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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第4章

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第12話

 クラリスが洞窟の前に転移されたのは、数時間後のことだった。

 転移魔法は便利だが、時間は相応にかかってしまう。転移する側の体感は一瞬であるからこそ、クラリスはいつも、到着したときには違和感を覚えていた。

 それは今回も例外ではない。

 到着したのは洞窟の前だった。クラリスはやはり違和感を覚えながらも、着いてすぐに洞窟に入ろうとしたのだが。

「待ちなさいよ」

 少し遅れて、背後にルーシンが現れた。

 治癒魔法が効いたのか、少し前とは違い元気そうである。

「ルーちゃん! 良かった、意識が戻って!」

「あんた……」

 キラキラの笑顔でルーシンに駆け寄ったクラリスに反して、ルーシンは渋い顔をしていた。

 ルーシンはじっとクラリスを睨みながらも一度言葉を切り、深く息を吸い込む。

「何一人で行こうとしてんのよ! あんたあいつに一回食われてんのよ!?」

「わ! ルーちゃんうるさいですよ。耳が裂けてしまいます」

「あんたが悪いんでしょうが! さっき盗み聞きしてたけど、あんた今うまく魔法使えないんでしょ!? 何かあったら誰があんたを守るの!」

 クラリスが耳を塞ぎ、肩をすくめてもお構いなしにルーシンは声を張り上げる。

「あんたは王都の聖女なのよ!? みんながあんたを頼ってんの! ちょっとは自分を大事にしなさい!」

「し、してますよ、ルーちゃんは過保護ですねぇ」

「あんたが楽観的すぎんのよ!」

 ふん、と顔を背け、ルーシンはまだ怒りがおさまらない様子である。

 そんなルーシンを見ながら、クラリスは何を伝えようかと一生懸命に言葉を選ぶが、それでも何も出てこなかった。

 盗み聞きをされていたということは、クラリスの正体にも気付いたということだ。

 クラリスは見方によっては人間ではない。ましてやクラリスは王都の聖女で、聖女という職に誇りを持っているルーシンからすれば、その正義感もあり許せないとも思えるのだろう。

 そんなことを考えれば、クラリスの表情もさっと陰る。

「何よ、その顔」

 クラリスのいつもと違う様子に気付いたルーシンが、仏頂面で声をかける。

「いえ、その……」

「あー、あんたが元天使だとか気にしないわよ別に。こっちは生まれてから今までずっと反転として生きてんの。今更誰の出生も気にしないわ」

 ルーシンの言葉に、クラリスは嬉しげに頬を染めた。

「それに、別に理解もできるの。あんたくらいの魔力量だと、むしろ元天使くらい言われないと納得いかないもの」

「ルーちゃん!」

「わ! 危ないじゃない!」

 クラリスに飛びつかれたルーシンだったが、なんとか倒れずには済んだようだ。踏ん張って堪え、今度はクラリスが倒れないようにとその体を支えていた。

「来てくれて嬉しいです。一緒に行きましょう!」

「……分かったから離れなさいよ! 急ぐんでしょ!」

「そうでした!」

 はたと気付いたクラリスは、すぐにルーシンから離れ、洞窟へと振り返る。

 洞窟は奥深く、暗闇が続いていた。飲み込まれてしまいそうな闇色だ。男がいるためか、雰囲気はどこか禍々しい。

 ルーシンが聖槍を出した。それを握りしめ、強く踏み出したクラリスの後ろに続く。

「ルーちゃんは、少し離れたところに居てください」

「危険よ。あの男はすぐそばで監視してないと」

「いいえ。……警戒させたいわけではありませんから」

 クラリスは振り返り、少し後ろに続くルーシンに笑みを向ける。

「ふふ。大丈夫ですよ。考えがあります。私を信じてください」

 ルーシンはぎゅっと顔をしかめた。納得がいっていない顔だ。決してクラリスを信用していないわけではなく、単に男に対しての警戒を緩めたくないのだろう。

 しかしクラリスのこの表情。焦った様子もなく、余裕すら見える。アストラとの会話で何かヒントを得たからか……ルーシンは少しばかり考えていたが、数秒後に「分かったわよ」と渋々了承を返した。

「じゃあここで見てるからね。いい? 何か起きたら、すぐにあの男を殺すわ」

「分かりました。お願いしますね」

 ルーシンは足を止めた。

 洞窟の奥に、うっすらと男の姿が見える。しかしその姿は遠く、ルーシンでなければ微かにも見えなかっただろう。

 聖槍を構えるルーシンを置いて、クラリスは洞窟の奥へと進む。

 男はいまだ回復の途中だった。

 ヴァレクに引き裂かれた上体は、胸元は修復されているが、そこから上はじゅくじゅくと音を立てながら今もなお修復中のようだ。

『声が聞こえると思ったら……やっぱりクラリスだったね』

 その言葉がどこから聞こえているのかは分からない。

 けれど確かに男の声で、クラリスの頭に響いた。

「はい。先ほどぶりですね。以前、腕は一瞬で治ったように見えましたが、今回の修復は遅いんですねぇ」

『まあね。脳を損傷したから、今思考力が落ちているんだ。修復はイメージに近いから、今はぼんやりとしていて……えっと……早く治せない』

 そういえば、声に芯がない。そんなことを考えながら、クラリスは仁王立ちで修復中の男の隣に腰掛けた。

『……恨み言でも、言いに来たの?』

 長居するかのような様子のクラリスに、男は不思議そうに問いかける。

「あなたに、お伝えしなければならないことがありまして」

『なんだろう。……恨み言?』

「違いますよ」

 クラリスはクスクスと、楽しげに笑う。少し離れたところに居るルーシンは、クラリスとは違い険しい表情だ。

「……あなたに吸収されていたときに、とある天使様の記憶を見たのです」

『ああ……僕はさぞ、滑稽だっただろう……君に何度も声をかけ、諦めず、嫌われていく』

 自嘲混じりの言葉に、クラリスは首を傾げた。

「私は声をかけられていませんよ。私はその天使様ではありません。そして、その天使様に声をかけたのも『あなた』ではありません」

 ピクリと、男の指先が跳ねる。

「あなたは混同しているだけです。かつての魔族の方は消滅しました。そして復活をした時点で、違う生き物になります。その証拠に、復活をすると種族が変わりますし、私には記憶がありません」

『いいや、違う。……だって、僕には記憶がある。それに……君は、僕が食ったから、記憶がないんだ』

「それはあくまでも仮説です。……その上で、とある天使様のことを、独り言になりますが、伝えに来ました」

 ぐっと、男の体がやや揺れた。クラリスの方向に体を向けたいのかもしれないが、動くとバランスが取れないからか、ほんの少しだけ体を向けたようだった。

「……その天使様は、孤立した方だったようです。戦いも下手で、同じ種の天使様たちから弾かれ……あの日も、羽の傷を癒すために、人間界に来ていました」

 男は真剣に聞いているのか、反応を示さない。鎖骨あたりから脳天にかけてが真っ二つに裂かれているため表情は分からないが、なんとなく聞いているのだろうなと、クラリスはそんな気がしていた。

「わざとゆっくりと羽を治癒し、天界に戻らないようにしていたようです。そんなときに、魔族の女性が現れました。……その天使様からすれば、魔族は敵です。その天使様のお仕事は天界を害した魔族の排除でしたから、最初は警戒していたようですね」

『……ああそうだ、天使は僕が嫌いだった。知っているよ』

「ふふ。ですが天使様は、本当は声をかけたがっていましたよ」

 今度こそ、男は言葉をのみ込んだ。

「今更どんな言葉をかければ良いのか、何を言うべきなのか、そんなことに悩み、ついには声をかけられませんでした。……殺されたあの瞬間も、彼女が泣いているのではないかと、頬に触れて、その冷たさに心配していました」

『うそだ』

「嘘ではありません。……孤独だったその天使様の中で、ご自身を気にかけてくれる彼女の存在はいつからか大きくなっていたようです」

 ずるりと、男の手から力が抜けた。クラリスにやや向けられていた体は元に戻され、どこか脱力しているようにも見える。

『それが本当なら……僕が、君を殺し、食った意味は』

「さあ。……私は過去を教訓にはしますが、過去を考えたことはありませんから分かりません」

 男は、どこか呆然として見える。それはクラリスの願望かもしれないが、少なくとも、クラリスの言葉を心底疑っているわけではないようだった。

『……君を食ったあと、僕は人間から、聖女と呼ばれた。天使を食い、天使の力を得たからだ。……勝手に、君と一緒に居られているつもりでいた。だからこそ、君の意思を継ごうと、善行をした』

 男の言葉は、洞窟に響いた。

 空気を伝い、その音は離れたところに立つルーシンにも届く。

『そうか……君を食う必要は、なかったな』

「まさか……あなたは以前、力を地脈に流したと言っていましたが、それはこの土地の地脈に流したのですか?」

『? そうだよ。この洞窟の周りにはかつて、湖があった。そこに、君が居た。この山の麓に村があるんだけど、そこの地脈に、魔族としての力を、すべて流した』

 カツカツと、ルーシンが足早に男の元にやってくる。

 男はルーシンの動きに気付いていたようだが、その力の強さがあるからか、焦った様子はなかった。

「地脈ってものの、人間への影響はどの程度なの?」

『お前と、会話をする気分じゃない』

 ルーシンの肩に手を置いたクラリスは、振り向いたルーシンに強く頷く。

「では、私から聞きましょうか。……実は、この地域では『反転の性質』……おそらく、かつての魔族の方のような体質の者がよく生まれるのです。それは、あなたが地脈に流した力と関係がありそうですか?」

『……さあ。人間への影響は、分からないよ。だけど、関連性は、ゼロではないんじゃないかな』

「あんたねえ……!」

「ルーちゃん」

 男に殴りかかろうとしたルーシンを、クラリスがとっさに引き留めた。

「離してよ! こいつのせいで悲劇が生まれた! 罪のない人たちが差別を受けてんの! レオンハルトだってそうじゃない!」

『……僕のせいにするなよ。それは人間の、心のあり方の問題だろ。人間は愚かだ。人間の中で、優劣を決める。僕からすれば、全部一緒だ』

 息をのんだルーシンは、腕を掴んでいたクラリスの手を乱暴に払う。しかしクラリスは、再びルーシンの腕を掴んだ。

「ルーちゃん、この方の言うとおりです。過去に憤慨し、過去は変えられますか。反転の扱いは変わりますか。私たちがすべきは過去に嘆くことではなく、今を変えることです」

 クラリスの言葉に、ルーシンは肩を震わせ、やはりクラリスの腕を振り払った。

 言葉はなかった。頭では理解したが、感情が追いつかないのだろう。

 クラリスは改めて、男に「ところで」と言葉を投げかけた。

「念のためもう一度言いますが、あの天使様は私ではありませんし、あの魔族の方はあなたではありません。このあたりの認識は大丈夫ですかね?」

『いきなりだね。……だけど、意味が分からないよ。僕は僕だ』

「そうです。あなたはあなたです」

『? クラリス、難しい。今は思考力が低下しているからか?』

「違います。……あなたがこれまで、『サズィラ』という魔族とご自身を同一視していたから、今更分けて考えることが難しいだけですよ」

 男はそれでも分からないのか、考えるように沈黙する。

「ふふ。ひとつ確認したかったのですけれど……あなたはかつて、どうして天使様と従属契約を結ばれなかったのですか? そこまで執着していたのなら、あなたはその手段を選びそうなものですが……やはり上位の存在とはそのような契約はできないものなのでしょうか」

 がらりと変わった話題に、男は少し考えたあと、再びやや体をクラリスに向けた。

『そうだね。……従属契約は、結ぼうと思えば、結べたよ。僕は、上位の魔族だったから。だけど、それじゃあ嫌だったんだ』

「まあ! 魔族の方には感情などないものと思っておりましたが、そうではないのですね」

『感情はないよ。だから僕のそのときの、その気持ちも何だったのか、今でも分からない。だからこそ、復活をしても追い求めてしまう』

 クラリスは静かに、数度頷く。

「納得ですね。あなたは探究心も強そうです。ところで、従属契約って難しいですよね。印を出すのが大変で……」

『よく知っているね。人間で"印"のことを知っているなんて、珍しいことだ。どうして知っているの?』

「私実は歴史を学んでおりまして、魔法の歴史にそのようなものを見て少々興味があるのです」

『ああ、なるほどね』

 男は頷いたのか、体が微かに揺れた。

『まあ確かに、天使は人前に現れないし、魔族も居ない。従属契約をする相手も居ないしね』

「そうですそうです」

『……印は案外簡単だよ。現代だと……"陣"と呼ぶのかな。従属ではなくて、干渉とされるはず……』

 男は一度、思い出すような間を置いた。いまだ頭の修復には至っていないため、思い出すのにも時間がかかるのだろう。

『えっと……"陣"は知ってる?』

「はい。知っていますよ」

『じゃあ、陣の中にある干渉系の、追跡型を含めた、変則的なものになるんだけど……』

「んー……ああ、なんとなく、なんとなく感覚で分かるような」

『さすがだね、クラリス。君はやっぱり美しく、頭がいい』

 立ち上がったクラリスは、近くに立つルーシンから聖槍を受け取った。ルーシンは不思議そうな顔をしている。

 男は気配でクラリスが立ち上がったと分かったのか警戒するように腕に力を込めたが、クラリスから飛び出したのは、突拍子もない質問だった。

「……あの天使様は『クラリス』という名前でしたか?」

 話の流れが読めないそれに、男は一瞬何を聞かれたのかも分からなくなる。

『? さあね。天使は僕に名乗らなかった。名は知らないよ』

「そうですか。ではあなたはずっと、今の私を見ながら、過去の私を重ねていたのですか。……あなたのお名前は?」

『サズィラ』

「それはかつての魔族の名です」

『だけど僕だ。力を地脈へ流し、魔族から脱して人にもなれず、天使を食った僕の名前だ』

「いいえ。それをしたのは、かつての魔族の方です」

 そう言いながら、クラリスはガリガリと音を立て、洞窟の地面に聖槍で傷をつけ始めた。

 男の前に大きな円を描き、円の中に何やら模様を描いている。

 ルーシンにはそれが何か分からなかった。そして男も、音しか聞こえないが何をしているのかは分かるのか、特に気にした様子もない。

「そうだ。あなたに名前がないのなら、私がつけて差し上げますよ」

『君が?』

「はい。『サズィラ』と呼ぶには気が引けますし、何より呼び難いもので」

『そうか。それは悪くないね』

 ガリガリ、ガリガリ。クラリスは構わず何かを描く。

「……あんた、さっきから何してんの?」

 ルーシンはとうとう我慢ができなくなったのか、クラリスに問いかけた。

「ふふ、私は今、この方に魔力を一部奪われていて、うまく魔法が使えないんです」

「知ってるわよ。あ、ていうかあんた、クラリスに魔力返しなさいよ」

『どうしてお前にそんなことを命令されないといけないんだ。失せろ』

「こいつ……」

 二人のやりとりに、クラリスは手を止めることなく、クスクスと微笑む。

「ルーちゃんは、魔法を使えない人が頼るものが何か知っていますか?」

「魔法を使えない人が頼るもの……って、何? 私、その辺りそんなに詳しくないのよね」

「正解は魔法陣です」

 ようやく完成したのか、クラリスは満足げに作業を終え、聖槍をルーシンへと返す。その際に「霊石という選択肢もありますが、あれは特殊ですからね。だいたいは魔法陣です」と言って、ルーシンに微笑みかけた。

「魔法陣はその陣に意味がありますから、魔力は不要です。ただし、発動する者の血液が必要になります。ふふ、どこかで聞いた話ですねぇ」

「あんたまさか……」

 ルーシンがぐにゃりと顔を歪めた。

 しかし時すでに遅し。

 クラリスは男の背後に立ち、仁王立ちで修復に集中していた男の背を容赦無く魔法陣に向けて強く押す。

「先ほどは、"陣"について詳しく教えていただきありがとうございました。あなたに名前を授けますよ」

 男の体が傾いた。

 男は、自身の身に何が起きたのかを理解する間も、魔法を使う間も無く、その魔法陣に身を投げ出す。

「他でもない、主人となる私が」

 にっこりと、無垢な笑みを浮かべながら。

 クラリスは指先を深く切り、その陣に血を垂らした。

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