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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第2章

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第9話

 少し前、宿を出たクラリスとヴァレクは、すぐに転移魔法を発動した。もちろんクラリスには任せられない。クラリスは場所の特定が下手くそで、転移魔法でよく迷子になるからだ。

「触れておけよ」

 ヴァレクの周囲が光る。クラリスが置いていかれないようにと差し出された手を取ると同時、その場から二人は消えた。

 転移魔法が使える者は限られている。属性関係なく使える魔法ではあるが、魔力量がなければ目的地までたどり着くことなく、途中で落とされるという大事故が起きるからだ。大昔にはその事故が多発していたため、現在では転移魔法は原則禁止とされていた。

 クラリスが目を開けると、一番に赤褐色の土が見えた。どこまでも続くとすら思える、断崖の多い大地。剥き出しの崖に広がるのは、段々に重なった岩の斜面と、ところどころ露出した地層。色は赤茶けていて、所々に灰色やくすんだ黄色が混じっている。

 陽の角度によって陰影が深くなり、奥行きはさらに増して見えた。風が吹くと、乾いた空気に砂の匂いが混じった。

「……土……黄龍様を召喚するんですか?」

「ああ。面識がある」

「あら、それは呼びやすいですね」

「…………あまり良い顔はされねぇがな」

 数は進んだ先に、断崖絶壁があった。

 ヴァレクはその崖に立つと、近くに落ちていた小石を拾い、谷底に落とす。

 崖に弾かれながらすぐに見えなくなったそれが、深い谷底に触れ合った瞬間。

 大地が大きく揺れた。谷底が細波のように揺らぎ、その暗闇から、ずるりと巨大な頭が這い出る。

 そのままズルズルと姿を現した龍は、あっという間に、崖に立つヴァレクの前にやってきた。

 まるでこの大地のような、赤褐色の龍だった。人間よりも遥かに大きく、ヴァレクやクラリスなど簡単に丸呑みに出来るのだろう。

『……ほぉ、なかなか奇妙な気配をつれていると思えば』

 龍はヴァレクを見ることなく、隣に立つクラリスに目を向けている。ヴァレクは反射的にクラリスを自身の背に隠した。

「頼みがある」

『貴様の頼みはもう聞いてやった』

「もう一度、今度は別件を頼みたい」

 別件、と聞いて、龍が短く唸る。

『人間とは貪欲な生き物よ。だから儂は人間が嫌いだ』

「……でも出てきたじゃねぇか」

 召喚に応じるか否かは、召喚された者が選べる。それに応じたのは龍だという言外の指摘に、龍は気に食わないとでも言いたげにあからさまにため息を吐いた。

『相も変わらず不遜な童だ。まったく……貴様がその魔力を持っていなければ応じるに値しないな』

「……その魔力?」

 ヴァレクが問い返せば、それが意外な反応だったのか、龍は数秒動きを止めた。

『……なんだ貴様、前回から儂が善意で貴様の前に現れているとでも思っていたのか?』

 確かに上位の存在は、人間に対して善意というものを持ち合わせていない。そもそも人間をどうとも思っていないというのが正しいのだろう。だからこそ基本的に召喚にも応じないし、気分で応じたとしても、気に入らなければ奔放に殺してしまう。彼らには情や倫理観などないからである。

 クラリスもそれを知っているから、二人のやりとりを静かに観察していた。

『善意と思っていたのであれば愚かなものだ。貴様の魔力は懐かしい。儂の旧友のもので違いないだろう』

「……俺の魔力は俺のものだ。何を言ってる」

『何も知らぬのか、童。そうか。奪ったわけではないのだな。何も知らず、その地獄のような魔力を与えられたのか』

 クラリスはチラリとヴァレクの横顔を盗み見たが、ヴァレクも何を言われたのかが分からないというような顔をしていた。とはいえクラリスにも何の話か分からない。ヴァレクとは幼い頃から一緒に居るが、彼が他者の魔力を与えられるところなど見た覚えはなかった。

『今日連れているその娘もだが……奇怪なものだ。貴様ら人間は、どこまで業が深いのか』

 そこでようやく、ヴァレクの目がクラリスに流れた。訝しげな顔だ。クラリスも同じような顔をして、何も知らないことを表情で伝える。

『良いだろう、望みを聞いてやる。巻き込まれた哀れな者たちよ。何が望みだ』

「……鱗をくれ。カケラでいい。友人が死にかけているんだ」

『ほう。霊石の次は、霊薬でも作るのか? 貴様はまったく学ばん男だ』

 龍は鋭い爪の光る指先で、自身の体を弾いた。

 すると、人間にはやや大きいカケラが弾き飛ばされ、ヴァレクの隣に落下する。

「……黄龍様。なぜあなたの鱗が人間の作る霊石や霊薬で必要となることを知っているのですか?」

「クラリス?」

「おかしいと思いませんか。龍の鱗を利用して出来る霊石や霊薬は、数が限られます。それも、上位の存在の一部を入れるなど、よっぽど高度なことをしようとしている証であり、そして一般的にそのような生成はしないはずです。誰かがヴァレク様よりも前に鱗が欲しいと言ってやってきたことがなければ、黄龍様の口から『霊石』や『霊薬』などという言葉が出るはずがありません」

「……俺は霊石のときには来たが、霊薬を作るのは今回が初めてだ。霊薬目的の誰かが来たか」

 ヴァレクからの問いかけに少しばかり考えるような間を置いた龍だったが、やがてのそりと鼻先をクラリスに近づけた。

 しかし当然、ヴァレクがクラリスをさらに背後に追いやる。ヴァレクは龍の動きを注視し、睨みつけていた。

『貴様はなかなか鋭い。奇妙な匂いだが……人の子ではないな? 何者だ』

「黄龍様、私は人の子ですよ」

『? なにを……』

 龍は不自然に言葉を切った。そしてクラリスとヴァレクを交互に見る。

 そこで何を思ったのか、龍は今度、ヴァレクに鼻先を寄せた。

「なんだよ」

 龍はやがて、二人から離れて元の位置に浮かぶ。龍の表情というものは分からないが、どこか腑に落ちないようにも見えた。

『……数奇な巡り合わせだ。そしてなんと業が深い。可哀想に、運命に恵まれなかった子らよ』

 ほとんど独り言のようなそれを受け、クラリスとヴァレクは目を合わせるが、やはり二人とも言葉の意味は理解していなかった。

『それを持って早う立ち去れ。そして二度と来るでないぞ』

 龍は落とした鱗を一瞥し、そのまま谷底へと戻っていった。巨大な存在が途端に消える。まるで最初から何もなかったようである。

「……はぐらかされましたね。何者かが霊薬を作るため、黄龍様を召喚したのは遠からずな推測かと思います」

「お前……人の子じゃねぇと言われてたが、そこはいいのかよ」

「ヴァレク様こそ、その魔力は人様のものであると」

「馬鹿言え、そんなことをした記憶はねぇよ」

「私だってどこからどう見ても人ですよ」

 むむむ、と目を細めて、二人が正面から睨み合う。ややあって、折れたのはやはりヴァレクだった。

「まあいい、早く戻るぞ。龍があっさり鱗をくれたのは嬉しい誤算だ」

 ため息を吐きながら、龍の鱗を拾い上げる。龍が爪先で弾き飛ばした際には小さく見えていたものだが、人のそばにあればそれが大きいことは明らかである。

 鱗は、ヴァレクの足先から膝ほどまでの大きさであった。

「……あっさり……そうですね」

 クラリスはどこか腑に落ちない様子である。鱗を持ち上げ、さっそく転移しようとしていたヴァレクは、ふと動きを止める。

「どうした」

「いえ……以前天使様を召喚した際もそうでした。無理難題をふっかけられるものと思っていたのですが、やけにあっさりと羽をくださって……通常、上位の存在は自身の一部を人間に譲ることはしません。気まぐれに譲ることを良しとしても、人間には到底出来ないような無理なことを条件に出します。たとえば、心臓を五十個持ってくるとか」

「奴らは頭がおかしいからな。暇つぶしに人間を困らせる」

「そうです。彼らは無邪気な存在です。だからこそ違和感があるのです。……今回の黄龍様は、ヴァレク様の魔力が懐かしかったからでしょうか。それでは天使様は、私が人ではなかったから?」

 クラリスは不安げな顔をしているのだが、本人はきっと気付いていないのだろう。そんなクラリスを見守っていたヴァレクだったが、すぐにぐしゃぐしゃとクラリスの頭を撫でる。

「俺とクラリスのことは後だ。今はレオンハルトを助けるぞ」

「……はい、そうですね」

 乱れた髪を直しながら、クラリスは転移魔法に遅れないようにとヴァレクの手を取る。

「安心しろ。お前が何者であれ、どうせ周りは何一つ変わらねぇよ。もちろん俺もな」

「……私もですよ、ヴァレク様」

「最悪、俺たち二人で逃げてもいい」

「それはいけません! ヴァレク様はこの国の大切な王太子様ですから!」

「冗談だよ、風情のねぇやつ」

 そんなことを言うくせに、ヴァレクの表情は随分優しい。クラリスはそんなヴァレクを前に、ようやく安堵したように頬を緩めた。

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