいかな?
「先生は出ていく前の様子はどうだったの?」
「デジカメを触る前までは知ってるけど、それよりも前は知らない」
「知らない? ……それはなんで?」
「走りに出てたからだよ。だいたい30分前くらいかな」
「その間、部室には先生とOBだけ?」
「そう。私たちは走りに出てたからね」
なるほど……(手帳に記す)
「次は、人だかりのところへ行ってみましょうか」
人だかりへ行き、前田と話題の中心であるデジカメを触らせてもらう。
「これ、つかないよ。壊れてる」
前田がデジカメを触りながら言った。私は周りにいる生徒たちに聞く。
「先生が大急ぎで出て行った理由、知ってる?」
「さあ……。でも、先生はデジカメが壊れてるってわかった瞬間に、何かを思いついて急いで出て行ったの」
「わかった、ありがとう」
感謝を伝えて元の場所へ戻る。
「わかった! 先生は『写ルンです』に見られてはいけないものが写っていて、壊したり隠すために慌てて出ていったんだよ!」
――いや、それなら「写ルンです」を部室に置いたままにするはずがない。
それに、先輩は「もうすぐ帰ってくる」と言っていた。つまり、先生が“回収しに行った”ことを知っている。
このことから、写ルンですは“どこにあるか正確にわかっている”ということになる。
つまり、先輩は確実にその所在を知っている。
否定はできる。でも現状じゃ、まだ答えには程遠い気がする……。
そう考えていると、ふと前の方から気になる声が聞こえた。
「ねえ。この後行くところあるのに……大丈夫かな」
先輩の友達が先輩にそう話しかけていた。
それを聞いた瞬間、先輩の挙動が明らかに変わった。焦りの色が浮かび、スマホで誰かにメッセージを送り始める。
……勝負だから時間を気にするのは分かる。
でも、“勝負を知らない友達”に言われて焦るのは、ちょっとおかしい。
きっと、何か他にも見逃していることがある――。
「ねえ。大丈夫?」
前田が俯いて考えている私の顔を覗き込んで言った。
私は顔を上げて、改めて周囲を見る。
すべての事柄が、結びついていく。
答えが、じわじわと湧き出してくる――。
「前田! 今ここにいる演劇部の生徒は全員?」
前田がびっくりして答える。
「そ、そうだけど?」
「先輩が卒業してから、演劇部に来たのは今日が初めて?」
「うん、そう」
私は息を吸って、答える。
「……わかった」
30分間、何があったのか?
写ルンですはどこにあるのか?
なぜ先生は慌てて出ていったのか?
先輩が答えを知っていた理由――
先輩も察して、近づいてきた。
「時間もないし、答えを聞いてもいい?」
先輩はワクワクした顔で言った。
「まず、なぜ先生が慌てて出ていったのか?」
「それは、先輩方にこのあと急いでいる用事があるからではないんですか?」
先輩は目を見開く。
「ああ、急いでいる……。それと先生が何の関係があるんだ?」
「関係は大いにあります。急いでいることを、先生には伝えていたんですよね?」
「……ああ」
「次に、“30分間何があったのか”です」
「それは、写ルンですを“誰か”が借りていったんだと、私は思います」
「そう思った理由は、カメラの数です。ひとつはデジカメ。もう一つは写ルンです。
この部室にはふたつカメラがあり、写ルンですの方が性能は低い。先生としても、貸しても問題ないと判断したはずです」
「そして先輩は、“誰が持っていったのか”を知っているのではありませんか?」
「……ああ」
「それは、“さっき私の部室の前を通って行った二人の女子生徒”です」
「えっ、誰それ!」
前田が困惑した顔で叫ぶ。
「その二人は、前田が来る前に、廊下を走って通り過ぎていきました。
でも、ただ走っていたわけではありません。屋上や中庭を指さしていた。
つまり、何かの撮影スポットを探していた、ということです」
私はスマホで、さっき検索した写ルンですのページを見せる
「なにこれ? 芸能人の写真? 普通の写真ぽくないね。まるで――」
「そう、“写ルンです”で撮った感じよね。そして、説明欄には《#写ルンです》」
「つまり二人の生徒は、この芸能人の投稿を見て、自分たちもやりたいと思い、写ルンですを借りに来た。
場所を知っていたのは、先生が日頃から『演劇部には写ルンですがある』という話をしていたから。
そして先輩は、たまたまその場にいて、それを目撃した――違いますか?」
先輩が、ひるむ。そして、私はラストスパートをかける。
「では、まとめます」
「30分前、先輩と先生が教室にいたとき、二人の女子生徒が『写ルンです』を借りに来た。
先生は『カメラは二つあるからいいか』と貸し出した」
「その後、演劇部が走り込みから戻り、前田が写ルンですがないことに気づいた」
「先輩たちは、このあと用事があると先生に伝えた。
すると先生は、せっかく来てくれたからと、デジカメで全員と集合写真を撮ろうとする」
「しかし、デジカメは壊れていた。だから先生は、写ルンですを回収するために、急いで部室を飛び出した。
その瞬間、私たちと鉢合わせた――」
「これが、私の推理です。……当たっていましたか?」
先輩はしばらく無言のまま、にこりと笑い、こう言った。
「最後に一つ、いいですか? ――なんで先生は、自分のスマホで写真を撮らなかったと思います?」
私は即答する。
「廊下を走ることを注意するような人間が、廊下を走っている時点で……
そこに気づくのは、難しかったと思いますよ」
先輩が嬉しそうな顔でうなずいたあと、ぽつりと言った。
「……完敗だ」
すると、扉の方から声がした。
「ごめん! やっと回収できたよ~! 今から集合写真を撮ろうと思うから、集合して~!」
先生がみんなを集合させ、撮影の準備を始めていく。
「あなたも行きましょ」
先輩が私に声をかける。
「私は部外者ですから……」
足早に去ろうとする私を、先輩と前田が無理やり撮影場所へ連れていく。
カシャッ
写ルンですのシャッター音が鳴る。
撮った写真は確認できない。現像してからのお楽しみだ。
「ああ、そうだ! これ、報酬ね」
先輩から渡されたのは、スポーツ用のTシャツと短パンだった。
「報酬にしては珍しいですね」
私が眺めながら言うと、先輩は――
「よし、それを着たらグラウンドに集合だ。遅れるなよ」
……困惑する私が尋ねる。
「用事は大丈夫なんですか?」
「ああ、今から始めるからな」
――それって、もしかして……?
そして今に至る。
先輩は、走っている部員たちに怒号を飛ばしている。
「おい! 遅いぞ! もう一周するか?」
「田中! お前は遅すぎるから、もう一周だ!」
……この対応の差は、絶対に“厚化粧”のことを根に持っているに違いない。
その後、ヘロヘロになって見上げた空は、真っ赤に染まった綺麗な夕焼けだった。
あああ