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愛され聖女、社畜堕ち  作者: 長野智
第2章
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第1話

「本当にありがとうございました。道中お気をつけて」

 ディモンは、クラリスたちが訪れたときとは正反対の晴れやかな顔をして、深く頭を下げた。

 出発の朝。早朝であるために見送りはいらないと伝えていたのだが、ディモンは起きてきたようだった。

「ディモン代官、これからも何かありましたら、ぜひ大聖堂を頼ってくださいね」

「はい……もちろんでございます……!」

 レオンハルトと使用人が、屋敷の玄関先で挨拶をするクラリスたちの元へ馬を連れる。クラリスが乗る馬はヴァレクが受け取り、ルーシンも同じく、馬を撫でて荷物を引っ掛けていた。

「お待ちください!」

 さて馬に乗るかと、みなが準備を始めたときである。

 突然慌てた声に呼び止められ、クラリスたちは動きを止めた。

 声は屋敷からではなかった。どうやら外からの訪問者らしく、クラリスたちがこれから向かう門のほうから、駆け足にやって来る。

「……あんたは……」

 ルーシンの瞳が鋭く変わる。持っていた手綱を強引にレオンハルトに押し付けると、落ち着いた様子で前に出た。

 ヴァレクも一歩前に出て、クラリスを背に隠す。

 やってきたのは、アナスタシアだった。

「今度はクラリスに何かを言いにきたのかしら?」

「ちっ、違います……あの、その……!」

 ルーシンの冷たい言葉に、なぜかアナスタシアは頬を染めた。

 どんどん不機嫌になるルーシン。それに応じて、もじもじと照れるアナスタシア。この空間がなんだかおかしくて、クラリスは尋ねるようにヴァレクの服の裾を引っ張ってみるのだが、ヴァレクもよく分からないのか首を傾げるだけである。

「ちょっと、何もないなら消えなさいよ。私たちは先を急いでるの」

「すみません! あの……謝りたくて……」

「……謝る?」

 勇気を出したように、アナスタシアが強い瞳をルーシンに向ける。

「ルーシン様の言うように、私は出来ない言い訳ばかりを考えて、努力しているのにと自分に浸っていたんです。ルーシン様に指摘されて、殴られて、ようやく気付けました」

「なぐっ……ルーちゃん……?」

 何があったのかを知らないクラリスは、ルーシンの信じられないような行動に目を丸くする。

 アナスタシアが駆け出した。

 ルーシンの元までやって来ると、キラキラとした瞳をルーシンに向け、ルーシンの手を両手で大切そうに握りしめる。

「私、北の大聖堂の執務官になります! 聖女にではなく、あなたに……ルーシン様のために働きたいのです!」

 アナスタシアは、憑き物が落ちたような顔で晴れやかに笑う。

 祈りの魔法が使えないと悩んでいた最近ではまったく見なかった表情だ。ディモンは遠目にそんなアナスタシアを見て、頷きながら目を潤ませていた。

「……い、いらないわよあんたの手助けなんか! ていうか馬鹿じゃないの!? 私、あんたのこと口汚く罵って殴ったんだけど!?」

「はい……伯爵家に生まれ、あのような扱いを受けたのは初めてのことでした……あの日から私は、胸が高鳴って落ち着かないのです」

「あら、ルーちゃんったら」

 ふふ、と見守るように笑うクラリスを強く睨みつけると、ルーシンはアナスタシアに握りしめられていた手を振り払った。

「意味が分からないわ! まあでも、執務官なら祈りの魔法なんか要らないし、あんたに向いてるんじゃない? 北の大聖堂には来なくていいけど、せいぜい今度は努力してみたら?」

「はい! 絶対に会いに行きます! そのときに私がまた甘ったれたことを言っていたら、ゴミクズ雑魚能無し無能女と、あの瞳で呼んでくださいますか……?」

 そんな呼び方をしていたの? と言う目をルーシンに向けたのは、クラリスとレオンハルトである。幸いなことに、ディモンは感動のあまり泣くことに必死で聞いていなかったようだ。

「誤解されること言うんじゃないわよ空気読めないの!? ほら行くわよ、クラリスも笑ってないで!」

「はいはい。ふふ、良かったですねぇ、ルーちゃん。お友達ができて」

 慌てて馬に乗ったルーシンに続き、クラリスたちも乗馬して、ディモンの屋敷を後にした。

 最後、ルーシンが振り返り、恨めしげにアナスタシアに中指を立てていたことは、とろけたような表情をしたアナスタシアしか知らないことである。


 ノールウェンを出た四人は、幻晶術師が居るという地を目指すため、次の中継地として、リネリオという山の深くにある街を目指していた。リネリオは古い慣習を大切にしており、歴史を重んじ、遺跡も残る由緒ある場所である。識者を多く輩出しており、王宮でも活躍する大臣は少なくない。

 リネリオまで、馬で休むことなく走っても二日はかかる道のりである。

 四人は野営の準備をするため、少し早めに開けた場所で馬を止めた。

 するとすぐに、ヴァレクが魔法で火をくべる。

「手際が良いんですね。殿下は野営の経験がおありなんですか?」

 ヴァレクとレオンハルトは、野営をするとなってから慣れたように動いていた。ルーシンは野営などもちろん初めてだから、見ていることしかできなかったのだが。

「……まあ。そうとも言うな」

「ふふ、ヴァレク様は幼い頃、よく王宮を抜け出していましたからね。レオンハルトとこうして小さな家出を頻繁にしていたのでしょう」

「うるせえ」

 ルーシンは北の都、ルザリア生まれのルザリア育ちであり、王都アステルに住んでいたことはない。たまに足を運んだがそれだけで、王宮のことや、王族の情報が細やかに入る環境でもなかった。だからまさかヴァレクが王宮を抜け出すなど無謀なことをしていたとは知らず、思わず目を丸くする。

「よく無事で居られましたね」

「……残念ながら、ガキの頃から俺は強い。山賊に会おうとどうせ負けやしねえよ」

「と、幼い頃から殿下が強気なものですから、私はクラリス様の護衛騎士であるはずが、気を抜く間もありません」

「レオンハルトはクラリスと殿下の護衛騎士ってこと? ていうかクラリス、あんたそんな小さな頃から殿下と一緒に居るのね」

 火を囲むように座った三人が、同じく輪に入っているルーシンを不思議そうに見る。ルーシンはなぜ自分がそんな目で見られるのかが分からず、何か悪いことでも言ったのかと戸惑っていた。

「な、なによ……」

「いえ……なんだかルーちゃんの質問が新鮮で……私たちにとっては当たり前ですが、周囲から見ればそう思いますよねえ」

「まあ、そうでしょ。だってクラリス、殿下の婚約者っていうわけでも、恋人なわけでもないんでしょう? そんな男女が小さな頃から一緒に居るって、結構不思議というか、異常……」

 ギラリ、と、ヴァレクの目がクラリスの背後で光る。

 ルーシンは思わず言葉をのんだ。直感で分かる。これ以上言えば命はない。ルーシンは口を閉じ、あからさまに目を逸らす。

「ルーちゃん?」

「なんでもないっ! 忘れて!」

「……ちなみに、私は基本的にクラリス様の護衛ですが、幼い頃よりアステル大聖堂に居たクラリス様に殿下が頻繁に会いに来られたことで面識が増え、気がつけばお二人をお守りする役目となっておりましたね。殿下は気難しい方なので、当時から誰にも気を許されておりませんでしたから、私が適任であると判断されたようです」

 パチパチと弾ける火を見つめながら、レオンハルトが淡々と告げる。

「……俺が気難しいだと?」

「まあ! 自覚がないようですねぇ」

 クラリスが笑うと、ヴァレクは複雑な顔をして口を閉じた。

 ルーシンからすれば、クラリスとヴァレクは不思議な関係だった。距離が近い割に、恋人でも婚約者でもない。甘い言葉をかけるわけでも、甘やかな雰囲気になるわけでもない。それでも幼い頃から共に居るし、ヴァレクは明らかにクラリスを好いている。

 それなら、もっとストレートに求婚すれば良いものを。

 ルーシンが見る限り、ヴァレクがそんなことをしそうな気配はない。

 ルーシンが考えるように黙り込んでいると、何かに気付いたヴァレクが手のひらを上に向けた。するとそこに炎が弾け、中から手紙が現れる。封はされていない。ヴァレク宛に直通で出されたものなのだろう。

 ヴァレクは便箋を取り出すと、その内容にピクリと眉を揺らす。

「……動きが?」

 訳知り顔のレオンハルトが問いかけると、ヴァレクはため息混じりに頷いた。その渋い顔に状況を理解できなかったルーシンだったが、クラリスも不思議そうにヴァレクを見ていたから、クラリスも事情を知っているわけではないらしい。

 口を開いたのはクラリスだった。

「……どうしたんですか? ヴァレク様がそんな顔をするとは珍しいですねぇ」

 ヴァレクの目が、じっとクラリスを見る。

 何かを測っているような目だ。しかし何を考えているのかは分からず、クラリスは首を傾げることしかできない。

「私の顔に何か?」

「いや……俺のことを嫌わないと約束してくれるか」

「? 別に、私はヴァレク様のことは嫌いではありませんよ。ただしこのように面倒くさいやりとりを挟むことで無駄な会話が増えていることには少々苛立ちを覚えます。時間は有限なので無駄なやりとりは極力挟まないように、」

「クラリス、分かったから! 普段こんなこと言わない殿下があえて言葉にしたのにはきっとわけがあるのよ! あんたはもうちょっと言葉の裏とか、相手のこととか考えなさいよ」

 とっさに間に入ったルーシンの言葉に、クラリスは考えるように眉を寄せた。

 少しばかり目を泳がせると、そのままクラリスの目は弾ける炎に向けられる。

「……それで、なんですか?」

 ふてくされたような顔だ。ルーシンの言い分も理解はしたが、それでも素直には受け入れ難いというところか。そんなクラリスの横顔を見て、ヴァレクは躊躇いながらも口を開く。

「アストラが王都を離れる動きを見せている」

 それまでふてくされていたクラリスが、くるりとヴァレクに振り向いた。

「それはあり得ません。私が王都から離れているのですから、アストラ様まで離れてしまってはアステル大聖堂から責任者が居なくなってしまいます。アストラ様はそのようなことも分からないほど愚かではありませんもの」

「いや、離れる段取りを進めていると報告が来てる」

「……そもそも、ヴァレク様はどうしてアストラ様に監視をつけるようなことを?」

 睨み付けるような目は、クラリスにしては珍しい。しかしヴァレクも臆することなく、同じようにクラリスを強く見ている。

「最初からおかしかっただろ。違和感がなかったか、こうして俺たちみたいな立場の人間が、固まって旅をして良いと言われたこと」

「それは、アストラ様がそれほど霊石を求めていらっしゃったからでは? まあ確かに、レオンハルトはともかく、ヴァレク様とルーちゃんがついてきたのはおかしなことではありますが」

「……言っていいか迷ったんですけど……そもそも、この旅においては例外ではないんですか?」

 極力濁した言い方で、ルーシンが軽く手をあげる。

 今回このメンバーで固まって動いているのは、クラリスの前の生の記憶を封じるための霊石入手の旅である。クラリスの言う通りなぜルーシンが居るのかは分からないが、ヴァレクが居る理由は分かるのではないだろうか。

「例外はねえよ。いかなる理由があろうと、王都から王太子と聖女が一緒に居なくなるのはありえねえ。が、アストラは考えることもなく行けと言った。転移魔法も使わねえとまで断言してな」

「……つまりヴァレク様は、アストラ様がなんらかの理由で、私とヴァレク様を王都からより長い時間引き離そうとしていると言いたいのですか?」

 クラリスの声のトーンが一つ落ちた。その目は真っ直ぐにヴァレクに向けられている。

 しかしヴァレクは臆することなく、軽く息を吐き出した。

「西の聖女の証言を覚えているか」

 そうして告げられたのは、クラリスの問いとは一見関係のないことである。

「……聖女狩りのことですか?」

「西の聖女の話によると、聖女狩りが起こり始めたのは、俺たちが王都を離れてからだった。タイミングが良すぎる」

「……待ってくださいよ殿下。それだとまるで、アストラ司教が聖女狩りに介入していて、私たちを狙っていると言っているみたいです」

 ルーシンの言葉はどこか震えていた。司教という立場のアストラが、そんなことをするはずがないと信じているからだろう。しかしルーシンの願いも虚しく、ヴァレクからするりと鋭い視線を向けられる。

「そっちはどうなんだよ。北の大聖堂は、しばらく聖女が離れることに反対でもされなかったのか」

「……エリアス司教はアストラ司教の大ファンということもあって、むしろ力になりなさいと送り出されました」

「では、エリアスも怪しいか」

「待ってください! エリアス司教は本当にそのような方ではありません!」

「ヴァレク様が、そのように愚かな思考をお持ちであるとは思いませんでした」

 不機嫌な声を出したクラリスが、ヴァレクを見ないまま立ち上がる。

「クラリス」

「触らないでください。……アストラ様が私たちの命を狙わせていると、そのようなあり得ない仮説を立てられているとは」

「どこがあり得ないんだよ。いつもみたいに合理的に考えてみろ。状況は当てはまってるだろ」

「それでも! アストラ様が私の命を差し出すなどあり得ません!」

「それは感情論だろうが」

 いつもとは逆だ。今はクラリスが正論で指摘されている。

 しかしクラリスはぐっと拳を握り締めると、言い返せないのか、何も言わずにくるりとどこかに歩き始めた。

「クラリス!」

「今はヴァレク様の顔を見たくありません! 来ないでください!」

 追いかけようとしたヴァレクが、クラリスの言葉で動きを止めた。分かり難いが、傷ついた顔をしている。

 情けなく立ちすくむヴァレクの代わりに、ルーシンが立ち上がった。

「私が行きます。クラリスの気持ち、分かりますから」

 ルーシンもどこか不機嫌な様子で、駆け足でクラリスを追いかけた。

 ヴァレクはしばらく動かなかったが、数分後、ようやくふらりと腰を下ろした。表情は暗い。顔も見たくない、と言われたのが響いているようだ。

「……クラリス様を思えばこそ、警戒すべきです。私は、殿下の判断は間違っていないと思っていますよ」

「……ああ。絶対に、クラリスを失うわけにはいかない」

 ため息混じりの重たい言葉に、レオンハルトはただ「そうですね」と、同じほど重たく返すことしかできなかった。

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