第2話
「思ったよりも深刻だったな。アストラとエリアスが一緒にいるかは分からないが……こちらに居た場合、俺たちが対応する」
「分かってます。私は第一に暴動の鎮静と、大聖堂に取り残された同僚たちの避難をします。殿下とクラリスは、司教をお願いします」
「そういえば、アストラ様とエリアス様ってどれほどお強いのでしょうね」
緊迫感の高まる場に、クラリスの声がのほほんと響く。
「……どうだろうな。アストラはクラリスの前でも魔法を使わねぇのか」
「はい。魔法を使う場面も聖女のほうが圧倒的に多いですし……ふふ、ですがきっと、思いきり魔法を使っても死なないのでしょうね。楽しみです」
柔らかな言葉とその音の中に、微かに冷ややかな刺が混じる。ルーシンもレオンハルトもそれに気付いたからこそ、普段のように場違いなトーンを咎めることもない。
「ねえルーちゃん、私もアストラ様を殴ってみますね。初めてなのでうまくいくかは分かりませんが」
「……いいわね、そうしましょ。馬鹿なことに手を染める司教なんだからちょうどいいわ」
「怪我しねぇようにな。殴る側も案外痛ぇもんだぞ」
しばらく走ると、遠くから喧騒が聞こえた。大聖堂の方向からだ。少し距離があるはずだが、そんな場所から喧騒が聞こえてくるとは、余程荒れているらしい。
慌てて馬を止めたヴァレクは、次いで止まった二人を振り返り、馬を降りた。
「俺たちは北の聖地に向かう。こっちは頼んだ」
「はい」
馬を安全な場所に置いて、ルーシンとレオンハルトは大聖堂に向かって駆け出した。それを見届けたヴァレクは、すぐに転移魔法を展開した。馬を使っても良かったが、危険であることと、二人での移動になるためにそちらが良いと踏んだのだろう。
クラリスも意図を察してヴァレクに寄り添ったのだが、
「聖女セントクレア! お待ちください!」
大聖堂のある方向から、一人の小太りの男が駆け寄ってきた。ルーシンたちと入れ違いである。
頭のてっぺんが薄く、残り少ない髪と立派に生やされた髭は白い。でっぷりとした体を重たそうに揺らしながら、クラリスたちのもとにやってくる頃にはもう、男は息を激しく切らしていた。
「……コリー・ヒューズマン、なぜあなたがここに? 法務局の第一補佐官であるあなたは暇ではないはずだが」
「ああ、これはこれはヴァレク殿下。私は暇ではないのですが、この度の件で、ルザリア大聖堂の対応を任されたのです。私もつい先ほど到着し、どうしたものかと」
スッと目を細めたヴァレクが何かを言うより早く、クラリスがヴァレクの服の裾を引っ張った。
ヴァレクを見上げるクラリスは、何かを伝えているようにも見える。一瞬迷ったヴァレクだったが、この場は任せるとでも言いたげに黙り込んだ。
「こんばんは、ヒューズマン閣下。いつぶりですかねぇ……んー、とっても久しぶりにお会いできて嬉しいです」
甘ったるい声に、のんびりとした口調。その態度に驚いたヴァレクは、すぐにクラリスが「演技をする」と言っていたことを思い出した。
そういえばこの場には、彼女の真実――社畜の精神を宿していることを知る者はいない。
性質を封じられた後のクラリスは、確かにこんなふうに柔らかく、儚げだった。ヴァレクは胸の奥に微かな痛みを覚えながらも、彼女の機転に安堵の息を吐く。
「おお、そのように言っていただけるとは……身に余る光栄でございます。そうだ、聖女セントクレア。アストラ司教が探しておりましたので、ぜひ一緒に」
「あら……アストラ様が……」
小さく震える声。
その一言のあと、クラリスは不安げにヴァレクを見上げた。
だが――コリーには見えない角度で、彼女の瞳が一瞬、鋭く光を帯びる。
演技の裏に潜む「覚悟」を読み取ったヴァレクは、ほんの数秒だけ目を閉じ、思考を沈めた。
そして静かに、息を吐く。
「……分かった。コリー・ヒューズマン、俺は暴動を沈めることに尽力する。クラリスを頼んだ」
「もちろんでございます、殿下」
それでもヴァレクの足取りはすぐには動かない。
視線だけで、言葉にできない想いをクラリスへ託すように見つめ――彼女の微笑が、まるで別れの合図のように見えた。
ヴァレクは転移魔法の光に包まれ、北の聖地へと姿を消す。
風の音が、急に重たく感じられた。
コリーはヴァレクの消えた空間をしばし見つめたあと、ゆっくりと振り返り、へらりと口の端を上げた。
「それでは聖女セントクレア、こちらへ」
「はぁい」
ふわりとした返事――その瞬間、空気が変わる。
コリーの指先が素早く動き、次の瞬間には呪符がクラリスの腕に貼り付けられていた。
淡い光が紫に変わる。
魔力が流れ込む音が空気を震わせ、クラリスの体が小さく揺れる。
まるで糸の切れた人形のように、彼女が崩れ落ちかけたのをコリーが抱きとめた。
「……これで……ようやく、クラリス様の世界が……」
その声は、歓喜とも狂気ともつかない。
コリーは震える手で彼女を抱き上げ、傷つけぬように魔法で浮かせる。
そうして焦ることもなく、しっかりと地を踏み締めてどこかに向かっていた。




