第5話
「おい、起きろ」
鋭い声が鼓膜に届き、ルーシンはハッと目を開けた。
一番に見えたのは、湿った土と雑草だった。頬はひんやりとして、雑草がチクチクと刺さっている。
倒れている。自身の状態を理解したルーシンは、弾かれたように飛び起きた。
「ここは……!」
ルークもつい今起きたのか、ルーシンの側で頭を押さえてぼんやりとしていた。
ヴァレクはすでに立ち上がり、遠くに目を向けている。
「ミレナ・ルクレティアの精神の中だ。……明るい人間だと思っていたが、少し違っていたのかもな」
三人が居たのは、鬱蒼とした森の中だった。光は差していない。空は曇天。太陽が届いていないから、森は常に湿気を帯びている。薄暗い森の中からは、今にも何かが現れそうだ。
「……こ、ここは、精神の中心核だよ」
周囲をぐるりと見ていたルークが、悲しげに眉を下げる。
「人間には、顕在意識と、せ、潜在意識っていうのがある。ここは、潜在意識の領域の中でも、さらに真ん中にある……本人すら知らない領域、なんだ」
薄暗い森の奥は、先が見えないほどの闇がある。風もどこかひんやりとして、周囲は森の中独特の静寂に包まれていた。
ヴァレクとルークが緊張気味に周囲を見渡す隣、ルーシンだけは顔を歪めてルークを見ている。
「…………ていうか、あんたのその格好なに?」
ルーシンが最後に見たルークの格好は、真っ黒なマントに同じ色の質素な服、それに反した派手なピアスをつけていたはずだ。ピアスはそのままだが、ローブには丈夫な黒の生地に派手な金の刺繍が施されている。さらに髪型もどこかかっちりと固められ、それまであまり見えなかったルークの表情がよく見えるようになっていた。
「そういや俺も……お前もだな、北の聖女」
ルーシンがパッとヴァレクを見上げると、ヴァレクも確かに、式典時に着ているような正装に身を包んでいた。ルークとは正反対の、白地に金の装飾の入った式典服である。ヴァレクの正装は見慣れていることもあり、気付くのが遅れた。
そしてルーシンは自身を見下ろし、その首から大きめのロザリオが下がっているのが見えて、自身も式典服になっていることに気がついた。
「……どういうこと?」
「ふ、ふふ、ここは、ミレナさんの精神の中って言っただろ。ミ、ミレナさんが知っている、そ、その人の記憶から、えっと、情報? を得て、この世界に、反映されるんだよ」
「つまり、ミレナ・ルクレティアの印象ということか」
「なるほど。私や殿下をミレナさんが見るときは式典のときが多いから、こういう服になっているんですね。だけどどうしてこいつまで式典服……? 仲が良いならもっと別の服装があったんじゃないの?」
ルーシンに疑うような目で見られたが、落ち込みそうなルークは想像に反して照れ臭そうに笑う。
「い、いや、だって、ミレナさん、いっつも、いっつも僕の式典服、ふふ、似合うって言ってくれて、へへへ」
「一旦敵を探す必要がありますが……どうすれば見つけられますかね」
「そうだなぁ……」
「き、聞いておいて、無視、無視するとか……! ぼ、僕はあんたたちが嫌いだ! そうやってぼ、僕を馬鹿にして! 僕のことを、精神的に、その、殺したいんだろ! こ、殺せよ! 僕を殺したら、く、国が許さないんだからな!」
ルークの主張をサラリとスルーし、ヴァレクとルーシンはどうすべきかと次の一手を考える。ルークは悔しそうにしながらも、それ以上は二人が恐ろしいからか、突っかかることもなくただ小さくなって膝を抱えていた。
「ここでは魔法が使えねえらしいな。俺の剣がねえ」
「ああ、あの噂の魔力の……でも確かに、魔法は使えそうにないですね」
ルーシンも手を合わせて確かめてみるが、まったく魔力が湧いてこない。
「こ、これだから、これだから暴力人間は……こ、こんなところで魔法を使う気だったのか……!? し、信じられない……! ここはミレナさんの、精神の中だって言っ、言ってるのに!」
「なんかいい案ねえか」
「そうよ。あんたの霊石は使えないの?」
「は、話を聞いてもくれない……!」
ルークはやはり小さくなりながら、恨めしげに二人を睨み上げていた。
しかし逆らうことは怖いのか、ルークは言われた通りに持っていた霊石を取り出す。
「ま、まあ、ざっとこんな、感じ……持ち物は、ここに入ったときと、か、変わらないみたいだ」
ルークの周りに、様々な霊石が並べられた。ルークが作ったからなのか、見た目はほとんど変わらない。黒をベースに角度によってはやや色が違って見えるが、やはりあくまでも「黒」である。しかしルークはきちんとそれぞれの石の効果を理解しているのか、その目は終始キラキラとしていた。
「れ、霊石は魔力を使わないから、多分使えると思う。えっと、これとかどうかな。敵を動物に変える。あ、あと、えっと、こっちは敵を中に封じ込める。あとは、あとは、」
「敵を殺す必要があんだ。それを踏まえて、どれが適切だ?」
「えっと、えっと……」
「あらぁ……こんなところにおりましたの」
真上から声が降った。
三人の目が一気にそちらに向けられる。
それは、空に浮いていた。足はない。金の髪を長く伸ばし、顔すらも見えないが、まだ二十代か三十代頃にも見える。ドレスのデザインは古く、いつからその精神が生きているのかは分からない。
三人を見下ろすように不自然に曲げられた首は歪で、そして重力によって真下に流れた髪の隙間から、ニヤリと不気味に笑う口が覗く。
「わたくしを殺しにきましたのね? 無駄ですわぁ。魔法が使えないあなたがたに、わたくしは殺せない」
「なんであいつ足がないの……?」
「こ、ここは、ミレナさんの精神の中だって言っただろ。ミレナさんは、あいつのこと、知らないんだ。だからあいつは、思念体のまま、居られる」
「なるほどな。俺たちはミレナ・ルクレティアに知られてるから足まで再現されてんのか」
クスクスとそいつが空で笑う。するとその手が三人に向かって伸びた。
指には複数の指輪。その指輪にはそれぞれ霊石がついている。
一番に動いたのはルークだった。
そいつが笑うと、その霊石から赤い閃光が走る。
同時に、ルークの霊石が光った。
赤い閃光が三人とは少し離れた木に落ちる直前、ルークの霊石の光から生まれた巨大なぬいぐるみがその閃光を受け止めると、突風を生んで閃光と共に消滅した。
「あら、勘がいい」
突風に飛ばされないようにと耐えながら、ルークはこれまでになく強い目でそいつを睨む。
「ふ、ふざけるな! こ、ここは、精神世界だぞ! ミレナさんが、ミレナさんの心が、壊れたらどうするんだ!」
「知りませんわよ、そんなこと。こいつがダメになるのなら、次の器を探すだけ」
「お前……!」
「落ち着きなさいよ。今はあいつをどう殺すかを冷静に考えないと」
そいつを見ていたヴァレクが、何かを思いついたようにルークの肩に手をおいた。
「アーゼル。お前確か、トランポリンの中に閉じ込められるような霊石があるって言ってたよな?」
「ヒィ! は、え、あ、うん、そうだけど!? ぼ、僕を閉じ込めて殺したいんだな!?」
「うるせぇな、違ェよ。……あいつを閉じ込めることはできんのか」
その言葉にハッとしたルークは、すぐにひとつの霊石を引っ掴むと、そいつに向けて展開した。
そいつは負けるつもりもなかったのか、余裕そうな顔をしていた。だからこそ油断したのか、あるいは追い詰められるわけがないと思っているのか。
ルークの霊石から展開されたのは、円状に広がった何かだった。膜のようなそれは外はつるりとしているが、内側はボコボコとしている。そいつはその膜の内側に居ても焦ることなく、興味もなさそうに周囲を見ている。
「なるほど、殿下、それで私を連れてきたんですか?」
「だな。お前は魔力がなくても強い」
「ちょっとあんた! 私をあの膜の中に入れて」
「えっ、え? だけど、えっと、えっと……」
ガチャガチャと霊石を一つひとつ確認するルークは、戸惑いながらもルーシンの要望に答えてくれようとしているようだ。
膜の中にいるそいつは、膜の中で霊石を使っていた。しかし閃光は内側のボコボコに弾かれ、三回跳ねたところで消滅する。
「なんだありゃ」
「あ、あの膜は、えっと、外からは入れても、中からは出られない仕組みにしたんだ。そ、そのほうが、へへ、僕が許すまでミレナさんと一緒に居られるから、へへへ」
「いいから早く探しなさいよ!」
探しながらも気持ちの悪い笑みを浮かべるルークに、ルーシンがとうとうゲンコツを落とした。
「いったぃ! ほ、本性を出したなぼ、暴力聖女! ぼぼ、僕は国から保護されてる、保護されてる重要人物なのに……!」
「ミレナさんを救いたいんならいち早くやれって言ってんの!」
「お、脅しだ! 僕がミレナさんのために頑張るって、わ、分かっててやってるんだ!」
そんなことを言いながらも霊石を漁り、ようやくルークはひとつの霊石を摘み上げた。
そして間髪入れることなく、ルークはその霊石をルーシンに向けて発動する。早くルーシンを自分から引き離したかったのだろう。霊石が発動した瞬間、ルーシンの体が、まるで引っ張られるように勢いよく膜の中に投げ出された。
「ひっ、きゃああああああ!」
膜はルーシンを取り込むと、その勢いで対面の内側のボコボコにぶつかったルーシンを弾き返した。
まるでパチンコのように内側で跳ね返され続けたルーシンだったが、四度目に跳ね返されたとき、ボコボコの一部をなんとか掴むことでそれ以降の跳躍を避ける。
しかし目が回った。ぐらぐらとしながらなんとかルーシンが立ち上がると、空中からルーシンを見ていたそいつが声を上げて笑う。
「あははは! まあ滑稽。あなた、まるで虫のようでしたわよ! お似合いですわぁ!」
「うっさいわね、中世時代のババアが。現代でイキってんじゃないわよ」
「…………はァ?」
二人の様子を見ていた見ていたまったく関係の無いルークが、その膜の外である安全地帯でなぜか真っ青になり、びくりと肩を震わせた。
「ぼ、僕、女の人の暴言苦手だ……こ、ここ怖い……!」
そんなルークを呆れたように一瞥したヴァレクは、そんな感情を隠すこともなくため息を吐く。
「アーゼル、気は抜くなよ。ミレナ・ルクレティアの精神が傷つく可能性がないように警戒しておけ」
「わ、分かってる! いちいち声かけるな! ぼ、僕は殿下がに、苦手なんだから!」
言い合っていると、二人の視界の端が光った。
膜の中で、霊石から攻撃が放たれた光だ。その色は黒く、レオンハルトが魔封じを受けたものと酷似している。
しかしルーシンは真正面から襲うそれを避けることもなく、そのまま食らった。
「え! あ、ああ! ど、どうしよう! 暴力聖女が、し、死んだ!」
「死んでねえ。よく見てろ」
黒のそれはルーシンを通り過ぎると真っ二つになる。
そして数度膜の中で跳ね返ると、三度目で消失した。
「……なんですの? 偽物のくせに、妙なものを持っておりますのねぇ」
「ババアにも分かるように説明すると、これは王都の聖地で清めた仕込みナイフよ。残念ながら、あんたみたいな悪い奴が使う技は全部弾かれんのよ」
「誰がババアだ偽物ヤロウ」
ルーシンが持っていたのは、首から下げていた少し大きめのロザリオだった。
短い部分を掴み、長い部分からはナイフが剥き出しになっている。
「聖女も最低限身を守れるように、仕込みナイフになってんのよねぇ。無知ババアで助かったわ」
「先ほどからお前、生意気ですわよ……!」
「……で、殿下は、入らなくていいの」
膜の中で激しくぶつかり合う二人を見上げながら、問いかけたのはルークだった。時折膜から閃光が散り、外で見守る二人に濃い影を落とす。
ルークからヴァレクに声をかけることは初めてである。だからか、ヴァレクは驚いたようにルークを一瞥した。
「……入るわけねぇだろ。俺は立場上、傷つけられるわけにもいかねぇしな」
「……で、殿下の剣術は、えっと、騎士団に入れるほどだと、い、言われていると聞いたけど……そんな殿下が、は、入ったほうが、すぐにあの戦いも、終わるんじゃ……」
閃光が落ち着いたと思えば、さらに光る。ヴァレクはルークを見ることもなく、膜の中を静かに見守っていた。
ルークはチラチラとヴァレクを気にしているが、もちろん膜の中から意識を逸らすことはない。
「……何が言いてえんだ。はっきりしろよ」
「……れ、霊石の契約解除は、契約者がその願いを諦めるか、も、もしくは契約者が死ぬことだけ、だから……それほど、あの『記憶と性質を封じる』って、れ、霊石の効果は、大事なのかなってお、思っただけで」
「探ってるつもりか? 気になってんだろ、なんで俺がそんなもん作ったのか」
図星だったのか、ルークの体が大きく跳ねた。
「ミレナ・ルクレティアからなんか聞いたか」
「き! 聞いてない! 別に、本当に聞いてない! ただ、ミレナさんが……すごく心配、し、してた……から、許せなくて」
その言葉の結末が「許せない」で終わったことがヴァレクは意味が分からなくて、思わず渋い顔になってしまった。しかしルークは気付くことなく「だって」と言葉を続ける。
「ミレナさんがしきりに『あんな契約は可哀想だ』って、い、言ってて、一時はで、殿下の話ばっかりだった、から……」
「だからお前、俺のこと嫌いなのか」
また図星だったようで、ルークは今度、ぎゅっと眉を寄せる。
「別になんでもいいだろ。……まあ、あの霊石がある限り、俺とクラリスは結婚しねぇんだろうな」
最後は、あまりに小さな声だった。
しかしルークは聞き逃すことなく、思わずそちらを振り返る。その瞬間、敵の醜い声が響いた。
「お前! お前だけは許しませんわ! わたくしの、わたくしの腕を!」
「へぇ、このロザリオ、悪い物相手ならかなり切れ味いいのね。思念体でも切れるんだ」
膜の中に立つルーシンの前に、敵の腕が落ちている。
その凄惨な光景に、ルークは思わず目を逸らした。
「よし、そろそろあいつも思い知っただろ。おいアーゼル、お前、あの膜から北の聖女を出して、さらに小さくできるか」
「た、たぶん、やってみる……」
何を考えているのか分からない指示だが、ルークは霊石を握りしめ、その膜を小さくするようにと念じた。
すると、まるで風船の空気が抜けるように、膜はゆらゆらと揺れながら縮んでいく。その最中、ルーシンが膜から吐き出された。
「きゃあ!」
「わ! あ、危ない!」
ルーシンが叩きつけられる直前、ルークが出した大きなぬいぐるみがルーシンを受け止めた。
ルーシンはぬいぐるみの上で数度跳ねたが、無事に着地する。
「ミ、ミレナさんの! せ、精神の中だって、何度、何度言えば……! ミレナさんが危ないだろ!」
「吐き出したのはあんたでしょうが! てか私の心配もちょっとはしなさいよね! こっちはそのミレナさんのために戦ってたんだけど!?」
しゅるしゅると縮んだ膜はとうとう、弱った思念体が自由に動けない程度のサイズにまでなった。
ヴァレクが「こっちにおろせ」と言うから仕方なく、ルークはその膜を近づける。
「? どうして私を出したんですか?」
「弱ってねぇと吐かねぇことも多いだろ。聞き出して殺す」
「……なるほど」
目の前までやってきた膜の中で、そいつは腕を押さえて息を切らしていた。顔色も悪い。悪態をつくことも出来ないのか、三人を睨むばかりである。
「サズィラという者について教えろ」
ヴァレクは怯むことなく、睨みつけるそいつに対してさらりと問いかけた。




