閑話・3
少し前の宿。ヴァレクが部屋から出ていくのを見届けたルーシンは、ベッドサイドの椅子に腰掛けた。
ルーシンが同郷と知って、レオンハルトは落ち着かない様子だ。そわそわとしながら、ルーシンに話の続きを求めるような目をしている。
「……それで、体調は本当に大丈夫なの? あんた死にかけてたんだけど」
「ああ、はい、大丈夫ですよ。むしろ違和感もなく、本当に倒れていたのかも不思議で……ただ寝ていただけという感覚です」
「ふぅん。まあいいけど」
こっちは大変な思いをしていたというのに、何とも気楽なものだなと。レオンハルトが悪いわけではないのだが、ルーシンはやや腑に落ちない。
「あんた、魔封じされて、ゆっくり死んでいってたの。霊石の力で封じられたから魔法ではどうにもできなくて、霊薬を作らないといけなくなってね」
「……そうでしたか。意識を失う直前、痛みのない何かが体を貫いた感覚があったのですが、そういうことだったんですね。魔封じであったのなら納得です」
反射的にクラリスとルーシンを庇ったため、レオンハルト自身、意識を失う直前の記憶は曖昧である。ただ何かが体を貫いたのは分かった。しかし痛みは無いというなんとも不思議な感覚だった。
その日を最後に、記憶は今に繋がる。レオンハルトからすれば、寝て起きただけという認識である。
「そんな感じだったんだ。まあ痛くないことが一番だけど……そんなこんなで霊薬を作るのに、あんたのへその緒が必要だったのよね」
「……ああ、それでウスメアに?」
「あんたも知ってるでしょ。反転の性質を持つ人間は、魔封じをされたら体の機能が止まる。だから再生させるために『へその緒』が必要になる」
「もちろん知ってますよ。しかし……情けないことを知られてしまったという恥が勝ります。へその緒の入手には、私の母親との接触があったのでしょうから」
ルーシンも、実際にリオラと接するまで、レオンハルトが大切にされていないものだと思い込んでいた。『反転』とは嫌われているし、家族でさえ隠したがり、最悪殺すケースもある。ルーシンの家族が稀なだけで、反転の性質を持つ者は、誰にも愛されないことのほうが普通である。
「まあ、あったわね。リオラさんでしょ。……ウスメアにある最古の教会の手入れをしてた。十六年間も教会の世話をしていたんですって」
ベッドに上体を起こして座っているレオンハルトは、眉を寄せ、ぐっと拳を握りしめる。
「だけど村人たちがもう厄介で。総じてあんたやリオラさんのことを悪く言うもんだから、クラリスがブチ切れちゃってね。あの子、村全体に整律魔法かけたのよ」
「…………あの、月に一度の……」
「そう、『懺悔の会』で使うやつ。あの子力強いから私も巻き込まれちゃって。なんか殿下は相性が悪い? とかで回避したみたいだけど」
まさかクラリスがそんなことをするとも思っていなかったのか、レオンハルトの表情は一変、信じられないものを見るものに変わる。
それがあまりに幼く見えたルーシンは、思わず苦笑を漏らした。
「……『懺悔の会』で使う整律魔法ってさ、発動者の心の純度で見える世界が違うんだけど」
突然変わった話題に、レオンハルトは沈黙することで先を促す。
「クラリスの整律魔法に巻き込まれたとき、どこまでも白かったのよね。真っ白で心地よくて、村人の罪が全部見えた」
「……クラリス様は、裏表がありませんからね」
「そう。あの子が王都の聖女である理由が、あそこに全部詰まってた。……私、この旅に参加できて良かったって心底思えるのよね。良い意味で、王都の聖女を諦められそう」
最後はまるで独り言のようだと思えたから、レオンハルトも聞き返すことはしなかった。
ルーシンが「王都の聖女」にこだわってクラリスに反転魔法を使用したことを知っているし、「反転の性質」であるルーシンだからこそ、その地位に固執することも分かる。レオンハルトとルーシンは同じだ。諦めなければならないものが多かったからこそ、地位や名誉に強く惹きつけられる。
「……村人の罪の中に、リオラさんのもあったわよ」
ルーシンの言葉に、レオンハルトはまたしても俯いた。
「あんた、閉じ込められてたのね」
「……はい。母から外には出るなと言われていましたね」
苦しげな表情をするレオンハルトに、ルーシンは悩みながらも口を開く。
「あの村って異常なのよ。最古の教会なんかあって、一番最初の聖女なんて居たもんだから、プライドばっかり高くなって。村から『反転』が出ることを極端に嫌うでしょ。『反転』を持つ人間は子どものうちに殺されて大人にはなれないし、逃げたって追いかけて殺されるだけ」
「……いえ、そこまでは、さすがにしないのでは……」
「やっぱり知らなかったのね。……リオラさんのおかげね」
どうしてそこで母の名が出てくるのか。分からなかったレオンハルトは、純粋に不思議そうな顔でルーシンを見ていた。
「リオラさんはあんたを閉じ込めてた。あの異常な村人たちから引き離すために、そして村の情報や自分の未来に不安を抱かせないように」
「…………そんなはずは……」
「窓を塞ぐ板は内側から打ち付けられていたでしょ。鍵だって夜には開けてた。……態度は素っ気なかったかもしれないけど、そうでもしないと、あんたを閉じ込めておけなかったんだと思う」
そんなはずがないと思うのに、否定できないのはどうしてだろうか。
リオラは頻繁にレオンハルトを罵っていた。
声を荒げ、悲痛な顔で罵倒し、閉じ込める。リオラはいつも泣いていた。涙の理由は「あんたが反転に生まれたせいだ」と、毎日のように叫んでいた。
レオンハルトは、愛されていないのだと悟った。
それは『反転』に生まれてしまったからで、そしてそれは嫌われるものなのだと、リオラの反応で知った。
日中働かされているときにも、村人からは殴られ蹴られ、レオンハルトは「反転だからこうなるのだ」と、自然と受け止めていた。
時折、レオンハルトの部屋の窓が強く叩かれる。そんなとき、外からは十中八九「何だ、頑丈で入れねぇ」「殺せねぇじゃねぇか」と聞こえたから、レオンハルトは「殺すべき対象」として見られているのだと理解した。
「私の両親がね、リオラさんに『逃げよう』って提案していたの。あんたを連れて一緒に北に行こうって。でもリオラさんは頷かなかった。逃げても追いかけて殺されるだけだから、あんただけ連れて行ってくれって」
ぴくりと、レオンハルトの眉が揺れる。
ゆっくりと視線が持ち上がり、不安定な瞳は真っ直ぐにルーシンを見ていた。
「……そんなはずは……」
「だけど、うちの両親があんたを連れて逃げる夜、あんたは消えた。タイミング悪く、クラリスと出会ったから」
――とある夜、少女が突然レオンハルトの前に現れて、そしてレオンハルトにつけられていた首輪を一瞬で壊した。
やけに綺麗な格好をした少女だった。夜の森にはあまりに不似合いではあったが、月夜に照らされたその美しさを、レオンハルトは今もまだ鮮明に覚えている。
久しぶりの発声は上手くいかなかった。けれど少女はレオンハルトを馬鹿にせず「上手くいかないことだらけですよ、こんな世界」となぜか不貞腐れていた。
そんな少女だったからこそ、レオンハルトは少女の手をとった。
地獄の中に現れた光。少女は――クラリスはまさに、レオンハルトにとっての「救い」だった。
「あんたが消えて、うちの両親は大慌てだったわよ。リオラさんなんてあんたが村人に殺されたんだって夜の森に入っちゃって。……結局リオラさんは、せめてあんたの亡骸だけでも見つけたいからって、村に残ったの」
反転を持つ者が突然消えて、良い未来が思い浮かばないのは仕方がない。レオンハルトでさえ毎日「明日殴られたら死ぬかもしれない」と思えるほどの毎日を送っていたし、ほんの少しの希望すら抱くことが出来なかった。
しかしこれまであった母親に対しての感情は、そう簡単には覆せない。レオンハルトは苦しげに眉を寄せ、シーツを握りしめる拳を震わせる。
「まあ、いきなり全部を信じて受け入れろなんて言わないわ。これは単なる報告だから気にしないで」
「……気になりますが」
恨めしげにルーシンを見るが、ルーシンに悪びれる様子はない。
「ところで、私の両親、エイリクとエルセラっていうんだけど、分かる?」
「? いえ、おそらく関わりがなく……」
そこまで言って、ふと、幼少期を思い出す。
レオンハルトは閉じ込められていた。しかし音が聞こえないわけではない。
(……そういえば外から窓を叩かれたとき、稀に優しいご夫婦が来ていたような……)
なにせ十六年前の記憶であり、レオンハルトからすれば忘れてしまいたい過去である。あまりに記憶はうっすらとしていて、正直声も思い出せない。
とはいえ、常に外から「いつまで生きているのか」「殺してやればいい」などと不穏なことばかりを言われていたからこそ、そのどれでもない言葉を言われた記憶だけは残っていた。
「まあそれで普通だと思うわ。うちの両親がおかしいのよ。私の母は父が外で見つけた人でね、もともとあの村の出身じゃないの。だから母はもちろん、そんな母を好きになった父も村に対して懐疑的だったし。……村も『村の考えに染まらない人間』がすごく厄介そうだったって言ってた。私が反転の性質を持っていることが分かっていなかったこともあるけど、逃げたときに追われなかったのはそのせいだろうって」
とある夫婦が部屋を訪れるときだけは、とても優しく窓が叩かれた。
丁寧に三回。中に居るレオンハルトを驚かせないようにと配慮しているかのような音だった。
『居るのかな……どう思う?』
『居るよきっと。レオンハルトくんは声が出せないんだ』
『あ、そっか』
毎日罵倒しか耳にしないレオンハルトにとって、不定期に外から聞こえてくるその穏やかな会話は、あまりに温かかった。
打ち付けられた板のせいで外は見えない。分かっていても、夫婦が訪れたときにはいつも、レオンハルトはじっと板を見上げていた。
あの二人が、エイリクとエルセラという名前だったかは定かではない。おそらく互いに名前を呼び合っていたはずだが覚えていないし、そういえば訪れていた夫婦が居た、ということ自体、うっすらとした記憶しか残っていない。
「昨日手紙で、両親にあんたとリオラさんのことを伝えたの。村の話をするたびに苦しそうな顔をするから、きっと村が反転を許さないからだろうって思ってたんだけど……たぶん、あんたやリオラさんが殺されたって思ってるから、悲しんでたんだろうなって分かってね」
呆れたような笑みを浮かべて、ルーシンが手紙を取り出した。
「驚くでしょ。今朝私が寝る前に出した手紙の返事が、お昼には届いてたのよ。まだ読んではないんだけど、よっぽど嬉しかったのね」
母親のこと、ルーシンの両親のこと。自身を気にかけていた人間の多さに混乱していたレオンハルトは、やはりまだどこか信じられていないようだ。
そんなレオンハルトを前に、ルーシンは静かに封筒を開ける。中からは二つ折りにされた便箋が二組。そのうちの一組を取り出して、レオンハルトに差し出した。
「これはあんた宛てだった。うちの両親からだけど……一時は一緒に逃げて暮らすことまで本気で考えてたくらいだから、息子みたいに思ってるのかも」
困惑気味に便箋を受け取ったレオンハルトは、少しばかり動きを止める。
折りたたまれた便箋を眺めて数秒。親の愛など知らないレオンハルトには、この便箋を開くことにも勇気が必要だ。
ルーシンはレオンハルトを急かすことなく、自身に宛てられた手紙を開く。そこには、レオンハルトとリオラのことを伝えてくれたルーシンへの感謝から始まる長い長い言葉が、びっしりと詰まっていた。
手紙を見てクスクスと笑うルーシンを、レオンハルトは他人事のように見ていた。
いったい何が書いてあるのだろうか。
気になったレオンハルトがようやく便箋を開いたのは、それから数分後のことだった。




