第6話
そういえばこの空間では魔法がうまく使えないなと、ヴァレクは自身の剣に触れながらぼんやりと考えていた。まったく使えないわけではない。それこそ簡単な魔法なら使えるのだろうが、複雑な転移魔法は弾かれてしまう。
つまりこの場では肉弾戦が一番有効だ。もちろんヴァレクは、魔法がなくとも弱いわけではないのだが。
「……まぁ、あの様子なら北の聖女も大丈夫か……」
少しばかり考えたヴァレクは、少し離れた場所で打ち合っているルーシンを見て、まったりと椅子に深くもたれかかった。
そんなヴァレクの視線の先では、ルーシンとアナスタシアがぶつかり合っていた。
アナスタシアの影が強い一撃を打ち込むが、ルーシンの聖槍がその衝撃を殺して受ける。
聖槍が影を弾く。アナスタシアの体勢が崩れたところに、ルーシンは容赦無く聖槍を振るった。
「この雑魚女! どの口が罵ってんのよ! 下町育ちなめんじゃないわよ!」
聖槍がアナスタシアの影に直撃した。しかし影は痛みながらも怯むことなく聖槍を押し返し、ルーシンの足を払う。低いそれを、ルーシンはうまくかわした。その動きを読んでいた影が、避けたルーシンを弾き飛ばす。
とっさに自身を庇うように聖槍を盾にしたが、ルーシンは大聖堂の壁に叩きつけられた。
「私ダッテ聖女になリタい……ズルイ、あんタみタイな女ガなンデ……私ハなれナカッたのに……!」
「うるっさいわねぇ……あんたに足りない努力を、私がしただけでしょうがぁ……!」
痛む背中に無視をして、ルーシンはふらりと立ち上がる。そしてすぐに踏み込むと、アナスタシアもルーシンに向かった。
二人が打ち合う。そんな姿を、ヴァレクは退屈そうに眺めていた。
「私だッテ! 私、ダって……!」
「何よ、言いたいことあんならどもってないで言いなさいよ雑魚! 目標のために努力もできない無能が!」
ルーシンがアナスタシアを強く打ち返し、中指を立てた。その表情は聖女とは言い難く、とうとう舌まで出して挑発している。距離を開けられたアナスタシアは、わなわなと肩を震わせていた。
「あンタに何ガワかる! 頑張ってモ、届かナカったンダ!」
突如目の前に現れたアナスタシアを、ルーシンは難なくかわす。
「ああそう! それで、あんたの努力がどこに出てるって!?」
ゴッ! と、聖槍がアナスタシアの脇腹に直撃する。
アナスタシアは吹き飛ばされた。ルーシンはすぐに追いかける。追撃を受けたアナスタシアは、ルーシンの連撃を受け流すことに必死だった。
「お前ミタいな野蛮ナ聖女が、なンデ……!」
「野蛮上等、雑魚よりマシよ! あんたとは覚悟が違う!」
ついに弾かれたアナスタシアだったが、襲いかかるルーシンから、今度は逃げなかった。
ルーシンの追撃を受けて、弾き返す。
「何ガ分かル……お前ニ、何ガ……!」
アナスタシアは煩わしげに呟いて、咆哮をあげた。少し前とは違う、切り裂くような鋭さがある。
アステル大聖堂にヒビが入った。ビシビシと音を立て、ヒビが広がっていく。
「私だっテ聖女にナリたかッタ! でもダメダッタ! 祈リの魔法ガ、上手ク使えナカッたかラ!」
とうとう、アステル大聖堂が崩れた。瓦礫が降る。そんな中、ルーシンに、アナスタシアの過去が流れ込んできた。
――アナスタシアはクラリスに憧れていた。莫大な力を持つクラリスは幼い頃からアステル大聖堂に居たために有名で、だからこそ同年代の者からは羨望の眼差しを向けられていた。
クラリスは聖女となるために生まれてきたのだと言われていた。
アナスタシアもそんな特別な存在になりたかった。
けれど。
アナスタシアは祈りの魔法の適性しかなく、その力が伸びることはなかった。
どれほど頑張っても無駄だった。友人からはいつまで諦めないのかと笑われた。けれどアナスタシアは諦めず、あらゆる人に頼って学んでいた。
それでも、届かなかった。
「だから、何よ……!」
瓦礫の中から手を出すと、ルーシンはボロボロの体で這い出した。
ちなみにヴァレクは無事だった。自身を魔法で守ったようだ。ヴァレクの座る長椅子だけは綺麗なままで、焦る様子もなく寛いでいた。
「足りないから何よ、当たり前じゃない、聖女になるのに魔力が足りる人間なんてごく少数に決まってる……その認識が、甘いって言ってんのよ……!」
頭から血を流し、ふらつく体で、それでもなお、ルーシンはアナスタシアを睨んでいた。
ルーシンもある程度魔法で衝撃を回避したが、ルーシンの魔法では衝撃の緩和……押しつぶされないようにするのがせいぜいである。ヴァレクのように完璧な回避はできなかったようだ。
「あんたの甘ちゃんで自己満な『努力』とやらで、私やあの子を馬鹿にするのなんか、百万年早いわ」
ルーシンは睨みつけながら、踏み込んだ。
「聖女に必要な素質は、祈りの魔法だけじゃない!」
血が流れているとは思えない動きで、アナスタシアに連撃を打ち込む。
「あんたみたいな、自分のためにしか頑張れない奴が、なれるわけないじゃない!」
受け流していたアナスタシアの顔面に、強烈な一撃が入った。
アナスタシアが吹き飛ばされた。ルーシンはただその姿を見送る。
「あんたが努力を語るなよ。やれること全部やって、それでもダメで、もう何もできなくて、歩けなくなって、目の前も真っ暗になって、絶望して初めて語れよ。壁に一回ぶつかったくらいで悲劇のヒロインぶって、あんたみたいな自分に甘い奴が、私やあの子に代われると思うな」
ルーシンが一歩、アナスタシアに歩み寄る。
脳が揺れたのか、アナスタシアは動かなかった。指先を揺らし、なんとか起き上がろうとはしているが、先ほどから打ち合っていたから体力も削られていたのだろう。その体が動くことはない。
「頑張りすぎて血を吐いたことはあるの? 殴られて、罵倒されたことは? 知らない誰かに、石を投げられたことは?」
ゆっくりとした歩みは、とうとう倒れたアナスタシアの元にやってきた。
「私はある。屈辱的な経験も、納得できない扱いも受けてきた。だけど、聖女になった。一秒も無駄にせず、誰よりも努力したの」
ルーシンは膝を折り、倒れたアナスタシアに近づくと、アナスタシアの胸ぐらを掴み上げる。
「身を削って生きてんのよ、こっちは。相当な覚悟でやってんの。聖女なんて化け物みたいな力の強い奴らしか居ない中で、必死に食らいついてんの。あんたみたいな乳離れ出来てないような甘ちゃんが、生きていける世界じゃないのよ」
「俺も同感だな」
いつから居たのか。ルーシンの反対側、アナスタシアの側に、ヴァレクが立っていた。表情はない。静かにアナスタシアを見て、自身の剣を、アナスタシアの頭のすぐ隣に突き立てる。
「知っているか。クラリスは幼い頃からアステル大聖堂に居たが、当時からその力を思うままに扱えたわけじゃない」
アナスタシアの揺れる瞳が、冷たく見下ろすヴァレクを見上げた。
「あいつがうまく自分の力を使えるようになったのは、十二歳の頃だ。それまではひどいもんだった。扱えない魔法は、無いに等しい。だからこそ、アステル大聖堂で過ごすという特別扱いを受けているくせに実力が無いってことに、落胆する者は多かった。それこそ、陰では酷い言われようだったな」
ヴァレクが剣を抜く。それを鞘に収めると、次はルーシンに目を移した。
「一番穏便な霊石の解除条件は、契約者本人が契約を解除することだ。どう説得する?」
「上等ですよ。……あんた、聖女になるの、諦めてくれない?」
「……い、いや……私……は、聖女に……なるの……」
アナスタシアの胸ぐらを掴んでいたルーシンの拳に、力が込められる。
「脅したって、いや……私は、なりたい、聖女、セントクレアのような、完璧な聖女に……なりたいの……」
ルーシンの振り上げられた拳が、容赦無くアナスタシアの顔面に振り下ろされた。
「ひぐっ!」
「醜い執着心に変わるような目標なら変えなさい。私はあんたが考えを改めるまで、殴り続ける」
「まっ、まって、そんな、暴力的なっ……!」
「あいにく私、武闘派なの。昔っから、私を馬鹿にするやつはこうやって黙らせてきた。だからやり方はこれしか知らない」
ごめんなさいね。
まったく申し訳なさそうな素振りも見せずそう続けると、ルーシンは振りかぶった拳に力を込めた。
――さてその頃の、クラリスといえば。
「クラリス様! もう寝てください! それで何頭目ですか!」
森の奥深く、いわゆる神域と呼ばれる場所の真ん中で、クラリスはにこやかに魔法を発動していた。
クラリスの前には、両翼に雷をまとう巨大な鳥型の聖獣・ルフレアが、クラリスの魔法により縛り付けられて、飛び立てずに震えている。クラリスの暴挙に怯えた様子すら見せているではないか。
「ふふ、ほらほら、あなたの嫌いな水をかけてあげましょうか〜? 怖いですよね〜?」
「クラリス様……楽しんでいませんか……?」
ルフレアはあまりにもあっさりと捕縛された。なぜならクラリスを見た瞬間に、恐怖のあまり動かなくなったからだ。ルフレアは、自身よりもうんと小さい人間を、どうしてこんなに恐ろしく思うのかが分からなかった。客観的に見ればそれはクラリスの魔力が強いからだと分かるのだが、そのルフレアはまだ幼く「怖い」という本能でしか理解ができないのだろう。
さらに、水を持ってこられたあたりで、ルフレアの恐怖が倍増した。
ルフレアはガタガタと震えていた。水をかけられる。それはルフレアにとって死と同義である。
「手が滑りそうです〜。あ〜、転んでしまいますっ」
「ピェ!」
ポロリと、ルフレアから巨大な涙が一粒落ちた。
クラリスは持っていた巨大なバケツを構え、その涙をキャッチする。一滴でバケツがいっぱいになった。
「任務完了ですね。ありがとうございました。ほら、森へお帰り」
目的を達成したクラリスは、早々にルフレアを開放した。ルフレアはすぐにバタバタと飛び立つ。一秒後にはその姿は見えなくなっていた。
「聖獣を脅かすなど……」
「さあレオンハルト、戻りますよ! これですべてが揃いました」
「クラリス様、戻ったら寝てくださいね」
「そんな暇はありません。大丈夫ですよ、私はほら、レッドブルの五倍の効力を持つエナジードリンクをぶちこんでいるので」
それは、少し前にレオンハルトがひっそりと隠した、例の小瓶が大量に詰められた小袋だった。いつの間にかクラリスに見つかっていたらしい。レオンハルトは頭痛でもしてきそうだった。
――クラリス、実は今日で五徹目である。