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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第3章

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第6話

 ――その頃、外にいるクラリスはといえば。

「クラリス様! あまり宿から離れないでください! ヴァレク様たちに危険が及んだ際にすぐに助けられなくなってしまいます!」

「大丈夫ですよ、レオンハルト。私の結界はなかなか強力ですから」

 ザク、ザクと雪を踏みしめながら、クラリスは宿から出て氷狼祭で賑わう街に出ていた。

 クラリスは身分がバレないようにと変装として眼鏡をかけて、普段は下ろしている髪を今は結い上げ、街娘のような質素な格好をしていた。もちろんレオンハルトも、護衛騎士の服ではなくクラリスに合わせている。

 他人から見れば、仲の良い夫婦が氷狼祭に参加していると見えているのだろう。

 人並みを縫って歩くクラリスを、レオンハルトは必死に追いかける。

「クラリス様の力が強いことは知っていますが、そうではなく、」

「お嬢ちゃん、耳はつけないのかい」

 レオンハルトの言葉を遮るように、露店の店主がクラリスに声をかけた。

 店主は振り向いたクラリスを見て、にこやかに耳を差し出す。

「これなんてどうだい。お嬢ちゃんの髪の色とおんなじ金色の耳だ」

「まあ! とっても素敵です! くださいな」

「クラリス様、いけません。遊んでいる場合では……」

 耳を買うクラリスの背後、レオンハルトが小声で諫めるが、クラリスに従う様子はない。

 それどころか、テーブルに並んでいた真っ黒な耳を持ち上げると、背伸びをしてレオンハルトの頭に乗せた。

「似合いますよ、レオンハルト! 店主様、こちらもくださいな」

「はいはい、ありがとね」

 クラリスが何を考えているのか、これまでにも分かったことなどなかったが、さらに迷宮入りしていくようである。

 買い物を終えたクラリスはご機嫌だった。レオンハルトは不本意ながらもクラリスを護衛しなければと続くが、やはり宿に残るヴァレクとルーシンの様子を気にしていた。

「クラリス様、本当に氷狼祭を満喫されるおつもりですか?」

「ふふふ、もちろん」

「……戻りましょう。ヴァレク様たちは戦っておられます」

「まあそう言わず」

 少し後ろを歩くレオンハルトを、クラリスが横目に振り返る。

 レオンハルトは暗い顔をしていた。いつもならばクラリスに従うレオンハルトだが、今回ばかりは気乗りしない様子である。

 しかしクラリスは気にすることなく、人並みを縫って歩いていた。

 そして。

「あら! 見てくださいレオンハルト! ここで選びましょう!」

 とある露店の前で唐突に足を止めた。

 売られていたのは人形だった。可愛い動物のものから、恐ろしくも思える妙にリアルな人型のものまでずらりと並ぶ。クラリスはそれらをキラキラとした目で吟味していた。

「……ク、クラリス様、どうして人形など……」

「店主様、こちらの……この、やけにうっそりとした暗い表情が特徴の、派手なドレスを着ているお人形をくださいな」

「はいよ。お嬢ちゃん、なかなか変わってんなぁ。こいつは結構不気味だから、これまで避けられてきたんだが」

 店主は金を受け取ると、人形をクラリスに渡す。

 店主の言う通り、レオンハルトから見てもその人形は不気味であった。口元だけが笑っており、ストレートの金の髪は背の中程まで伸びている。身につけているドレスは細工が細やかではあるが、それもまた人形の不気味さを引き立てているようにも思えた。

「クラリス様、お待ちください!」

 人形を持ってどこかに向かうクラリスに、レオンハルトは大股に続く。

「クラリス様!」

「さあレオンハルト」

 クラリスがようやく足を止めたのは、少し前に訪れた山の麓であった。くるりと振り向き、レオンハルトによく見えるよう、自身の顔の隣に、先ほど購入した不気味な人形を並べる。

「私たちは、この人形を立派な『留め具』となるよう、準備しましょうか!」

 レオンハルトには、クラリスが何を言っているのかが分からなかった。

 レオンハルトがあまりにキョトンとしていたからか、クラリスも思わず苦笑を漏らす。

「ふふ、『留め具』とは、そのままの意味ですよ。この世界と魂を繋ぐための『留め具』です。肉体のない『もの』は、そのままでは基本的に何もできないので、次に宿る先を探します。それを防ぐために、ヴァレク様とルーちゃんが追い出してくれた人格を、この人形に閉じ込めるのです」

「……精神世界で人格を殺しても、その人格は死なないということですか?」

「そういうことです。正しくは、死にはするのですが、相手によっては逃げられる可能性があります。この人形は、その可能性を潰すための手段になります」

 つまり、命からがら逃げ出してようやく外に出て安心できた相手を、強制的に人形に閉じ込めてしっかりと殺す、ということか。

 クラリスがにこにこと優しい表情で語るために分かり難いが、なかなか容赦ないことをしようとしているらしい。

「……そういうことでしたか。それなら最初から言ってください」

「ですが、氷狼祭を楽しもうという目的はありましたから」

 ご機嫌なクラリスは、自身が頭につけている金色の耳を、指先で優しく撫でる。

「……それはそれとして……先ほどクラリス様は『準備をする』と言っておりましたが、この人形を『留め具』とするために、あとは何が必要なのですか?」

 クラリスが持っている不気味な人形。口元だけが笑っているドレスを着た人形は、思えば確かに、ミレナのあの喋りから想像できる人物像と一致する。この人形に宿るのならば違和感もないだろう。

「龍の鱗があるので、あとは『神の祝福』が欲しいところですが……『神』は基本的に人前に姿を見せませんから、この氷狼祭は絶好の機会ですね」

「…………なるほど。それで耳をつけて『満喫したい』と……」

 それならば尚更、最初に言ってくれたら良かったものを。

 クラリスは効率主義で無駄を嫌う性質であることは分かっているが、今は雪に浮かれていたということもある。もしかしたら本当に遊び呆けるつもりなのかと、そんな可能性が浮かんでしまったのも仕方がないだろう。

「ここに来たのは、その『神』とやらに見当をつけたからですか?」

「いいえ? この鱗を放置して、私たちは立ち去りますよ」

「…………それで、祝福をしていただけると……?」

「ふふ、神様とは気まぐれですが、同時に聡明で、なんでもお見通しです。私たちのこの会話だって、このセレヴァン中の会話だって聞こえているのでしょうから、わざわざ何かで伝える必要はありません」

 そう言いながら、クラリスはザクザクと雪を踏み締めて森へ進む。

「……森を選ばれたのは、」

「人通りが少ないところのほうが、神様は気兼ねなく祝福をくださるかなと」

 森に入って数歩。そこで足を止めると、クラリスは龍の鱗と不気味な人形を、丁寧に重ねて雪の上に置いた。

 龍の鱗は、レオンハルトを救った霊薬に使った残りである。

「……それで、我々はこれから何を……?」

「ふふふ、もちろん氷狼祭に参加します!」

 任務は終わったから、と言わんばかりの晴れやかな笑顔に、レオンハルトは頭を抱えていた。

 

 二人が山の麓に戻ってきたのは、それからほんの三十分後のことだった。人形には変わった様子はないが、龍の鱗は消えていた。

「……これ、祝福をいただけているんですかね……」

 不安になったレオンハルトに、クラリスはにこやかに頷く。

「大丈夫そうです! 多分! では早速戻って仕上げましょう!」

 氷狼祭に参加をしてご機嫌なクラリスに、レオンハルトはやはり何も言えなかった。

「……でもまぁ、今回はクラリス様が徹夜をすることがなくて安心しました」

 宿に戻る道すがら、レオンハルトは思わず安堵を吐露したのだが、

「? 勝負はこれからですよ。いつお相手がミレナ様の中から出てくるか分かりませんから、四六時中見張っておかなければなりません。精神世界は時の流れがどうなのかも不明ですので、一週間出てこないこともあるでしょうし」

「…………一週間の場合、その期間寝られないおつもりですか」

「レオンハルトには申し訳ありませんが、寝てしまっては留め具を正常に動作できないので、寝ている暇はありませんねぇ」

「それが分かっていたなら、もしもに備えて体力を残すために氷狼祭に参加してほしくなかったのですが……!」

「欲望には抗えませんでしたね」

 まるで他人事のような言い分に、レオンハルトも思わず遠くを眺めて現実逃避をしていた。

 宿に戻ると、倒れたミレナと、その周囲には三人が座ったままの状態で取り残されていた。クラリスはさっそく部屋のカーテンを閉めて、人形を取り出す。

「レオンハルトは、ヴァレク様とルーちゃんとルーク様を移動させてください。ミレナ様の周りに、私とこの人形だけが入れる結界を張ります」

「は、はい」

 手順も分からないレオンハルトは、ひとまずクラリスに従うしかない。クラリスが人形に祈りの魔法を込めている間に、レオンハルトは丁寧に三人をミレナから離れた場所に移動させた。

 これから何がおこなわれるのか。三人のそばにいたレオンハルトはひとまず、すぐにクラリスに近寄ろうとしたのだが。

 クラリスのそばに向かう途中で、クラリスとミレナの周囲に四角く薄い何かが張られた。薄ピンク色のそれは、二人だけがが入れるスペースが確保されている。二人の様子は外からでも見える。しかしレオンハルトがそれに触れると、静電気が走ったかのように鋭い痛みが走り、侵入を拒絶された。

「クラリス様、これは……」

「レオンハルトは入れませんよ。もしもお相手が出てきたとき、乗っ取られる可能性がありますから」

「しかし、」

「端的に言えば、あまり人が多いと邪魔なんです。それに、レオンハルトには無防備になっているそちらの三人を守っていただかないと」

 クラリスがちらりと振り返ると、レオンハルトもその視線を追う。

 視線の先には、動きを止めて座り込んでいる三人が居る。確かに、レオンハルトが中に入ってはこちらが疎かになるだろう。

「……その中は、内側から外に出ることは自由に出来るんですか?」

「できませんよ。出入り自由にしてしまうと、思念体が逃げてしまうでしょう?」

「もしも一週間耐久になった際には、食事はどうするんですか」

「あらあら、大丈夫ですよ、レオンハルト。ほら、これ」

 クラリスはにこやかに、どこからか小袋を取り出した。それは見覚えのありすぎる、そしてセレヴァンに来る前にヴァレクがクラリスから取り上げたはずのものである。

「ここに特性レッドブルがありますから、あとは気合でなんとでもなります」

「なりませんよ!」

 ドン! とレオンハルトは強く薄ピンクのそれを強めに叩くが、やはり入れることはなく、レオンハルトにピリッと静電気が返っただけであった。

 いつの間に取り返していたのか。取り上げたのは二回、そして知らぬ間に取り戻されたのも二回。クラリスの手癖にはまったく驚かされる。

「まあまあ、レオンハルト。私たちは気を抜かず待ちましょう」

「…………ヴァレク様たちが早く出てこられることを願います……」

 こればかりは、精神世界の時間軸と、外の世界の時間軸が同じであることを願うばかりである。

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