第2話
ずんずんと勇み足で森の中を進むクラリスに、ルーシンが追いつくのは早かった。
なにせルーシンは運動能力が高い。足も早いため、あっという間にクラリスの手を捕まえた。
「一人で森に入るのは危ないわよ。もう日も暮れてるんだから」
クラリスは驚いたように振り向いた。しかしそこに居たのがルーシンだけであると理解すると、分かりやすく肩の力を抜く。
逃げ出す様子はない。ルーシンはクラリスのそんな様子に、掴んでいた手をそっと離す。
「すみません。カッとなって、情けないところを見せてしまいました」
「……別に、気にしてないわよ」
風が吹くと、木の葉が揺れる。薄暗くなってきた森の音は少しばかり不気味で、クラリスは小さなランプを取り出した。
「緊急用に持っていて良かったです。ルーちゃん、少し座りませんか」
クラリスの持つランプは小さいが、二人が居るところは十分に明るく照らされている。魔法が光を強めているのかもしれない。
クラリスが木のそばに腰を下ろすのを見て、ルーシンも灯りを得ようと慌ててクラリスの隣に腰掛けた。
「……私も、殿下の言い分は受け入れられてない。アストラ司教はもちろん、エリアス司教が何かをしてるとは思えないのよね。だけど……」
一度言葉を切ったルーシンは、クラリスを見ることなく短く息を吸い込んだ。
「殿下の言い分に、納得しかけた自分も居る」
「……あり得ません。司教が聖女の命を狙うなど、そもそも何のメリットもありません」
「そうだけど。……思い出してみれば確かに、あのときのアストラ司教はちょっと強引に殿下をうながしてた気がする」
「あのとき……?」
クラリスの疑問を受けて、ルーシンはふと思い出した。そういえばこの旅が決まったとき、クラリスはヴァレクの魔法で眠っていたんだったか。
「……実は、あんたが眠ってる間に話が進んでたの。殿下とクラリスで霊石を生成しに行きなさいって、アストラ司教から提案してた。最後には『もしも二人で旅に行くなら、転移魔法は使わない』って」
相手がヴァレクではないからか、あるいは時間が経って落ち着いたのか、クラリスはルーシンの思い出すような言葉に、何かを考えるように黙り込む。
「その話になったあと、アステルからルザリア大聖堂に通信鏡で連絡を入れたの。殿下が私も同行しろと言ったから、ルザリア大聖堂を離れることが出来るか確認のためにね。エリアス司教と会話をしたんだけど、今回の話をしたとき、エリアス司教はすぐに『もちろん大丈夫だから行っておいで。二人の力になるんだよ』って言ったのよね」
「深くも聞かれず、今後のスケジュールの段取りの相談もなくですか?」
「そうなの。まるで、話が通っているみたいだった」
「……ヴァレク様の話をすべて鵜呑みにするわけじゃないですが、エリアス司教の話を聞くと、少々奇妙ですね。ルザリア大聖堂の聖女もスケジュールは定例でほぼ入っているはずです。王都とは違い、地方だからこそ細やかな催事が多いと聞いていますし……それを何の相談もなくすんなりオーケーを出すほど、エリアス司教も早計ではないでしょう」
ルーシンも考えながら、深く頷き肯定する。
「エリアス司教はそもそもアストラ司教やあんたの大ファンだからってこれまでは思ってたんだけど……殿下から指摘されて考えてみれば、確かにおかしな話よね」
「東西南の聖女はどうなんでしょうか。この間会ったリリュエルちゃんは何かを気にした様子も見られていませんし、むしろ西のセリオン司教はリリュエルちゃんを心配していたように思えます」
ルーシンが、ちらりと横目にクラリスを確認する。その横顔は先ほどの感情的な色はなく、すっかりいつものクラリスである。
そんな視線に気付いたのか、ルーシンの目に気付いたクラリスが、やや気まずそうに気の緩んだ笑みを浮かべた。
「もう大丈夫ですよ。気を遣わせてしまってすみません」
「いや、何も……その、アストラ司教のことになると感情的になるのはちょっと意外でびっくりしたけど……それくらい譲れなかったんでしょ? 誰にだってそういうことあると思うし」
ルーシンだって、アナスタシアと対峙したときには感情のコントロールなど出来なかった。ルーシンにとって譲れないところを、アナスタシアに荒らされた気がしたからだ。クラリスもきっと、あのときのルーシンと同じ気持ちだったのだろう。
そう思うからルーシンは深くは聞かなかったのだが。
「……アストラ様は、恩人なんです」
少しばかり躊躇ったクラリスが、意を決して口を開く。
「私実は、家族がなくて……アステル大聖堂の礼拝堂に、赤ん坊の私が置かれていたと、アストラ様から聞いたことがあります」
辛そうに語るわけではないクラリスに、止めるべきかとルーシンは迷う。
しかし、吐き出したほうが楽になるのだろうか。少しの間にぐるぐると考えてはみたが、ルーシンは考えることが苦手なために、結局頷くことで続きを促していた。
「そんな境遇なので家も無かったのですが、私の中に膨大な魔力を確認したアストラ様が、将来必ず王都の聖女に値する器であるからと、私をアステル大聖堂で育ててくれたんです。クラリス・セントクレアという名前は、アストラ様がつけてくれました」
「……ああ、だから小さな頃から殿下とも関わりがあったのね」
「そうです。ヴァレク様は幼い頃からアストラ様に何かと相談をしていたようで、足繁くアステル大聖堂に通っていたんですよ。その流れで私とも知り合いました。ちなみにレオンハルトは、私が五歳の頃に拾ってきました」
「拾った!? それ誘拐じゃないの!?」
「大丈夫です。たぶん」
どこか得意げなクラリスに、ルーシンの開いた口が塞がらない。
しかしルーシンはすでに正論モードのクラリスを知っているから、きっとレオンハルトの家族を言いくるめたに違いないと、なんとなくそんな気がした。
「ふふ。ルーちゃんはすごいですね。気持ちが落ち着きました。頼りになります」
「あんたに言われると嫌味だわ……」
「さあ、こんなところで小さくなっている暇はありません! ヴァレク様に絶対的に言い返す準備はできました。戻りましょう!」
「あんたのスイッチどうなってんのよ」
「ルーちゃんのおかげですよ。私、ルーちゃんとこうして一緒に居る時間が長くなって、ルーちゃんのことを深く知ることができて嬉しいです。ルーちゃんはずっと、同僚であろうとあまり関わろうとしなかったので」
ルーシンはその境遇から、あまり真正面から褒められるということがない。それこそエリアスに出会ってから初めてエリアスに褒められたというほどで、だからこそクラリスの真っ直ぐな言葉がむず痒かった。
立ち上がったクラリスに、ルーシンは物言わずに続く。しかしクラリスは気にする様子もなく、ヴァレクたちのもとに戻るべく踏み出した。
その瞬間だった。
「こんばんはぁ、クラリス様ぁ」
二人の前に、黒のマントにフードを深くかぶった三人が現れた。
やはり顔は見えない。この風貌と人数から、アナスタシアと接触した者たちで間違いないだろう。
クラリスの視界には、すぐにルーシンの背中が滑り込む。
「ノールウェンでの動き、ずっと見ていましたわ。さすが聡明なお方。簡単にはつかまってくださらないのねぇ」
「……あなたが、アナスタシア様を利用したんですね」
真ん中に居た女が、愉快そうに笑う。そんな人物の両隣に立つ二人は、特に反応もない。
「利用だなんて……あの子が望んだことですのよ。あの子はあなたに強く憧れていて、あなたのようになりたいと目を輝かせておりましたもの。わたくしたちの目的と利害が一致しておりましたから、手を差し伸べてあげましたの」
「ああ、なるほど。あれはクラリスをあの空間に閉じ込めるために用意していたってことね。残念だったわね、私が代わりに入っちゃって」
「ええ本当に。偽物は要りませんの。まったく、邪魔をしてくれましたわね」
暗い目をした真ん中の女が、不意に自身の手に大切そうに触れた。その指にはすべてに指輪が嵌められている。そして指輪のすべてに石がついていた。
「……霊石をそのような形で身につけるなど……あなたは幻晶術師ですか?」
「あははは! おかしい、わたくしのことを知りませんの?」
女がフードを外す。ルーシンには誰かは分からなかったが、ルーシンの背後から息をのむ音が聞こえたから、クラリスにとっては衝撃があったらしい。
ルーシンが横目に振り返り「知り合い?」と聞くと、クラリスは素直に頷く。
「信じられません。……王宮に登録されている幻晶術師です。ミレナ・ルクレティア様。風来人であるあなただからこそ、監視の目を抜けて消えたと聞いても納得していましたが……何をされていたんですか?」
幻晶術師は二名。そのうち一名は監視の目を抜けて消えたと、レオンハルトがはじめに言っていた。
気付いたルーシンも訝しげに顔を歪め、ミレナを睨むように見る。
「わたくしは、あなたを本来の場所に導こうと思っているだけですのよ。あなたはとても価値のある存在。だからこんなところに居るべきではありません」
「……おかしいですね、随分口調が変わったみたいです。あなたは、ミレナ様ですか?」
「わたくしが誰かなど良いではありませんか。それよりもあなた……クラリス・セントクレア様。みながあなたを待っております。神の力すら持っているあなたを」
「神の力?」
思わず口を開いたのはルーシンだった。
その瞬間、ミレナの目が鋭くルーシンに向けられる。そのまま手をルーシンに向けると、指輪についた霊石が光った。
「口を挟むな偽物がァ! わたくしと神が会話してんだろうがァ!」
「祈りの正転、盾律魔法」
クラリスは合わせた手を、ルーシンごしに前に突き出した。
それと同時、ミレナの背後に浮かんだ複数の黒い渦から、闇色の何かがルーシンに向けて放たれた。
真っ直ぐに、強烈な一線が貫く。しかしクラリスの魔法でルーシンの前に張られた見えないシールドが、苛烈にぶつかったその黒を、凄まじい音を立てながらも弾き消していく。
「何これ……」
「霊石の力です。霊石は契約をすれば、望みをなんでも叶えてくれます。だからこそ、悪しきに落ちれば厄介なんです」
最後の黒が弾けると、クラリスはようやく手を下ろした。ミレナはうっとりとクラリスを見ている。
「ふふ、素晴らしいですわ、さすがは神。ですが残念、わたくし、狙った獲物は逃しませんの」
クラリスが反射的に振り向いた。
ルーシンの真後ろに浮かぶ黒の渦。それを見つけて、間に合わないと分かっていながらも、クラリスは素早く魔法を使おうと手を合わせたのだが。
そこから黒の一閃が生まれる直前。クラリスとルーシンの体が、二人まとめて横から弾き飛ばされた。
「きゃあ! 何!?」
「レオンハルト!」
黒が放たれる。二人が居た場所にはレオンハルトが立っていて、一閃がレオンハルトを貫いた。