第10話
ヴァレクがゆるりと大剣を構え、男に対し踏み込んだ。
男はその場から退き、軽やかに攻撃を避ける。ヴァレクは魔法を乗せて追撃を振るうが、男はいくら攻撃をしても、じっとヴァレクの目を見ながら、奇妙に攻撃をかわし続けた。
隙がない。両者互いに様子を伺いながら、同じことを考える。
ヴァレクには躊躇いもあった。
ここでこの男を殺せば、クラリスも死ぬのではないか。
もうクラリスは居ないと思う反面、まだ可能性があるのではないかと期待する心が、ヴァレクの最後の判断を鈍らせている。
ヴァレクの剣身を、男が強く弾いた。ヴァレクの魔力が強いはずだが、男が出した魔法と相性が悪かったのか、ヴァレクの身体ごと背後に大きく吹き飛ぶ。
クラリスの魔力を使われたのだとヴァレクが気付いたのは、すぐあとだった。
「……お前、守護魔法ごと食っただろ。それは腹の中でどうなってんだ」
「さあ、僕にも初めてのことだったから分からないけど……クラリスの力が使えているから、関係なくなったんじゃないかな」
男は考えるような素振りを見せたが、すぐに興味をなくしたようにヴァレクに目を向ける。
ヴァレクは深い呼吸を繰り返し、落ち着けと自身に言い聞かせた。
クラリスには守護魔法をかけていた。セレヴァンに向かったときには、追跡魔法もかけている。その二つの魔法はまだ、解除されていない。
(腹の中がどうなってるかは分からねえが、クラリスはまだ死んでいない可能性が高いか)
守護魔法で守られているからか、それでも男がクラリスの魔力を使っているところを見ると、完全に取り込まれるのも時間の問題だろう。
ヴァレクは剣を握り直し、力強く踏み込んだ。
「腹の中に入れば、意識はなくなるのか!」
剣を振るいながら、ヴァレクが問いかけた。
「知らない」
男は剣をかわしながら、魔法を発動する。
ヴァレクの腹目掛けて放たれたそれを、今度はヴァレクが剣で弾いた。
「なるほどな。じゃあ、クラリスは死んでねえし意識もある可能性がある」
「……諦めが悪いな。それはお前の希望だ。クラリスは死んだ」
魔法がぶつかり合う。
狭い洞窟の中では衝撃が強く、岩肌が大きく削られていく。
男の魔法が洞窟を崩したその下に、ルーシンが倒れていた。ヴァレクは即座に魔法で岩を砕くと、ルーシンの腹に手をおいた。するとルーシンの姿が消える。安全な場所に転移させたようだ。
「人間は甘い生き物だ。そんな弱い奴は放っておけばいいのに」
そう言いながら、男は今度、レオンハルトに魔法を放つ。
ヴァレクはその魔法を弾き、レオンハルトも転移させようとレオンハルトの元に向かったのだが。
「ほうら、引っかかった」
ヴァレクの手がレオンハルトに触れるより早く、ヴァレクの目の前に男の脚が現れた。
それを認識した次の瞬間。
ヴァレクは顔面に痛みを覚えると同時に、大きく背後に吹き飛ばされた。
「弱い奴は捨て置け。生き残れないよ」
洞窟の岩に叩きつけられたヴァレクはすぐに立て直そうとしたのだが、衝撃から復活したときにはすでに、男の魔法が迫っていた。
鋭く黒い槍だった。
複数のそれがヴァレクに突き刺さり、ヴァレクは岩に張りつけにされる。間一髪、服に刺さった槍もあるが、数本は腕や腹、脚、掌にも刺さっていた。
「お前も弱い。ツズェルグを殺したんじゃないのか。なぜお前みたいな奴にツズェルグは……」
コツン、と、男の足音が、静まり返った洞窟にやけに大きく響いた。
焦る様子もなく、余裕のある歩みで男が近づく。
ヴァレクは槍が抜けず動けない。出血も多く、呼吸を整えながら男を睨みつけていた。
「知っているか。天使や魔族は復活する。消滅から何年後に蘇るかは分からないが、必ず復活してしまうようになっている。僕もそうだった。そして、かつて天使であった、クラリスも」
一定のリズムで響いていた足音が、ヴァレクの前で止まった。
「ツズェルグも、復活しているかもしれない」
男の背後に、黒い槍が現れた。先ほどの比にならないほどの数である。
ヴァレクはそれを見ながら、それでも不適に微笑んだ。
「……お前も、引っかかってんじゃねぇか」
言葉と同時。
男の背後から、ヴァレクの大剣が貫いた。
男の胴の真ん中から剣身が伸びる。その切先は、ヴァレクの目前で動きを止めた。
「……クラリスの魔力と、俺の魔力は相性が悪い。……今のお前は、俺の魔力で作られたその剣で貫かれるだけで、苦しいだろ」
戦いの中で手放していた大剣を、魔法で引き寄せたのか。何が起きたのかと男が振り返ると、貫いた大剣が男の脳天に向けて体を二つに引き裂いた。
大量の血が噴いた。
動けないヴァレクはそれを浴びながら、上半身を二つに裂かれた男が二、三歩ふらつきながら後退するのを、ただ静かに見守っていた。
いくらが経った頃か。流血が落ち着く頃に、引き裂かれた男の傷口が眩く光る。
目が潰れるのではないかと思えるほどの発光だった。
ヴァレクは固く目を閉じ、目を守るために顔を逸らす。
目を閉じれば、幸いにも返り血がまぶたを伝い、さらに光から遠ざけてくれた。
「ヴァレク様……?」
やがて、心地良い音が耳を打つ。
ヴァレクが反射的にそちらを見れば、そこにはクラリスが立っていた。
ただし、少しばかり見た目が違う。以前は金の髪をふわふわと伸ばしていたものだが、今は肩ほどまでの長さとなっている。瞳の色も、碧眼だったのがなぜか紫に変色していた。さらに肌は驚くほど白く、これまでの健康的な肌の色とは違っている。それはどこか人離れした、まるで男のような色味だった。
「クラリス……やっぱり、生きてたか」
「それよりも! 今外しますから!」
どうやら中身は元のクラリスのようだ。
クラリスはひとまずヴァレクに刺さった槍を外そうと手を合わせるが、すぐに首を傾げた。
「……クラリス?」
「……魔法が……」
クラリスの顔色が変わる。それだけで、ヴァレクにはクラリスが魔法を使えなくなっているのだと分かった。
見た目の変化といい、男に食われたことで何かが変わったのか。
ヴァレクよりも先に我に返ったクラリスは「ひとまず抜きますね」と、混乱しながらもヴァレクに刺さった槍を手で引き抜き始めた。
「悪いな」
「いえ、私こそ、お役に立てず……ヴァレク様の守護魔法のおかげで、完全にあの方に取り込まれることもありませんでした」
ヴァレクはちらりと、いまだ直立不動で取り残された男に目を向けた。
生きているのか、死んだのかも分からない。あの奇妙な男のことだから、死んでいる可能性は低いだろう。動かないのは単に修復が遅れてるからだろうか。
ヴァレクが男を警戒している間にクラリスが槍をすべて外し終え、ようやくヴァレクは自由の身となれた。
「ひとまず出るぞ。油断するな」
ヴァレクはクラリスを連れ、すぐにレオンハルトの元に向かった。
レオンハルトもまだ息はある。それを確認し安堵してすぐ、ヴァレクは三人で転移魔法を発動したのだが。
『無駄だ。お前は死ぬんだ』
ヴァレクの魔法が発動し、ヴァレクとクラリス、レオンハルトの三人の姿が消える直前。
どこから響いたのか、男の不穏な言葉と共に、ヴァレクの頭部が吹き飛んだ。




