第11話
アストラとエリアスが王都の大聖堂、アステル大聖堂にやってきたのは、北の大聖堂を北方防衛騎士団が制圧した数時間後のことだった。
二人は騎士団に通報した当人として、その場の収拾に立ち会っていた。そのためヴァレクたちとは共にクラリス奪還に向かわなかったのだが。
「アストラ様! みなさんの治癒をお願いします!」
ヴァレクが転移先に選んだのは「アストラの元」だったようだ。アストラがエリアスと共に転移でアステル大聖堂の司教室に戻るのと、頭部を損失したヴァレクと見た目の変わったクラリス、そして大量の血を流して動かないレオンハルトが戻るのは同時だった。ちなみに、司教室にはすでに血塗れで動かないルーシンが横たわっている。
通常であれば焦るべき場面ではあるが、エリアスが想像以上のその惨状に「うわぁ」と呟いたのを、アストラはしっかりと耳にした。
「えっと、君はクラリス、であっているかな」
「今そのような冗談は、」
「分かった、分かったから。エリアスくん、レオンハルトくんと聖女フィリスの治癒を頼んでも良いかな。君の性質と合っているから問題ないでしょう」
アストラの冷静な指示に、エリアスはうなずいてすぐ、まずはルーシンの元に向かう。
「私は殿下を対応するよ。見る限り、一番酷い状態だ」
体の状態を見ているのか、アストラは静かにヴァレクの体に掌を向け、その手を頭から足先に移動させる。
ヴァレクは動かなかった。頭の一部が欠損している。転移直前、ヴァレク目掛けて吹き飛んできた槍が、ヴァレクの頭をえぐっていた。
クラリスは指先を震わせながら、二人の治癒を見守っていた。
「……クラリス。殿下は死んでいる。君、全部の記憶が戻っているね」
ヴァレクを治癒しながら、クラリスに目を向けることなく、アストラが呟いた。
重たい間が落ちる。
アストラの背後。ヴァレクが契約していた霊石を入れていたチェストは砕け、その中で霊石も割れている。
「……はい。すべて思い出しました。王家の、秘密について」
ゆっくりと、その目がアストラに向けられる。アストラはそれでも、クラリスを見ることはない。
「アストラ様は知っていたのではないですか?」
「……ふふ、殿下が死んでいることについてはいいのかな?」
「ヴァレク様は死にません。それこそ、この膨大な魔力に生かされるでしょう」
アストラの目が一瞬、クラリスに向けられた。しかしすぐにヴァレクに戻る。瞳に焦燥は浮かばない。
「彼が、何かを言っていた?」
「そうですね。『サズィラ』という方から得た情報は多くあります。彼がかつて『魔族』という存在であったこと。『魔族』や『天使』は消滅と復活を繰り返していること。そしてヴァレク様の魔力は『ツズェルグ』という方のものであること。そしてそれは彼の兄であること」
ふっと、エリアスが笑った。
クラリスの視線が流れる。するとすぐに気付いたのか、エリアスはクラリスを見ることもしないまま、ルーシンの治癒を続ける。
「……なるほど。もしかして、エリアス様も何かを知っているのでしょうか。あるいは、魔族の『復活個体』ですか?」
「……なぜ、そう思うのですか?」
エリアスは微笑んだまま、クラリスに挑むような目を向ける。
「あなたは北のルザリア大聖堂の司教ですね。北の聖地の『清浄の器』は人工物であり、反転の存在にとっては侵入しやすい環境が整っています。そして先ほど、アストラ様はあなたに『性質と合っているから』と、ルーちゃんたちの治癒を任せました。状況と当てはめると、エリアス様も反転の性質である可能性が高くあります」
エリアスはゆっくりと頷き、続きを促す。
「また、あの方の言動を考えると、『魔族』という存在は『反転』の性質と近いのだと思います。彼は、レオンハルトに対して誰の復活個体かと気にしていましたから。そのため、反転の性質を持ち、彼からの情報に微笑んだことや、今回の事件をアストラ様と企てたことを踏まえれば、アストラ様がすべてを知っている前提ですが、あなたも魔族や王家の秘密をすべて知っていて、さらに『復活個体』である可能性も浮上します」
ルーシンの傷がみるみるうちに治っていく。反転の性質は、同じ性質と相性が良い。ルーシンも半分は反転であるから、エリアスの魔力と順応しているのだろうか。
そんな様子を眺めていたクラリスに、少し間を置いたエリアスは「なるほど」と小さく言葉を漏らした。
「……あなたの推測は素晴らしいですね。ほんの少しのヒントだけで、するすると情報を繋げていく。さすがは王都の聖女。国王が恐れるだけはあります」
「こら、エリアスくん。あんまり茶化すと、クラリスは本気で君を殺すかもしれないよ」
「そうですね。今はなぜか魔法が使えないので、物理的に残酷に殺すかもしれませんね」
「目が笑ってないよ、クラリスさん……」
エリアスは気まずげに目を逸らし、ルーシンの治癒に集中しているフリを始めた。
そんな様子を見て、アストラがわざとらしくため息を吐く。
「……クラリスが言うように、私はすべてを知っているけど、陛下との約束で言えないことの方が多い。君が自発的に気付いてしまうことは仕方がないけどね」
身体中から血を出していたヴァレクは、その頃には止血されていた。
ヴァレクを意図的に治さないという行動をするわけではないようだ。それを確認して、クラリスは立ち上がる。
「……分かりました。私はひとまず、あの方のところに戻りますね」
「え、え? なんで?」
流れが分からなかったのか、アストラは驚いたようにクラリスを見上げる。
「私、あの方に一度吸収されたのですが、それから魔法が使えなくなってしまって……魔力がなくなったわけではないみたいなのですが、事情を聞きに行こうかと」
「……ああ、なるほどね。だから見た目も変わってたんだ」
「何かご存知ですか?」
クラリス自身、回答をもらえるとは思っていなかった。なにせ、アストラはしきりに自身が訳知りであることを隠したがっている。そのため、どうせはぐらされるのだろうと思いながら、半信半疑で問いかけたのだが。
「かつてのクラリスは、彼に食われたあと、彼が消滅したことで復活した元天使だ。そこまでは聞いたんだよね?」
アストラの確認に、クラリスは隠すことなく頷き、肯定を返す。
クラリスの反応を確認したアストラは、ヴァレクの治癒を続けながらも言葉を続けた。
「……クラリスが天使として復活しなかったのは、彼に『吸収』されたからだよ。上位魔族は他種族を『吸収』することが出来る。『吸収』したら、その相手の魔法を使うことが出来るようになるんだ。魔力は、時間をかけて吸収した魔族のものになっていく」
「……それでは私は、人間として生まれるはずでは……? サズィラ様いわく、天使から見たら人間に、そのほかの存在からすれば人間には見えないと言われました。現に、黄龍様にも人ではないと言われております」
少しばかりの間を置いて、アストラは言い方に悩みながらも口を開く。
「クラリスの魔力を完全に吸収する前に、彼が消滅を選んだからだろうね。魔力を完全に吸収するには、膨大な時間が必要になるから」
「……なるほど。その理屈ですと、今の私も一部の魔力を奪われただけということですね。ヴァレク様の守護魔法もあり、この程度で済んだのかもしれません。魔力は生命力と調和していますから、魔法がうまく使えなくなっていることも納得です。少しでも奪われては魔力の均衡が崩され、たったそれだけでも魔法の発動は難しくなります」
「殿下の守護魔法か……納得した。だからその程度の変化で済んでいるんだねぇ。吸収率によっては、四肢欠損や変形もありえるから」
吸収のリスクを改めて聞いたクラリスは、想像をしたのか珍しくも顔を歪めた。
「それで、そんな状態で彼のところに行っても、また吸収されて終わるだけだと思うけど」
「……ヴァレク様があの方を二つに引き裂いておりましたから、まだ回復していない状態だと思います。それに、サズィラ様は私相手には随分理性的でした。会話はできるのではないかと」
「やめたほうが良いですよ。基本的に、魔族相手に情に訴えても無駄です。今は人間もどきであるとはいえ、元々は魔族ですから。彼に倫理観があるとは思えません」
答えたのは、レオンハルトを治癒しているエリアスだった。エリアスはあくまでもレオンハルトに視線を落とし、クラリスに目を向けることなく続ける。
「クラリスさんは元来天使の性質がありますから、もしかしたら誰かを信じたいとか、救いたいとか、話せば分かってくれるという気持ちがあるのかもしれませんが……魔族には無意味ですよ。彼らはあなたの頭では考えられないほど残酷です」
「……ですが、それでは、あの方はどうやってこの世界で生きていくのですか。かつては知りませんが、彼も今では一人の人間です。放置をしていれば、一生一人で生きていくことになります」
「それが『天使の性質』だと言っているんです。そもそも、魔族は孤独な生き物ですよ。強い者には従い、家族間での絆は強くありますが、それは感情とは別物です。魔族は一人でも生きていける」
「こらこら、そんな感じだと二人の言い分はいつまでも終わらないからやめなさいね」
ヴァレクの治癒を続けながら、アストラは呆れたように言葉を挟む。続ける言葉を言い淀んでいる様子だったが、少し考えてすぐ、ゆっくりと吐き出した。
「……クラリス。魔族の復活個体とは従属契約を結べるということは、彼に聞いたかな?」
「アストラ様、あまり明かすべきではありません。賢い人間であれば尚更、それを利用しようとするでしょう」
「従属契約とは? 詳細を教えてください」
エリアスの言葉は黙殺された。エリアスは不服そうだが何か不満を漏らすことはなく、アストラを恨めしげに見るばかりである。
アストラは苦笑を浮かべながら、ヴァレクの腕に空いていた穴を無事塞ぐ。続けて、腹に掌を置いた。
「従属契約をすると、相手を縛ることが出来る。思考の制限はできないけど、行動の制限は可能だよ。その制限のために、主人は相手に一部の魔力を共有する必要があるから、魔力量が余程多い人でない限りお勧めはできないけどね」
「何をすれば契約は成立しますか?」
やや食い気味の問いかけに、アストラはふっと短く息を吐き出す。
「相手に従属の印をつけて、そこに血を垂らす。それだけだよ」
少しばかり考えるような様子のクラリスに、エリアスはやはり不服げだった。しかしクラリスは気にすることなく口を開く。
「……なるほど。いいことを聞きました。これで、陛下進言できそうです」
アストラは何を言われたか分からなかったのか、不思議そうにクラリスを見ていた。
「ふふ、ちなみにその『従属契約できる復活個体』とは、人間とどう違うのですか? たとえば、レオンハルトは反転の性質が強いですが、人間ですよね?」
先ほどまでとは打って変わって、クラリスはややご機嫌である。
いったい何を考えているのか。アストラとエリアスは目を合わせるが、やはり何も分からないようだ。
「レオンハルトくんは人間だよ。魔族に近しいと思うけど……そうだなぁ、どう言えばいいのか。そもそも、復活個体は人間だけど人間じゃなく……うーん。難しいねぇ、エリアスくん」
「明確なのは、やはり感情や倫理観の希薄さじゃないですか? レオンハルトくんはその観点ではしっかりと人間です。復活個体も、肉体自体は反転の性質と同じですし」
「だってさ、クラリス」
エリアスは「しまった、加担してしまった」と言わんばかりに気まずげにクラリスを見上げる。目が合うとクラリスに微笑まれてしまったからか、うんざりとした様子で目を逸らしていた。
クラリスは数度頷き、しゃがみ込んだ。ヴァレクの治癒を続けるアストラと目線を合わせ、わざとらしくにこりと微笑む。
「ありがとうございました、すべて理解いたしました。アストラ様、私を洞窟まで飛ばしてくださいな」
「…………洞窟?」
「はい。先ほどまであの方に洞窟に連れられていたのです。心当たりはありませんか?」
まるで、それだけ言えばアストラなら理解するのだろうと言わんばかりの口調である。やけにすべてを理解したようなクラリスの口調に、アストラの背後からはエリアスが鋭い目つきで睨みつけていた。ほらみろ、とでも言いたげだ。アストラは恐ろしさからそちらを見られなかったのだが、少しばかり考えたあと、諦めたように深いため息を吐き出した。
「……分かった。心当たりならあるよ」
「アストラ様!」
「もう仕方ないよ、エリアスくん。クラリスは恐ろしく頭がいいんだ。だけど君の発言のせいもあるからね、クラリスはちょっとの隙も見逃さない」
「ぐ……ですがそれは、アストラ様がちょっとずつ語るから……!」
「いいから早く飛ばしてください。あの方が完全に復活されてからでは、きっと会話は出来ないでしょうから」
ちっとも焦った様子を見せず、クラリスはやはり笑みを絶やさない。そんなクラリスが手を差し出したために、アストラはその手にそっと触れた。
「はぁ……その洞窟はおそらく、かつて湖があったところだね。ウスメアの裏山にある洞窟だ」
アストラの回答に満足げに笑みを深めたクラリスは、その後すぐに姿を消した。転移されたようだ。
まるで嵐が去ったかのように、その場が一気に静まり返る。
そんな中、エリアスが恨み言を吐き出すより早く。
治癒をされ、それまで大人しく横になっていたルーシンが突然起き上がった。
エリアスが反応するよりも素早く、ルーシンはアストラの背後に回り込むと、その首にナイフを押し当てる。
「私も、あの子のところに飛ばしてください」
いったいいつから意識が戻っていたのか。
その必死の形相に、アストラは思わず苦笑を漏らした。




