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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第1章
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第8話

「……起きたか」

 クラリスが目を開けると、真っ先に、不機嫌な顔をしたヴァレクと目が合った。

 ずっとクラリスを見ていたのだろうか。暇つぶしをするような本を持っているわけでもなく、周囲に何かがあるわけでもない。

 窓から差し込む光はオレンジで、夕方であると分かる。

 生温い風が吹く。レースカーテンを揺らし、ヴァレクの銀の髪も柔らかく流されていた。

「あら、私、寝てしまったんですね」

「寝ていたというか、気絶していたな」

 ヴァレクはそう言うと、聞こえよがしに深いため息を吐き出す。

「……三日、寝ていたんだぞ。無理はするなと常々言っていただろうが」

「だって……領民の方を早く救わなければと」

「それでお前が無茶してどうなんだよ。死ぬつもりか?」

 クラリスの言葉を聞くたびに、ヴァレクの表情が険しくなっていく。

 その表情は、クラリスが十六のときに倒れて以来、見ていなかったものだ。

「……すみません。ご心配をおかけして」

「二度とやるなよ。いいか、俺が見ていなくても無茶はするな」

「それは分かりませんが……」

「あ? お前、俺より早く死ぬとか許さねえぞ」

 自身の頭をがしがしと乱暴にかき混ぜながら、ヴァレクは苛立つままに言葉を吐き出す。

 クラリスの脳は妙にスッキリしていた。眠ったからだろう。そんな思考だからか、ヴァレクの感情が真っ直ぐに伝わる。

「ふふ、ええ。今回のことで少し学びましたから、これからは気をつけます」

「……何をだよ」

「私が頑張ると、レオンハルトにも無茶をさせてしまいます。それに、ノールウェンの嘆願書も、私のやり方のせいで気付いてもいませんでしたし……きっと、効率や正論ばかりが正しいとは限らないのです」

 クラリスは落ち込んだように、自身の口元までシーツを引っ張り上げた。

「そこは嘘でも、俺を心配させたくねえとか可愛いこと言っとけ」

「だって、ヴァレク様はいつも心配されているじゃないですか」

「分かってんなら心配させないようにしろ」

 ヴァレクの手が、クラリスの頭を優しく撫でる。その手は普段言葉遣いの悪いヴァレクからは想像がつかないほど優しく、クラリスは思わず笑ってしまった。

「ヴァレク様が居るということは、ルーちゃんも戻ってきたんですね」

「ああ。むしろ、帰ってこられたのはあいつのおかげだな。だいぶ怪我を負っていたが……おい、起きるな」

 クラリスが起き上がると、ようやく穏やかになっていたヴァレクの表情が、またしても険しく変わる。

「ルーちゃんの顔も見たいですし、領民の方の対応をしないと……」

「……はぁ。本当、早くどうにかしねえとなぁ……」

 ヴァレクは呆れたようにしながらも、立ち上がろうとするクラリスを支えていた。何を言っても無駄だと思ったのだろう。クラリスの腰を抱き、ピタリと張り付いて歩く。部屋を出ても、廊下を歩いていても離れないために、クラリスはとうとう眉をひそめた。

「……ヴァレク様、歩きにくいのですが……」

「これはクラリスを介抱していると見せかけたただのアピールだ、気にすんな」

「気になります……」

 決して介抱する距離感ではない。そもそも誰にアピールをしているのか。

 クラリスはすべてが気になったが、どうせよく分からないことを言われて煙に巻かれる流れになることも分かっていたから、あえて何も言わなかった。

 やがて玄関ホールにたどり着くと、使用人がそっと扉を開く。

 微かに開かれたそこから外を見れば、相変わらず領民は集まっていた。しかし最初より数は減っている。あと数日ほどで対応も終わりそうだった。

 真っ先に見えた背中はルーシンだ。どうやらクラリスの代わりに対応してくれていたらしい。そしてその隣に、なかなか珍しい姿があった。

「まあ! リリュエルちゃん! ルフテン大聖堂から来てくれたんですか!?」

 ひっそりと覗いていたクラリスは、思わず大きな声を出してしまった。

 傷テープやら包帯やらを巻いたルーシンと、その隣に居た西の聖女、リリュエル・フロレンティアがぼんやりと振り返る。ルーシンは「起きたの!?」と素直にクラリスが起きていることに驚愕していたが、リリュエルは眠たげな目を向けるだけだった。

「こんにちは、クラリスさん」

 ルフテン大聖堂は、西の大聖堂である。このルステリア王国で聖女が居る大聖堂の一つであり、クラリスやルーシンの同僚にあたる人物だ。

「グラディス伯爵が一昨日大聖堂に来てね、僕の出張をセリオン司教に頼み込んでいたよ。クラリスさんが一人で大変そうだって、代官の人から聞いたからってさ」

 そういえばディモンが伯爵家に行くと言っていた早朝、クラリスは作業に埋もれていたかもしれない。まさかあの状況を伯爵に相談しているとは思ってもいなくて、クラリスは遠くで領民の列に声かけをするディモンの背をなんとなく見ることしかできなかった。

「あんたは休んでなさいよ。ここは私たちだけで充分。ね、リリュエル」

「うん。ルーシンさん、僕の五倍くらい早くさばくんだよ。すごいよね」

「あんたの動作が遅いのよ……!」

 ルーシンはそう言いながら、のんびりとマイペースに言葉を紡ぐリリュエルと共に、領民の対応をすべく元の場所に戻っていく。

「……レオンハルトは」

「レオンハルトは休ませている。あいつもだいぶ無理をしていたようだったからな」

 クラリスがぼんやりとルーシンたちを見ている横顔は、なんだか迷子の子どものようだった。ヴァレクはそんなクラリスを見て、支えていた腰をさらに引き寄せる。

「一人で無茶なんかしなくても、助けてくれる奴らは居る。もっと周りを信用して、頼ったらどうだ」

 ヴァレクの言葉にクラリスはどう思ったのか。じっと外の様子を見るクラリスからは、言葉は返らなかった。


 結局、領民の対応を終えたのはそれから三日後のことだった。

 領民の白骨化は無事治り、ノールウェンはかつての活気を取り戻した。そして治療の間にグラディス伯爵も礼にと訪れ、各大聖堂に多額の寄付をすると小切手を渡して帰っていった。リリュエルだけは「僕別に何もしてないけど……」と不思議そうだったが。

 兎にも角にも、ようやく静けさを取り戻したクラリスたちは、ディモンの屋敷で最後の夜を過ごしていた。

「本当にありがとうございました。皆様のおかげで、ノールウェンは蘇りました」

 涙混じりに、ディモンは深く頭を下げる。

 夕食どき。広いホールに呼ばれたクラリスたちは、伯爵家からやってきた料理人たちの自慢の料理を楽しんでいた。

「そもそも私の責任なので、大丈夫ですよ」

「ええ本当にそう。嘆願書を名前順にしなきゃ良かったのよ」

「まあルーちゃん、大好物のニンジンを取り忘れていますよ」

「ちょっとやめてよ! ニンジンはこの世界で二番目に嫌いなの!」

 にこやかなクラリスの正面から、ルーシンがキッと鋭く睨みつけた。クラリスの隣に座るヴァレクは上品な仕草で、静かにフォークを進めている。

 ルーさんの隣では、相変わらず眠たげなリリュエルがのんびりと手を動かしていた。

「あ、そうだ」

 黙々と食べていたかと思えば、リリュエルが何かを思い出したように声をあげる。

「クラリスさん、ルーシンさん、聖女狩りって知ってる?」

 不穏な単語に、ヴァレクが手を止める。

「なんだそれは」

 そして疑問は、そのままヴァレクの口から漏れた。

「……聖女だけじゃなく、聖女になりたい人や、祈りの魔法を使える人たちが、こぞって狙われている事件ですよ。その多くは、傷害事件が多いと聞きました」

 リリュエルは相変わらずのんびりと、マイペースに言葉を続ける。

「犯人は黒いマントを被っているらしくて……なんか、怪しい見た目をしているみたいですね。目的はわかりません。傷害事件が多いというだけで、誘拐されたりもあるみたいですし……」

「リリュエルちゃん、その事件、いつから起きているんですか?」

「さあ……いつだったかな……セリオン司教から言われたのは、半月くらい前……いや、もっと前だったかな……分かんないけど、そういう事件が起きているから、一人で行動しないようにって言われた」

 クラリスとルーシンは目を合わせ、リリュエルへ視線を戻す。

「犯人は捕まっていないんですね」

「うん、そうみたい。警備隊の人たちは『聖女の力に怯えた他国の侵略だ』って言ってたけど……どうなのかな」

「ありがとうございます、リリュエルちゃん。気をつけますね」

「うん。気をつけてね」

 それからは和やかな食事会が進んだのだが、その食事会を見守るように立っていたレオンハルトとヴァレクだけは、最後まで表情が固かった。

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