第3話
「これは驚いたな、ミレナ・ルクレティア。お前が反旗を翻すとは」
レオンハルトが倒れた背後から、ヴァレクが遅れてやってきた。表情はいつもと変わらないように見えるが、静かな怒りに燃えている。
ヴァレクが携えていた大剣を抜くと、ミレナは分かりやすく狼狽した。
「あらぁ、こちらの分が悪いようですわねぇ」
「俺の友人に手を出しておいて、タダで済むと思うなよ」
呆けていたクラリスが、そこでようやくレオンハルトに駆け寄った。
レオンハルトはまるで眠っているように動かない。クラリスはレオンハルトの鼻の前に手を置いて、呼吸を確認した。そんなクラリスに続いて、ルーシンも側にやってくる。
「生きてる……?」
「はい、生きています。……ミレナ様、何をされたのですか」
「ふふ、あははは! そう、わたくしよりも早くそちらを処置したほうがよろしくてよ」
「どういうことだ」
焦った様子のミレナは、レオンハルトを見ながらふんと鼻を鳴らす。
「先ほどその男を貫いたのは、魔力を封じる禁術。その男やそこの偽物聖女のような呪われた魔力を持つ者に当たれば、致命傷では済まないかもしれませんわねぇ」
「……お前、この魔力の特性を知ってんのか」
「もちろんですわぁ。でもなければ、邪魔者を排除できませんもの。……お前たち、一旦引きますわよ」
ミレナが両隣で静かに見守っていた二人に伝えると、二人は小さく詠唱する。
三人の周囲が揺らぐ。どうやら転移魔法を発動したようだ。
「ねえ、クラリス・セントクレア様。あなたは神に等しい存在。必ず迎えに参りますわ」
クスクスと笑いながら、そのまま三人は姿を消した。最後まで見届けてようやく、ヴァレクもレオンハルトを囲む二人のもとにやってくる。
クラリスはレオンハルトの体に手を置き、目を閉じていた。
「……どうやら、ミレナ様の言葉に嘘はないようですね。レオンハルトの心拍が下がっています。ルーちゃん、魔力を封じる禁術の解き方を知っていますか」
「ノールウェンでしたように、霊薬の生成が有効な手段ね。……クラリスは、反転した魔力がどうして呪われていると言われてるか知ってる?」
ルーシンの言葉に、クラリスは強く頷いた。
「もちろん。私もヴァレク様も、レオンハルトのために学びましたから」
レオンハルトを緊張した面持ちで見ていたクラリスが、続けて口を開く。
「そもそも、魔力は二種類あります。正転と反転。これが分かれた一番の理由は、反転と呼ばれた魔力が禁術とされる魔法しか使えないということもありますが、それを持つ者の生命力のすべてが魔力に引っ張られてしまっているからだと言われています」
「そう。反転した魔力は、私たちにとっては命と同じ。生命力の源なの。それを封じられれば死ぬ。本当に呪われているみたいだわ。……私は、まだ半分が反転で半分が正転だったからレオンハルトほど酷い状態にはならないんだろうけど……レオンハルトの魔力は、すべてが反転したものなの?」
「レオンハルトは反転魔法しか使えねえ。それも、特別強い反転魔法だ。……こいつを救うために、何が必要になる」
ヴァレクが膝を折り、レオンハルトの眠るような様子を痛々しい表情で見下ろす。
「必要なものは三つあります。一つが、生命力の象徴である彼のへその緒。一つが、生命力を注ぐために必要な媒介となる、龍の鱗。最後の一つが、『反転した』聖女の祈り。これを一週間以内に用意しないと、レオンハルトの命は尽きます」
「反転した祈りだと? そんな矛盾したものが必要なのか」
冗談を言っているのかと、焦ったヴァレクの目はルーシンを責めていた。しかしルーシンは落ち着いたものだ。そんなヴァレクを気丈にも睨み返す。
「これは書物でしか読んでいないので正しいのかは分かりませんが……禁術には禁術をぶつけて相殺するというのが基本的なやり方のようです。霊石を通じた禁術に通用するかは分かりません。分かっているのは、霊薬の生成には共通して祈りが必要になります」
「……ノールウェンでの霊薬に反転した祈りが不要だったのは、禁術そのものではなく、跳ね返ったものだったからということですか」
クラリスの推測は正しかったのか、ルーシンは数度頷いた。
「そうですか。では試すよりほかはありません。ルーちゃんが居てくれてよかった。最後の一つは任せますね」
「分かった」
「そんじゃあ、ひとまずレオンハルトの故郷に行く必要があるってことか」
「リネリオ経由は一旦パスですね。少し北上して、ウスメアを目指しましょう」
「……ウスメア?」
レオンハルトを運ぶべく、ヴァレクが魔法でその身を浮かせる。さっそく移動の準備に取り掛かったようで、ヴァレクはさっさと行くぞと二人に目で合図を出した。
クラリスとルーシンも慌てて続く。クラリスはその最中、ルーシンの様子に首を傾げた。
「……何か気になりますか?」
「レオンハルトの故郷って、ウスメアなの?」
「はい。山の中にある村ですね。すぐ近くに別の大きな村がありますから、ライフラインの確保は心配ないようですが……」
ルーシンの頬に、嫌な汗が伝う。その表情は固く、クラリスにも緊張が移ったようだった。
「……私の両親もウスメアの出身なの。今は北の都に住んでいるけど……あの村は古い因習が残っていて生きづらかったと教えてもらったことがあるわ。特に、稀に生まれる反転した魔力を持つ子どもに対しては、村中で酷い扱いをしていたと……」
「……ご両親は、ルーちゃんのために村を離れたんですか?」
「そうよ。私が反転した魔力を持っていると分かった直後に、バレないうちに引っ越したんだって。だけどレオンハルトはそのまま生まれて過ごしていたってことよね。……さっき、あんたがレオンハルトを『拾った』って言ったときは驚いたけど……そうしないといけない状況だったんでしょうね、きっと」
いろいろと察したように、ルーシンはうんざりと呟いた。背後の会話を聞いていたヴァレクは介入することもなく、早足に馬のもとに向かう。
少し前にヴァレクが起こした火の近くに戻ると、三人はひとまず腰を下ろした。
急いでいるとはいえすでに陽は落ちている。ヴァレクとルーシンはちらりとクラリスの様子を伺ったが、クラリスは二人の視線に目を細めていた。
「なんですか……?」
「いや……あんたのことだから、エナジードリンクを私たちにも飲ませて、夜も関係なく飛び出そうとするんじゃないかと疑ってるの」
「ああ。間違いないな」
まったく信用はないらしい。そんな二人からの目に、クラリスはとうとうツンと顔を背ける。
「私は学びました。私が無茶をすると、周囲も無茶をします。ノールウェンでは、レオンハルトに無理をさせてしまいました。パフォーマンスを一定に保つには、適度な休息も必要です。急いでいるならば尚更、切羽詰まった状況での判断があてにならないように、疲れた状況でも判断をすべきではありません。特に、夜に重要な判断を下すべきではないというのは有名な話なので」
まるでもっともらしく語っているが、これまでのクラリスのおこないからはなかなか信じがたい言葉である。
ヴァレクとルーシンが目を丸くして目配せしているのを見て、クラリスはさらにムッと眉を寄せた。
「それよりもルーちゃん、眠るまでに、ウスメアの話を教えてください。私もウスメアには行ったことがないんです。ですからどんな人が多いのかも知りませんし……古い因習を残し、反転した魔力を持つ者に対しての対応が酷いのは初めて聞きました」
「私も両親から聞いただけだから、あまり知ってるとはいえないけど……ウスメアって、本当に古い村なの。それこそ、最初の聖女が誕生した地で、今も最古の教会が構えられてる。だからこそ聖女至上主義で、反転の魔力を嫌っていると聞いたわ」
ルーシンの両親は古い習慣に興味がなかったということもあり、娘のために村を出るのにも迷わなかった。そもそも、古い村のせいで結婚相手すら勝手に決められそうになり、ルーシンの両親たちは反抗して結婚したという経緯もある。居心地はもともと悪く、ルーシンのことがなくともいつかは村を出ていただろう。
両親はルーシンが聖女となった今でも、ウスメアには近づくなと口すっぱくルーシンに伝えていた。
「……問題は、レオンハルトの親が、レオンハルトの命を救うことに協力してくれるかだな。その感じの村だと、このまま殺してしまえと言われそうだ」
「大丈夫ですよ、ヴァレク様。いざとなれば、私が魔法をかけて村人すべて調教するので」
「あんたが言うと怖いのよ……あんたの魔法、本当に強いし……」
「冗談ではないですよ? 私、レオンハルトが初めてのお友達なんです。小さな頃はレオンハルトが居てくれたから、なんとか生きていられましたし」
「……おい、俺は」
レオンハルトと同じく、幼い頃からクラリスと共に居るヴァレクが、気に食わなそうにクラリスを睨んでいる。
大人げないなと思ったのはルーシンだけで、クラリスは不思議そうに首を傾げていた。
「そうですねぇ……ヴァレク様は『王宮から逃げ出してきた王子』という認識でしたので、お友達とは違うかと」
「それを聞きたいんじゃねえよ……」
どことなくズレた回答をするクラリスに振り回されるヴァレクを見て、ルーシンにはもう同情しかない。
クラリスにはもう直接的に言わなければ通用しないだろう。ヴァレクも分かっているはずだが、直接的に伝えようとはしないため、ルーシンからすれば何がしたいのかが分からなかった。
「ルーちゃん、少し不思議に思うんですけど……ルーちゃんもレオンハルトも、ウスメアの村の血が流れていますよね。そして二人とも、反転の魔力を持っています。何か関係があリますか?」
「解明はされていない。ウスメアという村は閉鎖的だから、外からの人間を歓迎しないの。だから調査はあまり進んでいないというのが現状ね。ただ、因果はあると思ってる。世界的には、反転魔法しか使えない人間なんて居ないじゃない? 少ないからこそ『呪われている』とすら言われてるくらいだし。だけどウスメアは違う。数十年に一度の頻度で、反転の魔力を持つ人間が生まれるの」
クラリスもヴァレクも、反転の魔力を持つ人間との出会いはレオンハルトが最初で最後である。親戚筋にも、友人にも、王都の中にもそのような人間は居ない。誰かから噂が流れてくることもない。基本的には「生まれるわけがない」とすら言われている存在である。
そんな存在が、数十年に一度。
「……ルーちゃん、そんな頻度で生まれているのに、世界にはまだ反転の魔力を持つ人たちはうんと少ないですよね。それって……」
「ウスメアという村が、その存在を殺すからよ」
クラリスとヴァレクは、思わずひゅっと息をのんだ。
「ウスメアは、反転魔法を許さない。だから必ずその人間が外に出る前に……誰かに知られる前に殺すの。私の両親はそれを知っていたから、あの村から逃げ出した」
「それじゃあ……私が、レオンハルトを連れ出していなかったら……」
「レオンハルトは大人になる前に殺されていたでしょうね。……だけど納得したの。レオンハルトは、クラリスにあまりにも従順だもの。その忠誠心は、命を救われたからだったのね」
クラリスの目が、近くで横たわるレオンハルトに向けられた。レオンハルトは動かない。目を閉じ、眠っているようにも見える。
「絶対に助けるぞ。アストラとミレナ・ルクレティアの件はそのあとだ」
ヴァレクが乱暴に、クラリスの頭をくしゃりと撫でた。クラリスはレオンハルトを見ながら涙を堪え、ぐっと唇を噛み締めていた。




