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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第4章

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第4話

 北の大聖堂は、北の都であるルザリアの端に位置している。

 そのため、基本的に自然の中に構えられる『聖地』が、北の大聖堂は、他の大聖堂よりも近い距離に構えられていた。

 要は自然が近くにある。北の大聖堂にやってきたルーシンとレオンハルトは、木々に囲まれる中、大聖堂に収まりきらない者たちが集まっているのを目にして、思わず足を止めた。

「聖女を出せ! 偽物を八つ裂きにしろ!」

「神を名乗る冒涜者だ! 大聖堂を壊せ!」

 そこかしこから怒号が飛び交う。警備の者や対応できる執務者たちがなんとか抑えてはいるが、突破されるのも時間の問題だろう。

 怪我人も多い。大聖堂を破壊する際に怪我をしたのか、血を流す者たちは暴動より少し離れたところに横たえられていた。

「……レオンハルト、あんたって、大勢を一気に気絶させることとかできる?」

 暴動より少し離れたところで、その騒ぎから目を離すことなく、ルーシンは拳を強く握りしめる。

「……反転の干渉魔法はリスクが高いですが、一応可能です。……正面突破するつもりですか? 裏口から入ったほうが……」

 レオンハルトが気にかけるのも無理はない。押しかけた者たちはみなそれぞれ鎌やらスコップやら、自宅から持参できる武器を持って大聖堂を破壊している。怪我人も多く、大聖堂の敷地内はあまりに悲惨だ。

「リスクが高いなら、動きを止めるだけでもいい」

 声は強く、真っ直ぐにレオンハルトに届く。

 言葉の後、決意した瞳がぐるりとレオンハルトを見上げた。

「私が奥に行けるように、道を作って」

 そう言って、ルーシンは返事を聞くことなく飛び出した。

 慌ててレオンハルトが構える。押し寄せた者たちがルーシンに気付き、一部が鬼のような形相で振り向いた。

「見つけたぞ! 神の紛い物だ!」

「捕まえろ!」

「影の反転魔法」

 レオンハルトは五本指を揃え、両手で逆三角を作った。

 するとレオンハルトの影が広がり、ルーシンに向かってぐんと伸びる。

 その影がルーシンを追い越し、ルーシンに集まろうとする者たちの影を捕らえた瞬間。

「反逆者を捕らえろ」

 レオンハルトは、両手で揃えていた指の、中指だけをずらして握り込んだ。

 すると突然、まるで時が止まったかのように、ルーシンに対して武器を振り上げた者たちの動きが止まる。

「な! 動けねえ!」

「誰か! 誰か代わりにやれ!」

 動きを止めた者たちの隙間を縫って、ルーシンは無事礼拝堂に入り込む。

「聖女フィリス! 制限時間があります! 十五分で片をつけてください!」

 手を解いたレオンハルトは、銃を出してルーシンを追いかけた。

 手を組んでいる間に時間制限はないのだが、レオンハルトもルーシンの援護があるために、いつまでも突っ立ってばかりではいられない。

 先に駆けていたルーシンは、伸びる影が押しかけた者たちの動きを止めていくのを見ながらレオンハルトの言葉を聞き届け、それでも振り返ることなく大聖堂の奥を目指す。

 広い礼拝堂を駆け抜け、ようやく奥の扉に行き着くかというところだった。

「おや、ルーシンさん」

 コツン、と、硬質な音を響かせて、エリアスが礼拝堂にやってきた。

 ルーシンがエリアスの動きに気付いているということを理解し、さらにそれを繕うつもりもないのか、暴動の最中というのに落ち着いた様子である。

 ルーシンは即座に察した。

 エリアスは、ルーシンがエリアスを疑っていることに気付いている。この暴動に噛んでいる。アストラも居る。

 ルーシンは、裏切られたのだと。

「エリアス司教ッ!」

 エリアスに向かって駆けながら、ルーシンは顕現魔法を発動した。

 その手に、光と共に聖槍が現れた。エリアスに焦った様子はない。エリアスがその掌を向かってくるルーシンに向けるのと、ルーシンが聖槍を容赦無くエリアスに振りかざすのは同時だった。

 聖槍が、エリアスに触れることなく動きを止めた。

 その瞬間、ルーシンに向けて突風が起きた。

「危ないじゃないですか」

「どうしてこんな馬鹿なことを……!」

 聖槍が届かないことをすぐに諦めたルーシンだったが、すぐに二振り目を当てる。

 しかしそれも、見えないシールドに突風と共に止められた。

「馬鹿なこと? 覚えがありませんが」

 エリアスの目が、ルーシンの背後で手を組むレオンハルトを捉えた。

 反転魔法の発動。それに気付き、エリアスはルーシンを大きく弾くと、自身も手を組み始めた。

 両手を重ね、中指と薬指以外は重ねずに伸ばす。生まれた三角形を、くるりと下に向けた。

「反転魔法」

 エリアスの詠唱に、ルーシンが息をのむ。

「『深淵』」

 自身に向けられた魔法であると、レオンハルトは少し遅れて気がついた。

 離れていたのがいけなかったのかもしれない。

 反射的にエリアスに向けて銃を構えたが、その照準がガクンと揺れた。

「レオンハルト! 逃げなさい!」

 ルーシンが慌てて振り返る。

 レオンハルトの足元に広がった闇から、複数の手が伸びているのが見えた。

「どうしてエリアス司教が……反転魔法を……!」

「聖女フィリス、俺に構わず!」

 レオンハルトは、なおもその銃口をエリアスに向ける。

 ルーシンがレオンハルトの元に向かった。

 その背後で、エリアスが漆黒の弓を顕現している。矢を弓にひっかけ、ルーシンの背を狙っていた。

「聖女フィリス!」

 レオンハルトの足はやや闇に沈んでいた。複数の手に引っ張られ、平衡感覚も危うい。

 トリガーを引こうとするも、照準が定まらない。

 エリアスが腕を引いた。ルーシンを狙っている。

「大丈夫よ、私は強いの!」

 レオンハルトの元にやってくる直前、ルーシンがくるりとエリアスに振り向いた。

「祈りの、整律魔法」

 祈るように重ねていた両手を、指先のみを残して離す。

 するとルーシンの背後から、いくつもの光のナイフが現れた。

「あなたの罪を許しましょう」

 複数のナイフがエリアスに向かうのと、エリアスが弓を放つのは同時だった。

 ルーシンはとっさに避けようしたが、すぐに背後にレオンハルトが居ることを思い出す。躊躇うルーシンを、レオンハルトがとっさに押し退けた。

 光が弾けた。

 視界の片隅で、エリアスがルーシンの魔法を消失させたのだと理解した。

 しかしルーシンは振り向くことなく、半ば突き飛ばされるように押し退けられて、なんとか体勢を整える。その視界の先で、動けないレオンハルトがなんとか矢を避けようと身動ぐのが見えた。しかし避けきれず、矢はレオンハルトの腕をかすめる。

 レオンハルトの体がゆっくりと沈む。ようやくやってきたルーシンが、レオンハルトを引っ張り出そうと腕を掴んだ。

「聖女フィリス、離してください! おそらくこの闇は、あなたに害があります!」

「いいから、一旦出るわよ! あんたこのままじゃ沈んじゃうから!」

「この闇は俺には害はありません、俺が反転の性質だからです! だけどあなたは違う!」

 レオンハルトの魔法で動きを止められていた民衆が、その言葉にざわりと揺れる。

「どういうことだ! あの男は聖女セントクレアの護衛だったはず……」

「反転だと? 呪われた存在が神の近くにいたのか」

「あいつを殺せ! 神のそばに置いていたらいけない!」

 目だけでレオンハルトとルーシンを見て、人々は口々に毒を吐き出した。

 それに構うこともなく、ルーシンは必死にレオンハルトの腕を引く。しかし引っ張り込む力が強く、ルーシンの力では状況は変わらない。

「隙だらけですよ、ルーシンさん」

 ルーシンの背後。

 やってきたエリアスが、必死なルーシンを覗き込む。

「聖女フィリス、一旦逃げてください! 十五分が経ちます、彼らの魔法が解ければ、必ず俺を狙います!」

「うるっさい!」

 ぐっと、掴んでいたレオンハルトの腕に、ルーシンが体重をのせた。気付いたレオンハルトは反射的にそれを支える。

 すると重心を任せたルーシンは、床を蹴り上げて軽やかに体を捻る。

「おっと」

 背後に立つエリアスに打ち込まれた回し蹴りは、少々よろけながらもエリアスの腕に止められた。

 しかしすぐに足に力を入れて反動をつけたルーシンは、その勢いで離れたところに着地する。

「虚空の、反転魔法」

 指を折込み展開したその魔法に、レオンハルトとエリアスだけでなく、周囲の民衆も反応した。

 反転魔法。その言葉を聞き、民衆の目つきも変わる。

「聖女フィリス、なぜその魔法を……!」

 レオンハルトの魔法の発動から十四分。あと一分で民衆が自由になる。反転魔法を詠唱するルーシンを見てさらに過激になった民衆が、解放されてルーシンをどうするかは火を見るより明らかだ。

「このテリトリーの中で、仇なす者を捕らえよ」

 周囲が騒がしく、詠唱はエリアスには届かなかった。

 しかしエリアスは、呆気に取られたようにルーシンを静かに見ていた。

「ルーシンさん……あなたは最初から規格外でしたが、まさかそこまでとは」

 突然、地面からトゲが突き出した。それはエリアスの足元から、エリアスの顔に向けて勢いよく伸びる。

 エリアスは寸前のところで避けるが、周囲から一気に複数本のトゲがエリアスを狙う。それらも軽やかに避けていた。

「今のうちに! あんた、重いのよ……!」

「俺のことはいいんですよ! 早く逃げてください、俺の魔法があと少しで、」

 言い終わるより早く、民衆の一部が突然転げた。動けなかったはずが急に解除されて、重心が狂ったのだろう。しかしすぐに立ち上がると、落とした武器を持って立ち上がる。

「聖女フィリス! 俺は良いのであなたは行ってください!」

「私はあんたを見捨てない! あんたと、世界を変えるの! ようやく見つけたのに!」

 レオンハルトはすでに、腹まで闇に沈んでいた。闇から生える手がさらにレオンハルトを誘う。しかしルーシンは諦めず踏ん張って、必死にレオンハルトの腕を引っ張っていた。

 魔法の解けた民衆が、鬼のような形相でルーシンとレオンハルトの元に迫っている。

 レオンハルトがルーシンの手を振り払い、魔法を展開するべく両手で逆三角を作った。

 その瞬間だった。

「全員動くな! 北方防衛騎士団だ!」

 破壊された大聖堂の入り口から、騎士団員が侵入していた。外に居た者たちはすでに取り押さえられている。

 そんな様子を呆気に取られながら見ていたルーシンは、レオンハルトがいつの間にか解放されていることに気がついた。

「レオンハルト、あんたさっきの魔法は……」

 その場に座り込むレオンハルトの視線の先。

 そこで、トゲにぼろぼろにされたエリアスが、穏やかに微笑んでいた。

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