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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
閑話2

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閑話2・3

 各聖地には『清浄の器』を保管している小さなお社がある。それは必ず水場の近くに用意され、古くからあるとは思えないほど綺麗に保たれていた。

 そのお社では儀式もおこなわれるため、十人程度は入れるだろう。儀式は半年に一度。この器を浄化する儀式である。そしてお社の奥には小さな祠が置かれ、その中に器が保管されている。

 そんな北の聖地のお社で一人、アストラは送られてきた短簡をじっと眺めていた。

 書かれていたのは簡素な文章だ。あまり深く読む必要もないのだが、考え事をしているために動きが止まっていた。

「アストラ様、またここに居たんですか」

 エリアスがお社を覗く。そこでようやく、アストラも顔を上げる。次には、待っていた短簡をエリアスに見せるようにひらつかせた。

「ミレナ・ルクレティアが解放されたらしいよ。監視から『セレヴァンで見つけた』と報告があった。記された様子から見ても、もう彼女(・・)の人格は消えていると思う」

「そうですか。では、()は手を引いたと」

 お社に入り、エリアスはアストラから短簡を受け取る。

「いやー、どうだろうねぇ。彼は、クラリスにとんでもなく執着しているから」

 短簡を読みながら、エリアスはアストラのそばに腰掛けた。

「ミレナ・ルクレティアを戻したのは、やはりクラリスさんたちですかね?」

「だろうね。殿下も居るし、彼と渡り合うには充分だ」

「では、彼とクラリスさんが接触した可能性がありますね」

 エリアスはひと通り読み終えて、短簡をアストラに返す。受け取ったアストラはそれをもう読むことはなく、そっと自身の隣に置いた。

「接触されていたら少し困るなぁ。いつかは知られることだけど、タイミングはこちらで選びたいよねぇ」

「まあ、そうですけど……知られたくないのは、クラリスさんのことですか? それとも殿下のこと? あるいは、アストラ様自身の?」

「どれも知られるには重たいけれど」

 短簡を軽く撫でながら、アストラは軽く息を吐く。

「ひとつが知られてしまえば、すべてが芋づる式に明らかになる。どれも知られるべきではないよね」

「……長く世界を見ていると、しがらみが増えて大変そうです」

「本当だよ。おかげで私は、彼に会うことも憚られる。会ってしまえば最後、絶対に彼には詰められるだろうしね」

「私が言うのもあれですが、間違いなく詰められますね」

 他人事であるからか、エリアスが楽しげに笑う。 

「そんなアストラ様に、朗報が」

「動きでもあった?」

 焦るでもないアストラの言葉に、エリアスがこくりと頷いた。

「すべての大聖堂で暴動が起きているようです。クラリスさんを神にと望む、我々が集めた信者たちの強行ですね。もちろん北の大聖堂も大変だそうで」

「なるほどね。それじゃあ、最後の仕上げだ」

 気が向かないとでも言いたげな緩慢な仕草で、アストラはゆっくりと立ち上がった。エリアスもそれに続く。

「エリアスくんって、殿下と戦えるんだっけ?」

「無理です。敵いません。分かっているでしょう」

「ふふふ、まぁね」

「誇らしげにしないでくださいよ。そもそも、殿下とクラリスさんだけじゃなく、あのレオンハルトくんと、うちのルーシンさんも居るんですよ? 純粋な戦闘力だけでいえばカンストしてますよあのパーティ。レオンハルトくんなんてほぼ魔族でしょう」

「いやぁ、私たちから引き離したい人材でパーティを組ませたら、最強になっちゃったよね」

「なっちゃったよね、ではありません。ちょっとは最後のことも考えてください」

 エリアスの渋い表情に反して、アストラはどこか楽しげだ。

 北の聖地から北の大聖堂までは少し離れているために、二人はあえてのんびりと大聖堂へと向かっていた。


     *


「え! 霊石、作らなくていいですか……!?」

 大きな声を出したのはミレナだった。

 レオンハルトを中心に北の聖地へ向かう準備を進めていた中、突然思い立ったようにヴァレクがミレナの部屋を訪れた。

 ミレナの大きな声に、背後で荷物を運んでいたクラリスが優しく微笑む。しかし何かを言うでもなく、クラリスはそのまま二人に背を向け、その先を歩くルーシンに小走りに駆け寄っていた。

「……え、い、いいんですか……? だって、聖女セントクレアの命が……」

 さすがに小声になったミレナに、ヴァレクはがっくりと肩を落とした。

「……あいつに聞かれていた、から、理由をすべて話した。その上で、作るなと言われた」

「…………し、従うんですか」

 ミレナは、ヴァレクがどれほどクラリスを思って霊石生成の依頼を出したかを知っている。だからこそ、クラリスが危機に晒される可能性のある選択をすることに、少々違和感を覚えた。

 そんなミレナの気持ちも分かるのか、ヴァレクは納得していないような顔をして、自身の頭を乱暴に掻きむしる。

「不服だけどな。……あいつ、前世では働きすぎて命を落としたから、それを反面教師にしているらしい。悪いことじゃねぇし……あいつがこの旅の中で変わったのは事実だ。悪いようにはならねぇほうに賭けたい」

「……つまり、一緒に乗り越えたいと」

「まあ、直接的に言えばそうなるか」

 とりあえず生成は不要だと、ヴァレクは再びそれを伝えて、荷物を運ぶ流れに合流した。

 

 ――ある日、ミレナの元に突然、お忍びでヴァレクが訪れた。

 そのときのヴァレクはひどく焦った様子で、ただ一言「何も聞かずに『記憶』と『性質』を封じる霊石を作ってくれ」とだけミレナに伝えた。しかし霊石の生成は繊細で、詳細まで理由を話してもらう必要がある。そのためミレナだけは最初から事情を知っていて、さらに最初の段階で「聖女セントクレアや陛下に話して解決すべきです」という意見も伝えていたのだが、当時のヴァレクは決して首を縦には振らなかった。

 代償には何でも差し出すから、絶対に失敗しないようにと。それだけを伝え、ヴァレクは固い表情のまま立ち去った。

「……そっか。話せたんだ……」

 そしてヴァレクのその言葉を、クラリスも聞き届けてくれたのか。ミレナは当時を知るからこそ、今のこの状況が嬉しくて、つい一人で笑ってしまった。

 

 クラリスたちが出立の準備を終える頃、ルークがミレナの元を訪れた。氷狼祭の間中ミレナの元を訪れるつもりだろうか。ルークはやってきて早々、ミレナの元に向かい、クラリスたちには一瞥もくれなかった。

「世話になったな。お前たちはまだ氷狼祭に参加するのか?」

 見送りのために宿の外に出たミレナと、それについてきたルーク。そして馬を連れたヴァレクとクラリスが、二人を振り返る。その背後では、レオンハルトとルーシンが荷物を馬に乗せていた。

「はい! あと三日は楽しむ予定です! ふふ、私の実家にも顔出したいので!」

「そうか。二度と人格乗っ取られるなよ」

「それは大丈夫です! 今回のことで私を心配してくれたラキちゃんが、もう二度と私に何も入り込まないように内側に結界を張ってくれましたから」

 えっへん、と胸を張って、ミレナは左手をヴァレクに見せる。薬指に指輪があった。そこには桃色の霊石が輝いている。そんなミレナの背後で、ルークがにちゃりと怪しく笑った。

 ちなみに、内側に結界を張るのは高等技術となる。霊石の限界を常に突き詰めている霊石オタクのルークだからこそ成し得た技なのだろう。

「ミ、ミレナさんは僕がまも、守らないとね……」

「ラキちゃんにそう言ってもらえると心強いなぁ」

「……お前が思うより今の言葉は重たいぞ、ルクレティア……」

「まあまあヴァレク様、素敵ではないですか。ミレナ様も分かっていますよ」

 ヴァレクの呆れたような目には、照れくさそうに笑うミレナは気付かなかった。

「殿下、クラリス様、準備が終わりました。行きましょう」

「おう。それじゃあ」

「はい! みなさまもお気をつけて!」

 ミレナは元気に手を振ったが、ルークは興味がないのか、ミレナのことしか見ていなかった。

 セレヴァンを出るまでは、氷狼祭で人が多く、馬に乗ることは出来ない。そのため、ミレナとルークと別れはしたが、ヴァレクたちは街中では馬を引いて歩いていた。

 氷狼祭の人並みが一部、街外れに向かっている。ヴァレクの隣を歩いていたクラリスはそれに気付き、少し背後を歩くルーシンにやや振り向いた。

「ルーちゃん、街の外れに人が向かっていますが、あれはどこに行っているんですか?」

「? ああ、あの人たちね」

 クラリスの視線の先には、何やら紙袋やぬいぐるみなど、様々なものを持った人々が居る。クラリスの言葉に引っ張られ、ヴァレクやレオンハルトもそちらを気にしていた。

「氷狼祭の最後に、大切な物や清めたいものを白狼様に献上したり、供養をお願いするための焚き上げがあるのよ。それを持って行ってるんだと思う」

「……なるほど」

 クラリスは少しばかり考えて、再びルーシンに目を向ける。

「それはどちらに?」

「何、持っていくものでもあるの?」

「ふふ、はい」

 いったい何を考えているのか。いつもならば深掘りするルーシンだが、考えるような間を置くと、すぐに数度頷いた。

「……レオンハルト、ちょっとこの馬頼める? あの子案内してくる」

「構いませんが……」

 レオンハルトが心配そうにクラリスとルーシンを見たが、レオンハルトの杞憂を察したのか、すかさずルーシンが「大丈夫よ」と言葉を続けた。

「すぐに戻るから。何かがあっても、私もクラリスも負けないわよ」

「そうかもしれませんが、そうではなく」

「いいじゃねぇか、レオンハルト。お前ら、早く追いつけよ」

「はい、もちろんです」

 ヴァレクの許可を得て、ルーシンは手綱をレオンハルトに渡した。しかしレオンハルトは納得いっていない様子だ。連れ立ってどこかに向かうクラリスとルーシンの背を見て、物言いたげである。

「よろしいのですか、殿下。サズィラという危険な男が現れたばかりで、聖女フィリスも雪に足をとられて不測を取る可能性もあります」

「……いいんだよ。思うところがあるんだろ」

 ヴァレクはクラリスの意図を分かっているのかそれ以上は何も言わず、それ以降も、レオンハルトがクラリスたちについていくことにも許可を出すことはなかった。

 ルーシンが案内をしたのは、一本道を外れた先にある大きな社だった。

 立派な社だ。土地も広く、何十人が訪れているというのにまったく狭く感じない。

 社の前には、円状の薄い膜が浮かんでいた。その中では様々な物がふわふわと漂っている。

「ここに入れておけば最終日に燃やしてくれるわよ。燃やされたものは、煙になって白狼様に届くの。献上した物はプレゼントとして受け取って大切にしてくれるし、清めたい物は白狼様が綺麗にしてくれる」

 ルーシンの説明に頷いて、クラリスは布を取り出した。その布は真っ赤に染まっている。ルーシンは布を見て訝しげに眉を寄せた。

「ちょっと……何それ?」

「リリアナ様を留めた人形です。おそらくあのサズィラという方の力で壊れてしまったのですが……」

 布をそっと開くと、バラバラになった人形があった。

「人格をこの人形に入れるとき、少しだけリリアナ様の記憶が見えました。リリアナ様はとても純粋な方です。彼女も被害者でした」

「被害者って……だけど、ミレナさんはその女のせいで拒絶反応まで起こしてたのよ? 対応が遅かったら死ぬところだった」

「正義とは分からないものですよ。誰かの都合によって、悪にも正義にも変わります。私たちの掲げる正義も、誰かにとっては悪です。リリアナ様にとっての正義が、私たちにとっての悪に作用してしまっただけで」

 言いたいことは分かるけど……と呟いて、ルーシンは唇を尖らせる。

「リリアナ様は、サズィラという方に『使われ』ました。彼の目的は私です。彼は、リリアナ様の盲目的な信心を利用して、私を捕らえようとしたのです」

「記憶を見たの?」

「はい。……リリアナ様はただ純粋に、私を慕ってくれていただけでした。だからこそ、白狼様の元で幸せになってほしいと思います」

 人々がそれぞれ持ち寄った物を膜に入れていくのを見ていたクラリスだったが、すぐに自身が持っていた人形も、そっと膜の中に押し込んだ。

「……行くわよ。あのサズィラって奴のこと、アストラ司教をとっちめてぶっ倒さなきゃ」

「まあルーちゃん、私のことを心配してくれているんですか?」

「当たり前でしょ。……悪かったわよ。あんたのこと、王都の聖女に相応しくないみたいなこと言って」

 用事を終えた二人は、すぐにヴァレクたちのところに戻るべく踵を返す。

 クラリスよりも少し前を歩くルーシンは、気まずそうに俯きながらも、クラリスを振り返ることはない。

 雪を踏み締める音が、やけに大きく聞こえた。

「あんたはすごいわ。私が知らないだけだった。いや、知ろうともしていなかっただけかも。……認めたくなかったのよ。私が王都の聖女になれない理由は『反転』だからだって思っていたかったから」

 言葉尻は弱々しく、言葉が雪に溶けていく。

「とにかく! 殿下もきっとあのサズィラって奴をどうにかしなきゃって考えてると思う。せっかくだし、今のうちに私たちで危険因子は潰しときましょ!」

 拳を握り締め、勇ましく雪を踏み締めるルーシンの背後。クラリスは慌てて、その背に続く。しかし表情はあまり明るくはない。

「……私も、この旅でルーちゃんのことを知ることができて良かったと思っています」

 大通りへと向かっていたルーシンだったが、クラリスの声のトーンが落ちたことに気付いて、スピードを緩めた。

「これまで、一人で生きていたつもりだったんです。他の聖女ことなど考えたこともありませんでした。すべて自分で成さなければ、誰にも頼らず最短で遂行しなければとそればかりで……誰かに助けを求めるとか、誰かが助けてくれるとか、考えたこともありませんでした」

「そうでしょうね。なんとなくだけど、あんたの前世がどんなだったか分かるし……仕方ないんじゃない? 誰かに必要とされるって感覚に、飢えてたんでしょ」

 クラリスは驚いたような目をルーシンの背に向けた。ルーシンは振り返らなかったが、変に間が空いたことでクラリスの疑問を察したらしい。

「何、どうして分かったのかって? 分かるわよ。頼ることも知らない、一人で頑張ろうとする人間はね、誰かに必要とされたくて、認められたくて必死なの。私もそうだったから分かる」

 氷狼祭で賑わう声が近づく。大通りが見えてきたようだ。

「その感覚は地獄よ。あんたがそれに気付けて、直そうと思ってるのならよかった」

「……う、うぅ……ルーちゃん……!」

「うわ! なによ!」

 大通りに出る直前、クラリスが背後からルーシンに飛びついた。ルーシンは雪に足を取られてバランスを崩したが、なんとか転けることなく足を踏ん張る。

「私! ルーちゃんが頑張っていることはすごくよく知っていたんですが、それ以外の、優しいところとか頼り甲斐のあるところとか、人間性は全然知らなくて……! ルフテン大聖堂のリリュエルちゃんが助けてくれたときも、本当に嬉しくて……私、馬鹿でしたぁ……!」

「うるさい! ちょ、目立つから本当、静かに!」

「私、私、もっとみんなを信じるべきだとヴァレク様にも言われて……! 誰かのために何かをしようと思ってはいるくせに、その『誰か』のことは知らないなんて本末転倒です!」

「もう分かったから! いいから早く殿下たちのところに戻るわよ! アストラ司教とエリアス司教に問い詰めることが山ほどあるんだからね!」

「うう、はい! 戻ります!」

 涙目になるクラリスを引き剥がすと、ルーシンは照れ臭さを隠すようにさらに勇み足で大通りへと出た。

 大通りは人が多いために、雪もあまり積もっていない。そのためルーシンはさらにスピードを上げて、クラリスはやや泣きながら必死にルーシンに小走りに続く。

 少し歩くと、セレヴァンと森の境目に、ヴァレクとレオンハルトが立っていた。ヴァレクは何やら一枚の紙を見下ろし、渋い顔をしている。しかし二人が戻ってきたのを見つけると、その紙に用は無くなったのかレオンハルトに渡していた。

「早く行くぞ。緊急だ」

「何かあったんですか」

 クラリスとルーシンは、二人の様子に慌てて駆け寄る。

「王都以外の東西南北の各大聖堂で暴動が起きているらしい。押しかけているのは一般市民で、口を揃えてクラリスが神なのだから王都以外に大聖堂はいらないと主張しているとのことだ」

 クラリスとレオンハルトが、心配そうにルーシンに目を向けた。

「東西南の大聖堂は聖女と司教が居るから大丈夫だろ。問題は北だ。聖女も司教も居ねぇ」

「……そう、ですね。私はともかく、エリアス司教も離れているとなると……」

 ルーシンの顔色が、だんだん青ざめていく。しかしヴァレクは冷静に馬に乗り、クラリスも乗るようにと手を差し出した。

「東西南の大聖堂には状況報告をするように連絡をしている。近衛にも連絡を入れておいたからそのうち動くだろ。俺たちは北に急ぐぞ」

 

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