第4話
『お前もこの態度を改めろって思うか? 俺が俺であることに変わりはないだろ?』
それはたった一度、ヴァレクが迷いを見せたときの言葉だった。
ヴァレクは昔から王子らしからぬ振る舞いを注意されていた。優秀であるのにもったいない、あとは教養だけを身につければ完璧だから、などと言われて続けて、それに反発するように態度も悪くなっていく。
そんな悪循環が繰り返され、とうとう母である王妃にすら叱られてしまった。
ヴァレクの不服そうな言葉に、アステル大聖堂を訪れたヴァレクの相手を任されていたクラリスが、キョトンと不思議そうな顔をする。
『ヴァレク様は馬鹿なんですねぇ。成績は良いと聞いていたのに』
『なんだと?』
これまでに言われたことのない部類の言葉に、ヴァレクは鋭くクラリスを睨みつけた。
『あなたが変わりたくないのであれば、変わらなければ良いんですよ。周囲の言葉が煩わしいのであれば、演じることも一手です。そういった大人の前でだけ、いい子になれば良いのです。たったそれだけのことでしょう』
ああ本当にお馬鹿さんですねと、同じ歳であるのにやけにお姉さんぶって、クラリスは続ける。
『殿下はもっと賢く生きる術を学んだほうが良いですよ。私は常に、自分が最も伸びやかに、そして効率的に、最短で生産性を上げることばかりを考えています。それでも脳みその使っていない部分があることに悔しく思えてくるほどです』
あなたの悩みはちっぽけで、聞くに値しませんね。私はアストラ様お手伝いがあるのでこれで。
そう言って立ち去ったクラリスを、ヴァレクは引き留めることも出来なかった。
「クラリスやめろ! 仕事のしすぎでまた倒れるぞ!」
ヴァレクは起き上がると同時、手を伸ばして叫んでいた。
起き上がって覚醒する。どんな夢を見ていたかも思い出せないが、クラリスが「三徹しました」と言っていたような気がする。
「夢の中でも会えてよかったですね……」
呆れたような声と共に、ルーシンが扉を開けて入ってきた。
ヴァレクが横になっていたのは、アステル大聖堂の礼拝堂だった。並んだ長椅子には一人、ヴァレクの知らない女が座っている。ルーシンは二人のもとにやってくると、「やはりダメね」とため息混じりの言葉を漏らす。
「どこに行っても出口がない。誰も居ない。どこかの部屋に入っても、ランダムでこの礼拝堂に戻ってきてる」
「……すみません。私が……」
女は肩を震わせて、気弱に泣いているようだった。
「おい、そいつは」
「……こちらは、グラディス伯爵家のご息女、アナスタシア・グラディス様です」
「ああ、生きていたのか」
ヴァレクは何気なく呟いただけだったのだが、アナスタシアはどう思ったのか、大きく肩を揺らして怯えると、すぐにヴァレクに向いて地に伏した。
「申し訳ございません、殿下! 私の失態でございます。このようなことで、殿下を危険に晒してしまい……!」
「はあ? 別に気にしていない。それより、クラリスは?」
「この状況で気にするところはそこですか、さすがですねぇ」
ルーシンはアナスタシアを椅子に座らせながら、自身もその隣に腰掛けた。
「クラリスは居ませんでした。おそらく私たちは別空間に飛ばされました。アナスタシア様いわく、この空間からは出られず、しかし空腹になることもないそうで……私も確認するために少し歩いてみましたが、確かに出口はありませんし、どこかに入っても知らない部屋か礼拝堂に戻ってきてしまいます」
確かに、この礼拝堂を覆う空気には、微かに魔法が生じている。
ヴァレクは礼拝堂をぐるりと見て、アナスタシアへ目を向けた。
「……すべて話せ。こうなった経緯は」
「は、はい。私はその、聖女セントクレアに憧れておりました。それで、適性しかない立場から祈りの魔法を学んでおり……まったく身に付かないので悔しかったところに、声をかけられて」
アナスタシアは思い出すように、一つひとつゆっくりと伝える。
「綺麗な石を見せられたんです。その石には、聖女の力を閉じ込められるのだと聞きました。そしてそれを持っていれば、聖女の力も使えるようになるのだと。だから私……その石を使うために必要な代償として、聖女セントクレアのようになれるのなら何も要らないと伝えてしまって……」
「……なるほどな。お前がクラリスのようになるという契約に反した行動をとったから、あの男は白骨化していたわけか」
「……やけに受け入れるの早くないですか? 言葉の意味をそのまま受け入れると、『聖女を閉じ込めたかった』って聞こえるんですが」
「まさか! そのような意図はございません!」
「あ、もちろん分かってるの。アナスタシア様に他意がないことはよく分かる。だから、あなたを利用した誰かが、霊石との契約をそうさせて、ここに聖女を閉じ込めたかったのよ」
ルーシンの推測に、ヴァレクがつまらなそうに頷いた。
「実は、王都の聖女は、ほかの聖女よりもよく狙われるんだ。だから珍しいことでもない。犯人はおそらく、そいつを利用してクラリスをどうにかしたかったんだろう」
「最近も不審な動きが?」
「ああ、報告は受けている。基本的にクラリスの耳に入る前に対処しているが……盲点だったな。そうか。王都でなくとも、あまりに不可思議な問題が起きれば、アステル大聖堂に嘆願書が提出される。そうすればクラリスが動くことになる。直接大聖堂に出向くことなく、手を下せるってわけだ」
ヴァレクは不服げに言い切って、乱暴に自身の頭をかきむしる。その行動に、ルーシンとアナスタシアはびくりと肩を震わせた。
「あークソ! おい早く戻るぞ! クラリスが危ねえ」
「……殿下がクラリス馬鹿でクラリスを心配してるのは分かりますけど、今はどうしようも……」
「いいか、クラリスの側には今、レオンハルトしか居ねえ。クラリスの魔法が強いことはお前もよく分かってるだろう。だからいざというとき、レオンハルトじゃ勝てねえんだよ」
ルーシンは何かに気付き、驚愕したように口を押さえた。何か恐ろしいことに気付いてしまったかのような顔だ。
「そんな……クラリスはあんなふわふわなか弱い見た目なだけで、今の状態になって頑固になってるっていうのに……!」
「そういうことだ」
アナスタシアは困惑するように、二人を交互に見るばかりである。
アナスタシアから見たクラリスは、まさに「聖女」という風貌と人格である。天使のような見た目、柔らかな微笑みに、優しい態度。そんな印象だからこそ、アナスタシアには二人が何を心配しているのかが分からない。
「つまり、早く戻らねえと、あいつは何日でもぶっ通しで徹夜を繰り返す。最悪なことに、あいつは自分を回復する魔法も使えるからな」
「くっ……! 祈りの魔法はあくまでも感覚を癒すだけだから、体の支障は治せないのに……! クラリスに倒れられたら、エリアス様に叱られる! 怖くはないけどねちっこくて気持ち悪いから絶対に避けたい……!」
「ちなみに俺がクラリスの性質を奪ったのもそれがきっかけだ。平気だ平気だと言いながら何日も寝ずに回復を続け、そしてある日ぶっ倒れた」
「早く戻りましょう! クラリスが倒れる前に! あと普通にレオンハルトの胃が心配です!」
ヴァレクとルーシンは強い瞳で、目的に向けて頷き合った。
一方その頃、クラリスとレオンハルトはといえば。
「クラリス様! クラリス様、危険です! そのようなところには私が行きますので!」
「ダメです、レオンハルトが触れればこの聖光花は枯れてしまいますから」
クラリスがつかまっているのは崖っぷちだ。上からはレオンハルトがハラハラと見守っている。しかしクラリスは平気な顔で、崖の中腹からちょこんと生えている花を引っこ抜いた。
「見てください! 取れましたよ!」
嬉しげに花をレオンハルトに見せたクラリスは、気の緩みから安堵したのか、やったー! と万歳してみせた。
あ、と、思う間も無く。
「嘘でしょうクラリス様ー!」
クラリスは笑いながら、ころりと崖から落ちていった。