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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第3章

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第8話

 サズィラ、と呟いたのはルークだった。

 その呟きを聞いたヴァレクが、弾かれたように剣を振るう。

 分厚い剣身が薄ピンクに食い込むと、男の目がのそりとヴァレクを見上げた。

 次の瞬間だった。

 食い込んだ剣身が、クラリスと男を分断するように振り下ろされた。

 薄ピンクが弾けて消える。幻想的な光景の中に、血飛沫が散った。

 クラリスの頬に触れていた男の腕が、ヴァレクの剣により斬り落とされたからだ。

「クラリス!」

 座り込んでいたクラリスを、男から引き離すようにヴァレクが引っ張り上げた。バランスを崩してヴァレクの腕の中におさまったクラリスは、何が起きたのかと、驚いたように男を見下ろす。

「…………へぇ、こりゃあすごい。僕の腕を落とした」

 関心したように言うくせに、その目にはやはり感情は浮かばない。

 血が噴き出していた切断された腕から、瞬きの間に腕が生えた。クラリスはその光景に思わずヴァレクの服を握りしめ、ヴァレクは咄嗟にクラリスを背後に庇う。レオンハルトも、即座に銃を構えた。

「何者だ」

「やっとここまで来ることができたよ、クラリス。頑張ったんだ。君のような存在に近づくには、僕は命懸けだから」

「寄るな」

 一歩、クラリスに近づいたその男に、ヴァレクが剣を構える。

 クラリスしか見ていなかった男の目が、ぎょろりとヴァレクに向けられた。

「…………お前、なに?」

 男から危険性を感じ取ったのか、レオンハルトが銃口を男に向ける。ルーシンも聖槍を構え、一歩前に出た。

 雰囲気から異様な男だった。

 瞬きをすることなく、男はヴァレクに腕を伸ばす。その手のひらがヴァレクに向けられるのと、ヴァレクがクラリスを突き飛ばすのは同時だった。

「きゃあ!」

「殿下!」

 男の手のひらで黒い渦が巻いたかと思えば、それは真っ直ぐにヴァレクにぶつかった。

 ヴァレクは剣身で受けるが、威力が強く、足が浮いた。咄嗟に庇うようにレオンハルトがヴァレクの背を受け止めるが、レオンハルトごと背後に吹き飛ばされる。

 木製の宿の壁は凄まじい音を立てて破壊され、隣のクラリスたちの部屋まで貫通した。

「殿下、ご無事ですか……!」

「ああ、悪ぃ。ンだよあいつ……」

 木屑をどかしながらふらりと起き上がったレオンハルトに支えられ、ヴァレクも立ち上がる。

 とてつもない威力だった。そして魔法を使ったわけでもなさそうで、ヴァレクは探るように男を睨む。

「……お前、その剣」

 声が聞こえた。

 ヴァレクは剣を構えたが、剣身のすぐ先に男が居た。

 レオンハルトが至近距離から黒雷をまとう弾丸を放つ。しかし男は怯えることなく素早く手を構えると、その手のひらに弾丸を飲み込んだ。

「邪魔」

 男が弾丸を飲み込んだ手をヴァレクの居ない方向にスッと動かすと、その動きに合わせてレオンハルトの体が吹き飛んだ。

「レオンハルト!」

「この剣、ツズェルグのものだ」

 レオンハルトに駆け寄ろうとしたヴァレクの剣を、男が掴んだ。一見して分からない強い力だ。ヴァレクの動きは制御される。

「どうしてお前がこの力を持ってる?」

 男の目が怪しく光った。

 その瞬間、二人の間に光の矢が複数降った。剣を掴んでいた男の腕に光が触れると、焼ける音と共に瞬時に焦げる。

「おっと……すごいな、さすがだ」

 先ほどまでとは打って変わって、男はにこやかに振り向いた。

「クラリス、君の力は本当にすごいよ。さすがの僕も、きっと君には勝てないもの」

「……ヴァレク様から離れてください」

 魔法を発動したクラリスは、その手を合わせて男を睨みつける。

「今度は、あなたの体に当てますよ」

「……どうしてそんなことを言うの。君はいつもそうだ。僕がどれだけ愛を語っても、いつも素っ気ない態度を返す」

 ――ああ、こいつのせいかな。

 男は独り言のように呟くと、瞬時に後ろに手を伸ばし、ヴァレクの首を掴んだ。

「ヴァレク様!」

 ヴァレクは男を引き離すよう魔法を発動するが、押さえ込まれているようだ。多少力は和らぐが、手が離れることはない。魔力が抑制される感覚は初めてで、ヴァレクにも何が起きているのかが分からなかった。

 首を掴んだ腕に力が入り、持ち上げられると、ヴァレクの体が浮く。

「……お前が、ツズェルグを殺したのか?」

 男の言葉が分からず、ヴァレクは振り解くことに必死だ。

「ヴァレク様から離れてください!」

 クラリスがもう一度魔法を発動しようとしたとき、部屋の窓に、ビシリと大きな音を立てて亀裂が走った。

 その場の目がすべて窓に向けられる。

 ヒビの入った窓はバラバラと砕けるかと思いきや、今度は外から突風が吹き、破片が部屋の中へと飛んできた。

 そのうちの大きなガラスの破片が、真っ直ぐに男の首に突き刺さる。

「ぐっ……なん、だ?」

 男の手から力が抜けた。

 解放されたヴァレクは咳き込みながら立ち上がると、男を睨みながら剣を構える。

「……これは……土地神か」

 首に刺さったガラスを引き抜いて、男は煩しそうに呟いた。

「……クラリス。また君に会えるようになるまで時間はかかるかもしれないけど、必ずまた来るよ。そのときに、僕たちは一つに戻ろう」

 クラリスは警戒を解かず、言葉を返すこともなかった。

 しかし男は気にしなかったのか、笑みを浮かべて手を振ると、黒い煙と共に姿を消す。

「……なに、あいつ」

 ミレナを守るように立っていたルーシンは、構えていた聖槍を握る手から力を抜いた。ルーシンのそばでミレナを抱きしめていたルークはまだ緊張している。

「……あ、あの女の、記憶の中に居た、サ、サズィラって、奴だ……あれは、に、人間じゃない」

「クラリス、あいつを知ってんのか」

 レオンハルトと共に、ヴァレクが貫通した部屋から戻ってきた。ヴァレクの首には指の跡がついており、まだそこに違和感があるのか、ヴァレクはその跡を気にするように首に触れている。

「……知りません。会ったこともないはずです」

 クラリスの困った様子からは、嘘をついているようには思えない。ヴァレクは少し考えていたが、それ以上何かを言うことは無かった。

「ミレナ・ルクレティアをベッドに寝かせて、あとはこの部屋どうにかしねぇとな」

「殿下! 殿下、ご無事ですか! とんでもない爆音が聞こえましたが!」

 ドンドン、と扉を強く叩く音と共に、店主の焦った声が届く。

「大丈夫だ、騒いですまない。みな無事だから安心してくれ」

「そうですか、そうでしたか、それなら良いのですが……何かありましたらすぐに申しつけくださいね」

 店主は心底心配そうにしながら、それでもヴァレクに「大丈夫」と言われては強くは出られないのか、大人しく引き下がったようだ。店主の足音が遠ざかるのを確認し、ヴァレクは早速魔法で壁の修復を始めた。クラリスもそれを手伝っている。

 ルークはミレナをベッドに横たえたいが力が足りず、気付いたレオンハルトが手を貸していた。

「……アーゼル様。サズィラという人物が人間ではないと、なぜ分かったのですか」

 ミレナをベッドに寝かせると、レオンハルトがルークに問いかける。ルークはミレナの様子を気にしながら、レオンハルトを見ることなく口を開いた。

「……れ、霊石の生成ができる人間は、ま、魔力がないのは知ってると、思うんだけど」

 部屋の修復をしながら、ヴァレクとクラリスは横目にルークを窺う。

 幻晶術師は、魔力を持っている者はなれない。それは誰もが知る事実であり、だからこそ希少な存在といわれている。

 なぜ魔力のある者ではいけないのか。それは、霊石は魔力ではない力によって不可能を可能にするモノであり、魔力が混じるとうまく生成できないからである。

 魔力とは生命力だ。意識する、しないに関わらず、何をするにも生じてしまう。それは、霊石の生成においても言えることである。

 ルーシンは霊石や幻晶術師に明るくないために今知ったような顔をしているが、そのほかの者はみな、ルークの言葉に頷いていた。

「魔力がないからこそ……あの、分かるんだ、ま、魔力の純度って、いうのかな……その……あいつのそれは、本能的に、ゾワゾワってする、感じで……」

「つまり、あのサズィラという人物の魔力が、通常の人間が持つものとは違うと?」

 レオンハルトの純粋な質問に、ルークはすぐに首を振った。

「……あの男は……魔力、というか、えっと……そういうのを感じなかった」

 どういうことだ。そう聞いたのは、部屋の修復を終えたヴァレクだった。

「……ま、魔力は生命力だ。だけど、魔力は、魔力なんだ。……だ、だから、その……僕たちみたいな、魔力のない人間は、なんかこう、分かるんだよ、ま、魔力と生命力の違和感というか……む、難しいんだけど……」

 ミレナの元に居るルークのそばに、ヴァレクがやってくる。ルークはびくりと怯えると、一歩分、しっかりとヴァレクから距離をとった。

「そ、それが、あのサズィラって奴からは、か、感じなかったから……そもそも人間じゃないんじゃないかって、思った……だけ」

 ミレナを見下ろしながら、尻すぼみなルークの言葉が消える。間が落ちたところで、少し離れたところから様子を見ていたルーシンが、何かに気付いてベッドの近くにやってきた。

「ていうか、ねぇ、ミレナさんはどうして起きないの? もう人格は戻ったのよね?」

 少し焦った声だ。

 ルークもそう感じていたのか、だんだん顔色を悪くしていく。

「……わ、分からない……起きるはず、なのに……」

「失礼しますね」

 クラリスが、ミレナの口元や胸に手を置き、息を確かめる。するとぴくりと眉を揺らし、手を合わせてすぐ、両手をミレナの胸と腹に置いた。

「え、なに、ねぇ、な、なに、どうして、何が起きてる、えっ、ミレナさんは、」

「落ち着きなさいよ。クラリスが今確認してる。この子は光属性で回復系に強いの。任せて大丈夫よ」

 そうは言われても、落ち着けるわけがない。ヴァレクやレオンハルトは冷静に様子を見ているが、ルークにはその心理がまったく分からなかった。

「ね、ねえ! 教えて、ミレナさんは、ミレナさんはどうなったの? ミ、ミレナさんは……」

 何かを確認しているクラリスに、ルークが縋り付く。すぐに引き剥がそうとルーシンが動いたが、クラリスが神妙な面持ちで振り返ったために、ルーシンの手から力が抜けた。

 クラリスの表情に、ルークが絶望を浮かべる。

 呼吸さえ忘れたように、ただ動きを止めていた。

「……心臓が、止まりかけています。このままでは……」

 クラリスは最後まで言わなかった。しかし察したルークは泣きそうに顔を歪めて、ミレナの手を握りしめていた。

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