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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第3章

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第1話

 翌日はそれぞれしっかりと休暇をとり、すぐに出発の準備を進めた。

 幸いにも荷物は少ないため、まとめるのも簡単である。これから北に向かうということもあり、クラリスとルーシンは厚着をして外に出る。するとヴァレクとレオンハルトも同じく厚着をして、すでに馬に荷物を乗せていた。

「お待たせしました」

「いや、俺たちも今出たところだ。荷物かせ」

 ヴァレクがクラリスの荷物を奪う。相変わらず過保護だなと、そんな様子を見ていたルーシンが自身の馬に向かうと、突然ぬっと影が落ちた。

「わ、驚いた。なによ」

 突然のことに驚いて振り向けば、立っていたのはレオンハルトである。

「おれがやりますよ」

「? いいわよ、一人で出来る」

「いえ、荷を結ぶのは男がやったほうが早いので」

「まあ、そりゃ力の差が……ちょっと!」

 ルーシンから荷物を奪い、レオンハルトは黙々と作業を始めた。相変わらず表情は読めない。ルーシンを見ることなく、レオンハルトは手を動かしている。

「そうだ、例の作戦だけど……クラリスのこと、任せるわね」

「もちろんです。魔封じをされるような隙は、もう二度と見せません」

「別に疑ってないわよ。……今回私は大人しく、殿下と遠くから護衛に徹するわ」

「あなたこそ」

 ギチ、とロープを結んで荷を固定すると、レオンハルトはようやくその目をルーシンに向けた。

「殿下を頼みました」

「まかせなさいよ。ま、殿下なら私の護衛なんか必要なさそうだけど」

 ルーシンが軽く拳を差し出す。しかしレオンハルトには意図がうまく伝わらず、一瞬だけ間が落ちた。

 呆れたルーシンがレオンハルトの手を無理やり取り、ぎゅうと握らせると、その拳と自身のそれを優しくぶつける。

「私たちは出来る。反転って最強だから」

 一瞬キョトンとしたレオンハルトだったが、すぐにふっと頬を緩めた。「そうですね」と小さく告げたが、ルーシンに届いたかは分からない。ルーシンはすでに馬に乗る準備をしていた。

 そんな二人を見ていたのは、すでに馬に乗ったクラリスとヴァレクだった。

「仲良くなりましたねぇ」

「境遇が境遇だからな。レオンハルトも嬉しいんだろ」

「同じ反転と出会える確率なんて低いですもんね」

「行くわよ、何笑ってんのよあんた」

 乗馬した二人がやってくると、クラリスは「すみません」と笑ってヴァレクに合図を出す。

「さて、じゃあ、ミレナ・ルクレティアを捕らえるために、一旦セレヴァンに向かうぞ」

「よろしくお願いします」

 ――昨日、結論としてミレナを捕らえるという作戦が決定した。

 ミレナを捕らえ、先に解放する。ミレナの中にいる人格に事情を聞くことが出来れば良いが、何よりミレナの拒否反応が心配であるために、先に解放すべきだというルーシンの意見が通った。

 ミレナ・ルクレティアは、幻晶術師として国から保護命令を受けている人物である。ヴァレクとしても、このまま放置しておくわけにはいかないという気持ちもあったのだろう。

「私たちはミレナ様が現れやすいよう、ミレナ様の出生地という因果の深いセレヴァンという街に行くわけですが……賑やかで明るい街ということもありますし、楽しみですね」

「旅行してるわけじゃねえんだからな。緊張感を持て」

「持っていますよ? ですが今回私の出番はないというか……ほら、精神世界に入るのはヴァレク様とルーちゃんでしょう? 私は見張りですしねぇ」

「……くそ。相手の狙いがお前じゃなけりゃ、中に連れて行ってたのにな」

「いけません。レオンハルト一人で見張りなんて可哀想です。ヴァレク様とルーちゃんはなんだかんだ相性が良さそうなので、一番最短で終わらせられると思いますし」

 自身の前に座り楽しげに笑うクラリスを、ヴァレクはじっと見下ろす。

「……人格の取り返し方なんか、よく知ってたな」

 そんな魔法は、通常であれば聞くことはない。人格を乗っ取る……つまり、とある人格を封じて別の肉体の人格を与えるなど、禁忌の魔法である。禁忌魔法は学校でも教わらない。書物にも載っていないし、知りたいという意欲を持って国中を回らなければ知り得ない情報である。

 しかし今回、クラリスは「人格の取り返し方をお教えしますね」と簡単に説明した。レオンハルトとルーシンは違和感を覚えなかったようだが、ヴァレクだけはなぜそれを平気で語れるのかと不思議に思っていた。

「あら、知りませんか? 私実は、昔は王宮の書庫に出入りしていたんですよ? ふふ、五年前から億劫になってやめてしまいましたが……だからヴァレク様が思うより、私はずっと物知りなんです」

 昔、王宮の書庫、五年前。その単語を聞いて、手綱を握るヴァレクの手に無意識に力が入る。

 五年前といえば、ヴァレクがクラリスの性質を封印した時期と重なる。王宮への出入りを億劫だと思ったのはそのせいだろう。ヴァレクが奪ったのは、性質と記憶の一部(・・・・・)だ。

 まさか、何かを思い出したのか。

 奪った記憶に該当しないものは覚えていると分かってはいても、ヴァレクは緊張気味に眉を寄せた。

「……王宮の書庫には、ほかに何か面白そうなものはあったか?」

 ヴァレクの言葉を少しばかり考えたクラリスだったが、なんとも呑気に「基本的に王宮の書庫には面白いものしかありませんね」と笑うばかりで、ヴァレクの気持ちはやはり落ち着かないままだった。

 

 セレヴァンまでは、そう遠くない道のりだった。なにせセレヴァンという街が広い。人口も多く、国内でも三番目に大きな街と言われている。

 ちなみにこのセレヴァンという街は、実は国内でも知らない者は居ないと言われるほどの有名な街である。

 それはひとえに、年に一度おこなわれる「氷狼祭」が理由だった。

 氷狼祭とは古くからおこなわれており、この地域を守る神様である白狼を迎えて人と共に過ごしてもらい、その期間の中で感謝を伝えるという祭事である。街の真ん中に雪で作った巨大な白狼を飾るのが特徴的で、その時期はフォトスポットとして常に人が群がっている。

 そして祭事期間中は、街の者がみな狼の格好をする。耳をつけ、尻尾をつけ、みなそれぞれの「狼」の格好をすることで、人に化けた白狼が安心して過ごせると言い伝えられていた。

 

 ルーシンは北の都で過ごしているからもちろん参加をしたこともあるが、クラリスたちはそれを知らない。そのため、セレヴァンに着いて街の真ん中に巨大な雪の狼を見つけたとき、寒さも忘れて目を輝かせていた。

「すごい、すごいです見てくださいヴァレク様! こんなにも大きな狼が!」

「すげえのは分かるが静かにしろ、目立つな、騒ぐな、バレたら面倒なんだよ」

「なるほど、魔法で固めていますね。後処理はどうするんでしょうか……うわ、冷たい」

「お前は何を気にしてんだレオンハルト……」

 狙ったわけではなかったが、ちょうど氷狼祭の時期だったらしく、セレヴァンは人で溢れていた。

 狼の格好をした人々で溢れ返り、どこからか華やかな演奏も聞こえてくる。道に沿って多くの店がずらりと並び、誰もが笑いながら、思い思いの過ごし方で楽しんでいた。

 おかげでこの場に王太子や聖女が居ることは気付かれていないが、あまり目立つとリスクは大きい。

 子どものように雪の狼に夢中なクラリスとレオンハルトの背後で、保護者組が呆れたように息を吐く。

「……氷狼祭が素晴らしいことは分かるが、そんなに気になるものか?」

「私や殿下は参加したことがありますからね。あの二人はほら、そもそも寒い地域にあまり出向かないので、雪すら珍しいんじゃないですか?」

「なるほどな」

 狼の前でキャッキャと何かを言い合っている二人は、まだまだ楽しそうである。そんなふうにはしゃいでいたからか、突然駆けてきた少女がクラリスに勢いよくぶつかった。

「わっ!」

「あら?」

 衝突の衝撃で跳ね返り、少女は雪の上に尻餅をつく。

「ごめんなさい、大きな狼に夢中になっていて。大丈夫ですか?」

「私は大丈夫だ! お前、狼好きなのか?」

 白い耳をつけた少女が、立ち上がりながら勝気に問いかける。けれど目線はクラリスに向けられておらず、少女は服についた雪を払っていた。

「もちろんです! 凛々しくて強そうで憧れます!」

「ふふ、そうか! 私も好きだ!」

 にかっ、と元気に笑うと、少女は「じゃあな!」と大きく手を振りながら去っていった。

「この寒さで元気な子ですねぇ」

「すみません、私が居ながら……」

「大丈夫ですよ。お祭りですから、そのような些細なことは気にしないでください」

「バレないようにしろって言ってんだろ」

 このまま放置していればいつまでも待たされそうだなと、気付いたヴァレクは、とうとうクラリスの首根っこをひっつかんだ。ルーシンも呆れた様子である。

「もう終わりだ。宿に行くぞ」

「もう少し! お願いします、この白くてふわふわな狼を拝ませてください!」

「レオンハルトも早く。寒いんだから、一旦宿に行くわよ」

「……分かりました」

 ヴァレクは片手に馬を、片手にクラリスを掴んで宿へと向かう。その後ろからはルーシンが、自身とレオンハルトの馬を連れて続く。クラリスもレオンハルトも、遠ざかる雪の狼を悲しそうに見送っていた。

 寒さに肌が痛みを覚える中、宿についた四人は、その立場もありやはりすぐに部屋を用意してもらえた。むしろ氷狼祭に王太子や聖女が来たということを喜び、店主は終始にこやかだった。

「荷物を置いたら外に集合しろ。北の聖女、クラリスから目を離すなよ」

「分かってます。責任持って連れて行きますよ」

 隣の部屋に向かったヴァレクとレオンハルトを見送り、クラリスとルーシンは軽く荷解きを始める。

「ルーちゃん、氷狼祭のメインである白狼様って、いつから人に紛れているんですか?」

「? 何よいきなり。別にいつとかはないし、それも迷信のようなものよ。なんて言うんだろ、概念的な? そうしたほうが盛り上がるからっていう大人の勝手なこじつけだと思ってるけど」

 クラリスが首を傾げると、ルーシンはそんなクラリスの反応に、同じようなリアクションを返す。

「というか、寒いんだから首にも巻いておきなさいね。あんた、鼻赤いわよ」

「まあ! 鼻の頭がこんなに冷えて……ありがとうございます、ルーちゃん」

 ぐるぐるとマフラーを巻かれながら、鼻を赤くしたクラリスが、照れ臭そうに微笑んだ。

 宿を出ると、やはり先にヴァレクとレオンハルトが待っていた。二人のことだから、荷解きも雑に終わらせたのだろう。

「妙な気配がある。人が多すぎて分からねえが……早めに終わらせよう」

「では私は、レオンハルトと人の少ないところに行ってきますね」

「……お前ら二人で大丈夫か? 氷狼祭に浮かれないようにしろよ?」

「大丈夫です。私が自制心を強く持ちますから」

「レオンハルト……今回においては、俺はお前も心配してるぞ……」

 そもそも自制心などいらないはずなのだが……雪を初めて見たというのなら仕方がないのだろう。それ以上咎めることもできず、ヴァレクはクラリスを手で呼びつける。

「どうされました?」

 ヴァレクの指先が、クラリスの頸に触れた。

「追跡魔法だ。万が一レオンハルトと引き離されてもいいようにな」

 レオンハルトの表情が引き締まる。クラリスだけは和やかに「なるほど、必要ですね」とのんびりと微笑んだから、ヴァレクはますます心配だった。

 バラバラで行動をするからと言って、相手がすぐに動くわけではない。だからこそミレナが釣れるまでは繰り返す必要があるのだが、この氷狼祭はまったくタイミングが悪かった。

 人が多く、気配を辿ることもなかなか至難である。追跡魔法でもなければ、すぐに見失うだろう。

「それにしても人が多いな。毎年こうなのか」

「はい。ですからこの時期は、私たち家族はセレヴァンに近づきませんね。祭事参加という目的でもなければ、人通りが多く厄介なだけですから」

 街を歩く者はみな祭りに浮かれている。それは良いのだが、今はなんとも都合が悪い。

 それに、先ほどから奇妙な気配があった。ミレナではない。呪いの類でもない。知っているような知らないような、そんな気配に、ヴァレクはさらに周囲への警戒を強める。

 少し前を歩くクラリスとレオンハルトは、特に問題なく人の少ないところへ向かっていた。

「敵は本当に現れますかね。……人と護衛が少ないことって条件だけだと、不完全かもしれませんよね」

「前に現れたのはそのタイミングだったんだろ? やってみるしかねぇ。とにかく、ミレナ・ルクレティアが現れたら、転移魔法が使えねぇように俺が抑えっから、あとはなんとかしろ」

 なんとかしろ、という指示はなんとも大雑把なものだが、それが信頼の元に言われていると分かっているために、ルーシンは何も言わなかった。

 クラリスとレオンハルトの背中が、だんだんと見えやすくなっていく。人が減ってきた。見つからないようにと、ヴァレクとルーシンは木陰に身を隠しながら続く。

「作戦は間違えるなよ。ミレナ・ルクレティアを捕らえて、今の人格を殺す。そのために、精神世界に入る必要がある」

「もちろんです。私と殿下で中に入って、早めに片付けるんですよね」

 ヴァレクは何も言わず、静かに頷いた。

「……あの、まったく関係ないことなんですが、気になっていることがあって」

 ルーシンがおそるおそる口を開く。

「なんだ」

 しかし、ヴァレクの目はクラリスとレオンハルトから離れない。

 ルーシンは気にせず続けた。

「……殿下が、霊石を使ってまでクラリスの性質を奪った本当の理由って、何ですか?」

 聞き返すこともなく、動揺も感じられない。ヴァレクはただ変わらず少し前を歩く二人の背中を追いながら、考えるような間を置いた。

「言っただろ。あいつがぶっ倒れた。そのままの性格だと結婚もできねぇ。そんだけだ」

「この旅の中で、いろいろ分かったことがあります。霊石のこと。クラリスのこと。殿下のこと。二人の関係性も……総合的に考えて、殿下が自己本位な理由でリスクの高い霊石を使うという選択をするとは思えません」

 霊石には契約がある。そしてその契約には、何かを差し出す必要がある。呪い返しすら起きる霊石の危険性を知っていながら、ヴァレクが安易にそれに手を出すとは思えない。

 ルーシンの言葉に、ヴァレクはようやく、ちらりとルーシンを一瞥した。

「知ってどうする。お前には何も出来ねえよ」

「……殿下のことなので、おそらくクラリスのためだったんだと思います。だからこそ、私だって、あの子のために何かしたいんです。……この旅で、ようやくクラリスの本質が見えてきた気がします。私が思うほどあの子は馬鹿じゃなくて、単純でもなかった。むしろ不安定な子でした。私だって、あの子を支えたいと思っています」

 クラリスとレオンハルトは、人の少ない街の外れ……山の麓にやってくると、無邪気に雪遊びを始めた。

 そんな背中を眺めながら、ルーシンはぐっと手を握りしめる。

「……まったく、あいつは本当に、どこまでたらしこむんだ……」

 ルーシンにも聞こえないほどの小さな声で、ヴァレクが舌打ちと共に独りごちる。そして自身の頭をグシャグシャと乱暴にかき混ぜると、諦めたように深いため息を吐いた。

「いいか、今から言うことは他言無用だ。漏らせばお前の命はない」

 厳しいヴァレクの表情に、ルーシンも慎重に頷く。

「俺は、クラリスの『性質』だけを奪ったわけじゃない。一部の記憶も奪っている」

「性質と一部の記憶を……なるほど、複雑な封じ方をしたので、霊石が必要だったんですね」

 ヴァレクは肯定するような間を置き、嫌そうに口を開いた。

「そうでもしなけりゃ、あいつは国に殺されてたからな」

 そして続いた言葉に、ルーシンは思わず息をのんだ。

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