第4話
翌朝、一番に起きていたのはヴァレクだった。
二番目に起きたルーシンはすでに準備を進めている姿に驚いたものだが、ルーシンからの「お早いんですね」という言葉に、ヴァレクは興味もなさそうに言葉を返す。
「俺としたことが、気が急いて眠れなかった。あとは、気合も入れないといけないからな」
ヴァレクの表情は固い。ウスメアという村に向かうのに、珍しく緊張しているようだった。
反してクラリスはよく眠ったようで、朝から上機嫌である。
「さあ行きますよ! 朝一番にエナジードリンクをぶち込みましたので、今日も元気にお仕事します!」
「お前は頑張るな。絶対に頑張るな……!」
「そうよ! あんたはいっつもやりすぎるんだから……!」
ヴァレクとルーシンが必死に引き止める中、クラリスはレオンハルトが乗っていた馬の用意をする。
「私はこの馬に乗りますね。ヴァレク様はレオンハルトと共にそちらの馬にお願いします」
「……それはいいが……絶対についてこいよ?」
「もちろんです。今回ばかりは先を急ぎますから」
言いながら、クラリスは馬に乗り上げる。ルーシンは二人の会話から、クラリスがこれまで大人しくついて来ないことが多かったのだろうなと、なんとなく推測した。
三人はすぐさま、ウスメアに向かった。
レオンハルトはヴァレクの馬に乗せられ、魔法で落ちないようにと固定されていた。
ウスメアまでは、休みながら数時間の道のりである。途中で馬を休ませながら、三人はほとんど休憩することなくウスメアを目指した。
レオンハルトが手遅れになるまで、あと六日しかない。馬には申し訳ないが、クラリスとルーシンは、今回ばかりは回復魔法を馬にも利用していた。
ようやくウスメアの近くにたどり着いた三人は、馬とレオンハルトを村に入らないところに隠しておいた。大人になっているとはいえ、レオンハルトが村人に見つかれば殺されてしまう可能性もあると考えたからだ。
「ウスメアは聖女に敏感だから、聖女の顔は割れていると思ったほうがいい。だから下手に嘘をつくより、きちんと自己紹介はしたほうが賢明ね。特にクラリス。あんたは大人気だと思うわ」
「それは有難いですね。その待遇を逆手にとって、早々にレオンハルトのご両親にお願いに行きましょう」
聖女二人と王太子。なかなか豪勢な顔ぶれである。レオンハルトと馬を守るように魔法をかけたヴァレクは、歩み始めた二人にすぐに続いた。
「いざとなれば俺がどうにでもしてやれる」
「……殿下のその言葉が一番安心できますね」
「どういうことですかルーちゃん! 私が一番頼れますよね!?」
「何に張り合ってんだよ」
村に入口はない。三人が獣道から出ると、そこにぽつぽつと家が立っているのが見えた。しかし王都に立っているような立派なものではなく、少し古い造りのものである。
人がまばらに立ち、ぱっと見では普通に生活しているように見える。ルーシンが言うような偏見があるなどとは一見して思えないのだが……クラリスとルーシンを見つけた村人は、弾かれたように二人に駆け寄った。
「聖女様!」
「王都の聖女様と、北の聖女様ですよね!」
ヴァレクは背後に居たが、それでも王太子よりもまず聖女に反応した村人を見て、三人は怪訝な表情を浮かべる。
やってきた村人は、三人の前でひれ伏した。そうすることがまるで当然であるかのような、自然な仕草だった。すると彼らの後ろから、村人がわらわらと顔を出す。
「聖女様だ!」
「王太子殿下も! 何事だ!」
「セラスさんを呼んでこい!」
クラリスに身を寄せたルーシンが、小さく「行くわよ。ここで足止めされてらんない」と呟く。クラリスはうなずいて、平伏している村人の肩に手を置いた。
「顔を上げてください。少し、お話を聞いてくださいますか?」
「も、もちろんです! セラスさん……えっと、この村の村主のところにご案内します!」
慌てた男が立ち上がり、躓きながら前を歩く。他の村人は特に、クラリスとルーシンを羨望の眼差しで見つめながらついてきているようだった。
二人からすれば、なかなか居心地が悪い。しかし何を言うこともなく、クラリスとルーシンは緊張気味に、村人に流されるように続く。囲まれているが危険はないのか、あるいは魔法でどうにでもなると踏んでいるのか、ヴァレクなど落ち着いたものである。そして自身が聖女よりも関心を持たれないことについては気にも留めていない。
今集まっている村人はざっと二十名程度か。クラリスはその中にレオンハルトの家族は居ないのかと考えたが、会ったこともないためにやはり分からなかった。
連れられた一際大きな家の前に、一人の男が立っていた。クラリスとルーシン、そしてヴァレクを認め、すぐに三人に駆け寄る。
「王太子殿下、王都の聖女様、北の聖女様、ようこそウスメアへいらっしゃいました。私がウスメアの村主をしております、セラス・オルドレッドと申します」
セラスは一番にヴァレクを見た。村人とは違い、その存在の重要性を分かっているのだろう。聖女至上主義の村とはいえ、やはり王太子という存在は無碍には出来ないものである。
セラスは齢五十ほどの見た目の男であった。髪には白が混じり、シワもいくつか浮かんでいるが、背筋は伸び、凛としている。表情がないために何を考えているのかは分からない。声の抑揚もなく、ただ儀式的に挨拶をするばかりである。
「はじめまして、オルドレッドさん。本日はとある人にお会いしたく、ここまで来たんです」
「……このような素晴らしい顔ぶれで、いったいどなたに?」
「アルブレヒトさんはいらっしゃいますか?」
クラリスの問いかけに、セラスは微かに瞠目する。クラリスたちにはその反応が不思議だったが、村人はそうではなかったのか、まるでセラスの驚きを移すように一気に村人もざわついた。
ヴァレクは落ち着いたものだが、ルーシンは焦ったように周囲を見る。村人は誰もが気まずそうな顔で、ひそひそと小さな会話をしているようだ。
「……リオラ・アルブレヒトでしたら今、懺悔の時間を過ごしています。皆様に合わせる顔などございません」
「懺悔の時間とは」
煩しそうに、ヴァレクが即座に問いかけた。ほとんど答えを確信していたが、それでも確認したという声音である。
ルーシンはセラスを睨んでいた。ルーシンも察したのだろう。クラリスだけは、分かっていても穏やかな顔だった。
「彼女は呪われた子を産みました。その身が穢れていたのでしょう。この村にある最古の教会で毎日祈りを捧げ、村のために働いていますよ」
ピリ、と、ルーシンの頬に一瞬何か鋭い痛みが走る。
強い魔力だ。横目に振り向けば、ヴァレクがセラスを睨んでいた。
「ヴァレク様、あなたの魔力は一般市民に向けるべきではありませんよ」
制したのは、落ち着いた様子のクラリスである。
「……分かっている。だが、許容できる発言ではなかった」
「誰であろうとも、彼女に会うことは許されません。彼女は罪を犯したのです。素晴らしい皆様を罪人に会わせるなど出来るわけがございません」
張り詰めた空気がその場を包む。村人もセラスに賛成なのか、誰もが反対の意見を述べることはない。
ヴァレクは変わらずセラスを睨んでいた。ルーシンは拳を握りしめ、悔しそうに唇を噛む。
この場でクラリスだけが、いつものようにふんわりと微笑んでいた。
「そうなのですね、アルブレヒトさんは罪人でしたか。ですが『呪われた子を産んだ』という罪に聞き覚えがないのですが……罪人証明を見せていただけますか?」
「……罪人証明ですか? そのようなものは……」
「おかしいですねぇ。罪人を裁くとき、必ずその罪を記載した罪人証明が必要となるはずです。私刑が横行し秩序が保たれなくなった頃から発行されるようになりました。そこで罪の種類も決められたはずです。もちろん、生命の誕生に関しての罪などは定められていません。罪人証明が発行された年から私刑は罪になりましたが……まさか、村主様自らが私刑をおこなったなどありませんよねえ?」
罪人証明。それを聞いて、ヴァレクが目を細めた。
「……そういえばお前、十六の頃に倒れる前、裁判所と王宮をやたらと行き来していたことがあったが……」
「はい。アステル大聖堂に『私刑が横行して王都の一部が荒れに荒れている』と人々が押し寄せて苦言を呈していたので、法律を変えたり、罪人証明制度を制定したりしていました。罪の種類は三百程度、その当時に定義しましたよ」
もちろん新しい罪を見つければ積極的に刻んでいくつもりです。そう続けて、クラリスはにこりと柔らかく微笑んだ。
ちなみに、罪人証明制度を作るために裁判長ととある大臣にプレゼンをしたクラリスのその資料の完成度や熱意、説得力は未だに語り継がれている。そしてそのとある大臣は新しく生まれた部署の大臣――『法務大臣』に任命され、衛兵の組織・業務改革、司法における常識のすべてがガラリと変えられた。
クラリスはそれらをやり切ったあとに倒れたのだが、それはまた別の話である。
「……ここは閉鎖された村、ウスメアです。王都ではどのような常識があるのかは分かりませんが、ここでは私が法律です。リオラ・アルブレヒトは罪人なのです」
「皆様もその認識なのですか?」
クラリスが振り返ると、村人たちは最初、それぞれが困惑したように周囲と何かを言い合っていた。ひそやかな意見が広がり、やがて大きな声となる。
「呪われた魔力は生まれるべきではない。セラスさんは間違えていない」
「そうだ、殺すべきなんだ」
「呪われた魔力は恐ろしいものだ。そんな存在を産むなど、母体も呪われているに違いない」
「リオラ・アルブレヒトは罪人だ」
「罪を償うために、毎日祈りを捧げて身を清める必要がある」
村人は誰一人として、セラスを否定しなかった。それどころか、三人が間違えているとでも言いたげな目をしている。
我慢の切れたヴァレクとルーシンが前に出ようとしたのだが、クラリスが二人を引き留めた。
「おい、言われっぱなしでいいのかよ。こいつらの言ってることめちゃくちゃだぞ」
「罪になってでも、私が私刑してやるわ」
「分かっていますよ。同じ気持ちです」
クラリスはやはり天使のように微笑み、そして手を合わせた。
「祈りの正転、整律魔法」
手を合わせたまま指を開き、指先だけを合わせた形で魔法を発動する。
クラリスの背後から光の矢が現れた。巨大な矢である。ルーシンは二度目のそれを見て、そしてそれが今度は自身に向けられていないことに安堵しながら、なんとなくクラリスの背後に隠れた。
「……聖女様?」
「理屈が通らないことがこんなにも腹が立つなんて……ふふ、初めて知りましたね」
光の矢の向きが変わった。
以前はルーシンに向けられていたそれが、今度は真下に向いている。
矢尻の先。そこにはクラリスやルーシン、ヴァレクが居る。
「え……ちょっとクラリス、なんでこっち向きに……」
「神の祝福により、深く悔い改めなさい」
「ちょっと……!」
クラリスの詠唱のあと、光の矢は三人に墜落した。