第8話
逆光で姿が見えない。クラリスは現れたその人影を見ようと目を細めた。
その姿はやはりヴァレクで間違いはないようだ。背後には、ルーシンとレオンハルトも立っていた。
「殿下は下がっていてください。まずは私とレオンハルトで中に入ります」
「ルーちゃん、危険です! このお方、やはり人ではないようです! 魔族という存在のようで、」
洞窟の入り口を見ていた男の目玉が、突然ギョロリとクラリスに向けられる。
「クラリス。魔族はもう存在しないよ。僕はあくまでも、魔族に近い人間だ。……おや」
レオンハルトが巨大な銃を顕現すると、男の目は再びそちらに向けられた。
男はやや驚いたように目を瞠る。
「驚いた……彼はとても……魔族に近しい力を持っているね」
小さな言葉は、クラリスにだけ届いた。
男はどこか嬉しげに、その感情のない瞳に輝きを宿す。小さな声で「あれは誰の復活個体だろう」と呟いたかと思えば、レオンハルトに狙いを定めたようだった。
「レオンハルト! 逃げてください!」
クラリスの忠告と同時に、男は踏み込んだ。
レオンハルトが銃を構える。その銃口を越え、レオンハルトの目の前に男が現れた。
「あれ? お前、会ったことがあるな」
「影の、反転魔法」
レオンハルトに男の手が伸びる。その背後でルーシンは合掌し、手をずらした。
レオンハルトが銃身で男に殴りかかるが、男は難なくそれを交わす。そんな二人の背後。
手を逆三角に合わせたルーシンの影が、ぐんと伸びた。
影は真っ直ぐに男の影に向かう。
男はその影の動きを冷静に見ていた。やがて伸びた影が、男の影に混じるのだが。
「きゃ!」
「聖女フィリス!」
ルーシンの魔法が弾かれ、使っていた逆三角形が崩された。その衝撃が大きく、ルーシンは体勢を崩す。
咄嗟にレオンハルトがルーシンのそばにやってくるが、ルーシンの背後にはすでに男が立っていた。
「おかしいな。お前。おかしい。その力はなんだ」
「どきなさいレオンハルト!」
聖槍を顕現したルーシンが、男に斬り掛かる。間一髪で避けたレオンハルトに対応して、男はひらりと聖槍をかわし、二人から距離をとった。
「奇妙だな。クラリス、君はやっぱり魅力的なんだ。こわなに変な奴らも魅了してしまう」
「どうでもいいんだよそんなことは」
一歩、ヴァレクが前に出た。それを庇うように、レオンハルトがやや前に立つ。
男の目はまっすぐにヴァレクに向いていた。
「あー、お前。ツズェルグの力を持ってる奴だ。僕はお前を殺さないといけない」
「やってみろ」
ヴァレクの挑発に男を警戒して、ルーシンとレオンハルトが構えた。
そんな洞窟の入り口付近でのやり取りを遠目に見ながら、クラリスはなんとか自身の手錠を外そうと、手を岩に叩きつける。
「お前の魔法が邪魔でクラリスを食えなかった」
「てことはお前、そのツズェルグとやらよりも力は弱いってことだな」
男の眉がぴくりと揺れる。
「……当たり前だ。ツズェルグは誰よりも強い。それを何故、お前のようなただの人間が宿せる」
ギリギリと、男の歯が強く噛み合わさり、不快な音を出す。
「やはりお前がツズェルグを殺したのか」
「知らねぇって言ってんだろ。しつけぇな」
ヴァレクは、携えていた大剣を抜いた。
「レオンハルトと北の聖女はクラリスを保護しろ。俺がこいつの相手をする」
「いえ、私も手助けします。聖女フィリスがクラリス様を、」
「お前も行け。……狙いがそっちに向かないとも限らねぇんだ」
レオンハルトが一瞬、ルーシンに目を向けた。ルーシンは一人でも大丈夫とでも言いたげだが、レオンハルトはヴァレクの言葉にひとつ頷く。見届けたヴァレクが、レオンハルトに鍵を渡した。
「……分かりました」
「行かせないよ。全員殺してあげよう」
ルーシンとレオンハルトが駆け出すと、それを止めるように男が手を伸ばした。反射的に振り向いたレオンハルトがシールドを発動し、ルーシンを突き飛ばす。
目に見えない鋭い何かに攻撃されたレオンハルトは、その威力に負けて洞窟の岩肌に叩きつけられた。
それを見届ける間もなく、ヴァレクが男に斬り掛かった。
男はヴァレクを見ながら、剣を軽やかに避ける。その目はずっとヴァレクに向けられているが、レオンハルトとルーシンには片手間に魔法を繰り出し、クラリスに近づかないようにと攻撃を続けていた。
「みなさん引いてください! 私は大丈夫です!」
クラリスが必死に叫ぶが、洞窟が崩される音が大きく、三人には届かない。
手錠は頑丈だった。どれほど岩に叩きつけても壊れる様子もなく、ヒビすら入らない。
こんな状態のクラリスが加勢をしても、足を引っ張るだけである。
まとまらない思考を持て余しながら、クラリスはなおも岩に手錠を叩きつける。
手首からは血が流れていた。狙いを外した荒々しい岩がぶつかり、クラリスの柔肌を傷つけている。
「早く、早くこれを外さないと……!」
男の魔力は圧倒的だ。それこそ、ヴァレクでなければ渡り合えないだろう。
視界の片隅で、ルーシンとレオンハルトが洞窟に叩きつけられながら、クラリスの元にたどり着こうとしているのが見えた。諦めていない目だ。ルーシンなど、頭から血を流し、ふらつきながら立っている。
「ルーちゃん、レオンハルト! もういいです! 私は大丈夫ですから!」
ゴッ! と、強烈な音と共に、男が激しく吹き飛ばされた。奥にいたクラリスを通り越し、最奥の壁に叩きつけられる。
瞬時にそれを理解し、クラリスは慌てて立ち上がる。ヴァレクも無傷ではないだろう。クラリスは動けないわけではない。今ここで、クラリスから向かわなければ。
「鍵をください! 私も戦います!」
瓦礫に埋もれていたレオンハルトが、力を振り絞って立ち上がった。
クラリスが駆けて来る。その姿を見て、レオンハルトはクラリスに向けて鍵を投げた。
「クラリス!」
なぜかヴァレクが焦ったような顔をしていた。
しかしクラリスは構わずしゃがみ込み、足元に落ちた鍵を拾う。
慌てないようにと手錠に鍵を差し込み、外そうとしたのだが。
「君はまた、僕を見ないんだね」
真後ろで、声が聞こえた。
それに振り向くと同時、ヴァレクの魔法がクラリスを追い越す。しかし男はそれを弾いた。
「どうしていつも僕のものにならない」
男の手が、クラリスの細い首を強く掴んだ。追いついたヴァレクが斬り掛かるが、男はクラリスを連れて大きく背後に跳躍した。
「もういいや、その守護ごと食ってしまおう」
「クラリス!」
カチリと、解錠の音が聞こえた。
それは、クラリスの頭に、巨大化した男の口がかぶりつくのと同時だった。




