閑話・4
『はじめまして、レオンハルトくん。
僕はルーシンの父親のエイリクと言います。僕は字が下手だから書くべきではなかったんだけど、妻のエルセラが泣きすぎてペンすら持てそうにないので、僕が書いています。汚い字で読みにくいところも多くあると思うけれど、どうか最後まで読んでください。
まず、レオンハルトくんが無事で良かったです。
レオンハルトくんは覚えていないかもしれないけど、実は僕たち会ったことがあるんだよ。
僕が外からエルセラを村に連れて帰ったのが、君がまだ三歳の頃だった。三歳といえばまだ魔力検査を実施していなくて、君が反転であるなんて村は知らなかった頃だ。その頃は君も外に自由に出ることが出来ていて、とても楽しそうに暮らしていた。
そのときに僕とエルセラは、君たち家族に優しくしてもらった。
君も知っていると思うけれど、ウスメアという村は、外の人間を極端に嫌う。だからエルセラは歓迎されなくて、いつも暗い顔をしていた。
少しでも状況が良くなるようにと、エルセラは当時、ほとんど毎日協会に祈りを捧げていたらしい。そこに君が頻繁に来て、たくさん話してくれたと言っていた。
誰にも歓迎されず悲しい思いをしていたエルセラは、君に救われていたんだよ。
そして君たち家族は、僕たちに分け隔てなく接してくれた。
それがとても嬉しかった。
本当に救われていたんだ。
だから今度は僕たちが君たちを救いたかった。
レオンハルトくんが魔力検査をしてから隔離され、僕とエルセラは君たちを連れて逃げることを決意した。
だけどリオラさんは、途端に僕たちに冷たくなった。
優しいリオラさんのことだから、自分と仲良くしていると僕たちにも被害が及ぶと考えたのだと思う。
分かっていたから、僕たちは諦めなかった。
だけど、リオラさんには断られてしまった。自分よりもレオンハルトくんを連れて逃げてくれと言われたよ。
少し粘ったんだけど譲ってくれなくて、結局レオンハルトくんを連れて逃げようと思ったら、君は消えた。
あのときのリオラさんは、痛々しくて見ていられなかった。
君の記憶の中で、リオラさんがどんな人なのかは分からないけれど、どうか信じてあげてほしい。
リオラさんはとにかく優しくて、思いやりがあって、そして大切な人のためなら自分を殺してしまう人だ。
そんなリオラさんのことだから、君が殺されたのだと思っていたこの十六年間、死んだように生きていたのだと思う。
君が生きていて本当に良かった。
リオラさんのためにも、そして僕たちのためにも、君が生きていることはこれ以上ない幸福だ。
実は僕たちの家の敷地内に、離れを建てているんだ。
君たち家族を連れて逃げようと思っていたから、君たち家族用の家だよ。
リオラさんはウスメアを離れることになると言っていたし、ぜひこちらに住まないかと誘うつもりで居る。
君は王都の聖女様の護衛という立派な職に就いているようだから、家はもちろんあるのだろうけれど、もしよかったら遊びに来てほしい。
ps.ルーシンが今お世話になっているそうだけど、ルーシンは怒るとすごく怖い子だから、怒らせないように気を付けてね。
反転だからと虐めてきた人たちをみんな拳で黙らせてきた過去があるよ……。だけどすごく優しい子だから、たぶんレオンハルトくんも仲良くできると思う。ルーシンのこと、よろしくお願いします』
エルセラが泣きすぎてペンが持てない、と書いていたわりには、その便箋はすっかり湿ってふやけていた。おそらくエイリクも泣きながら書いたのだろう。手紙を書きながらおいおい泣いている大人二人を想像して、レオンハルトは思わず苦い笑みをもらす。
「どうせ遊びに来てって書いてたんでしょ」
「そうですね。……あと、あなたがこれまで拳で黙らせてきた過去とか書いていますね」
「ちょっと! なんてこと書いてんのよあの二人!」
恥ずかしいのかやや頬を染め、ルーシンはぶつけようのない怒りを地団駄を踏んで発散していた。
レオンハルトは何度も、何度もその手紙を読んでいた。穏やかな表情をしていたから、ルーシンからの言葉も要らないだろう。ルーシンはレオンハルトの様子に安堵して、自身宛ての手紙を折りたたむ。
「私たちって、タイミングさえあえば兄妹みたいに育てられていたのよきっと」
「不思議ですね」
「……たぶんあんたが居たら、私は聖女になっていなかったんでしょうけど」
トゲがあるでもない、他意もなさそうなルーシンの言葉に、レオンハルトは続きを促すように目を向ける。
「? ああ、別に特別な理由があったわけじゃないのよ。うちの両親そんな感じだから、私にすっごい甘くて。私が反転の素質を持ってるって周囲にバレるとね、私はもちろん自分で仕返しするんだけど、両親にも被害が及ぶことが多かったの。でも両親は何も言わなくて……ずっと『ルーシンが生きたいように生きなさい』って言ってくれてた」
「……想像がつきます」
「でしょ。しかも二人とも本当に大丈夫そうな顔をしてるから、余計に申し訳なくなっちゃうのよね。だから私、両親だけは幸せにするって決めてるの。あの二人を絶対に誰にも馬鹿にさせない。私が『反転の聖女』になることで、反転の認識すら変えて、両親が周囲から褒められるような、胸を張れるような世界にしたいと思ったの。だけどきっとあんたが居たら、二人で世界変えようって言って、聖女になるのとは別の道を選んでた気がする」
もしもレオンハルトがルーシンと育っていたら、なんて夢物語を、レオンハルトは一瞬思い浮かべてしまった。
ルーシンの家族と暮らしていたら、きっと性格も変わっていたのだろう。もっと行動的で、表情も多くて、反転の性質があっても人前に出ることを恐れないような、ルーシンのような性格になっていたかもしれない。
そんな人間が二人いれば、世界だって変えられる。もしもの未来も楽しそうだなと、馬鹿げたことだと思いながらも想像してしまって、レオンハルトはルーシンの言葉に何も返せなかった。
ただ「この親にしてこの子あり」だなと、なんとなく心の片隅でそんなことを思った。
「それで、王都の聖女にこだわっていたんですか」
「そういうこと。王都の聖女なんてこの国の聖女のトップよ。なれるなれないじゃなくて、絶対に食らいついてやるって思ってたの。ついこの間までね」
あ、そうだ、と言って、ルーシンは立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
レオンハルトを置き去りに、ルーシンは部屋から出て行った。しかしすぐに戻ってくる。手には手紙を持っていた。
「今から返事を書きましょうよ。どうせ殿下もクラリスもまだ戻ってこないだろうし。あんたから返事が来たら、うちの両親も喜ぶと思うわ」
「……ですが、私には二人の記憶がなく……」
「なんでもいいのよ。あんたにはなくても、あの人たちにはあるから。レオンハルトから返事が来た、っていうのが重要なだけで、内容はなんでもいいの」
紙とペンを渡され、そして下敷きにと本も押し付けられた。手紙を書くのなら部屋にある机に座れば良いものだが、どうやらレオンハルトはまだベッドから出してもらえないらしい。
「あんた前に、『私みたいな人が居て安心する』って言ったことあったでしょ」
ルーシンもレオンハルトと同じく、ベッドサイドの椅子に座り、本を下敷きに手紙の返事を書いている。その目はレオンハルトには向けられていない。手も止まることなく、サラサラと文字を綴っていた。
「一緒に世界変えようね。反転だなんだって言ってくるクソ野郎は、一緒に全員殴り飛ばしてやりましょうよ」
――反転だからと虐めてきた人たちをみんな拳で黙らせてきた過去があるよ……。
エイリクの追伸を思い出して、レオンハルトは思わず笑ってしまった。
「そうですね、それがいい。あなたと居ると、そんな未来も近い気がします」
肩を震わせて笑うレオンハルトは、少しばかり泣いていた。
しかしルーシンはレオンハルトが笑っていることに驚いて、口を開けて動きを止める。レオンハルト・アルブレヒトという男は、身の丈一九〇という大きな体格である上に、護衛騎士だけあって体も分厚く、さらには表情も変わらない。ルーシンがよく知る表情もまさに「無」であり、生きていて楽しいと思っているのかすらも不思議なほどだった。
そんなレオンハルトが、笑顔を。
「……あんたの表情筋って生きてたのね」
放心したようなルーシンのその言葉に、レオンハルトはやはり笑っていた。




