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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第1章
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第5話

 アステル大聖堂は、王都に建てられたということもあり、広く作られている。月に一度の大規模な祈りの時間では王都の人間が押し寄せ、そして半期に一度のイベントでは、国中の者が訪れては礼拝堂の外にまで溢れ返るほどだからだ。

 そんなアステル大聖堂をくまなく確認したヴァレクは、もう何度目か礼拝堂の扉を開いた。

「あー、またここか。……おかしいな、司教室に入ったはずなんだが」

「どうやら、どこの部屋の扉とつながっているかはランダムのようですね。おかしな感覚です」

 ヴァレクの背後から戻ってきたルーシンも、ヴァレクと同じように悩ましく腕を組んだ。

「私も何度か行き来しました。ですがその中でも、この礼拝堂に帰ってくる頻度はどこの部屋よりも多いように思います」

 落胆したように座っていたアナスタシアが、勇気を出して告げる。そういえばヴァレクもルーシンも、礼拝堂に戻ってくる確率が高かったかもしれない。

「ってことは、ここに秘密があんのか」

「……ずっと気になっていたんですが……幻晶術師は、正転魔法意外を使える者がなれますか?」

 乱暴に長椅子に腰掛けたヴァレクには続かず、突っ立ったままのルーシンは考えるように続ける。

 ヴァレクはやや振り返って考えていたが、そのような者は居ないのか、沈黙していた。

「ここの空間、反転魔法がかかっている気がするんです。だから私、あの霊石に禍々しさを感じたのかもしれません」

「……そもそも、反転魔法を使える者がほとんど居ないんだ。そんな存在が、稀少な幻晶術師になれる確率なんか限りなくゼロに近いぞ」

「そうですが……」

 ルーシンはぐるりと礼拝堂を見て、そっと手を合わせた。

「祈りの、転律魔法」

 するとすぐに、反転魔法とは逆に、手のひらを滑らせてズラす。

「反転した理を正せ――開放に転じよ」

 詠唱し、ルーシンは手のひらを合わせるように手を戻した。

 転律魔法が発動する。しかし、何も起きない。

「何をした?」

「反転魔法がかかっているなら、転律魔法で正せます。しかし、この空間を築いた人物は私よりも力が強いようですね。転律魔法が弾かれました」

 クラリスを戻せなかったときのように、魔法は発動する前に弾けて消えたようだった。

「……聖女フィリスは、聖女でありながら、反転魔法を使うのですか……?」

 一連の流れを見守っていたアナスタシアが、驚愕したように呟く。

 ルーシンは気まずげな顔をした。それを肯定と正しくとらえたアナスタシアは、ぎゅうと顔を歪める。

「反転魔法を使える人が聖女に……? どうやってなれたのですか、それなら私だってなれますよね!? お金ですか!? 誰と懇意にしたのですか!?」

 アナスタシアは立ち上がると、ルーシンの元へと駆け出した。必死な表情だ。

「私もなりたいのです、聖女セントクレアのような素晴らしい聖女に!」

 ルーシンの肩を掴むと、アナスタシアは鬼気迫る形相で縋り付く。ルーシンは動かなかった。ただアナスタシアを見て、彼女を落ち着けるように、彼女の肩に手を置く。

「アナスタシア様、」

「反転魔法を使う聖女なんて聞いたこともない……それに先ほどの魔法……聖女フィリスの魔力は弱いんですよね!? それなのにどうして聖女になれたのですか! おかしい! ありえないじゃないですか!」

「落ち着いて……」

「落ち着いていられません! どうしてあなたみたいな人が聖女になれて、私はなれなかったの! おかしいじゃない!」

 ズズ……と、アナスタシア背後に黒い影が渦巻いた。ルーシンは距離を取ろうとするが、ルーシンに縋り付くアナスタシアの手が強く、離れることができない。

「大丈夫か」

 離れたところから、焦る様子もなくヴァレクが問いかけた。あまり興味もないのだろう。長椅子で寛ぎながらルーシンを見るその目は、どこか退屈そうである。

「ええ、大丈夫です」

「許せない……許せない、許せない……! こんな女ですら聖女になれるのに! どうして私はなれないの! 祈りの魔法が使えないからっておかしいじゃない! この女は反転魔法を使うのに!」

 アナスタシアの背後の影が大きくなり、蠢いて巨大な怪物の形を成すと、咆哮をあげた。空気を切り裂くような鋭い音だった。ヴァレクは耳を押さえて難を逃れたが、煩しそうだ。

 ルーシンはアナスタシアを睨むように見て、周囲に目を向ける。

「なるほど……殿下、おそらくこれが、この世界が閉ざされている理由です。彼女の『聖女になりたい』という気持ちが、アステル大聖堂から出られないようにしていたのでしょう」

「……それなら、そいつを説得しない限りは戻れないってことか」

 ヴァレクが気怠げに立ち上がった。あくびを漏らし、体を伸ばす。

「あんタミたいな出来損なイが、聖女なンテ認メラれない! 許せナイ! このアステル大聖堂に居ルこトスらおかシイの! あノ女だってそウダわ……きっとソウ! 聖女セントクレアだッテ、ズルしテ聖女にナッタんだ!」

 ルーシンを掴み、上目に睨むアナスタシアはすでに、正気ではなかった。

 許せないと繰り返し、憎悪を膨らませていく。

 ルーシンは冷静だった。最初よりも落ち着いて、自身を掴むアナスタシアの手に、そっと自身の手を添える。

「……ふぅん。あなた、努力はしたの?」

「当たリ前ダ! 毎日勉強しタ! 祈りノ魔法ガ使えルヨうに、詳しい人ニ学んデタんだ! お前なンカより、お前、お前ガ居なケレば、私が聖女ニナれてイタノに!」

「はあ?」

 ギリ、と、ルーシンの手に力が入った。

 アナスタシアがとっさに手を引く。背後に跳躍し、ルーシンから距離をとった。黒い怪物は未だ、アナスタシアの背後で蠢いていた。

「私が聖女になっていなかったら……クラリスが、聖女になっていなかったら……? 馬鹿じゃないの? 聖女の座がどれだけ空いていようと、あんたみたいなゴミクズ女がなれるようなもんじゃないわよ」

 吐き捨てるような低い言葉に、アナスタシアのもとに行こうとしていたヴァレクが足を止めた。携えていた剣を抜こうとしていたようだが、その手も動きを止める。

「おい……?」

「あー、気分悪い。居るのよね、一定数、こういう馬鹿が」

 ルーシンが手を合わせる。いつもよりも、やや乱暴な仕草だった。

「祈りの、顕現魔法」

 合わせた手が、アナスタシアに向けて伸ばされた。そのまま、合わさった手が開かれていく。

 ルーシンの手を光が纏う。開かれた手の間から、聖槍が現れた。

「生ぬるく生きてきて、大した努力もしてないくせに……殴られたことも、罵られたことも、足を引っ張られることもなかったくせに、どの口が誰を悪く言ってんのかしら」

「お前! オ前を殺セバ! 私ガ聖女ニナるんダ!」

「やってみなさいよ! 残念ながら私はあんたの言うように聖女らしくないのよ。育ちも悪いから、うっかり手が滑って殺したらごめんなさいねえ」

 くるくると器用に聖槍を振り回すと、ルーシンは巨大なそれを脇に挟み、慣れたように身構えた。

「殿下、あの女は私がヤりますから、休んでいてください。あの甘えたゴミクズ女に、世間がどれほど厳しいか、私のこの手で叩き込まないと気が済まないので」

「…………お前、それが素か……?」

 ヴァレクは剣に触れていた手を引き、大人しく長椅子に腰掛けた。ルーシンの横顔はこれまでになく怒っている。なんとなくここは邪魔してはいけないと、ヴァレクの本能が語っていた。

「許せナイ! お前ヲコろせバ!」

 アナスタシアがルーシンに飛びかかる。しかしルーシンは聖槍を構えると、迎え討つように駆け出した。

「死ぬのはあんたよ能無し雑魚女ッ!」


 ――さて、その頃のクラリスといえば。

「クラリス様、休まれてください! あなた昨日寝てないでしょう!」

「だって仕方がないじゃないですか、早めに採取しなければ」

「だからと言って夜通し聖光花を集めるのはおやめください! というか今日くらい休んでくださいよ!」

 クラリスは湖のほとりに立っていた。レオンハルトはクラリスの魔法とは相性が悪く、抵抗されては敵わない。だからこそ力づくで連れ帰ることもできず、物理的に乱暴に引っ張って帰ることもできず……。どうしようもなく、ただ付き添って小言を言うことしかできなかった。そして今は、クラリスに指示されて木の陰に隠れている。

 そんなレオンハルトの制止に耳を傾けることもなく、クラリスは手を合わせた。

「祈りの正転、響喚魔法」

 そして次に、手を合わせたまま、祈るように両手を握り締める。

「神の御使よ、姿を顕現ください」

 瞬間。ふわりと湖に波紋が広がる。どこからか風が吹き、突如現れた光が弾けたかと思えば、クラリスの前に純白の羽がひらりと落ちた。

『神は忙しい。わたしは取り継がぬぞ、人の子よ』

 クラリスよりも、レオンハルトよりも巨大な人影が、湖の上に現れた。

 身の丈は三メートルはあるだろう。中世的な容姿をして、男女どちらかも分からないようなその存在が、湖の上に浮かんで、まるでソファにでも座っているかのように体を傾け、足を組んでいる。

 背中からは大きな翼が伸びていた。発光するような白いそれは、その存在の身の丈よりも大きかった。

「こんにちは、天使様。少しだけ羽をくださいな」

『なんと、わたしの羽が目当てとは、厚かましい人の子よ』

「事情があるのです。あなた様の羽を……そうですね。二十枚ほどいただけたら、人が千人以上は救えます!」

 天使相手にも物怖じすることなく、クラリスは穏やかに笑う。

 レオンハルトは絶句していた。天使を見る機会などないからだ。そもそも、天使を喚び出せるような者が居ない。

 天使は自ら人間の前に姿を現さない上に、その魔法の波長が気に入らなければ召還も拒絶するというのは有名な話である。

 しかしクラリスはあっさりと呼び出した。天使の乗り気ではない様子から、来たくはなかったがクラリスの魔法の波長が気になったから来たのだと分かる。

 天使はその表情を変えることなく、首を傾げてクラリスを見下ろす。

『なんだ、人を救うのか』

「はい! そのために、あなた様の羽が必要なのです」

『ほぉ。……貴様は今、人を救っているのか』

 まるで独り言のように、天使は静かに呟いた。

『神に祈らず、己の手で乗り切るとは……神を煩わせない姿勢は悪くない』

 そこで初めて、天使が微かに笑う。

『良いだろう。人の子よ、わたしはお前が嫌いではないよ。……二十と言わず持っていけ』

 天使が羽を振るう。するとクラリスの周りにひらひらといくつもの羽が舞い降りた。

 別れの言葉もなく、天使は笑いながら姿を消した。消える直前でクラリスが礼を述べたが、伝わったかは微妙である。

「クラリス様、今のは……」

「さあレオンハルト、次の場所に行きますよ!」

「いや、いい加減休んでください!」

 羽をかき集めて袋に詰め込んだクラリスは、元気に馬に乗った。

 ――クラリス、三徹目に突入である。

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