『殿上人の競速記の装束のこと』速記談1084
堀河天皇の御代、殿上人が書き手となって行われた競速記のとき、それまでの競速記の際の普通の装束ではなく、左方の書き手には、唐楽の舞楽で着る打毬楽の装束を、右方の書き手には、高麗楽の舞楽で着る狛鉾の装束を、わざわざ取り寄せさせてお着せになった。
教訓:堀河天皇は、白河上皇の子で、八歳のとき、立太子の日に践祚し、白河院による院政が始まった。藤原頼通没後わずか十二年後のことである。道長、頼通親子が摂関政治の絶頂期であると言われるが、その直後に院政、その直後に平氏政権、その直後に源氏政権と、摂関政治は戻ってこないのである。