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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第1章
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第3話

 王都の西、グラディス伯爵領内にはあるが辺境地であるノールウェンという土地は、緑に恵まれ、作物が豊かに育つ、動物と人間が共存する穏やかな場所である。

 ルステリア王国内でも景勝地として有名で、洞窟や湖など、人の手を加えず自然のままを残している。

「グラディス伯爵様もこの地がお気に入りでした。もちろん私もです。ですから私は代官として、このノールウェンという景勝地を守るため、ここに屋敷を構え、よく気にかけていたのです」

 自身の自宅に四人を案内したディモンは、暗い表情を浮かべながら、みなに紅茶を入れていく。

「ですがある日……グラディス伯爵様のご息女であるアナスタシア様が観光で訪れた際に、怪しげな者たちがこの地にやってまいりました」

「……それまで、その者たちを見たことは」

 考えながら発せられたヴァレクの言葉に、ディモンは首を振る。みなの前に紅茶を並べ、自身も椅子に腰掛けた頃に口を開いた。

「ございません。ですが、おそらく男女どちらもおり、三名で訪れました。性別が分からないのは、頭から真っ黒なマントを被っていたからです。そのフードはあまりに深く、容姿も見えておりません」

 ディモンは渋い表情で続ける。

「私は代官として、アナスタシア様と同行してこの地におりました。するとその者たちが唐突にアナスタシア様に声をかけ、石を渡しました」

 そこまで言うと、ディモンは近くのチェストから一つの石を取り出し、四人によく見えるようにテーブルに置く。

 見たこともないような美しい石だ。角度によって色が変わる。そんな石は、売っているところなど見たこともない。

「……これは、霊石だな」

「そうですね。この類のものは、私とは相性が悪そうです」

 睨むように見ていたヴァレクが、触れることもなく告げた。石を見ていたクラリスも、納得したように頷く。

 二人を見ていたディモンだったが、やはりそうかと眉をひそめた。

「……それで、ディモン代官。この霊石は分かったのですが、アナスタシア様はどちらに? よければアナスタシア様からもお話を伺いたいのですが」

「それが……アナスタシア様は、消えてしまって」

「……消えた?」

「何が起きたかも分かりません。突然、アナスタシア様が光に包まれたのです。私は咄嗟にアナスタシア様を引き留めようと手を伸ばしました。そして気がつけばアナスタシア様は消え、私の手はこのように……」

 クラリスが何かを考えるように腕を組む隣、ヴァレクはじっと霊石を見ていた。

 ディモンが改めて両手を出した。その手にはやはり肉はなく、真っ白な骨が残るばかりである。

「おそらく、霊石の誓約に反したのかもしれませんね」

 悩ましい声で言葉を挟んだのは、悩ましい表情であるが故にさらに強面になったレオンハルトだった。

「霊石を実行する際には契約を結ぶ必要があり、使用者は必ず一つ、その契約と同等の代償を払います。それを誓約として霊石との契約が結ばれるのですが……霊石との契約を解除する前にその誓約に反した場合、呪いが返ります」

「……え! じゃあ殿下も何か誓約を……」

 霊石の利用にそんなやりとりがあると知らなかったルーシンは、クラリスの性格の一部を封じる霊石を利用したヴァレクも何か代償を払ったのかと、一番にそれが気になった。

 じろりと、ヴァレクの鋭い視線が向けられる。ルーシンは口を押さえたが、遅かったようだ。

「あら、ヴァレク様も霊石を使われたのですか? いけませんね、ゆくゆくは一国の王となる方が、霊石に頼って何か道理を曲げた願い事をするなど……それに、霊石の呪いは通常の呪詛とは比べものになりません。それこそ、人間の手が一瞬で白骨化するほどです。……ディモン代官、被害はあなただけですか?」

 クラリスの関心が自然にディモンに戻り、ヴァレクは分かりにくくホッと胸を撫で下ろした。別の意味で、ルーシンもだが。

「……いいえ。実は、このノールウェンすべてに、奇病のように蔓延しております。先ほども人が居なかったでしょう。あれは、白骨化する醜い姿を周囲に晒したくないために、みな引きこもっているからです。かつてのノールウェンの姿は、今は跡形もなく……」

 ルーシンは、霊石をじっと見ていた。

 霊石知識がないからこそ、あまりに禍々しい気を放っているそれが事態なのかと、ルーシンには信じられなかった。

「事情は理解しました。ふふ、偶然にもアストラ様の負担軽減となることに出会えるとは……なんという僥倖でしょう」

「……またアストラかよ」

「しかしおかしいですね。幻晶術師はこの世界で二名です。二名には監視がついておりますが、そもそも悪事に手を貸すような者はおりませんし、なによりそんな隙もありません」

「ええそうです、レオンハルト。ミレナ様はご自由ですが国民が困るようなことは絶対にいたしません。ルーク様も引きこもりで人が嫌いですが、だからこそ厄介ごとは好みません」

 ディモンは何の話をしているのか分からず、話の結末を見守っている。普通に生きている領民はそもそも「霊石」というものを知らず、幻晶術師という存在も分からない。初めて飛び交う単語ばかりで、ついていくのに必死である。

 頭を抱えたのはヴァレクだった。深いため息を吐く。

「……つまり、王宮に申請していない幻晶術師がどこかに居ると」

「そういうことですね」

「あー……面倒くせぇ」

「ひとまず、ディモン代官、本件は私たちにお任せください。アストラ様のお耳に入る前に対処してみせましょう」

「……あんた、アストラ様の耳に入る前に対応済みの報告をして褒められようって魂胆でしょ……」

「ふふ、ルーちゃんったら、違いますよ。私がそんな欲望のままに動くわけないじゃないですか。これはただノールウェンの方々の幸福を願ってのことです」

 いいや絶対に褒められたいからだ。ルーシンは、クラリスの満更でもない表情を見て確信した。

「……ですが、伯爵家のご令嬢が、怪しい者に唆されて霊石との契約を取り付けるなど、実際にあり得るのでしょうか。あまりにも浅はかな選択と言いますか」

 レオンハルトの疑問は最もである。答えたのはクラリスだった。

「一般の方の霊石の知識はほぼゼロです。そう考えれば、口車に乗せられてもおかしくはありません。あるいは……ディモン代官、アナスタシア様は、その怪しい者たちと何か会話をしていませんでしたか?」

「しておりました。私が不覚にもアナスタシア様から離れた一瞬の間に接触されていたので、途中からしか聞いておりませんが」

 アナスタシアが家族へのお土産にと選んだものを、ディモンが購入手続きしている一瞬の隙だった。待っていたはずのアナスタシアの姿が消え、離れた場所で怪しいフードの連中に絡まれていた。

 ディモンが慌てて駆け寄ったが、怪しいフードの連中は逃げ出すこともなく、そのままアナスタシアと会話を続けていたのがディモンには不気味だった。

「確か『この石に祈りの魔法を込めると良い』と……アナスタシア様はにこやかにその話を了承して『これで聖女になれる』と言っておりました。そして次の瞬間、姿を消したのです」

「なるほど、なるほど……だんだん繋がってきました」

「……あんた、その情報だけでどうやって繋げてんのよ」

 霊石についての知識がほとんどないルーシンには点で分からない。ヴァレクは理解しているのか微妙……そもそも興味もなさそうだから考えているのかも分からないが、少なくともレオンハルトは、ルーシンと同じほど今回のことを分かっていない様子だ。

「というか、これ本当に霊石なの?」

 なんだか悔しいルーシンは、腑に落ちない顔で霊石を見下ろす。

 ルーシンが霊石を見たのは二度目だ。一度目はアステル大聖堂でアストラが見せてくれたが、あの霊石は今見ている霊石よりも美しい色をしていた。いや、色だけでいえば七色も美しいのだが……ルーシンの感覚的に、なんとなく今見ている霊石が美しいとは思えなかった。

「なんというか、もっと神秘的なものかと思っていたんだけど……なんだかちょっと、禍々しいっていうか……」

 ルーシンが、気軽にその霊石に手を伸ばした。咄嗟にルーシンとクラリスの間に立っていたレオンハルトが、ルーシンの動きを止めに入る。しかしクラリスによって軽く手で制されては、レオンハルトも動けなかった。

 すると、ルーシンとは反対側のクラリスの隣に座っていたヴァレクが、思わずといったように身を乗り出した。

「待て! 契約のわからない霊石には触れるべきでは、」

 ルーシンの指先が霊石に触れ、そしてヴァレクの指先がルーシンに触れたときだった。

 眩い光が発生し、一気に視界が奪われた。

 時間にして五秒ほど。光が落ち着くと、ようやく全員が目を開く。

「なっ! これは……!」

 レオンハルトは反射的に、携えていた剣に触れた。ディモンは椅子を倒して立ち上がり、驚愕をその顔に浮かべている。

 クラリスの両隣から、ヴァレクとルーシンが跡形もなく姿を消していた。

「やはりそうですか……」

 この場で落ち着いているのは、クラリス一人である。

「聖女様、殿下は……!」

「落ち着いてください、ディモン代官。レオンハルトも。二人はおそらく無事ですよ」

「落ち着いていられますか! ヴァレク様の身に危険があればどうなるか……!」

「分かっています。では、私の考えを話しましょう」

 座って、という仕草をクラリスから受け、ディモンは大人しく椅子を戻して腰掛けた。レオンハルトは立場上、クラリスの背後に立ったままである。

「まず、グラディス伯爵家のご令嬢であるアナスタシア様は、よくアステル大聖堂に来てくれていたので、実はお友達なんですよ。私のような聖女になるのが夢だからと、祈りの魔法を学んでいるのだとか……たくさん夢をお話してくれていました」

 照れ臭そうなクラリスに、ディモンは数度頷いた。

「はい、その通りです。アナスタシア様は、聖女セントクレアに大変憧れておりました。聖女セントクレアの見習いになりたいと、アステル大聖堂を常に夢見て日々励んでおりましたから」

「そうですよね、彼女はとても熱心でした。最初は確かに夢見る少女のようだと温かく見守っていられたのですが……祈りの魔法があくまでも適性しかなく、使うに値するほどの魔力量はないと言い始めたあたりから、少々様子が変わってきまして……」

 思い当たることがあったのか、ディモンはさっと顔色を変える。

「……はい。アナスタシア様は、幼い頃から聖女セントクレアに憧れておりましたので、聖女となるべく、もう長く祈りの魔法を学んでおりました。しかしついふた月ほど前、とうとう講師に言われてしまったのです。アナスタシア様の適性が伸びることはないと、アナスタシア様には祈りの魔法は使えないと……そのときのアナスタシア様のご様子は、今思い出しても胸が痛みます」

 レオンハルトが気にするように、クラリスの様子を伺う。そんなレオンハルトの動きを予知していたのか、クラリスは大丈夫だと言わんばかりに微笑んだ。

「その直後だったのですね。アナスタシア様がアステル大聖堂を訪れ、私に初めて弱音を吐きました。私は慰める役割はありませんから、ただその胸の内を聞くばかりだったのですが……最後に『それでもあなたのような聖女になります』と、最後にそう残して帰ったのだけが気がかりでして……そして、今回のことです」

「つまり、グラディス令嬢のその気持ちが、何者かに利用されたということですか」

 ディモンはさらに悲痛に顔を歪めた。クラリスはそんなディモンを尻目に、レオンハルトに強く頷く。

「その通りです。ここからは推測ですが、その怪しい者たちは契約していない状態で霊石を持っていました。そして何らかの目的があり、アナスタシア様が聖女になりたいという気持ちを利用して、会話の中で自然に契約を結ばせました」

「そのようなことが可能なのですか?」

「可能です。霊石に触れさせ、会話の中で契約に対し断定する言葉を吐く、あるいは復唱させることで簡単に結べます」

 静かに聞いていたディモンだったが、とうとう「あの……」とおそるおそる口を開く。

「霊石の契約とは、そんなにも簡単に結べるものなのでしょうか……そんなことがあれば、この世は大変なことになってしまうと思うのですが……」

「その危惧はもっともですね。ですがそもそも、霊石は簡単に手に入るものでも、出回っているものでもありませんから、この世界が大変になることはないでしょう。そして、霊石の契約に必要な条件は三つ。一つは、霊石に触れること。一つは、契約を口にすること。一つは、その思いが本物であること。それがなければ霊石と契約はできません」

 クラリスは喉を潤すように、紅茶を一口含む。その甘さに、クラリスはふっと頬を緩めた。

 反してレオンハルトとディモンは渋い顔だ。レオンハルトなど特に、ヴァレクが気になって仕方がないという落ち着きのなさである。

「アナスタシア様は霊石の存在も誓約なんてことも知りませんから、おそらく普通に会話をしただけと思っているのでしょうね。そしてアナスタシア様自身の祈りの魔法の適性に反応した霊石から、ディモン代官が彼女を引き離そうとした。それを、誓約に反すると霊石にみなされて、呪いが返ったのではないでしょうか」

「……では、ヴァレク様はどちらに」

 結局気になるのはそこなのか、レオンハルトは真っ先に問いかける。

 どこかに転移されたのだろうと、そんな可能性を考えていたレオンハルトだったのだが、

「この中、ですかねぇ」

 クラリスは、七色の霊石を困ったように指した。

「では、アナスタシア様も……!?」

「ええ、おそらく。……ご存知の通り、適性はあれど、魔法の属性はほぼ生まれで決まります。稀に異常が発生して、遺伝とはまったく関係のない属性が生まれることもありますが、基本的に一人に一つの属性が遺伝子によって決まっています」

 何気ない言葉に、レオンハルトがピクリと眉を揺らす。

「まあつまり、祈りの魔法は学んで手に入れられるものでもありません。アナスタシア様もそれを分かっていながら頑張っていたのでしょう。しかしある日、講師の言葉で心が完全に折れました。そんなアナスタシア様の心の穴を埋めるように、怪しい人たちから、こう言われたのかもしれません。『祈りの魔法をここに閉じ込めて、あなたが使えばいい』と」

 ――この石に祈りの魔法を込めると良い。

 確かにディモンは、それに似た言葉を聞いた。もしかしたらディモンが聞く前に、会話の中で「祈りの魔法を閉じ込める」と言っていたのかもしれない。

「霊石にニュアンスは関係ありません。たとえば誰かに『この石に祈りの魔法を込めると良い』と言われたとしても、契約者の頭の中にある願望が『祈りの魔法をここに閉じ込める』というものであれば、それを叶えようとします。もしディモン代官の合流前にそのような話をされて、イメージを植え付けられていたとしたら、不可能な現象ではありません」

「……どういうことですか」

「単純に、異空間に閉じ込められたのです。祈りの魔法を持つ、あるいは、適性のある者たちが。それ以外は、誓約違反として弾かれます、ディモン代官のように」

 レオンハルトはディモンの手を見て、ようやく、ルーシンを止めようとしたレオンハルトを制したクラリスの行動の意味を理解する。もしクラリスが止めていなければ、レオンハルトも、周囲の誰かさえも巻き込まれて白骨化していたかもしれない。

「ルーちゃんは祈りの魔法を使えますし、ヴァレク様は属性は違いますが、祈りの魔法の適性はありますから、弾かれることはないと確信していました。それに、こういった禁忌の呪詛に対する知識を持つ者が、あっちとこっちで別れて居てくれるほうが有難いので」

「……ああ、なるほど。聖女フィリスは反転魔法を使えるからですか」

「そうです。そしてあなたも」

 穏やかに笑いながら、クラリスはディモンへ視線を戻す。

 ディモンは会話についていけていないようだ。戸惑うように瞳を揺らしていた。

「大丈夫ですよ、ディモン代官。何かに巻き込んでしまってすみません。あとはすべてお任せください!」

 クラリスは拳をぐっと握り、良い笑顔を見せた。背後でレオンハルトが「どうして相談もなくいつもあなたは……」と、クラリスの独断の行動に頭を抱えていたのは余談である。

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