第7話
ルーシンが睨みつけていた村人たちは、突然やってきたセラスの言葉で撤収した。
セラスはやけにルーシンを見ていた。しかしルーシンも負けじと睨み付けるように見返していたからか、セラスは特に何も言わず、軽く頭を下げてその場から立ち去った。
「ルーちゃん! さすがです、あなたの存在は奇跡です!」
セラスと入れ違いでやってきたクラリスが駆け足でルーシンのもとにやってきたかと思えば、その勢いのままルーシンに抱きついた。ルーシンは倒れないようにとなんとか踏ん張り、クラリスが怪我をしないよう、慌てて聖槍を魔力に返す。
「うわ、何よいきなり!」
ヴァレクは面白くなさそうにルーシンを睨んでいたが、ルーシンは気付かないふりをして目を逸らした。
「ルーちゃんのおかげで、村の人たちも納得してくれたみたいです!」
「はあ……? あ! ていうかあの人、レオンハルトの……」
ヴァレクの背後に立つリオラに気付いたルーシンが、小声でクラリスに問いかけた。それに、クラリスも頷いて肯定を返す。クラリスはそっと離れると、小さく手招きをしてリオラを呼んだ。
「こちら、レオンハルトのお母様です」
「あ、リオラ・アルブレヒトです。あの……あなたも、レオンハルトと同じ魔力を……?」
「……はい。あの、私、エイリクとエルセラの娘です。ルーシンと言います」
エイリクとエルセラ。その名前に、リオラはもう何度目かになる驚きをその顔に浮かべた。
「まあ……あのときの……そう、聖女様になったの……そうなのね。エイリクとエルセラはお元気ですか」
「はい! ……実は私、たまにこの村の話を聞いていました。詳しくは知らないんですけど、両親はいつもこの村を思い出すたびに悲しい顔をしていたんです。ずっとこの因習を悲しんでいるからだと思っていたんですが……多分、あなたのことが気になっていたからだと思うんです」
ルーシンの両親からリオラの話が出たことはない。もう殺されたのだろうと思っていたのかもしれない。村の話をするたびに、泣きそうな、悲しそうな顔をしていた。
「ぜひ私の家に遊びに来てください。両親も喜びますから」
「ありがとうございます。ありがとうございます。……是非、そうさせてください」
「あと、私には敬語はいりませんよ。私は聖女かもしれませんけど、親戚みたいなものなので」
「そんな、いけません! 聖女様ですから。……だけど、嬉しいです。あのときの子が、最年少の聖女と言われる北の聖女様になっていたなんて……こんなにご立派に……」
目を潤ませたかと思えばすぐに涙を流すリオラに、ルーシンは困った様子で視線を泳がせる。その近くでクラリスが「ルーちゃんは最年少で聖女になった才女ですよ」と何故か誇らしげに胸を張っていた。
呆れた様子のルーシンはクラリスに何かを言うこともなく、すぐに何かを紙に書いてリオラに差し出す。
「リオラさん、これうちの住所なので、いつでも来てください。北の都は少し遠いんですけど、とっても静かで綺麗なところですから」
三人のやりとりを静観していたリオラは、唐突に渡されたメモを受け取り、ようやく安堵したように笑う。
しかしすぐに何かを思い出したように表情をハッと変えると、リオラはクラリスに視線を移した。
「聖女様、これは報告すべきか悩んだのですが」
少しばかり固い声。それに、緩んでいた空気が一気に引き締まる。
「何かありましたか?」
「……この村の教会の礼拝堂に、聖女像があったのは覚えておりますか」
教会に入っていないルーシンには分からなかったが、クラリスやヴァレクがうなずいているのを見て納得したのか何も言わなかった。
リオラも二人が聖女像を覚えていることを理解し、言葉を続ける。
「実は、教会を清めているときに、聖女像の裏側にその名が刻まれているのを見たのです。古い彫刻であるのと、随分かすれていたので読みにくかったのですが……サズィラ・セントクレアと読めました」
「セントクレアだと?」
反応したのはヴァレクだ。その表情が厳しいからかリオラは一瞬怯んだようだったが、すぐにキッと瞳を強くヴァレクに向ける。
「はい。見ていただいても構いません。……聖女セントクレア。もしかしたら、あなたと何か関係があるのでしょうか」
「……私には親がおりませんから分かりませんが……私の名をつけたのはアステル大聖堂の司教であるアストラ様です。もしかしたら、最初の聖女のお名前をくださったのかもしれませんね」
それならばどうしてクラリスと名付けたのか。ヴァレクとルーシンはその違和感に気付いたが、あえて口に出さなかった。リオラも引っ掛かった様子だったが、やはり何も言わずに頭を下げた。
結局リオラは、保護が必要であるとして、村を出ることになった。
すぐに迎えの役人を寄越す調整をしたヴァレクは、村を出るまでにリオラに手を出されないよう、保護魔法をかける。リオラはこれから、王都で暮らすことになるだろう。レオンハルトと暮らすようになるかは、リオラの様子を考えればレオンハルト次第というところか。
リオラは最後まで、レオンハルトに会おうとしなかった。母親として思うところがあるのだろう。分かっていたから、誰も無理矢理会わせようともしなかった。
「皆様、本当にありがとうございました。レオンハルトのことを、これからもどうぞよろしくお願いします」
宿に向かうため村を出る三人に向けて、リオラは終始、深く頭を下げていた。レオンハルトを見ないためかもしれない。三人が見えなくなるまで、リオラは決して、頭を上げることはなかった。
「……元気出しなさいよ。あんたがレオンハルトを誘拐したから、あのお母さんは今日まで生きてたんだと思うわよ」
やや暗い顔をしていたクラリスに、隣の馬からルーシンが声をかけた。
ウスメアからある程度離れ、リオラの姿が見えなくなった頃である。
ルーシンの言葉には振り返ることなく、クラリスは渋い表情で前を見ていた。
「……結果論です。これまで悲しんできた十六年はなくなりません」
「落ち込んでる暇はねえぞ。時間がない。宿に行ったら、翌日すぐに龍の鱗をとりに行く」
前を走っていたヴァレクが、横目に振り返り二人に告げた。
反応をしたのはルーシンだった。ルーシンはヴァレクの背中を見て、不思議そうに口を開く。
「そもそも、龍の鱗をとるってどうやるんですか? 彼らがそれに応じるとは思えませんが」
「魔法で召喚して、交渉します。天使や龍など、いわゆる上位の存在からは『奪う』などできませんから」
「……それって上位召喚ってやつでしょ? 上位の存在を喚び出すって……その認識からおかしくない……?」
「まあ……召喚に応じるかはお相手が選べるので、嫌だったらそもそも出てきませんよ」
平気な顔をして「龍」や「天使」なんていう存在を召喚するという話をするクラリスたちに、ルーシンはつい訝しげな目を向けてしまった。
ルーシンが知る限り、そのような上位の存在は気難しいはずだ。だからこそ基本的に召喚には応じないし、気に入らなければ相手を殺すこともあると聞く。そのため、召喚を禁止されてはいないが、そもそも召喚すること自体が推奨されていない。もしもそんなことをする者が居るなら、その者はなかなかの変わり者であると囁かれていた。
(本当に何者? この二人……)
ルーシンは探るように二人を見たが、二人とも特にルーシンの様子は気にならなかったのか、振り返ることもしなかった。
三人が宿についたのは、それから数時間後のことだった。
もちろん予約はしていない。すでに日が傾きかけていた頃から急遽入ることなど本来出来ないのだが、王太子と聖女が突然訪れては、宿側も緊急性を感じとったのか、少々広い部屋を2部屋用意してくれた。
クラリスとルーシンが部屋に入ると、レオンハルトを肩に担いだヴァレクが「落ち着いたら来い」と部屋を通り過ぎて隣へ向かう。
「ねえ……あんたと殿下って、どうしてそんなに力が強いの?」
「? 唐突ですね」
「そりゃまあ……改めてさっき思ったのよ。上位召喚が出来る人間なんて会ったこともないわ。殿下が『神童』って呼ばれていたのは知ってるけど、聞く限り、人間が持てる魔力量じゃないものを持ってる。自分の体から魔力を具現化して出しておくなんて相当だわ」
荷物を下ろしたクラリスは、くるりと振り向き首を傾げる。心底不思議そうな顔だ。まるで、そのような疑問を持つルーシンのほうがおかしいとでも言いたげである。
「あんただってそう。出生は不明、だけど魔力は余るほどある。謎ばっかり」
「どうでしょう。王家には稀に魔力を多く宿した子が生まれると言われております。それがどのような法則で生まれるのかは分かりませんが……あくまでも、自然的に生まれるそうですよ」
普段北に住み王都から離れているルーシンからすれば、それは聞いたことのない話である。もちろん納得できることでもない。血筋でそのようなものが生まれると言われるより、意図的に作られていると言われたほうが腑に落ちるというものだ。
そんなルーシンに気付いているのかいないのか、クラリスはのほほんと笑う。
「まあまあ、そこはきっと王の家系の神秘ですよ。ほら、殿下のご両親である陛下と妃殿下は、それぞれ相性の悪い魔力でご結婚をなされました。陛下は炎属性、妃殿下は水属性です。そのせいもあるのかもしれませんねぇ」
「そんないい加減な……」
「……そういえば、ヴァレク様は三歳の頃に一度記憶をなくされているんですよ。大変な思いをしたようなので、あまり疑わないであげてください」
何を言われたのかを理解したルーシンがそれについて聞き返そうとしたところで、クラリスがすかさず「さあ!」と手を叩いた。
「すぐにヴァレク様たちの部屋に行きましょう。早くレオンハルトを助けなければ」
誤魔化されたのか、あるいはクラリスでさえ何も知らないのか。ルーシンには分からなかったが、さっさと部屋から出て行ったクラリスには、何も聞けなかった。




