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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第4章

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第6話

 大聖堂の最奥には、司教室がある。

 司教はそこで日々仕事をこなし、時には国の重鎮と会話をすることもある。

 被害が最も大きかったとされる北の大聖堂の司教室は、それでも誰も到達できなかったのか、破壊されていなかった。北の市民が必死に食い止めていた結果とも言える。

「いやあ、無事で何よりでしたよ、アストラ様」

 司教室にやってきたアストラとヴァレクを見て、先に待っていたエリアスがにこやかに迎える。

 もちろん、来客用のソファに座ったエリアスのそばには、ルーシンとレオンハルトが立っていた。

「あれ、無事かな私。こんなにボロボロにされてるのになぁ……君もすごく痛々しいねぇ。何、トゲにでも刺されたの?」

「あはは、避けていたつもりが、複数本当たってしまって」

 ヴァレクが、捕まえていたアストラを乱暴にソファに座らせた。さらには逃げ出さないように、エリアスのそばに立つレオンハルトのように、ヴァレクもアストラのそばに控える。

 レオンハルトと共に立っていたルーシンが、すぐにクラリスの存在がないことに気がついた。

「……殿下、クラリスは……」

 ルーシンの表情が強張る。レオンハルトも、硬い表情でヴァレクの言葉を待っている。

 すると、口を開いたのはアストラだった。

「『サズィラ』という男にさらわれた。ほんの少し目を離した隙にね」

「……どういうことですか。あの男がなぜここに……」

「前回立ち去る際、サズィラという男は『次に会うまでに時間がかかる』と言っていた記憶があります。その割にはクラリス様との接触が早すぎるように思えますが」

 レオンハルトの言葉に、ルーシンも同意見なのか数度頷く。

「俺にも分からねぇよ。けどあいつは居た。クラリスを連れて行きやがった」

「……私があの手錠をつけていたからでしょうね。あの手錠は魔法が使えなくなるので、魔力の制限はされないとはいえ、多少影響はするのでしょう。おそらく彼も、クラリスの気配が薄れていたから狙い目だと踏んだのではないでしょうか」

「どうしてそんなものをクラリスに……!」

「私はクラリスの魔法とは相性が悪くて、私でもクラリスを抑えられるか分からなかったからね」

 飄々と答えるアストラには、エリアス以外が眉を寄せた。

「そもそも、今回の件もどういうおつもりですか、司教が二人揃いも揃って! 国をどうするつもりなんですか」

 ルーシンの声がやや震えている。怒りがおさまらないようだ。背後で拳を握りしめるルーシンを、エリアスが怯えたように見上げていた。

「……まあつまり、私たちは潜入捜査をしていたってことだね!」

 ごつん! と、ヴァレクの剣身がアストラの頭頂部に落ちる。

「いだっ! 殿下! 何をするんですか!」

「何をじゃねぇ! それならそうと一言ぐらい言っときやがれ!」

「どうして司教がそんな危険を犯すんですか」

 ヴァレクのように殴ってやりたい気持ちを持て余しながら、ルーシンがなんとか問いかける。その目は鋭く、嘘をつこうものなら今度こそ殴られるなと、アストラは本能的にそんなことを察した。

「……クラリスを崇拝する者が集団化していることに気付いたのは、随分前だった。それこそ、クラリスが前世の記憶云々言い出すよりもうんと前で、王宮の一部でそんな話をしていることを聞いてしまったときだったかな。その頃にはすでに人数も集めていたようでね、野放しにするには危ないと判断した」

「そのときに俺たちに相談すりゃ良かっただろ」

「陛下には伝えましたよ。王宮内にも複数信者が居ましたから。ただ、殿下やクラリスを巻き込むには、信者たちの凶暴性を思えばあまりにリスクが高いと考え控えました。お二人を危険にさらすわけにもいかなかったので、ひっそり終わらせようと思っていたんですよ、これでも」

 エリアスの背後に立つルーシンが、じろりとアストラを睨み付ける。

「ひっそりと、ですか。随分大規模になっていますが? それに、どうしてエリアス司教を巻き込んだんです?」

「ルーシンさん、私の背後で冷ややかな空気を出さないでくださいね。あなたは怖いんですよ、すぐ殴るから」

 エリアスの軽口は、あまりに鋭いルーシンの視線であっさりと制される。

「いやぁ、君たちが良いタイミングで旅に出るって言い始めたから、それなら国中一掃しちゃおうかなぁと思ってね。以前からエリアスくんには相談していたことだったから、協力をお願いしたんだ」

「アストラ司教もエリアス司教も、そうやって軽く考えていたんですね。ミレナさんは危険にさらされ、無関係な怪我人も多く出ました。北の地を筆頭に、国中でです」

「……ある程度は仕方がないものだと思っているよ。こうしなければ、根本の悪は根絶やしにできなかった。現に王宮に蔓延っていた信者は、コリー・ヒューズマンを筆頭に全員炙り出して追い出せたんだ。放置していれば、王宮から侵略されていただろうね」

 ルーシンの拳がとうとう、強めにエリアスの頭に落ちた。

 それを受けたエリアスは一瞬ふらつき、「どうして私に……!」と頭を押さえてうずくまる。

「あんたたちを信じていた私たちが馬鹿でしたね! 司教がこんなにも浅はかだとは思ってもいませんでした! 一言くらい相談があればもっとうまく出来たはずです! それこそ、クラリスも危険に晒さなくて良いはずだったのに!」

「……相談、できなかったのではないでしょうか」

 レオンハルトの冷静な言葉は、その場にやけに静かに落ちた。

 まるで水の中に落とされた一滴の雫が波紋を広げるように、その言葉はルーシンとヴァレクに確かに届く。

「相談をしたかったけど、できなかったのでは。アストラ司教のことはこれまで近くでよく見ておりましたが、クラリス様に対し、先ほど話されたような理由で、魔力を無効化する手錠をつけるまでされるとは思えません」

 その場のエリアス以外の目が、アストラに移った。しかしアストラは不思議そうにレオンハルトを見て、首を傾げている。

「何の話かな? 私は嘘をついていないよ。ただ『素晴らしい人間』ではなかっただけだけど」

「……なるほど、レオンハルトの推測は一理あるわね。なにせ、エリアス司教は反転の性質だったもの。今回の件はそれも含めての計画だったから、下手なことを話せなくて相談できなかったとか」

「……なんだと? エリアスが?」

 ヴァレクの言葉に、エリアスは焦る様子もなく、ただ目を逸らす。

「間違いありません。エリアス司教は反転魔法を使いました。北の聖地はご存知の通り浄化の器が人工物ですから、前にも話しましたが、反転の性質は侵入しやすいんです。おそらく二人は古い知人なのではないでしょうか。そしてアストラ司教は、何らかの目的で北の司教としてエリアス司教を指名した。確か、王都の司教に、地方の司教の指名権は大きくあったはずです」

「……なるほどな。本当の目的を知られてしまうわけにもいかないために、エリアスが反転であると隠す必要があり、俺たちに相談できなかったと」

「おそらく……。エリアス司教が私たちの前で反転魔法を使ったのはミスでしょう。レオンハルトに対抗するにはそれしかなかったのだと思います」

 ヴァレクがじっと、アストラを見下ろしていた。しかしアストラは涼しい顔だ。そのようなことを言われることすら想定内だと言いたげである。エリアスに関してはすべての発言をアストラに任せているのか、ただ口をつぐんでいる。

 意味深な二人に切り込んだのは、レオンハルトだった。

「……あくまで仮説ですが……アストラ司教は、今回の件にサズィラという人物が絡んでいたから、私たちには相談できなかったのでは」

 シンと、重たい間が落ちた。誰も反応を見せない。

 そんなアストラとエリアスの様子に目を細め、レオンハルトは言葉を続ける。

「あの方は人間ではありませんね。そしてとても強い。それこそ、私よりも強い『反転』に近い力を持っているように思えました。あの方がクラリス様や殿下に関連している様子でしたから、何らかの計画半ばでクラリス様たちに接触されては困るようなことがあったのではないでしょうか」

「それなら辻褄が合うわね。ミレナさんに乗り移っていた人格もあのサズィラって男が手を引いていたみたいだし、あの男でも北の大聖堂なら入れるんでしょうし。国もまさか、大聖堂で悪いことを考えてるなんて思わないんでしょうから、ここは最高の隠れ蓑になる」

「つーことはなんだ、お前らは国家転覆でも狙ってたのか?」

 アストラの背後から、ヴァレクが突然、アストラの襟元を掴み上げた。いきなり首が締まり、アストラは「ぐえ」と情けない声を出す。しかし焦る様子はなく、むしろ穏やかに笑っていた。

「なるほど、君たちは素晴らしいパーティーだったんだね。いやぁ驚いた。そこまで考えていたとは」

「……はぁ。もう伝えても良いのではないでしょうか。なんにせよ、私たちは彼とは関わっていませんからすべて誤解です。私の性質もたまたまですからね」

 そんなふうに語るエリアスの目は、アストラを探るように見ていた。

 アイコンタクトは、二人にしか意味を為さない。アストラは少しばかり悩んだあと、数度浅く頷く。

「分かったよ。……ただし、言えないことも多いから、それだけは分かってほしい。そして間違いないのは、私たちは真実、国家転覆なんて考えてもいない。君たちの敵でもない。クラリスがさらわれたのだって誤算だった。ねえ、エリアスくん」

「はい。誓って」

 落ち着いた声を最後に、室内は静まり返った。

 ヴァレクたちはそれぞれ目を合わせて確認を取り、全員が半信半疑であることをそれぞれがなんとなく理解する。

 話を聞くまでは何が真実かは分からないのが本心だろう。

 アストラもそれを分かっていたのか、返事を待つこともしなかった。

「まず、サズィラという人物と私たちは繋がっていない。私が今回の件でミレナ・ルクレティアと会話をしたときにはすでに、別の人格が彼女の中に入っていた」

「……つまり、あいつとお前は目的がちげぇと言いたいのかよ」

「そういうことになりますね。ただし、彼の目的を私は知っています」

 そこで、アストラがくるりと、背後に立つヴァレクに振り返る。

「彼はクラリスを狙っています。クラリスを取り戻すことに必死だからです。彼はその目的のために、一部の人間……私たちが今回潜入していた団体の者たちが『クラリスを狙っている』という状況に気がつき、それを利用しました」

「……どういうことですか」

 ルーシンが眉を顰める。

「彼はクラリスの盲目的な信者である人物を利用して、クラリスを自分のところに連れてこようとしていた。それだけだよ」

「だからそれがなぜかって聞いてんだ。あいつはクラリスと『一つに戻ろう』だなんだと抜かしてやがったが」

「それにあの男は、最初の聖女の名前と同じですよね。ですがあれは、髪が長いだけでしっかりと男でした。偶然でしょうか」

 ヴァレクとルーシンの重なる問いかけに、アストラは思わず苦笑を漏らす。

「まあ落ち着いて、説明するから。……だけど急いだほうが良い。クラリスが危険だ」

「なぜ」

 ヴァレクの声は厳しく響く。エリアスと一度目を合わせ、アストラは一つ頷くと静かに立ち上がった。

「彼は、最初の聖女だ。そしてクラリスとは、かつて『ひとつ』だった。文字通り、ひとつだったんだ。彼がクラリスを食ったからひとつになっていた、というのが正しいんだけどね。彼はまたクラリスを食い、ひとつに戻ろうとしている」

 

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